オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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色々意見はあるだろうが傑作
なぜこの科学者が、過信と侮りの果てに原爆を作ったかを描いているのが素晴らしい。
他の科学者も遅かれ早かれ作っただろうこと、アインシュタインの絶望感も含めて観てよかった。
そこまで批判される映画では無い
日本で特に被害なあった方も居るので公開は賛否ありますが、原爆投下後の後悔や苦悩も描かれており
実際に彼は新しい原爆担当者から外れ開発に反対していましたので時間が経てば何をしても良いと言う訳では無いですがドキュメンタリー、歴史物で語り継ぐ為にもこう言う映画はあって良いと思います。
この映画が批判されるなら逆に新海誠監督の「すずめの戸締まり」は大地震がメインみたいな物で東北の大地震から10年は経過してますが大地震を扱うのはまだ早いのでは?と思いました。しかも地震の原因があの化け物みたいなって・・まだ記憶に残ってる人が多い中、特に被害にあった人はどう思ったのかと。アニメ空想と事実と作品は違えどオッペンハイマーもよりも悪質にも思えました。
ダメだった。
うーん、ダメだ。やっぱり被爆国の国民としての感情がどうしても湧いて来てしまって、原爆の犠牲者の事、アメリカの政治的なことなどが頭をよぎってしまい冷静には観られなかった。
作品としてはオッペンハイマーの人生に迫る映画だって事はわかっているけど、実験が成功した時は、あぁ…作ってしまった…と過去に見た広島や長崎の被爆地の映像がよぎってしまった。
その後の実戦での成功に対するアメリカでの賞賛の様子も、胸が苦しくて観ていられなかった。この裏で多くの日本人が亡くなっているのに、という感情をどうしても消して観ることが出来なくて。
最近は少しずつ若いアメリカ人の間で認識が変わって来ているとも聞くけど、「原爆投下は正しかった、戦争を終わらせて両国の犠牲者を減らすために、仕方ない事だった」という多くのアメリカ人の認識はあんまり変わっていないんだなぁ、とこの映画を観て改めて感じさせられた気がして、なんだか胸が苦しく悲しくなってしまった。
だから、原爆を作ったオッペンハイマーの苦悩は、原爆によって死んだ被害者たちに比べたら、どうしても私にとってはそんなに辛い事とは感じられなくて、映画の言わんとしている事は頭では理解はしたけど、どうしても感情的には共感できなかった。
それから、気になってトリニティ実験に立ち会った人たちの死因を調べたら、オッペンハイマーとサングラスをしなかったリチャードさんは癌で亡くなったらしい。やっぱり影響なのかな?他の人の死因はわからなかった。
博士が見た未来のフラッシュバック
2023年の全米公開時辺りで広島サミットが行われており、電撃訪日していたゼレンスキー大統領が原爆慰霊碑の前で神聖な気持ちで頭を下げていた事を全世界に中継されていたのに『バーベンハイマー』とふざけた言葉が一気に見る気が失せた。
戦後の我々日本人は漫画『はだしのゲン』で放射能による原爆症のグロテスクな模写を見ている。
また戦後、ウランやプルトニウム爆縮形の核爆弾よりも強力な原水爆のキャッスルブラボー作戦が行われた時、第五福竜丸が死の灰を浴びて船員の放射線障害を受けていたと日本の医師が主張していたのに、合衆国側は肝炎だと嘘の主張をしていたのをドキュメンタリーで見た。
オッペンハイマー博士は、現代の世の中でICBMの核武装の未来をラストのフラッシュバックで描かれていた事から、時間を戻す事が出来ない事をやってしまったことに酷く後悔して苦悩されていた個人的な映画だったので、オスカー賞を取ったのは頷けます。
この映画で、どんなことがあっても核を使ってはならない事も主張しているように思います。
歴史の裏側を知りたい方におすすめの映画
2024年の77回カンヌ映画祭中にカンヌにいたキリアン・マーフィーの主演映画。
原子爆弾を作った天才科学者の苦悩を描いた映画。
モノクロとカラーの両方から、時代や視点を変えて描かれていて面白かったが、
長くて複雑で非常にわかりにくかったのは否めない。
当時のアメリカや、技術開発をしていた技術者たちがどのような背景で、
どのような苦悩を抱えながら開発していたのかが理解できた。
社会の流れや政治、権力構造など様々な思惑が錯綜していて、
科学者の意思決定だけでは動けない状況になっており、見ている人も葛藤させられた。
決して、戦争で勝つことやむやみに人を殺めるために開発していたのではないということもわかった。
水素爆弾を作ったのは、テメェのメンツのことしか考えてない忘八者共でした
この映画、広島や長崎の被爆者団体が指摘している「原爆の被害を描いてない」ってのは確かにその通りです。しかし、はっきり言いますがそれよりも何十倍、何百倍も大事なことを描き切ってくれました。
原爆開発に成功したオッペンハイマーは、水素爆弾の開発には消極的……というより明らかに反対していました。それは、水爆を作ってしまった後の世界情勢を見通していたからなのですが、オッペンハイマーよりも大きな功績を上げたいテラーやらローレンスやらが当時アメリカ国内に吹き荒れていた赤狩りを利用して公聴会を開きました。これはもしも裁判にすると、原告側は立証責任を果たさなきゃいけないという事情もあります。
で、その公聴会を主導していたのが、オッペンハイマーに対して個人的な恨みを持ってるストローズです。
つまり、水爆なんていう人類を滅ぼす力を持った兵器を作った連中は、嫉妬だのあの時恥をかかされただのに顔を真っ赤にするようなケツの穴の小さな雑魚だったというわけです。
そんな喧嘩はバーでやればいいのに、奴らはオッペンハイマーの上にのし上がる手段として水爆を開発しました。
「嫉妬に狂った中年男」は、本当に怖いと改めて思い知らされる映画です。
ん〜原爆を作った科学者は英雄だった?
上映終了間近ということで、駆け込み鑑賞。自分にはちょっと…でした。原子爆弾が完成してわーっとはなれないし、実験が成功して喜べるわけでもないし。実際日本に使ってしまって、苦悩しているような描写はあったけど、そうじゃないよね、考えちゃいました。99人収容の小さなスクリーンでしたが、入場者4人でした。
「near zero」
終映間近に小さい映画館で鑑賞、それでも見応え十分だった。
いつか再上映の機会を期待する作品の一つとなった。(キーになるような深いセリフは一度では理解しきれなかった。また今更ながら各フォーマット(特にIMAX)で観てみたい。)
ノーラン監督が映画で魅せる量子力学の表現、今回は合間(特に前半)に差し込まれるCG映像がとても美しかった。
アカデミー賞7部門受賞の一つ、音楽賞を受賞したルドウィグ・ゴランソンの音楽は、緊張と不安を持続させながら物語に勢いをつけて進展させる力があるように感じた。
現代史を取り上げると、細かいエピソードなどが本当にあったことなのかと思ってしまうが、本上映を機に文庫化された原作があるとのこと。監督が原作をどのように解釈したのか本もいつか読んでみたい(文庫版で3巻各400ページ...)
後半、オッペンハイマーの聴聞会とストローズの公聴会は、やや冗長に感じたが、あえての演出なのか。(ふと映画「東京裁判」を思い出した。)
エンドクレジット前の最後、CGで描かれたリスクは、決してzeroにはならないと監督が警鐘を鳴らしているとも感じた。
劇中何度か口にされる「near zero」が耳に残った。
【二度と見たくない映画】
学も無い僕が理解するのは難しかったです。
そして、虚しい様な、哀しい様な、虚無空間を体感出来る映画だったと思います。
言うまでもなく、表現能力、映像技術は素晴らしいもので、祝賀会のシーンや、実験成功のシーンは、酷く恐ろしさを覚えてしまう様に作り上げられていました。
2.5と言う評価ですが、本作は映画でしか表せない、言葉では表せない作品だと思います。
有識者様の解説動画等を見て、勉強させて頂きます。
サブスクがおすすめかも。。
前情報なしで全部理解は難しい。
複数場面の同時展開×たくさんの登場人物×長い×字幕、疲れたなあ。
しっかり予習して見るか、サブスクとかで一時停止しながら見るかでないと、しっかりはたしめないかも。
一人の人間としての葛藤、という点では相当に面白かった。
主演の俳優さん、細かい表情もとてもリアルで素晴らしかったです。
音とか映像は臨場感もあってすごく良い。
ストーリー 85点
配役 95点
音楽・映像 93点
全体 90点
天才科学者の喜びと苦悩
この映画、なんの予備知識もなく観ると、一回でストーリーを全部理解するのは難しいんじゃないかなと思う。時系列は入れ変わり、登場人物も多い。
でも、一番強く感じたのは、この科学者オッペンハイマーの天才ゆえに受ける賞賛と喜び、同じくらいおおきな苦悩だった。科学者にはその発明をどう使うかを決める権利はない。発明が武器であったために、使われたことで自国は勝利し,けれど何万人もの人が亡くなったのも事実。
その後,水爆開発に反対したのも作ってしまったらどうなるのかを恐れたからだ。彼の信念に基づいた生き様はすごいと思う。同時にこの彼と寄り添う妻の強さと2人の絆にも感動した。
色々と考えさせられる深い映画だった…
当然だが、まだまだ若輩の身である俺では彼の犯してしまった罪の重さは推しはかることはできないけど、彼の後悔から色々と学ばなくてはいけないなと思った。
作品としては、クリストファー・ノーランが監督なだけあってすごく魅せられた😊
人間、J・ロバート
原子爆弾を開発した男の人生。
同時期に生きた科学者たちとの邂逅や憎悪、そして信じるものへの執着が絡まり描かれる。
科学者としての好奇心が興味が先行し作られた原子爆弾。それがもたらす世界の秩序の変化とは?
そして成し遂げた者のみがたどり着く孤独と絶望。
そんな孤独な彼がアルベルトと交わす会話がとても印象的だった。
彼自身の純粋さと物事の捉え方、そして赤狩りが横行する時代を生き権力者や同じ科学者たちに翻弄された彼。これは彼が正しかったのか?間違っていたのか?という視点で描かれたものではなく途方もないものを作った男の中を覗き込んだ様な作品だと感じた。
原爆開発という白羽の矢が立った研究者の運命
5月の頭に1回目の鑑賞、その後パンフレットを読んでから2度目の鑑賞。NHKBSのオッペンハイマー特集を見て、なんとかコメントを書くまでこぎつけました(笑)。重大な史実を元にした映画なので、基本的な事実も理解せずにいい加減なコメントを書いてしまってはいけないな、と思いまして、少しだけ勉強してみました。
ちなみに映画館での2度の鑑賞は、どちらも満員で色んな年齢層の方が観に来ていて、本作に対する日本での関心の高さを感じました。
物語は、物理学者オッペンハイマーが、学生時代、大学での教員時代を経て、マンハッタン計画で原爆開発を成功させるまでの人生を順を追って描きつつ、その時代と行きつ戻りつしながら、次の2つの場面も描きます。1つは、原爆投下を経て終結した第二次世界大戦後に、オッペンハイマーにかけられた「ソ連のスパイ容疑」をめぐる聴聞会の様子(1954年。オッペンハイマーが狭い部屋の中で聴聞を受け、研究者仲間や妻、マンハッタン計画の責任者である軍人グローブスなどの関係者も同室に呼ばれて証言を求められる)。もう1つは、オッペンハイマーの因縁の相手となり、戦後に水爆開発を推進してオッペンハイマーとも対立したストローズが、商務長官として任命されるにふさわしい人物かを問う公聴会の場面です(1959年。この中でストローズは、戦後一度は国民の英雄となったオッペンハイマーを国の安全保障を脅かす存在であるとして失墜させたことについて、追及を受けます)。
この映画を観て個人的には、もとは純粋な理論物理学者であったオッペンハイマーの悲劇は、国から「原爆を開発せよ」という白羽の矢が立ったことにあったように感じました。もちろん国からの命を受けたのは彼の意思ですし、マンハッタン計画に関わり始めた当初から彼は、自分が開発する技術が大量破壊兵器に使われることは理解していました(オッペンハイマーが、これから、マンハッタン計画に関わろうとする自分になぞられて「ノーベルは偉大な科学者だが、彼が開発したダイナマイトが大量破壊兵器となった」と口元に笑いを浮かべながら話す場面があります)。その意味では、「悪いのは自分ではなく、国が自分に白羽の矢を立てたこと」とは言い切れず、自分が研究に関わったことが、原爆という凄惨な兵器の使用につながり、その後の核開発競争を招いています。それでも当時の視点で見るならば「ドイツに開発される前に、なんとしてもアメリカが核兵器を開発しなければドイツを阻止できない」「アメリカが開発しなければ、ドイツあるいは他の国が開発するだけ。オッペンハイマーが指揮をとらなければ、遅かれ早かれ他の国の別の科学者が核兵器を開発するだけ。」という考え方も道理があるように思いました。
そう考えると、オッペンハイマーは、兵器開発競争の激しい戦時中、優秀な頭脳があったがために、その後一生悔いるような使命を背負ってしまった…私にはその苦しみは想像を絶するものに感じられました。私自分の小さな人生を考えてみたら、こういう戦争に関する苦しい使命を国から背負わされるようなことがないのは本当に幸せなことだと思いました。平和が保たれて来た今の日本だからこそ、戦争に関係のない「何か」を自分の生業や使命として選ぶこともできるわけですし、ありがたいなと思いました。
「歴史は繰り返す」という言葉があって、人間の愚かさに対して「(愚かな)人間は全然進歩しない」という意味合いでよく使われるように思いますが、「繰り返す」かどうかはさておいて、歴史というものは決して「後戻り」しないものだと思います。今から大量破壊兵器が生まれる前の時代に戻ることはできませんし、すでに地球上に沢山配備されている核弾頭が、ビデオテープを巻き戻すように前の状態に戻って、跡形もなく姿を消すこともありません。けれども、人間が「さらに進歩する」ことによって、今意味を持っている核兵器が、意味を持たなくなるように出来るかもしれないし、そうなったらよいな、と思いました。
本当に夢物語かとは思いますが、もし科学技術が進歩して、今配備されている核弾頭を無力化するような技術が出てきたら(迎撃ミサイルなんかも、ある意味、無力化する技術なのかな、と思いますが)、時代は今とは全然違う、新しいものになる、、、そうなったりしないかな…そんな想像を未来にめぐらした今回の映画鑑賞でした。
過去のことを振り返って、あの時何が悪かったのか(あるいは正しかったのか)を問うのではなく、原爆開発、原爆投下をオッペンハイマーという科学者の立場に立って追体験し、「それで、あなたは、未来に向かってどうして行きたい?」とノーラン監督に問われていると感じました。考えさせられる良作でした!
IMAXシアターで観なくて良かった
皆さまの口コミを見て、サラッと予習をして鑑賞したものの、登場人物は多いわ、会話は複雑だわ、どの俳優さんが誰役だかの見分けが難しいわで、字幕を追いながらストーリーを把握するので精いっぱい。
公式ホームページなどを見ると、映像にこだわって作られているようでしたが、もしIMAXで見てたら、せっかくのIMAX料金分を無駄にするところでした。
映画自体は内容も濃く、オッペンハイマーの科学者としての欲求と、人間としての苦悩がみっちり描かれていたと思います。
「いずれ他の誰かに先を越されるくらいなら」と、開けてはいけない箱を開け、渡ってはいけない橋を渡ってしまったのでしょうね。
広島、長崎の被害の具体的な描写がない、というご意見も目にしましたが、オッペンハイマーの後悔と苦しみは、私には充分伝わってきました。
あと2回くらいは観ないと、「鑑賞した」域には達しないなと思いました。
「我は死神なり、世界の破壊者なり…」プロメテウスの原罪
何と言ったら良いのでしょうか、、核物理学や量子力学などという、もう私たちパンピーには何が判らないかもサッパリ判らない様な知の最先端の領域で、天才科学者の頭脳と魂に、この世界全体がどう映り、どの様に感じながら人生を重ねていったのか、、
そしてそんな特別な次元にある人達の、普通の人々と変わらないパーソナルな葛藤と苦悩、それらを暫しの間、疑似的に追体験する様な感覚に浸れることが出来た印象です。
ほぼ名前しか知らなかった理論物理学の分野の錚々たる科学者たち、アインシュタイン、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、アーネスト・ローレンス、イジドール・ラビ、戦後オッペンハイマーと対立する“水爆の父”エドワード・テラー、が等身大の人間として描かれます。
そして物語のもう一人の主人公、核兵器の際限無い開発競争に反対するオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)と対立し、個人的な野心や恨みやコンプレックスも相まって博士の人生を潰し葬り去ろうとした、アメリカ原子力委員会委員長ルイス・ストローズ(ロバート•ダウニーJr.)。
物語は戦前戦中のオッペンハイマー博士の視点をカラー、戦後のストローズ長官の視点をモノクロに分け、その二つの視点を目まぐるしく交錯させながら進んでいきます。
オッペンハイマーやアインシュタイン、ニールス・ボーアに代表される科学者たちの多くがプロメテウスの火(核の炎)をこの世界に解き放った事に対する道義的責任「科学者が直面する創造と破壊のジレンマ」や、「知識の追求がもたらす恩恵と危険」に葛藤し苦悩する様に対比させる様に、
政治的現実主義・個人的野心・打算、嫉妬や恨みの感情、これらに突き動かされるストローズ長官やトルーマン大統領を始めとする政治家たち、エドワード・テラー博士ら様々な人々の狡猾な言動や行動が描かれていきます。
最終的には、ある予想外の意外な人物によってストローズ長官の野望は終止符を打たれ、冒頭から随所に出てきて謎となっていたオッペンハイマーとアインシュタイン二人の間に交わされた会話の内容という、
ほぼ作品のテーマであり結論でもある重要な伏線も見事に回収されエンディングを迎えますが、詳細はご自分の目と頭で観て感じて頂けたらと思います。
一見とっつきにくい様でも決して理解不能とか難解な作品ではありません、映画史上に残る様な大傑作である事は間違いないと個人的には強く思いました。
評価要りますか
複雑で沢山のことを短時間でまとめた秀逸な作品。出てくる俳優陣もすばらしい演技。
エンタメ作品で作られているのは理解している。
しかしバーベンハイマー騒動の今も変わらぬアメリカ人の鈍感さに、新たな発見とショックであった。何も変わらないのだ。おまけに未だ平和の象徴の鳩のようにきのこ雲が使われ、高校の校章になっているアメリカの学校が数校、あるという。人間は自分が滅びるものにまで知識欲を持つ、愚かすぎる生き物だ。そして敗戦後、こんなことまであったのに、二度と過ちはおかしませんからと、「兎に角日本が悪かった」と、自虐的教育を70年以上も施された全日本人は、自分が施されていることに自覚も無い人が多いので、遠めからこの作品を冷静に鑑賞することができる。 いまも内向き思考回路で自分たちの国の政治家の小さいことに必死に文句をいいうまく日本人はできているw。が平和のためには仕方ないという矛盾である。
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