オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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"三位一体"スゴかった…自分の発明にどこまで責任持てるか?結果についてのサイエンス・リアリティ
これは"結果"についての映画だ。パンドラの箱を開けてしまった"米国のプロメテウス"の苦悩と葛藤、そして…心理ホラーに夫婦愛、自らの創造物の望まざる結果とどこまで向き合うか、自分のそれら言動に対する誠実さをそれでも最後まで失わずにいられるのか?オッペンハイマーとノーランに共通するまるで新たな世界を生み出すような革新への妥協なき挑戦。
従来のノーラン映画より顔アップによる会話シーンの多さも顕著な気がするが、退屈するようなことはなく、むしろグイグイと引き込まれていく自分がいた。専門的な会話や、登場人物の数が多い分そこまでまだ顔と名前の一致しておらず馴染みのない人名飛び交う赤狩りなど当時の様子と少し難しさもあるが、上手く時間軸を解体して再構築する(流石は"時間"を扱ってきたノーランここでも!)ことで非常に力強いクローズアップによるファーストシーンとラストシーンはじめ、作中のセリフ一つ取っても効果的な差異を伴う反復が、作中至るところに仕掛けられていて演出意図も伝わるし、また考えさせられる。これはハッとさせられるし、やられた。
そう、慰めみたいな晩年のセレモニー・褒賞は、自分のためではなく、皆のため。自分が許されたのではなく、あくまで周囲・世間が納得するための免罪符みたいなものに過ぎないのだと。ノーランもそう思っているのかな(アカデミー賞獲ってあんなにちゃんと嬉しそうにしていたけど)?…などと要らぬ心配。この作品のコアアイデアとしてやっぱり、"自分の発明(作品)にどこまで責任持てる(持たないといけない)か?"みたいな部分はあると思うけど、映画も一度公開してしまえば、自分の手を離れて観客のものになるから。
ノーラン✕マーフィ=盟友コンビ新境地的要素も見出だせるけど間違いなく一つの集大成!! 映画としてのスペクタクルや求める意義、考えさせられるメッセージ性など詰まっていて本当にダメなところなど"ほぼゼロ"?画・音・演技あるいは撮影も編集も音楽も素晴らしく、これぞ"三位一体(トリニティ)"映画が総合芸術である所以にふさわしいサイエンス・ノンフィクション(リアリティ)。
"原爆の父" 彼が永遠に世界を変えてしまった…初期からノーラン作品常連として欠かせない存在であったキリアン・マーフィ待望の主演。そして、それに応えるような圧倒的熱演(オランダ語!大減量!!)で、初ノミネートに受賞も大納得。『ピーキー・ブラインダーズ』に負けず劣らずのイケメンっぷり(あの服装似合いすぎ!)だし、彼のこと好きな人間としては嬉しかった。"世界の警察"アメリカが舞台だからといってもちろん正義の話などではなく(原作未読だが原作も絶対そうだろう)て、もっと結果に伴う人間の内部を掘り下げた複雑な内容だが、監督主演ともに非米国人なわけだし、やはり外部の視点が持ち込まれたことで、そうした部分はより強固になった部分は意図した部分以外でもあると思う。にしても、もしかすると有名なエピソードだったりするのかもしれないけど、知らない身としては毒を盛るようないきなり主人公の闇描写が出てきて少し驚いた。しかもリンゴという"禁断の果実"なのが示唆的・象徴的。その瞬間、彼は"落ちた"のだ。神の仕業か悪魔の所業か?
功罪は表裏一体、ならば汚い手より真っ当に生きて責を負うべき!途中までオッペンハイマーとストローズは表裏の似た("ほぼ"同じ)立場として描かれるわけだが、それが徐々に乖離を見せ、最期決定的になる。何が2人を隔てたのか?それはやはり"誠実さ"。"権力とは(表に出ることなく)暗躍するものである"という考えを体現して、裏で糸を操ったストローズは敗北する…。そんなもう一人のメインキャラクターとして、"オッピー"と対立する執念深い役を演じたロバート・ダウニー・Jrも圧巻(『アイアンマン』のプロモーションで来日したときにヒドい目に遭ったかららしいけど本当に日本嫌いならこの役演じているのを見るのは日本人として複雑)!目力とその態度!!
フローレンス・ピューはやっぱりどの作品で見ても食う勢いで凄い存在感を放っている!ベニー・サフディは監督としてももちろん良いけど、役者としてもなんだか魅力あって好き(『テネット』にも出ているパティンソン主演『グッド・タイム』等)。ジョシュ・ハートネット最近ガイ・リッチー作品やシャマラン次回作控えているなどメインに復活してきて、『ラッキーナンバー7』の頃から見ていた身として嬉しい。はい、エミリー・ブラントはみんな好き。他にも想像を更に超えてくる超豪華キャスト。ざっと数えてもアカデミー主演男優賞受賞者が3名、それもそこまで大きくない役柄で。皆役の大きさ大小に関係なく出たかったのだろうな。実際それだけの価値のある素晴らしい作品だ。
ほぼゼロ
裁判じゃない
砂漠は知っている「地球を壊すな」
シーツを取り込め
証人リスト
オッペンハイマーの人生
アメリカでの公開当初から話題を呼び、アカデミー賞でも最多部門受賞。いよいよ観ることができた「オッペンハイマー」。
『とにかく登場人物が多い』
『時系列が入り乱れて混乱』
『会話劇に終始する為字幕速読マスト』
最低限の予習はして挑みましたが、難しかった…。多分まだ半分も理解できていないと思います。
それでも、映画作品として面白かった。
被爆国である日本としてはやっぱり複雑な思いがあり、実験の成功を喜ぶ様や、広島・長崎への投下後の歓喜に沸く人々の笑顔は、気持ちが良いものではありませんでした。
一方で、原爆を造り出したオッペンハイマーをはじめとする科学者達の苦悩もまた痛い程に伝わり、ノーランの言う【オッペンハイマーの脳内に入り、彼の人生の追体験をすること】が、少し出来た気がします。ラストシーン、アインシュタインとオッペンハイマーで交わした言葉が非常に重く、響きました。
天才物理学者の目から見る幻想的で美しい星空のような恐らく科学反応や、爆発の衝撃と波動、余韻…映像と音響の凄まじさは勿論期待通り。トリニティ実験での一部始終は、興奮と緊迫感が続き、まるで自分も現場にいるようで、映画館でしか出来ない体験でした。
これからまた、本作を深掘りしてみようと思います。きっと新たな気づきや発見がたくさんだろうな。
その作業がまた知的好奇心を満たし、楽しいのです。
現在進行形で戦争や侵略が起きてしまっているなか、反核映画を観て思うことを、ちゃんと胸に留めておこうと思います。
アメリカの司法制度、歴史を理解しなければ難しい
重さ、最重量。
(採点内容で細かい部分に触れるためネタバレ扱い)実にいろいろな観方ができる映画。3時間と長いがおすすめ。
今年121本目(合計1,213本目/今月(2024年3月度)39本目)。
(前の作品 「Moonlight Club in LOVE」、次の作品「Here」)
タイトル通り、実にいろいろな観方ができる映画です。まぁ、少し長いですが…。
個人的には他の方が触れていない観点でみました。デュープロセス論等の論点になります。
この映画の半分ほどを占める、オッペンハイマー氏に対する一連の聴聞は、日本では「オッペンハイマー事件」といわれ、アメリカではアメリカ行政手続法にのっとって行われたものです。しかし、当時のアメリカ行政手続法は「例外的なケースで立証責任が転嫁される、証拠の開示義務がなくなる」といった規定があり、その例外的規定をつかれた形になります(日本の行政法の発祥はドイツですが、戦後はアメリカの影響も受け、日本でもアメリカにならって(反省した形での)行政手続法が作られています)。
また、先に述べた「デュープロセス論」というのは、刑罰や何らか不利益な処分を課する場合は相手側に告知弁解の機会を与える必要があるというものです。日本では日本国憲法などにもあらわれがあります。これら規定は表面上は刑事事件に対してのものですが、行政手続きに対してもその考えは及ぶというのが日本の通説で、その考え方は「現在では」アメリカでも同様であるものと思いますが、当時はそもそもそういった考え方が通用しなかった(映画の描写の通り、思想論が全てを支配する考えだった)という部分があります。
そしてこの映画の大半を占める「オッペンハイマー事件」は、告知弁解の大切さを説くと同時に、科学者は国によって内容を「拘束されうる」(研究内容等について)、無関係な政治思想論を持ち込むと非公開の審議は無茶苦茶になるという禍根を残したものです。もっとも、研究の自由は日米とも無制限ではありませんが(例えばクローン技術等は日本でも憲法の学問の自由の例外にあたるものとして規制対象)、何ら明文化されていないものを政府が突然言い出したのがこの事件の特徴で(その事件の背景として、思想論があることは映画の描写の通り)、戦後の混乱期もアメリカは経験したのだな、といったところです。
こうした事情があるので、「原爆もの」(超広義の意味での「戦争もの」)という観点もありますが、個人的にはこうした「アメリカにも戦後の混乱期で、無茶苦茶な扱いを受けた人がいて、その人がまさに「日本にもアメリカでも評価が割れる人である」といったことを扱っていたことにこの映画の意義があるのだろう、といったところです(そういった事情なので、やや法律枠の観点で見ました)。
※ なお、1963年に政府がフェルミ賞(物理に関する賞の一つ)を与えて収束を図ったとも言われますが、完全に名誉が回復されるにあたった、公職追放の処分撤回は2022年12月16日(資料によっては15日)と「きわめて最近の話」です(同氏は1967年没)。
採点に関しては以下を考慮しました。
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(減点0.2/以上のような見方をするにはかなりの知識を要する)
この映画は表面的に見れば、原爆は是か非か、核兵器の保有問題、あるいはドイツへの対処といった問題で見られることが多いと思いますが、アメリカ国内ではこうした見方で見る方も少なくなく(海外レビューサイトも参考のこと)、これらの知識にまで描写がなかったのは残念でした。
ただ、このことはアメリカの行政手続法にはじまり、日米の行政法の戦前から現在までの動きなどハイレベルな知識が求められるので、仕方なしかなといったところです。
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(減点なし/参考/「物理学者は数学が嫌いだ」)
この当時(第二次世界大戦中)、物理と数学者は実際に分離されていました。数学者は主に暗号解読や暗号理論の構築などに従事しており、この映画がいう「管理区分」といった概念がまさにそのまま当てはまるような状況でした(たとえ隣接する学問といえども簡単に近づくことはできなかった)。ただ、この当時の量子力学は当時の数学の理論を必要としなくても「自己生産」できるほど発達しており(かつ、量子力学で用いられる数学理論は当時の水準では一通り完成していた)、「数学が嫌いだ」と「言い得た」のはこうした事情もあります(実際にこの当時の数学は代数学一色だったので(暗号関係)、量子力学と接点が少ない事情もあって、そういう心情を持つ人は少なくなかった)。
オッペンハイマーの主観が終わった後には...
紆余曲折があったものの、遂にオッペンハイマーが劇場公開された事を嬉しく思います。
バービーとのネットミーム「バーベンハイマー」は、日本人として悲しい気持ちとなりましたが、ノーラン監督作品は、どうしても劇場で観たいと言う気持ちがありました。
結果論ではありますが、世界唯一の被爆国である日本が、最後の劇場公開国になったのも何かの縁なのかも知れません。
余談ではありますが、私はゴジラ信者でもあります。
多くの方々が仰ったようにオッペンハイマーと対になる作品は、公開時期が被ったと云う理由のバービーではなく、被爆国日本が生み出した「ゴジラ-1.0」です。
本国アメリカでは叶わなかったゴジラ-1.0とオッペンハイマーを同時期に鑑賞出来た事は運命だったと思います。
以下、印象に残ったポイントを紹介します。
○キリアン・マーフィーの熱演
ある程度には脚色されてはいますが、キリアン・マーフィーによるオッペンハイマーの人物像に説得力を持たせた演技は素晴らしかったです。
オッペンハイマーと言えば奇行が目立つエピソード。
現代で言う所の鬱病とも言える心の病を患っていた訳ですが、更に世界を変える兵器を生み出す環境下であれば、尚のこと精神のバランスが崩れてしまうのは想像に難くない。
実際のオッペンハイマーを知る訳ではないですが、彼の栄光と没落を追体験出来たのも一重にキリアン・マーフィーのお陰です。
○ノーラン監督の手法(視点の切り換え)
ダンケルクやTENETのように過去・現在が入れ乱れる時系列。
オッペンハイマーが公聴会で追求されている1954年、
同時期の水爆推進派にしてオッペンハイマーに対する私怨を持つルイス・ストローズの1959年、
そしてオッペンハイマーが学生時代から原爆を生み出し、反核活動へと至る過去の3つの視点が、交差しながら物語は進む。
過去作と比較するとそこまでの奇想天外な構成ではないです。
しかしオッペンハイマーは共産主義者なのか?
誰がソ連のスパイなのか?
ルイス・ストローズの策略等に迫るサスペンス仕立ての構成は、観ていて楽しかったです。
シチュエーションが反復する場面も、登場人物に新しい側面を見せる事で人物像が変化していく手法もノーラン監督らしく素晴らしい!
○原爆を墜とす者と墜とされた者
アメリカ人にとって原爆は戦争を終わらせた勝利の象徴。
トリニティ実験が成功した時、日本に原爆を投下した時、日本が降伏した時...彼等にとって輝かしいものだった。
日本人ならば誰しもが、彼等の歓喜に怒りとも哀しみとも何とも言い難い感情が湧き上がったはず。
キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマーも自分の感情が整理出来ていない描写が良かったです。
あの描写は日本人として救われました。
○戦争による倫理観の崩壊
劇中で広島と長崎の名が出る度にやはり複雑な感情が込み上げて来ました。
「京都は思い出深いので目標候補から外す」、
「東京大空襲は10万人だった」...
墜とす側のユーモアを交えた議論は、被爆国としてホラー映画でした。
あの時代、何万人レベルの死傷者なんて当たり前だったのでしょうが、誰も彼も倫理観が壊れていた。
台詞の一つ一つにおぞましさを感じました。
○オッペンハイマーが惹かれた世界
量子力学に足を踏み入れるオッペンハイマーが学生時代より、量子に惹かれて行く描写が美しかった。雨粒や波紋、そして女性関係。
精神の不安定さを逆手に取った量子のビジョンだったり、女性関係の背徳感が際立った。
○赤狩りの時代
この作品では、当時の共産主義者の赤狩りの背景が描かれていました。
「赤狩りの時代を繰り返してはならない」...この側面が日本人的にはピンと来なかったのではないでしょうか?
このマッカーシズム(共産党排除)は、戦時中の日本の憲兵による少しでも疑われたら逮捕される状況のようなもの。
このオッペンハイマーは、この魔女狩りのような歴史への教訓も汲んでいる訳なんですね。
○オッペンハイマーとストローズの結末
1954年、カラーで描かれるオッペンハイマーの聴聞会(原爆/核分裂)。
1959年、モノクロで描かれるストローズの聴聞会(水爆/核融合)。
どちらも大敗する結末ですが、大きな違いがありました。
オッペンハイマーは、ストローズの徹底した包囲網により核への権限を失ってしまう。
しかし彼の名誉を守る為の証言が集まった。
対してストローズは、多くの不利な証言が集まり、更にはその傲慢さが暴露されて商務長官へとなれなかった。
そして後年、オッペンハイマーは1963年ではフェルミ賞を受賞。
原爆を生み出し、後年は葛藤し、核軍縮に尽力した科学者ロバート・オッペンハイマー。
とても波乱な人生でした。
○オッペンハイマーの主観は終わり...
ラストはオッペンハイマーが目を閉じて映画は終わりました。
ここまで徹底したオッペンハイマーの目線から離れ、今を生きる私達の目線に戻される。
核により危うい世界に生きる私達は、どうすればいいのか。
【最後に】
ノーラン監督が広島・長崎の描写を入れなかったのは、オッペンハイマーの主観を尊重したからだと発言していました。
また「簡単な答えは出ない、ただ問いかけたかった」とも言っていました。
未来に生きてる私達は、何とでも言える。
神の如く、あの時代の批評をするのは烏滸がましいとは思いますが、やはり原爆投下は正しかったとは言いたくないです。
あれから何も変わっていない人類。
変わらないからこそ問い続ける。
ゴジラやオッペンハイマーは、人類に必要な作品です。
豪華共演陣を見るだけでも…なんて言ってられないか…
テーマは重かった…
でもノーラン監督だしね、観なくちゃね。
苦悩の演出は流石だし、音の使い方が…怖くてイイなぁー
あと、(個人的に)久しぶりに見る俳優さんが沢山おじさん化して出ていて、それも楽しかったなぁ〜
言葉ではこんな軽い事しか言えません。
思っていたストーリー展開とは違いましたが、そんなことがあったとは、という勉強にもなりました。
冒頭と山場では思いがけず涙、涙、
「自分は開発しただけ」という言い訳が通じないと密かに悟ってからこその苦悩と幻影に、何度か息苦しくなってヤバいと思ったほど…。
マジで深呼吸して自分を落ち着かせました。
演じる役者さん達も辛かったろうなぁ〜と思います。
(辛かったろうなぁ〜と思いたい)
余談ですが、bonesというアメリカドラマでホッジンズというオタクの博士が「ヒロシマ以前に世界には無かった物質が含まれているから、その土が付いてるこの骨は比較的新しい」とかなんとか言っていたのを思い出しました。
アメリカのどこかに埋まっていた骨を採掘してたから、そんなに世界中にちらばったんかぃな!と驚いた記憶が。
戦争中の今に観る原子爆弾開発の衝撃作
先ずやっぱりアカデミー賞作品だなって思った。映画ツウの人が観る作品である。私はそういう作品は毎年苦手だが今作はそれなりに楽しめた。理解が追いつかない部分もあり、テンポが結構早く独特な伝え方をしている。→読み取れる人と全くそうじゃない人(よく分からん)に分かれます。
本題、この戦時中の今にこの内容は凄い!設定時代は第二次世界大戦あたりだからリアルではないけど、こんな感じで原子爆弾は出来たのかって観てました。そこからの広島、長崎投下😭 悪的爆弾も開発チームに取っては画期的な商品を作ったかのような喜ぶ姿とか、ビックリ。
あと爆発シーンの音!嫌だったなー。怖いっていうかなんか嫌な感じ。
ま、こんな感想が書けるだけ楽しめたってことかな。
なので甘くつけて3.5
難しくも非常に興味深く観られた
主演の俳優は知らなかったし、オッペンハイマーの本当の風貌も知らないので私の中ではもうこれがオッペンハイマーです。
オッペンハイマー、ユダヤ人だったのですね。
ドイツの物理学実験に先を越されないためにというのがそもそもの発端。
だんだんと、実験そのもの以外(ロスアラモスの研究員達の調整だったり、軍との折衝だったり)に振り回されていって可哀想になってきてしまった。
広島、長崎への投下は全否定したいですが、日本が降伏しないことを米国も憂いていたのはやはり事実だったのだろう。1943年になーんにもない土地にロスアラモス研究所(先駆け)を作っちゃうアメリカ。日本が勝てる相手ではなかったなと改めて心が痛くなる。
私はこの映画は決してアメリカの原爆使用を肯定しているわけではなく、今後の世界の反核への願いがあるように感じました。
面白いが、観る側にとって難易度MAXの映画(予習必須)、予習なしの私の頭は追いつかず
観る側の力量を問うてる訳ではないが、それでも観る側の力量がMAXで必要な映画です。
話しが複雑とか難解だとか不思議だとかトリッキーであるとかではありません。学術用語が多用されるなどの難しさでもありません。
本作は、時代背景、政治、世界情勢、大人の愛、謀略、科学、アイシュタイン、科学、そして「映画」そのものまで、自分の持てる力量をフル回転させながら見ないと映画の全てを受け入れられないです。それらのベースが、ほぼ無い人にとっては、何を見せられたのか分からないと思います。
原爆はストーリーの軸とはなるものの、それは主ではありません。映画は題名の通り「オッペンハイマー」そのものです。かと言って彼の幼少期から死までを描くものでもありません。
映画として大変面白いのですが、私は、この映画の面白さを全て取り込めるほどには知識が足りず頭が追いつきませんでした(ちょっと私自身の見識に残念トホホ)。
よほど自身の見識に自信が無ければ、ネタバレなどを読んでフルで予習してから観ることをお勧めします。全て知ったうえで、役者の演技、脚本、カメラワーク、音楽など、本作を「映画」として楽しむのがベターではないでしょうか。
なお、監督そのものが語っているように、作り手側からの意図した明確な「メッセージ」はありません。観る側が「映画」として自由に解釈してもらえればOKなようです。
私も、改めて皆さんのネタバレや、Wikiなどを調べて、もう一回観ようかと思っています。本当に難易度MAXでした。観終わって頭が疲れました。でも面白い。
映像 ★★★★ (出だしで引き込まれる)
音 ★★★★
物語 ★★★★
役者 ★★★★
編集 ★★★★★ (3時間は長いが素晴らしい)
粗さ ★★★★ (私の見識レベルではなし)
私の能力により ★-1
総合 4.0 (難易度★★★★★ MAX)
原爆製造者の苦悩???
この映画で日本人が考えるべき事
ヒトラーの数倍邪悪なトルーマン
原爆が日本に投下され無邪気に喜ぶ米国人の無神経さ。。。
こういう人間が平気で人を虐殺するのだと思った。
映画は3時間と 冗長。
前半は 原爆を開発したオッペンへの賛美、
後半は、オッペンにスパイ容疑が掛けられ
疑惑を晴らす戦い。
トルーマンの原爆の考え方の酷さ。。。
いわく付きの作品が本国から8ヶ月遅れで ついに公開
一度は観ておけばいいんじゃないかと思います、私は2度と観たくないと思ったシーンがあるので、ノーラン作品で残念ですが、たぶん2度と観ないと思います
3時間の長尺は大して気にならず、体感もっと短く感じました
IMAXで観ましたが、たしかに画角のダイナミックさと脳天から踵に突き抜ける様な音響は凄かったけど、いつもほどの驚きは感じませんでした、直近で「デューン/砂の惑星 part two」を2連チャンで観たからかな、あっちが凄すぎたんだと思いました
これまでのノーラン作品はごっつゴツで尖りまくり、みたいに毎作衝撃を受けましたが、本作は かなり毛色が違っていて、テーマもテーマだから仕方ないですが、とても優等生な印象を受けました
本作とノーラン過去作との決定的な違いは今回ノンフィクション原作の伝記ドラマ、なので当たり前ですが、これまでの様なキテレツでファンタジックな作品とは全然違い、シリアスでリアルなド直球の“オスカー作品賞獲るだろうね”作品になっています
でもノーラン監督なので時系列行ったり来たりがあったり、キリアン・マーフィさん演じる主人公オッペンハイマーの視点はカラー、ロバート・ダウニー・Jrさんが演じるルイス・ストローズの視点はモノクロ、と意味付けされた絵面の切替もあり、ノーラン・テイストはこれでもかってぐらい堪能はできます
全般的に会話のシーンが多く、特にラスト1時間ぐらいはずっと公聴会みたいなシーンが続くので、退屈でダメな人はダメかもしれないし、馴染みのない世界で登場人物も多くワケが解らなくなっていて、つい寝落ちしてしまう人も多い気がします
キャスティングはオスカー主演男優賞を受賞したキリアン・マーフィさんの演技がさすがだったのと、その他 超豪華なアンサンブル・キャストに大満足、特に大好きな女優さんのエミリー・ブラントさんとフローレンス・ピューさん、2人ともすごく美人で毅然とした演技がメチャクチャ合ってて今回も素敵でした
フローレンスさんはデューンにも出てるので最近しょっちゅう観ててたいへん満足、しかも本作ではエマ・ストーンさんに負けず劣らずの体当たり演技で自分にとってはある意味それが一番衝撃だったかもしれません(苦笑)
最後に、
いろんな見方や考え方・感じ方もあるし、それは人それぞれなので誰かと熱く議論するつもりはありませんが、ただ自分が感じたこと・思っていることを手短かに記載だけしておきますと
広島と長崎に原爆投下し日本が降伏、戦争が集結し、多くのアメリカ人の無駄死にを防いだヒーローとしてオッペンハイマーが登壇し民衆から拍手喝采を受けるくだり、全員が立上り狂喜乱舞するシーンは正直気分が悪くなりました、たぶん生涯2度と見ないと思います
そもそもは自衛が目的で開発を始めたとはいえ、どんな理由があろうがこの開発と実行した行為を私は自分が知りうる限り人類最大の過ちだと思っています
予備知識ないと難しい。
原爆を作ったオッペンハイマーの栄枯盛衰を描いた作品。
びっくりするほどの頭脳を持っている物理学者のオッペンハイマーが原爆を作る責任者になる。原爆に対して恨まれるのは大統領や落とした人、それは確かにそうだろうが、研究者としてのプライドと苦悩が見え隠れする。公聴会ではそれが顕著になり、見ている人にその揺らぎを託している。
驚いたのが、オッペンハイマーの奥さん。子育てのストレスを酒に求めたり、女性関係にだらしない旦那にもめげず、強くなっている姿には同一人物!?と思うほど。
ドイツのヒトラーが亡くなったことで原爆投下の矛先が日本になったとあったけど、そうなの?レビューでもそれはないという方もおられるし。どちらにせよ、投下で戦争を終わらせる目的だったというのはアメリカの主張でしかないことは心にとどめておかないと。
戦争のため、抑止力のための原爆の開発を望んでいなかった、と思いたい。
どうせ観るならIMAX
何で日本で評価が低いのか分かった気がする
日本人が期待する内容と監督が作った作品との乖離が激しいからだ。伝えたい事が異なる。
その気持ちは分からんでも無いがこれはお門違いと言うものだ。
すいません、うまく纏まらなくて感想が不十分のままでした。
この映画はケンブリッジ大学の学生から所謂オッペンハイマー事件までの彼の半生の物語でありオッペンハイマー事件を中心に構成されている。
時に白黒映像で強調する様に。概ね大筋は時間軸で進行するが、オッペンハイマー事件の原子力委員会の秘密の?公聴会を織り交ぜた回想の様になっている。映画を見る前にオッペンハイマーの事は以前から大凡知っていたから映画について行けたが全く知らない人には苦痛な構成だったかも知れない。過去と未来を行ったり来たりしている様な錯覚さえ利用している感じだからだ。
原爆の父として有名なオッペンハイマーは実験事には弱く先生から考え事が好きなら理論物理でもやると良いと体良く?追い払われ理論物理の世界に進み今で言うブラックホールなどに思いを馳せていた。そんな頃に大学の先生として採用される。時を同じくして核分裂反応が発見される。
オッペンハイマーはそんな事は理論的にありえないと計算を出したが、実際にあちこちで再試験が行われ核分裂は起こることが分かった。つまりオッペンハイマーの理論には間違いがあったのだ。
実験をやらない理論だけの世界ではこのミスは見つけられなかった。不明を恥じたオッペンハイマーは理論と実験の検証を大事にした。
その事が後々原爆製造に繋がる事となる。
学者としてはともかく私人としては恋人や弟がアメリカ共産党に入っていたり共産党の集会に参加したり労働組合活動をしたりで当局からは危険人物の芽として睨まれる存在だった。
後のアカ狩の元だ。
そんな彼に目をつけたのが有名な原爆開発の推進者グローブス准将だ。何故厄介者のオッペンハイマーに目をつけたのかは分からないが、彼なら原爆を実際に作ってくれそうだと見ていた。グローブスはMITを出ており技術に明るい。何かを見抜いたのだろう。そしてマンハッタン計画に進む。
彼は自分の故郷とも言うべき弟の牧場があるニューメキシコのロスアラモスに秘密の開発拠点となる科学者、技術者、その家族をまとめて集める街を作って貰った。
彼は科学者として原爆を発明したわけでは無い。
プロジェクトリーダーとしてそれぞれの得意分野の科学者グループをまとめ上げ理論と実験を繰り返し原爆にたどり着く。
続く
全928件中、841~860件目を表示