オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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私のレベルでは、3時間はキツイし理解不能
金曜レイトショー『オッペンハイマー』
アカデミー賞を席巻したノーラン監督の最新作!
私的には、ダークナイトシリーズ以外は、合わなかったし・・・
今回の作品は、日本人としては複雑な内容ながらキャストは、アベンジャーズレベル!
ただコレ、、話が行ったり来たり、モノクロになったり・・・
サブリミナル効果みたいな爆破画像が、頻繁に組み込まれたり・・・
私のレベルでは、一回で理解出来ないし・・・3時間は苦痛。。。
気軽に観れそうなゴーストバスターズの方が良かったかも!?
タイトルなし
素晴らしかった。脚本が圧巻。キリアン・マーフィの存在感、ユダヤ人を引きずりつつ、科学者として生きた人生が描かれていた。
実験を成功したときの人々の熱狂と歓喜のシーンは、被爆国国民であり、被爆二世の夫と三世の娘を持つ身には辛いけれど、原爆を完成させた男がこのような形で巻き込まれていく文脈に、心を打たれていた。
そして、後半の筋の中心にあったストロースとのやり取り。ストロースは小者であり、アインシュタインとオッペンハイマーとのコミュニケーションの高度さがストロースの卑劣さを浮かび上がらせる。
女性たちが強く知的であることもよかった。
ユダヤ人の文脈もあるけれど、一流の科学者たちが左派的な活動とも繋がっていたこと、当時の赤狩りの文脈の凄まじさも感じた。
ノーランの映画は、孤独で暗い感覚が漂う。これだけの成功と名声を手にしたオッペンハイマーの持つ孤独も描かれていた。彼に妻がいた事は救いだ。
原爆の連鎖反応が地球を破壊するかもしれないというエピソードにノーランは惹かれたという。ほぼ0の指摘は実際恐ろしい。
ノーランはもともとファンだったので、とても楽しみにしてたのだけど(好きすぎたベッソンのドッグマンを楽しみにしてたのと同じく)。
原爆成功のあとのアメリカ人たちの歓喜のシーンも凄まじく、それ自体が考えさせるものだし、原爆がトラウマの事象だからこそインパクトをもつものなのだと思った。
この映画の、トラウマの事象である原爆がもつあまりに日常的な文脈、そして政治的な文脈は、原爆を脱神話化させる。もっと恐ろしい現在形の何かへの想像力を掻き立てる。
とはいえ、映画の素晴らしさは、ナチも日本も原爆を作る正当性、理由でしかなく、科学者たちがただ作りたいのだとする欲望も描けてしまっていること。
さらに、オッペンハイマーがユダヤ人でありそれはあらゆる不安を喚起し、物理学者の世界の中で実験も下手だった彼の闘いがあり、それは原爆を作るコンテクストとして重要で、また、軍には軍の、官僚には官僚の、ブルデュー的に言うと界の文脈があり、誰も全体を見て動いているわけではない。
とはいえ、オッペンハイマーはそんな中でもナチスにだけは渡せないとして、全体を統括する強いリーダーとしてやはりそこにいたことも。彼が共産主義者として疑われることになるような人道主義者であったことも。
アインシュタインとのやり取りは見事だし(それをシーンとして作り出しているのも)、ノーランが注目したのは、原爆が大気への反応を引き起こして地球を滅亡させるかもしれないほんの数%の確率にオッペンハイマーがおそれをもったこと(ネタバレです)、それはこの映画の隠れた重要なモチーフ、ノーランゆえに惹かれるテーマか。一方、原子力のもつ力のイメージにオッペンハイマーは若い頃から圧倒され悩まされ、アメリカ人たちの歓喜、日本の原爆被害の映像も、彼にとっては、科学が作り出してしまった意図せざる結果として、トラウマというか、操作不能なものとして描かれる。
このとき、オッペンハイマーは孤独で(理解できる物理学者の友人たちや妻がいても)唯一、先人としてのアインシュタインがいるだけ。
この世界との違和感というか、存在の解離的なイメージ、孤独もノーランの描きたかったもの。バットマンの圧倒的な力と孤独、その力がもつ悪のテーマは、オッペンハイマーに来て、さらなる説得力を持って迫る。
豊橋でも初日初回そこそこ入ってたので、当たるかなと思われる。
製作する者と使用する者の隔たりを感じた!
世界で初めて原子爆弾が実戦で投下されたのは日本国であったのは言うまでもない…
対戦を一瞬にして終止符を打ってしまう程の威力があった。敗戦国の悲劇は想像以上の人命を奪って開発したオッペンハイマーの自責の念を襲う姿に私も呆然とスクリーンを観てしまっていた…😭
核兵器を脅し合う抑止力が渦巻く社会に恐怖を感じたし真の平和を考えさせられた。
原爆を作った視線から見た社会であって被爆国の被害については淡々と描かれていのが辛い立場ではあるが寧ろ良かったと思う。
ラスト30分程、胸が詰まる思いで観ていた。
映画の限界をよく知っている監督の切実な訴え
この映画に写るのは大なり小なり、原爆の開発及び投下へ関わった人々、及び戦後の核の脅威を拡大させた人々だ。世界を永久に変えてしまったオッペンハイマーとその共犯者、すなわち加害者の犯行に至る経緯と犯行後の述回の映画である。
だからこそ被害者(広島・長崎)が受けた被害の規模はただの一コマも映像として写されていない。
上記の感想に至ったのには冒頭からの繊細な脚本と演出の賜物だ。
静謐の中で迫る破滅の予感。そこかしこで作中人物に指摘される原爆の危険性とオッペンハイマーや他の科学者への思慮不足。高まる緊張の中、ついに行われる実験に臨む人々がいかに無知であるかがその装いに現れる。日焼け止めにサングラスとは!直前までの理知的な彼らのイメージを覆し丸裸にするシーンだ。
(同じく諮問会ではオッペンハイマーの丸裸の心象イメージがインサートされることも無関係ではなかろう。裸の王様たる科学者達。)
理論先行型で実験の苦手なオッペンハイマーはここでようやく、(それでも周りの人々よりは)一足早く、自らが何を作ってしまったのかに気がつく。
原爆投下の成功に喝采を浴びせる科学者はそれまでの思慮深い表情とは打って変わって、まるでジョーカーのような屈託のない無邪気な笑顔で、無垢な喜びを爆発させている。
それに対するオッペンハイマーは日本やナチスの名前を出しスピーチをしてみせるが、その笑顔はもはや笑っていない。張り付いた笑顔の奥に狂乱に近い恐怖がもたげている。
いずれも前後の文脈や暗喩を意識して読解しないと見落としてしまうレベルの表現ばかりだ。
前半部、オッペンハイマーが鑑賞していたピカソの代表作はゲルニカであり、レコードで流れているストラヴィンスキーはナチスに非難されつつも、敵対者の音楽技法を学び、度々来日公演を果たしている大作曲家だ。
フィルムに直接写るのは加害者ばかり。被害者の立場に沿うものは、仄めかす程度にその存在が示されるのみだ。
この映画は相当に、けれどもかなり暗示的に、深く、当時のアメリカ政府だけでなく、関係した科学者、無邪気で無垢だったアメリカ人の群集心理までもを断罪している。
正直、これを見て激怒するアメリカ人が続出しなかったことが驚きだ。
おそらく、気がついていないのだ。そしてそれをも見越して、こうした無垢な人々全てに監督は激怒している。私がアメリカ人だったら途中で退席していたかもしれない。
オッペンハイマーは広島・長崎へ投下される原爆「だけ」を作ったのではない。それに加えて、はるか未来まで、地球丸ごとを変えてしまったのだ。その主犯と共犯者がこのフィルムに映る人々なのだ、とノーランはスクリーンの裏側で絶叫している。
「監督の娘だけが」ケロイド状に皮膚が変化する描写があるのはそのためだ。その断罪にあたっての人身御供だ、その代表として娘を選んだのだ。
「このフィルムに写るものにはただの一人として罪なきものはいない」と証しするために。
『一度も罪を犯したことのないものだけが、この者に石を投げなさい』
極め付けはラストの「かの人」とオッペンハイマーのやりとりだ。そこまで踏み込むのか。衝撃的だった。
かの人はこんなことを語る。
「あなたを持ち上げるのは自身の行為の正当化のため。あなたを罰するのは罪の所在を擦り付けるため。あなたを許すのは自分の罪悪感を誤魔化すため。あなたのためではない」と。言外に、彼らもまた、無関係ではない、共犯者である、という主張が見える。
だからこそ、この映画がアカデミー賞で多数の部門を極めて深い意味がある。原爆の父を都合よく持ち上げ利用して世界を変えてしまった罪を、問い続けなくてはならない、という作品が認められたのだ。
かような事情・テーマから、だからこそ、日本人は描かれない。
奢りと無垢で楽天的な熱意に浮かされた正義感の犠牲となった、その被害の実態を加害者側が決めつけてはならないという、これもノーランの怒りのメッセージだろう。
核を持って脅しあう世界となった事を示す、フィナーレのカット。
爆心地は丁度日本のあたりだった。あの日が引き返すことのできない始まりだったのだ。
クリストファーノーランは、映画の限界をよく知っている人物だと思う。
映画がどれだけ真に迫る凄惨な映像を見せたとしても、本物の人間が語るたった一言の哀しみに叶わないことがある事を、よく理解しているはずだ。
被害者を描くことで戦争の悲惨さを伝える作品は多数見たことがある。この映画は加害者のみを描くことで、彼がどれだけ無垢で浅慮な正義感の元、決断し、核兵器の発明と利用まで至ってしまったのかを糾弾し、反戦メッセージを伝えている。ノーランらしい、挑戦的傑作だ。
思想や偏見を乗り越えて‼️❓差し迫る真実に目を瞑らず‼️❓生きていく‼️❓
間違いなく反戦映画です、ただ、広島などを直に取り上げないのは、多くの人に観てもらうための配慮です。
そうしないと、変なメタファーや色眼鏡の意見や妨害が生じる、でも、アメリカ人の姿に被害者の姿を写し、間接的に示してはいます。
政治家等の鬼畜ぶり、科学者の結果への無力、国の判断がいかに人類の希望に反するのか、それがまざまざと、見せつけられる、そう、この映画は、それを示して、でも、みんなに、反核反戦を意識させる、貴重なものでもある。
デイテイルにこだわり、観たところ、嘘偽りは、ただ一つだけでした、京都は最初から最後まで目標の一つでした、天候の関係で無事なだけです。
歴史に忠実に、中立を保つことで、崇高な映画になりました。
一科学者が、成さなくても誰かがしたでしょう、しかし、彼の苦悩を描くことで、観た我々が、一人一人が過ちを繰り返さない、この世界を壊さないように、考えていく礎にならん、そう、信じさせる映画でした。
彼を取り巻く人々の残忍で、悲惨な、姿は、反面教師であり、内面の姿でもある、それを自戒しながら、生きていこう、いい映画でした、ありがとうございます😊😭
“白のシーツ”
原爆を開発とその後を描くオッペンハイマーの心情と苦悩の話。
全体のストーリーは何となく分かるけど正直細かいところまでは把握できないし、もう一度観たいとも思わない。180分長いと思ったけど以外と観れて。
ノーラン監督の作品は苦手で「テネット」もちょっと無理だったけど、テネットとは違い本作はただただ難しいって感じで、終盤辺りの実験の成功辺りから少し観やすくなった個人的に。
原爆開発成功で一時的には誇らしい気持ちなれたと思うけど、自分の開発した物で数多くの人が亡くなったと思ったら後悔の念ばかりかと…、広島原爆の話辺りは複雑な心境でした。
ジョンコナー役続くな~
なぜ日本公開が8ヶ月も遅れたのか
監督お得意の”時系列ごちゃ混ぜ”表現が頭を混乱させるけど、原爆の開発と投下に対するオッペンハイマーの葛藤と苦悩はとてもよく描かれていたと思う。
ただ、ストラウスがなぜ、どのように敵対化していったのか少しわかりにくかった。
日本でこの公開の賛否があったけど、そしてこうして遅れて公開されたわけだけど、それは今考えてみると「日本では遅れて公開した方が儲かりそうだ」という商業的な戦略が垣間見える。
予習は必要な作品かも
自分の力量不足もありIMAXの映像は良かったが、細かな表現や内容がイマイチ理解不足、少なくとも観る前に予習が必要だったかも
歴史的背景と物理学知識、英語力があればもっと楽しめる作品に違いない
やっぱ字幕ばかり追ってると役者の細かな演技や映像を見を落とすし
特に後半の公聴会は字幕無しで英語で理解したかった
もう一回観に行きたいが、次回はトイレを我慢して気が散らないように鑑賞前に水分は控えよう(笑)
原爆の罪深さを描き切れていない
原爆の父オッペンハイマーが原爆を開発し広島長崎に投下したことに苦悩し赤狩りによるスパイ容疑をかけられる話。
世界で唯一の被爆国民日本人として、はだしのゲンと同様に見ておくべき映画だとは思うけど、映画としてオススメかと問われたら、ぜひ見てとは言えない。
俳優陣のお芝居は素晴らしいですが、ストーリーと原爆の描き方には物足りなさを感じて、モヤモヤした。
広島と長崎の惨状には被害者の数と犠牲者のイメージ映像で触れただけ。これだと、原爆で一瞬にして吹き飛んだ市民や皮膚がどろどろに溶けたおぞましさや、生きながらウジ虫が湧く凄惨さ、その後死ぬまで被曝の後遺症で苦しんだ犠牲者に、見た人の想像は及ばない。
そこまで描いてはじめて、原爆という悪魔の兵器の罪深さと、生みの親であるオッペンハイマーの苦悩がリンクするのだが、肝心な部分を描いていないので、オッペンハイマーの苦悩には共感できなかったし、原爆投下という罪を軽く扱いすぎじゃないかと思う。
映画はオッペンハイマーの一人称で描いており、彼が広島や長崎の地獄絵図を見ていないから描きようが無いのはわかるが、ノーラン監督が敢えて逃げたようにしか思えない。
これがアカデミー賞7冠という評価にも納得出来ない。
日本人は「はだしのゲン」を映画化して世界配給すべきでしょう。山崎貴監督お願いします。
あと、3時間は長すぎ。
終始不快感
ナチスが開発する前に、開発しなければならない。ユダヤ人としてこの思いは理解できる、しかし。日本は樋口季一郎中将の例に代表されるように、ナチスから逃がれてきたユダヤ人に人道的な支援を行い、数万の生命を救いました。その日本に核兵器を使うことに、反対しないユダヤ人とは。戦争を早期に終結させて、多くの人命を救ったなど詭弁でしかない。
我々は破壊者だ‼️
この作品は "原爆の父" と言われたJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画‼️戦争を終わらせた英雄として称賛されながらも、戦後、世界が核競争に突入していくことに苦悩するという彼の人生は、知ってる人は知ってるので、ひょっとしたら重苦しいだけの伝記映画になるところですが、監督はあのクリストファー・ノーラン監督‼️ノーラン監督がどんな演出で、そして時間軸を操ることに長けている彼がどんな物語構造で描くのかヒジョーに楽しみでした‼️構成としては戦後、オッペンハイマーが共産主義者かという審議にかけられるエピソードと、ロバート・ダウニーJr扮するストローズが商務長官に任命される公聴会のエピソードが描かれ、さかのぼってオッペンハイマーが原爆を発明し、戦争が終結するまでの過去のパートが交錯しながら描かれる‼️ひょっとしたらオッペンハイマーの戦後と過去が混乱するかもしれない⁉️ストローズのパートはモノクロ映像になっているのですが、できればオッペンハイマーの戦後もモノクロにしてくれたらもっと分かりやすかったかも‼️そういう意味では1週間、1日、1時間という異なる時間軸を見事に収束させた名作「ダンケルク」のほうが映画的には優れていると思います‼️ただそれらを踏まえて観れば、ヒジョーにエキサイティングな作品で、原爆発明と共産主義に揺さぶられるオッペンハイマーの心理的葛藤を表現したキリアン・マーフィは素晴らしい‼️ロバート・ダウニーJrのストローズもオスカーを獲っただけある‼️そして奥様役のエミリー・ブラントも証人台に立つシーンは爽快‼️その審議会のセリフの応酬は素晴らしいテンポで3時間をまったく飽きさせない‼️映像的にも量子力学や核分裂を宇宙空間の無数の星々で表現したり、CG無しで製作されたらしい原爆実験のシーンの圧倒的な迫力と臨場感、たびたび挿入される "閃光" 、それによって女性の皮膚がめくれるような描写、ラストの無数のミサイルが翔び立ち、地球の各地で爆発する、まるで「ターミネーター」のような描写まで、ノーラン監督らしい映像表現の数々‼️ただ巷で言われている通り、原爆を生み出してしまったオッペンハイマーの苦悩を描くのであれば、広島と長崎の惨状をキッチリ描いて欲しかった‼️ノーラン監督はオッペンハイマーの視点で描いているからと言っていましたが、やはり戦争を終わらせるためとはいえ原爆を投下したという事実から、目を背けているように映ってしまう‼️その描写がキッチリ出来ていれば超傑作になったと思うだけに残念です‼️
反核や苦悩が主題ではないオッペンハイマーの伝記映画
クリストファー・ノーランお得意(?)の時間軸がコロコロ変わる演出。
前触れなく、過去と現在が入れ替わるのでとてもわかりにくい。
きっとアメリカ人なら調度品などである程度、現在か過去か把握できる(日本人が昭和の映像だとわかるように)のだろうが、正直、日本人には辛かった。
公聴会で証言した人たちとオッペンハイマーの過去のやり取りを描いておく必要はあっただろうから仕方がないが、登場人物が多すぎて混乱に拍車をかける。
私の頭では一度観ただけでは相関図の理解が追い付かなかった。
何度か観れば『過去の伏線』なども見えてきて感想が違ってくるのかもしれない。
結局、オッペンハイマーが何を考えて原爆を作ったか、原爆が日本に落とされてどう感じたかには触れる程度で明確には描かれない。
あくまで私見だが、同じドイツ系ユダヤ人でノーベル賞まで取った敬愛していただろう、アインシュタインがマンハッタン計画から外されて『アルベルトの理諭を形にしたい』という気持ちはあったのかもしれないなと思う。
赤狩りに関してはオッペンハイマーがどんな活動をしていたかわからないが、時代もあったろうからな。
原爆投下後、アインシュタインとオッペンハイマーに反核(水爆開発反対)の姿勢を取られたことはアメリカにとって都合が悪かったのかもしれない。
反核(核の怖ろしさを描いた)映画ではないし、開発者の苦悩が主題でもない。
あくまでオッペンハイマーがどういう経緯で核開発に関わり、なぜ、偉大な科学者が失脚に追い込まれたかを描いた映画。
むしろ、原爆開発より『赤狩り批判』の方が強いかもしれない。
3時間の大作だが、飽きさせない。
役者たちの演技も上手い。
映画全体の出来は素晴らしく、アカデミー賞を取って当然だろうね。
ただ、内容(ストーリー)がな。
個人的には興味深い話で観ごたえがあったが、興味の薄い人には『難解な映画』としか思えないかもしれない。
派手なことは起こりませんよ!
これから見る人へ
派手なことは起こりませんよ!
あくまでも開発者の話なのでド派手な事は一切起こりません。会話劇、裁判劇になるのかな。
ノーラン監督相変わらずとんでもないもん撮ったな!
編集が神がかってたのとCG絶対使わないにしてもあのキノコ曇どうやって作ったんだろ?
これ賛否両論分かれて良いと思うし評価悪くてもそれはそれで良いと思う、やはり日本人だからこそ見てて複雑になったし実験のシーンなのに感動する訳でもないんだけど何かね涙出てきた。こうやって原爆は生まれたんだ!って勉強になったし口コミ見たら投下のシーンが無くて文句言ってる人いたけど想像させられるから無くて良い!
登場人物多過ぎ問題w 誰が誰か覚えられんて!!
キャスト豪華すぎて最高かよ!
ジョシュ・ハートネットが良い年のとり方しててめっちゃイケおじになっててビックリした♡
記述を知らないから細かい設定に気づかなかったけど
最初の2人のシーンは2年後の会話です。
米国で本作で作られた意味を考える
以下3つの観点で批評したい。
❶映画のテーマと世に与える意味について
❷原子爆弾の映像表現の意味について
❸映画の構造と演出について
❶映画のテーマと世に与える意味について
この映画のテーマは2つある。
1つは「オッペンハイマーという人物をどう評価するか」。
もう1つは「科学技術の進展と、人類の倫理性のバランスをどう取るか」。
オッペンハイマーの人生については肯定的に描かれていた反面、科学と倫理性のバランスについては
視聴者に重い問いを投げかける形で映画は幕を閉じる。
前者は伝記映画の基本形だし、後者のテーマは米国映画で繰り返し描かれたものであるが、
「オッペンハイマー」が特別なのは、アメリカ人が米国映画としてこの作品を作りそれにアカデミー賞を与えた、という事実。これが重要な意味を持つと思う。
その意味とは「核兵器を人に対し使用した国民として、その事実に向き合い続けるという意志表明」ではないだろうか。
核への脅威と責任は古くは「博士の異常な愛情」、定番で言うと「ターミネーター」などがある。
広義で捉えると「科学の進歩V S人類の責任」となるが、これは「スパイダーマン」の主要テーマであり、
コミックというポップカルチャーレベルで米国に浸透しているテーマだ。
これは憶測だが繰り返しこのテーマが描かれるのは、米国が人工的に誕生した国家であることが背景の1つではないだろうか。
なぜなら、太古からの民族的文化の脈略を持たず、アメリカ大陸を科学技術で自らの領土として開拓し、
論理性で国家(国民)を統治し、社会を形作ってきた歴史を持つからこそ、
科学と論理を推し進めた結果の、負の側面である「倫理観の忘却」「未来に対する責任不在の警鐘」が
国民のテーマになっているのではないかと思うからだ。
本作「オッペンハイマー」もその流れに沿っているが、
原爆投下という戦後一貫を通して米国が蓋をし続けてきた「戦争犯罪」「人道責任」について、
本国に対してはもちろん、全世界に対して問いを投げかけたこと。
そしてそのメッセージに対して、アカデミーという最高権威が価値を認めたこと。
これが米国民の歴史認識に対する転換点になったと言える、その意味で我々日本人にとっても非常に重要だと言えると思うのだ。
本作は原爆投下後の惨禍や投下に対する反省シーンが少ないため反発意見も多い。
この点は映画を見ながら私自身感じたし、史実として知ってはいたが実際にスクリーンを前に日本人としては嫌な気分になった場面はあった。
だがその点も含めて「アメリカの原爆に対する1つの意見」を知るための重要な映画だ。
この映画をみて、何を考え、どう振るまうか。
アメリカが試されていると同時に、日本人もまた歴史に対する関わりを試されいる。
❷原子爆弾の映像表現の意味について
これまでのノーラン映画と異なり空想世界のアクションやギミックが使えない中、
本作は見事に期待を凌駕してくれた。中盤のクライマックスである「トリニティ実験(最初の原爆爆破実験)」の描写はまさに白眉だった。ノーラン作品でお馴染みの、あの真綿で首を締め続けるような息苦しい時間が今作では過去最高に味わえる。
表現おいて特筆すべきは「音」。
いよいよ実験が間近に迫ると、BGMは弦楽器の単調な繰り返しとなり、
それが爆破ボタンを押す瞬間までクレッシェンドで続く。まさにお得意の「ボレロ」的演出だ。
しかも今回は実際にあった「歴史的現実」で、相手は「原爆」である。
その存在自体が否応なく恐怖の対象である。一体どんなことが起こるのか。
人類が経験したことがない現象を前に、登場人物たちは皆、心臓が口から出そうな表情。
過度な緊張と浮き足立つ空気が、上記のBGMとテンポよい編集に掛け算され、
おまけに天候は雷雨ときたから、もう席を立ちたくなるほど緊張した。
そして起爆ボタンが押され「爆発」。劇場はシーンと静まる。
スクリーンいっぱいに広が炎。火の織りなす「不気味さ」と「美しさ」の共存した不思議な映像。
「バックドラフト」で感じた「火=生き物」のような怖い魅力がそこにはあった。
そして駆け抜ける大轟音。生きた心地がしない。
「ああ、原子爆弾とはこういうものなのか」
理屈ではなく身体で感じとり、そして「記憶」する。
人類にとって意義深い映像体験になることが間違いないだろう。
❸映画の構造と演出について
結論、構造は「尋問を通して、過去を回想する」という、「ユージュアルサスペクツ」や「アマデウス」でもお馴染みの展開だが、なんせ非常にスピーディーで説明もないので理解には3回以上の視聴を前提とする。
例えるなら、というかノーラン作品は全てそうだがミステリー小説に近い。
何度も繰り返し知識が増えるにつれて解釈が変わっていくような作品だ。
ラストはノーラン作品お馴染みの「意味深なBGMと短いカット、宣説的なモノローグが展開しぷつんと切れる」の演出。これもお約束。気持ちがいい。
芝居の演出については正直「野暮ったく」感じた場面もあった。具体的にはオッペンハイマーと女精神科医との関係、
それに対する妻の嫉妬のシーン。ベタベタな表現だったので、もっと抑えてもよいのでは?と。
以上が「オッペンハイマー」の批評だ。
といっても2度、3度見るたびに感想は更新されるだろうから、今後も本作とは長く関わっていきたい。
見応えはあるが、これは難しい…
昨年からいろいろな意味で話題になり、さらにアカデミー賞7部門受賞という最高の栄誉もあって、楽しみにしていた本作。もちろん公開初日に、奮発してIMAXで鑑賞してきました。
ストーリーは、第二次世界大戦中に原爆開発を推し進めるアメリカ政府から、プロジェクトのリーダーに任命された天才物理学者オッペンハイマーが、集められた科学者たちと研究を重ねてついに原爆を完成させるが、実験での威力や実戦での惨劇から、後に開発される水爆に反対の立場をとり、以前から彼に私怨を抱いていた政府側の人間ストローズが画策した罠に嵌められていくというもの。
オッペンハイマーの足跡をたどりながら、原爆開発にまつわる彼の考えや思いをドラマチックに描く作品かと思っていたのですが、ちょっと違いました。ノーラン監督が描きたかったのは、オッペンハイマーとストローズの確執そのものであり、それを通して二人の人物像を浮き彫りにしたかったのではないかと思います。
しかし、率直な感想としては、とにかく難しかったです。登場人物の多さもさることながら、共産党員とのつながりから機密情報漏洩やソ連のスパイ容疑をかけられたオッペンハイマー博士が聴聞会で尋問される姿を通して、原爆開発までの足跡を回想として描くという構図が、全体像を捉えにくくしていると感じます。特に時系列も入り乱れ、登場人物たちの政治的駆け引き、科学への姿勢、それぞれの関係性なども複雑に入り組んでいて、わかりにくさに拍車をかけています。また、当時のアメリカの状況や共産主義者への不当な圧力なども絡んでいるようで、そのあたりの知識のない自分にはことさら難しく感じました。逆にそれらが理解できる方には、終盤の怒涛の展開がたまらなく感じられたのではないかと思います。
とはいえ、タイトルロールに注目するのは当然のことで、細かいことの理解を諦め、オッペンハイマーの心情に注目し、博士の苦悩に共感しながら、最後まで興味深く鑑賞することができました。欲を言えば、そのあたりにしっかりスポットを当て、周辺人物をもっと整理して描いてくれるとありがたかったです。博士がどうして原爆開発にそこまで打ち込み、何を危惧して水爆開発を支持しなかったのか、散々持ち上げておきながら梯子を外した祖国に対してどのような感情を抱いていたのか等、ありきたりかもしれませんが博士自身の言葉で熱く語られるとさらによかったです。
一方で、原爆開発の最終実験の成功と実戦での成果を喜ぶ姿はわかりやすく描かれています。アメリカ人のその心情は理解するものの、日本人の私はずっと眉間に皺を寄せたままでした。何十万人もの人間を死に至らしめる破壊力を称え合う前に、ほんの数人の遺体でいいから被爆地で亡くなった方を見てくれと言いたくなります。しかし、オッペンハイマーの脳裏にはわずかながらもそんなシーンがよぎり、彼にとって大きな転機となったことはうかがえます。そんなところからも、本作が反戦や核軍縮を高らかに訴えるものではなく、オッペンハイマーの姿を淡々と描くことに徹しているのではないかと感じます。期待とは異なるテイストではありましたが、確かに見応えはあり、頭を整理してもう一度観てみたくなる作品でもありました。
主演はキリアン・マーフィで、ほぼ出ずっぱりの熱演が光ります。もう一人の主演といっても差し支えないロバート・ダウニー・Jrも、貫禄の演技で魅せてくれます。脇を固めるのは、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーら豪華な顔ぶれ。
本筋が始まるまでが長い。
内容は戦争賛成・反対でも無く両サイド視点から観られていたと思う。
核の賛否のシーンもあるが、当時のアメリカでは戦争が終わって家族が帰って来る方がとんでもない爆弾を落として民間人を犠牲にするよりは嬉しかった様だったとも取れるシーンがあってスッキリはしない。
作中にプロメテウスが人類に火を与え神の怒りに触れ岩に貼り付けられ罰を受けたとあるが、遅かれ速かれ誰かが創り出したとは思うが人類に核をもたらした彼はどうなるのだろうか?
論点のズレ。所詮はアカデミー賞。
冷戦下の赤狩り悲話に9割、
非人道的殺戮兵器開発の呵責に1割、
って論点の軽重が逆だろ。
呵責に苛まれる実験から終戦直後迄の
異様と不気味は良し。
全編会話劇に強者役者陣の演技合戦は
見応えアリだが。
ま、所詮はアカデミー賞。
ところで主役Cマーフィは
郷ひろみに似ている。
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