オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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世界を破壊する
正直映画館で観なくて良かった。
特に原爆実験が行われる前の前半は情報量が多く
スピード感ももの凄く早いので、
一度休憩して見る事にしました。
映画ではあるけど文系と言うより理系の頭がいると
思うのはクリストファーノーランの作品を観ていつも
思う事だけど、今作はその最たるもので
分からない人は置いて行きます感が半端なかった。
正直オッペンハイマーと言う名前もこの映画で知ったくらいで原爆の父が賞賛からどんな晩年を過ごしたかも知らないので、
後半の聴聞シーンなんかは何を見せようとしてれのかも
分からなかった。
ラストのアインシュタインの言葉でなんとなく分かった
のだけど、それでもこの3時間の映画を最後まで集中力を
途切らせずに見せる演出は流石としか言いようがない。
日本人として、いや地球人として原爆投下は断固反対、
どんな理由があったとしても受け入れられる物ではないが、原爆の父でありその主導者だった人物が、人間を大量に殺す兵器として開発したわけではなかった事は安心した。
自分の信じた学問の先に原爆があり、それが人を殺し
その先にはその数1000倍の水爆というものがある
と言うオッペンハイマーの苦しみが分かって観て良かったと思いました。
そして戦後の地球は凄いギリギリのバランスで保ってるのだなとゾッとしました。
「我は死なり、世界の破壊者なり」
監督脚本はクリストファー・ノーラン。
原爆開発者のオッペンハイマーの、フィクションをおり混ぜた伝記映画。
【ストーリー】
1954年。
アメリカを揺るがしたオッペンハイマー事件。
優秀な理論物理学者ロバート・オッペンハイマーによるソ連への情報提供疑惑。
そこで行われた聴聞会を軸に、オッペンハイマーの原爆開発にいたる半生を追う。
ユダヤ人として生まれた彼は、アインシュタインが発表した相対性理論を用いた新型爆弾の開発に、頭抜けたリーダーシップを発揮し、その優れた数学物理学能力すべてを注ぎこむ。
「我は死なり、世界の破壊者なり」
有名なトリニティ実験成功時の、オッペンハイマーが青白い顔でつぶやいたとされる、ヒンドゥー叙事詩『バガヴァッド・ギーター』の一節と言われています。
ヒンドゥー語の原書で読んでたって言語力がまずすごすぎなんですが。
この映画を理解するためには、まずアメリカ核開発事業だった"マンハッタン計画"について、知っておいた方がよいかと思います。
マンハッタン計画は、1942年に発足した、新型爆弾の開発計画です。
アインシュタインが提唱した『相対性理論』は、原子核の質量が膨大なエネルギーに変換される可能性を示唆した、現代科学文明の基礎にもなった非常に重要な理論でした。
「相対性理論を応用すれば、人類の兵器最大の超破壊力を生みだせる」
核兵器とか熱核爆弾とか称される、現在においても最大の破壊力をもつ兵器群であることは、日本人なら誰でも知っているでしょう。
理論実践でドイツがリードしていた核開発を逆転すべく、ルーズベルト大統領が莫大な金を投じて国内の優秀な物理学者を片っぱしから集めて、ニューメキシコ州のロスアラモスってなーんにもない場所に開発関係者タウンを丸ごと建設した、超巨大プロジェクトです。
どれぐらい超巨大かっていうと、最終的な合計金額が、アメリカの年間国家予算を大幅に超えたというから、あぜんとしますね。
集められたメンバーも超豪華で、この作品の主人公となったオッペンハイマーをはじめ、化学準備室の気になるギミックNo. 1・ボーア模型のニールス・ボーア、フェルミ推定のエンリコ・フェルミ、今ぼくらが使っているノイマン型コンピュータのフォン・ノイマン(この方、超天才)、スペースシャトル・チャレンジャー爆発事故の調査にも加わった"ファインマン物理学"のリチャード・ファインマンなどなど、その後のスター科学者がずらりと顔をそろえています。
天才たちの頭脳をフル回転させて遂行された、人類初の核爆発・トリニティ実験が成功、その後ガンバレル型と爆縮型、二つの原爆がわが日本国内の民間人生活地域に投下されたのは、みなさんもご存じのとおりです。
戦後、マンハッタン計画にお金使いすぎたのが発覚して、他のなんやかや逆風もあってトルーマン失脚しかけたとか。
どうにか復活すると、マッカーシーって上院議員の、ウソ大げさ紛らわしい言説で政敵や気に入らない人をアカ認定しては排除する"マッカーシズム"を利用して「赤狩り(レッドパージ)」を推進、オッペンハイマーへの聴聞会に発展するって本編のストーリーにつながります。
その質疑応答からオッペンハイマーの半生をふり返るというストーリー構成。
物理学や量子力学よりも、他の研究者との関係構築を撮ったものなので、特段物理の知識は必要ないかなーと。
「法廷劇が撮りたかった」
というノーランの言葉どおり、オッペンハイマーと原子力委員会の長ルイス・ストローズの対立を軸にストーリーはサスペンスフルに進みます。
クライマックスにさしかかると、耳が痛いほどの音圧をかけてくるノーラン演出に、手に汗握らずにはいられません。
その後科学開発のポジションから失脚したオッペンハイマーと、フーバーの腹心として国務長官にまで上りつめたストローズ、二人の表情は事実やそれ以後の経緯とは真逆の印象です。
自死した元恋人・ジーン・タトロックにまつわる疑惑も、特に根拠があるわけではない模様。
対立役をできるだけダーティに、主人公をなるべく無垢に作るのは、感情移入しやすくするための作劇テクニックでしょう。
原爆被害者の映像が無いことについては、ごく個人的には、核開発に主眼をおいたこの映画には、無用に思えます。
その後核兵器開発は加熱しますが、実際には使われないまま、80年が経ちました。
その80年をどう捉えるかはそれぞれ一家言あると思います。
核に限らず、殺傷兵器に対する議論は今後もつづけられるべきだ、とも。
↓マンハッタン計画こぼれ話↓
さてさて、若手研究者として計画に参加したファインマン、1965年にノーベル物理学賞を受賞。
この方多才で、その後『ご冗談をファインマンさん』などなど科学エッセイ本を発売してはベストセラーにかがやく、物理学者らしからぬ文才を発揮してます。
マンハッタン計画の話も書かれていて、映画では道化役だったファインマン、実生活でも本当にイタズラばっかりする人だったようで、当時の研究仲間たちの書斎のデスクのナンバーキーを、勝手に突破してたそう。
ある夜お酒の席で得意満面、
「あのカギはカンタンに開けられるから変えた方がいい。ぼかぁチミたちのダイヤル番号全部知ってる」
なんてポロッと話しちゃったそうです。
以降同僚たちから
「ファインマンをデスクに近づけるな」
という対策を取られちゃった。
そりゃそうなるよね。
原爆開発については、作中のとおりお互いに話すなっていう指令が出ていたものの、優秀な頭脳集団だから、みんな解ってたそうです。
そりゃそうだよね。
メンツで判るよ。
量子力学と核物理学の専門家多すぎだよね。
原爆の破滅的なイメージには、ファインマンも悩まされていて、車を運転しながら今この瞬間ソ連の核がアメリカに撃ちこまれて、目の前すべてが蒸発して無くなるんじゃないかという幻視で動けなくなったりしてたようです。
軍人や政治家は研究者をナイーブと非難しがち。
でもその威力を正確に理解できるからこそ、自分たちが「世界の破壊者」となってしまう恐怖に怯えるのです。
理解しようよ。
特に政治家のみなさんは、戦争を語る場面においては、兵器の威力についてきちんと勉強してほしいです。
オッペンハイマーに「泣き虫科学者め!」と吐きすてたトルーマンですが、朝鮮戦争のさいには、国連軍司令官となったマッカーサー(日本人におなじみで、マッカーシーじゃないほう)が「核使おうよ。使って敵をやっつけちゃおうよ」と核使用を強硬に推してきたのを却下、解任しています。
水爆の開発も進めてはいますが、公民権運動を推し進めたのもこの人。
そこそこいい政治家なんですよ、内政の面では。赤狩りとかやらかしてますけど。
日本への核投下を許す気持ちにはなりませんが、守備一貫して核使用の決断を正当化しつづけたのは、政治家としては正しいんでしょう。
色々脱線しましたが、科学者を主人公にした伝記としても、法廷を舞台にしたサスペンスとしても、非常によくできた映画です。
日本人として、そして映画ファンとして、みんなに見てもらいたい3時間のフィルムでした。
広島長崎で原爆投下して英雄になった奴の映画
赤狩り時代とかのやり取りが長ったらしく退屈した。歴史的にみてもオッペンさんの自伝で外せないんだろうけど、そっちよりオッペンの科学者としての苦悩が原爆投下の苦悩にあんまり対応してない感じだったし、ユダヤ人だけが救われれば他の奴らはどうでも良いこの男はどの道原爆投下した時点で人を捨てたあちら側の人間(亡霊)になって不幸を背負う人生を選択した。
映画では表ズラではオッペンハイマーが原爆作ったのあんまし反省してねえってことだろ?てか頭良いならどんな結果になるか予測できるだろ?ならなぜ引き受けた?こいつの人生は大量殺戮兵器を生み出した張本人の癖に自己を偽り誤魔化しの人生を送った哀れな人物として永久に刻印されたわけだがこんな奴を主役に製作した方々はヒットし成功してウハウハなだけなんでしようけど原爆とオツペンをだし汁に?わざわざこんな映画作ったのか?ドキュメンタリーで1時間見ればいいと思うけど。
オツペンの原子爆弾の殺戮のための野心と情熱と複雑な人間像など日本人としてこだわって観るほどでもないどうでもいい内容。てか砂漠にできる原爆殺戮研究工場の研究スタッフの情熱的な精神状態「イエローモンキーを実験台にして科学の革命が起きるワクワク感」的な偉大なヤンキーの高揚感が呆れて悲しくなる。
原爆のテストが成功した描写は日本人として観ていてただ不愉快だった。科学者の堕落を皮肉に描いてないから余計くだらないシーンだった。あとエロシーンなんなの?オツペンが助平で愚劣なのは当たり前だよ!愛人出るだけでいいだろ?オツペンもコミュニストなのはこのグラマーな女の子にイカれた片手間のレベルの思想で結局MADな科学者なんだろ?ユダヤ民族主義だし、女とも計算して結婚しないで弄んだんとちゃうか?ワツカンネエし分かりたくもない下品だしそういうの別の映画でやれよ。
まあ良かったのはオッペンちゃんが壇上でアメリカ万歳とみんなから賞賛を浴びる表情の自己欺瞞と心臓と脳の自己否定的な描写だろう。
この科学者は死んでも浮かばれないだろう。原爆投下を指揮るリーダーとして自分を自分で自慢するほど自ずと自己がもうすでに責苦に自縛された亡霊でしかない人生を理解してる場面だからだ。
この場面の自分の体の中の全細胞が自己を否定している切迫感がよく伝わってきた。絞死刑前の死刑囚みたいなこのシーンだけが良かった。
登場人物がくだらない人物ばかりで反吐が出る。金と力と能力があって勝てば戦争責任はないしエリートで人の上に立ち原爆落としても自己を正当化し偉そうなオツペンも科学者も政治家も軍人もなんもかもいやらしい。こんな奴らが原爆の日投下しながら法廷で憎しみあったり別の闘争してるのがアホらしいと思う映画だった。また弱肉強食の白人社会で立身出世すればアジアの猿など焼き殺しても尊敬される強さを誇るアメリカ人の国民性も分かる。
日本人の犠牲者はアメリカ人に犯されて日本のお上からも捨て駒にされてあんな酷い目にあったわけだ。
こいつ死ぬまで原爆投下は間違ってないと思ってたらしい。なので余計虚しい映画だ。
プライムビデオで元旦に一気見しました
2024年末まで、英語音声の英語字幕で、いちいち止めて画面の字幕を読むのもメンドイなあと思っていたら2025年の元旦から日本語音声、日本語字幕に対応したようで、英語音声、日本語字幕で観ました。原子爆弾の開発というより共産主義やソ連とのかかわりという点から戦後に不遇の体験をしたオッペンハイマーを描いていましたが、量子力学の教科書に出てくる科学者がゾロゾロで、そちらの方に目が行きました。エンドロールにファインマンの名前もありましたが、何処に出てきたのか分からず仕舞いでした。もう一回見ないと分からんです。又、軍人で出ていた、あの配役はマット・デイモンかなあと思いながら見ていましたが、そうでした。
サンスクリットの神話をあの場面に持ち込んだのは中々秀逸な演出かなと思いました。オッペンハイマー本人が悔恨の気持ちを述べた動画があるのですが、その動画で彼自身が言及していたのが、その話でした。マルチアームの姿に変身して、云々…と魂の抜けた抜け殻のような表情で語る本人の姿が印象に残った動画でした。
他の映画の話になりますが、同類の原爆研究の内容がソビエト連邦に漏洩していた。という実話を元にした映画がありましたが、英国が舞台でした。
長っ!
これは史実に基づいてオッペンハイマーの半生を描いたもの。
気になっていたのでDVDでやっと見ました。が、長すぎる。
原爆の父と言われているオッペンハイマー。実際にいた方ですし、この人が何をして 当時、どう評価されていたかよく分かった。ただ、この人達が開発してなかったとしても、いずれロシアか どこかの国の誰かが開発していたと思う。
ただ、やはり私は日本人ですし、実際に被爆した方に会ったこともあります。
ロシアよりも早く核開発をしないといけない状況だったとは言え、オッペンハイマーとその開発チームと政府関係者は、あのキノコ雲を見ていたのに ロシアに見せつける為の目的と当時のアメリカ政府は人体実験がしたかったんだろうなってつくづく思いました。あれを人間の頭上に落とすなんて...。しかも、オッペンハイマーは原爆をドイツに落とせなかったことが残念と言ってましたよね。
いくらドイツがユダヤ人を迫害してたとしても その発言も許せない!
やっぱりオッペンハイマーもアメリカ政府も許せないって思いました
巧みな演出により長さを感じさせない良作
【鑑賞のきっかけ】
アカデミーを受賞した作品ではありますが、上映時間が長すぎる気がして、劇場公開時には鑑賞しなかった作品。
このたび、動画配信での鑑賞が可能となったので、視聴してみました。
【率直な感想】
<予備知識は必要か?>
しばしば考えさせられることなのですが、映画というものは、予備知識を頭に入れてから鑑賞するものなのでしょうか?
私は、基本的には不要、でも、場合によっては必要と考えています。
本作品では予備知識があった方がよい作品だと思います。
主人公のオッペンハイマーについて、私は、何となく名前を聞いたことがある程度で、あまり馴染みのある人物名ではありませんでした。
ちょっと気になって、調べてみました。
私は、昭和の終わり頃に学生時代を送った世代ですが、高校時代に、参考書として使っていた、世界史用語集が本棚に飾ってあり、それを見てみました。
すると、オッペンハイマーは用語として掲載されていましたが、当時発行されていた15の教科書のうち、1冊にしか記載がないとのこと。
つまり、高校の授業で習うことのない人物でした。
これでは、何となく聞いたことのある人物となってしまうのも、私にとってはやむを得ないことかな、と。
本作品は、終戦後の二つの物語が並行して進行する形になっています。
一つ目の物語は、オッペンハイマーに対する聴聞会。
もう一つは、原子力委員会の委員長である、ストローズの公聴会。
物語は、聴聞会での質問に対して、オッペンハイマーが過去を回想するシーンの積み重ねが大部分を占めます。
本作品では、聴聞会や公聴会が何を調べるために行われていたか説明がないだけではなく、オッペンハイマーの回想も時系列に沿ってではないので、オッペンハイマーがどういう人物で、どんな生涯を送ったのか、概略を知っておかないと、物語展開についていけないおそれがあるかと思います。
<社会派ドラマではなかった>
私は当初、原子爆弾の開発のリーダー格であった人物の物語ということから、戦争とは何かというような社会的なテーマ性を強調する、社会派ドラマを想定していました。
でも、実際に鑑賞してみると、オッペンハイマーの回想シーンがほとんどを占めている、つまり、オッペンハイマーの一人称でその内面を語るストーリーであり、社会派の側面がないわけではないですが、彼の心情を描くことが中心テーマの作品だということに気づきました。
原子爆弾の開発というミッションを遂げたことは賞賛に値するものとされたものの、実際には、民間人の大量殺戮の兵器であったことによって、科学者として正しい道を進んでいたのだろうか、というオッペンハイマーの苦悩が、物語の中心軸に据えられています。
それは、社会性というよりも、一人の人間としての苦しみや葛藤という意味で、いわゆる社会派ドラマとは一線を画するように感じました。
<広島や長崎の悲惨さへの言及は?>
本作品については、日本国内では広島や長崎の原爆投下による惨状について、ほとんど触れておらず、作品の深みを損ねているのではという批判があるようです。
しかし、本作品は、オッペンハイマーの回想シーンで物語が展開しているため、広島や長崎の原爆投下やその後の惨状を映像として映し出すことは、不自然であったと思います。
その代わり、彼の頭の中に去来する描写を通じて、反核のメッセージは十分に伝わってきますから、私は、広島や長崎の悲惨さを制作サイドは敢えて描写を控えたのでは、と感じています。
【全体評価】
私自身は、あまり馴染みのない人物ではないとして、劇場公開時には鑑賞しませんでしたが、鑑賞してみると、これまでのクリストファー・ノーマン監督らしい、巧みな演出により、3時間という長さを感じさせることのない、良作であったと思っています。
まず、あまりにも長過ぎる。 また「オッペンハイマーはソ連のスパイな...
無題
【良作】彼らに厳しく罰せられたら世界が赦すとでも?無理よ
日本公開前「オッペンハイマー」公式Xが映画「バービー」と合わせて原爆をエンタメ化したようなプロモーションを行い炎上。日本の配給会社が日和って手を上げず、日本公開が遅れに遅れ、私も劇場まで行く必要ないっかーってサブスクで観た次第。
結果、観に行けば良かったと後悔しました。
ノーランは、なんだかんだ哲学的な小難しい台詞の応酬をしながら、平凡なディズニー的エンタメ着地をするから苦手だったけど、大っぴらに広島・長崎を描くとハリウッド(お金を出す人達)の抵抗に合うから、原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーを巧妙に「赦してはいけない人」として描いていて巧いなぁと思った。
オッペンハイマーが科学者チームのリーダーとして原爆を作り、戦後すぐは「第二次世界大戦を終わらせたヒーロー」として祭り上げられるも、広島・長崎の惨状を目の当たりにして、核・水爆反対の立場となり、コミュニスト、危険思想の持ち主として、公職を解かれ、名声が地に落ちる……、までを描いている。
「“卑しい“靴屋」ウェイトレス“ごとき“と結婚するのかなどと、言葉の端々に選民意識が表れるオッペンハイマー。能力と実績のある自分は、何をしても、言っても「許される」と思っている。そんなオッペンハイマーを、俯瞰して見てる奥さんのセリフが、本作でノーランが言いたいことなのではないかと思った。
学生時代からの恋人で、結婚してからも愛人関係にあった女性が自殺(他殺?ここは曖昧に描かれている)自分のせいで愛人が死んだと、打ちのめされ、泣き崩れる夫に奥さんがいう。
「罪を犯しておいて、その結果(貴方)に同情しろと?しっかりしなさいよ!」
これは、浮気に対してのセリフだけど、原爆投下後、罪悪感に苛まれトルーマンの前で泣くオッペンハイマーにスライドできる。
「卑しい靴屋」と呼んだストローズから陥れた審問会の場で、オッペンハイマーは自己弁護しない。沈黙し、むしろ厳しく罰してほしいとすら思っているように見える。それは大量虐殺兵器を作ってしまった自責の念からではなく、殉教者のように自己犠牲をすれば、自らの罪がいつか赦されると思っているからだ。そう、罪悪感からではなく、世界から大量破壊兵器を作った破壊者と見られている自分への評価を変えたいんだ。
どこまで行ってもこの人は「自分のこと」しか考えていない。
そうやって、もやもやしているところに、また奥さんが言ってくれる。
「彼ら(審問会で)に厳しく罰せられたら、世界が赦すとでも?無理よ」
更にノーランは被せてくる。
ストローズは、アインシュタインとオッペンハイマーが話しているのを見て、自分を孤立させることを画策してると「思い込む」が、実際は全く別のこと(この冒頭のシーンが後半に効いてくる)。出自や学歴から来るコンプレックスによる被害妄想。ルサンチマン的な思考が垣間見えるが、その辺りを深く掘り下げることはしない。
また、涙するオッペンハイマーに時の大統領トルーマンがいう。「皆が憎むのは原爆を作った人じゃない。落としたやつ。つまり俺」みたいな。
こう解釈した。
原爆による、無差別大量殺戮、大量破壊、放射能の障がいによる長きに渡る苦しみより、ストローズの成り上がり劇や、オッペンハイマーの苦しみを大きく、ドラマティックに描くことはできない。お前らの苦しみなど、広島・長崎の人達の苦しみに比べたら、取るに足らない、どーでも良いことだ。
ノーランはそう言いたかったのじゃないか。
広島・長崎の惨状が映像としてないことに批判があるようだが、
私は原爆投下が「決して赦されないこと」として描かれていることを(偉そうだけど)評価したい。そこが一番、重要でしょ。
良作。
なぁーーーーがぃ
原爆の父。
もし開発が失敗だったらどうなってたのかな?
もしドイツが先に完成していたらどこで使ったのかな?
もしソ連なら.....
研究者?科学者?
頭に思い描いたものを作る時はさぞ楽しかろう。
当然完成までは苦悩の連続であろう。
作中で「水爆」にも触れていて
勘違いかもしれないけど「水爆」は
ただの大量虐殺兵器だ!と...(勘違いかもしれんが)
原爆も同じ。
あと、日本との戦争が長引いたらあと何万人兵が死ぬ...とか
観ていて「はぁ~」って。
実験が成功したときの参加者の中で結果に驚愕している人がいて。
本人もそうなんだけどね。
結局想像以上の結果が出て
もう核なんか使っちゃだめだよ
作っちゃだめだよって
そりゃ政治家には伝わらないよね。
オッピーってこういう人なんだって。
辛かったんだろうなって。
作った人が悪いわけじゃないんだろうな。
使い方が悪かったんだろうな。
投下候補地から京都は外す
新婚旅行で行ったけど素晴らしい街だから...
はぁ?
いきなり投下しないで
ちゃんと予告しようよ!
とかって意見もあったんだね。
さて、長くなってしまったけど
本当にいろんなの事を知って感じて考える作品だった。
小難しい作りしてるし、観てて疲れたw
流石ノーランって感じなのかな?
生意気かも知らないけど
みんな観たほうがいい作品って思った。
重厚
科学者としての責任、人類としての責任
はじめは科学者としての好奇心が、それだけでは済まなくなり、社会や国家が絡みだし、いずれその大きなうねりの一部に取り込まれてしまう。
一科学者として責任を負えるようなものでもないし、責任を押し付けられるようなものでもない。
これは人類としての責任なのだから。
重くセンシティブなテーマによく挑んだなと思った。
きっとどんな結末、作品にしようとも一部からは確実に避難を浴びせられる内容だろうから。
それでもそれに向き合った価値があるはず。
もちろん見終わった後、楽しい気持ちになる映画ではない。
それでも長い映画だったけど、ミステリーの要素も入れながら、飽きることなく最後まで見せる手腕はさすがです。
あと、個人的には原爆の表現はこの程度でいいと思ったし、むしろこれ以上を描く必要はこの映画のテーマにとってもないと感じた。
米国版「大河ドラマ」
中盤過ぎの、原爆投下を喜ぶ米国人のシーンでは日本人として悲しみの涙と共に米国人への憎しみの感情が沸く事も有りましたが、それも「娯楽」の内として作品のクオリティの高さです。内容は成功を収めた男と、それに嫉妬する男の物語だと感じました。鑑賞中に色々な思いを感じながら、3時間という尺を感じぬ程に時間が過ぎて休日を有意義に過ごす事ができました。
醜いエゴが権力という形で現れるもの
クリストファーノーランの集大成。でもオスカーって程では···
聴聞会をストーリーの柱に据えた事で、専門用語が飛び交う内容でもだれることなく最後まで緊張感を持続出来た(そこはノーラン監督の構成の上手さ)
でもそのせいでテーマが見えにくくなった。
序盤は赤狩りと闘う科学者がテーマなのかと困惑したほど(終盤でやっと聴聞会の真意が分かる)
目的は戦争の早期終結でそのための原爆開発だった。
科学者としての純粋な探究心で大きな業績を成したが、その結果20万を超える日本人が死んだ。
描きたかったのは後悔か贖罪の念か、
人類はもう核兵器のない世界には戻れない。
「私は世界を滅ぼした」というオッペンハイマーのセリフには深い苦悩が感じられるが、ストーリー上その描き方は不十分。
水爆の開発に反対し続けたのは何故か?その問いにも答えていない。
科学は人類の進歩のために神が人間に与えた火。
でも強欲な大衆は果実のみを奪い、代償はオッペンハイマーが1人で背負う。
理由は誰よりも自分に正直だったから。
酔っ払いが吐くシーンは英雄扱いを受け入れられない心理の比喩。直接やると演出過剰だからエキストラに吐かせた。
原爆を開発し日本人を大勢殺したから英雄なのではない。
過ちに気付き、核兵器の拡散に歯止めをかけようと誠実に行動したから英雄なのだ。
その結果科学者としての地位を追われることになっても。
ヒーローの自己犠牲はダークナイトライジングでも描かれていたが、今作にも同様のテーマがあった。
また正確な時代考証にこだわったためか、一言二言の台詞のために出てくる人物が多すぎた。結果人物関係の把握が困難に。説明台詞も増え教科書映画的な側面が生まれた感は否めない。
キリアン・マーフィーとロバート・ダウニーJrの芝居が素晴らしかっただけに、もっと2人の関係に絞って描いても良かったと思う。
3時間あっという間の面白い映画だったけど、アカデミー賞を取るほどかというと、そこまでではない気がした。
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