オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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シーツを入れてはならない
第二次世界大戦下、アメリカで勧められた「マンハッタン計画」に携わり、“原爆の父”とも称された物理学者、オッペンハイマー。
そんな彼の栄光と没落の物語。
戦争映画は嫌いだ。
だが決して目を背けてはいけないと、毎年この時期になると無理にでも観るようにしている。
今年は映画自体全然観れていないが、8月9日長崎に原爆が落とされた日に相応しい映画を劇場で鑑賞することができた。
まあ長い。そして難解。
ノーランお得意の時間軸の入れ替えというよりも、登場人物の多さと相関図の複雑さによって、途中からは全くついていけなかった。
オッペンハイマーの人生に興味が持てるかと聞かれたら正直興味は持てない。
この映画は色んな見方ができる。
私は日本人としてどうしても原爆の恐ろしさを基軸にこの物語を観てしまう。
しかし、話のメインはオッペンハイマーの葛藤に満ちた生涯である。
もしかしたら、この映画を未来への希望と捉える人もいるかもしれない。
だが、私はひたすら恐ろしい絶望の始まりに感じる。
どんな見方をしても良い。
1回で物語の大枠を捉えることは不可能に近い。
それくらい深みのある良い映画だと素直に感じた。
だからこそ、賛否はあって当たり前だと思う。
本作は日本公開時、原爆の被害に関する描写がほぼ無いと疑問視された。
だが、個人的には敢えて描かないことで今まで経験したことのないような恐怖を味わった。
実験ではあるが、あの爆発で何万もの人々が殺されたのだと思うと体がこわばった。
実験後、喜びに暮れる関係者たちの姿を見ているとなんとも言えない感情がグルグルと体の中を駆け巡る。
2つの原子爆弾がトラックに乗せられてロスアラモスを出発するシーン。
あのトラックの後ろ姿ほど恐ろしいものがあるだろうか。
戦後、オッペンハイマーに何度もフラッシュバックする閃光と焼け爛れた少女。
あの少女はノーラン監督の娘だと言う。
今回原爆投下や原爆被害に関する描写がないことについてノーラン監督は明言していないが、こういった端々に明らかな覚悟を感じる。
バーベンハイマーとかいう稚拙で醜悪なトレンドもあったが、それを乗り越えて無事日本公開してくれて本当に良かった。
ハリウッドでアメリカの罪に言及するということは革命と言ってもいいのではないか。
申し訳ないが前述の通り、オッペンハイマーの伝記的側面について語ることはできない。
全神経を集中してもついていけなかったのだから。
ただ、こういった戦争への向き合い方といい、脚本の素晴らしさといい、一切手を抜かない感じがやはり嫌いになれない理由。
世界で1番凄い映画監督だと言いたい。
劇伴も毎度素晴らしい。
これを書きながらサントラを聴き少し涙ぐんでしまった。
今もウクライナやガザでは多くの市民が犠牲になっている。
国際社会は分断の危機にあり、核の脅威はすぐ近くにあるこの状況で、唯一の被爆国に何ができるのか。
終戦から今日で79年。
核の傘の下でいつまでも黙っている訳にはいかない。
3時間飽きさせない傑作
原爆を扱う3時間のノーラン作品と聞いて尻込みする人も多いかもしれないが、原爆の製造過程(マンハッタン計画、トリニティ実験)と、戦後オッペンハイマーがセキュリティクリアランスを持つべき人物に値しないと糾弾される聴聞会のシーンが交互に組み合わされることにより、オッペンハイマーのみならずその周りの登場人物がどう考えどう行動したかが段々と解き明かされていく構造となっており、観客を飽きさせない仕組みとなっている。これが時系列順にシーンが並んだのっぺりとした映画だったら、耐えられなかっただろうと思う。
このストーリーテリングの巧さに加え、原爆製造を成功に導いたオッペンハイマーの栄光と苦悩がキリアン・マーフィの非の打ち所がない演技によりよく表されている。自らの任務に邁進する軍人、虚栄心の強い政治家、それらにうまく利用され、各々の運命を生きるしかなかった科学者たち。天才オッペンハイマーも、その一人にすぎなかったということだ。
昨年、「バーベンハイマー」としてバービーとオッペンハイマーをコンビにして観賞するキャンペーンが出た時は被爆国出身者としてさすがに許せなかったが、この映画自体は原爆投下を正当化するものでは全くなく、オッペンハイマーの人生を中心に描きながらも原爆被害の凄惨さを客観的事実や演出により所々見せており、私自身はその点ネガティブな印象はなかった。ただ、日本人の評価が分かれる点ではあろう。
アインシュタインの謎めいた登場のさせ方もうまかった。彼の最後の言葉がいつまでも耳に残る。
「君は君が成し遂げたことの責任を取るんだ。そしていつの日か、彼らが君を十分に罰したら、彼らは君を招待して、サーモンとポテトサラダを振る舞い、スピーチをして、君にメダルを与えるだろう。君の肩を叩き、君はもう完全に許されたと言うだろう。でも覚えておきたまえ。それは君のためではないぞ。それは彼ら自身のためなのだ。」
結局、人間はどこまでいっても身勝手で利己的な存在なのであり、その人間が核兵器を作っているのだいうことを忘れてはならない。
ピカドンを体験して世界平和を祈る
苦悩
天才の悲劇
苦悩
日本人として観るべき映画。
原爆投下後に英雄と持て囃されたオッペンハイマーが戦後高々数年後には、マッカーシズム吹き荒れる政権下のアメリカで、左翼思想を根拠に非国民扱いされている公聴会での痛々しい姿から物語は始まります。
当時トルーマン大統領との面会で、「自分の手が血だらけに汚れている気がする…」と弱音を吐いた彼に、トルーマンは「地獄へ行くのは投下を決めた自分だから、何も君が気に病む必要は無い」と慰めたその舌の根も乾かぬ数分後、彼の退席を確認したその直後に側近に向かって「あんな臆病者を二度と自分の前に連れて来るな!」と激怒したという逸話が残っています。
当時の彼の悔恨は、アメリカ人の主流派のそれでは無かったのかも知れないし、現在でも多くのアメリカ人が、“原爆投下が戦争終結を早め、多くのアメリカの若者(軍人)の命を救った“と頑なに信じて疑わない事でしょう。
それでも彼の優しさと弱さとは、思想や信条を越えたアメリカの良心と言う事も出来るし、人類普遍のヒューマニズムの体現と捉える事も出来ます。
戦後、アインシュタインを始めとする科学者達が、野放図な軍拡競争に反対したのは有名な話。
長らく、“それでも彼は遂に広島・長崎を訪れる事は無く、被爆者と面会する事も無かった…“と言われていましたが、つい先般、生前彼が被爆者の代表女性数人と通訳だけで面会し、号泣しながら謝罪をしたと言う証言がニュースで報じられていました。
“我は死なり。全ての破壊者なり…“
人類は過ちも犯すが、それでも人類普遍のヒューマニズムは…それでも生き続ける。人は人を信じてきっと良いのだと、そんな事まで色々と考えさせて貰いました…。
長い
物理学とは何んなのだろう
ロスアラモス研究所の科学者や職員が足を踏み鳴らしオッペンハイマーを迎え、広島への原爆投下を成功を讃えるシーンで思いがけず涙が溢れてしまった。だが、その涙は普段映画に感動して流す涙とは違い、日本人としての悔し涙、悲しみの涙だったのだと思う。
ヒットラーが死んだので、降伏しない日本に原爆を落とし戦争を終結させる。京都は日本の文化の象徴でいいところだから原爆は落とさない。
わからないことはないが、やるせない気分になります。
映画監督の李相日さんがレビューで「原爆投下後、オッペン・ハイマーがフィルム映像を見るシーン。そこで広島、長崎での実際の被害の様子が映し出されることはなく、映画はあくまで彼の苦悩にフォーカスしていく。オッペン・ハイマーは映像から目を背け、頑なに見ようとしない。見ようとしないオッペン・ハイマーの姿は、ある意味、見ようとしなかったアメリカの姿であり、その後を見ようとしない世界を暗示しているようでもあった」と言ってます。
原爆は戦争を終わらせたが、冷戦を始めさせたし、今日まで(これから先も)国、民族の対立、戦争、紛争は終わらない。核兵器という脅しの道具をチラつかせながら、。
難解作品
クリストファーノーランのファンでこの映画を待ち望んでいたが、2023年内の公開は無さそうということで、2023年の夏に韓国で。そして日本で公開されてから再度鑑賞した。
テネットをはじめ難解なノーラン作品は今に始まったことではないが、この作品は前提知識がないと理解がかなり難しい。登場人物が多くそもそも名前が覚えられない、アクションが少なくセリフメインのため若干退屈。韓国で観た時は自身の英語力の無さから理解できないものだと落胆したが、日本語字幕で見たとて人物の関係性などは解説なしでは理解できなかった。
そして、この映画戦争映画ではないことに留意する必要がある。原爆の描写については日本人にとってセンシティブだとは思うが、あくまでオッペンハイマーの伝記的として描かれているので、原爆については浅い描写だった。それが良い悪いではなく、戦争映画ではなく伝記映画なのでこれは当然なのだろうなと思った。
ノーラン作品の時点で個人的には高得点をつけたいのだが、前提知識がそれなりに必要なことと単純に映画として感情の起伏が起きなく、少し冗長に感じたのであまり高くない評価をつけた。
個人的には多少のネタバレはされてでも、YouTubeなどで解説が上がっているので解説を見た上で映画を見た方が満足度は高いと思う。
オッペンハイマーの世界観に没入する
賛否両論のレビューを見て、しばらく観ることを躊躇していたが、逆に自分はどのように感じるのか確かめたくなり映画館へ。結論としてはノンストップでオッペンハイマーの世界観に没入してしまった。180分間に原子爆弾が“存在しない世界”から、“存在する世界”への時代性を追体験。そして博士が取り憑かれたように原子爆弾の完成という目的に突き進む姿と、完成した後に我に返り苦悩する姿に感情移入する。観ているこちらも実験成功した瞬間に全てのピークを迎え、徐々に冷静になっていく。
原子爆弾は無差別に大量殺戮を行う兵器であり、その創造は悪魔の所業に変わりない。しかしながら、研究開発する過程は人知を集結し実現困難な事を成し遂げようとするエネルギーで溢れており、劇中は兵器を作っているという引け目を感じさせない。新しいものを創造しようとする組織と、それを利用し実行しようとする組織の合理性を極限まで追求する事への危険性を感じた。過激な表現ではあったが、オッペンハイマーの私的な経験と他者との関わりは彼の人間性を理解する上で役立った。
芸術的なまでのパワープレイ
前提として
・原作と思しきものは未読。
・予備知識もほとんど調べずに視聴。
・クリストファー・ノーラン監督の他作品は『プレステージ』、『ダークナイト』三部作、『インセプション』、『TENET』を視聴済。
面白かった。そこは間違いないのだが、非常に難しかった。
正直に言って理解できてないところも多数ある。
まずはオッペンハイマーの心情描写。ここは理解できた。ここが十分に深いので、予備知識がほとんど無いままに観ても面白いと思う。
同じくストローズの心理描写もある程度理解できたと思う。少しだけ自信は無いが、オッペンハイマーへの感情はなんとなく理解できた。
主要二人はなんとなく理解できたが、他の人物たちまでは理解できてない部分が多い。
何より登場人物が多い。現実の伝記だから当然と言えば当然なのだが、上映時間だけで記憶して一人一人判断するのは無理。
それでもある程度は工夫されていると思う。久しぶりに出てきた人物名には一瞬だけカットが入るなど。
ストーリー(というか構成)の方だが、会話がメイン。専門用語や当時の時事ワードがびっしり、かつ時系列が大体3分割ぐらいある(視点は2つ)。なので情報量が異常に多い。しかも3時間あるし。
ただ、伝えたいメッセージは明確に伝わる。
"オッペンハイマーの人間性と後悔""核の危険性と世界へ与えた影響""我々が置かれている現実"。
日本人だからこそ言いたいことがあるかもしれない。他国の見解も聞きたい気持ち。
分からないことが多くて引っ掛かった。話は進むし、状況が良いのか悪いのかぐらいなら理解できる。その上でやっぱり引っ掛かる。
完全に理解しようとすると、科学だけでなく政治や哲学の知識も必要になってくるので、知識ゼロのまま観に行くとかなり苦戦すると思う。実際苦戦したし、解説動画等を観て少ーーーーーーしだけ理解できた。視聴後ですらそんな状況である。
が、これは好き嫌いの範疇だとも思う。映画をざっくり観たい人にはオススメできない。
音楽は相変わらず"ノーラン映画"って感じだけど、クラシックの良さは変わらずに美しい旋律が流れる。物理学を一種の芸術と捉えるような、そんな旋律。
とか思って音楽家の方を調べたら、『TENET』以外は担当していないのですね。似た旋律があったから同じ人だと勘違いしたのかもしれない。
映像も美しい。本当に美しいのだ。科学・物理学の芸術とも言うべき光景が自然界にもあることを再認識させてくれる。雨、風、植物、エネルギー、原子……。
字幕なしでここだけ観るのも悪くない。
難解で、会話だけで長ったるいはずの、しかも3時間ある映画。なのに話の重要な点は伝わるし、何よりも飽きさせない。省くべき無駄な部分も無い。ノーラン監督のパワープレイ。
配信されたらもう一回か二回観直して理解したい。難解だけど、引き込まれ理解したくなる。
そんな作品。
余談だけど、実在する人物の生涯を描くときは、どこかの時代だけ切り取るか、時系列を入れ替えた方が"物語"には適してるんだろうな、と納得した。
そこまで批判される映画では無い
日本で特に被害なあった方も居るので公開は賛否ありますが、原爆投下後の後悔や苦悩も描かれており
実際に彼は新しい原爆担当者から外れ開発に反対していましたので時間が経てば何をしても良いと言う訳では無いですがドキュメンタリー、歴史物で語り継ぐ為にもこう言う映画はあって良いと思います。
この映画が批判されるなら逆に新海誠監督の「すずめの戸締まり」は大地震がメインみたいな物で東北の大地震から10年は経過してますが大地震を扱うのはまだ早いのでは?と思いました。しかも地震の原因があの化け物みたいなって・・まだ記憶に残ってる人が多い中、特に被害にあった人はどう思ったのかと。アニメ空想と事実と作品は違えどオッペンハイマーもよりも悪質にも思えました。
全938件中、101~120件目を表示