オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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科学者が人間であること
クリストファーノーラン作品は人の醜い部分が忠実に描かれていて辛い。
時間スケール、空間スケール、そして人間の感情の尺度が加わる。一回の鑑賞では処理しきれない情報量だったと感じた。
ちっぽけな人間が、自らのエゴと欲求によって周りの環境や人々を壊していく。
現在の環境問題などにも通ずる構図だと感じた。
しかしその動機は決して100%否定できるものではない。
オッペンハイマーが暴走してしまったことは、彼のエゴによる彼の過ちかもしれない。
でも、彼が作らなくても誰かがその後作っていただろう。
そう考えると、一番初めに作った人が悪いのだろうか?
極論を言えば、戦争をしていた人類が悪い。それの開発を急がせた社会が悪い。
でも意見を言えない一般市民は一方的な被害者だ。
誰が悪いのか。
開発した科学者も、投下を決定した大統領も、実際に投下したパイロットや乗組員も、エゴと苦しみを抱えながら、日本に新たな悲しみを生み出した。
結局、誰が悪いのか。誰に怒りの矛先を向ければ良いのかという考え方自体、間違いなのかもしれない。
映画としての完成度、映像・音響・台本全てにおいて怖いほど完璧であった本作。
我々日本人は何をすべきなのか。
おそらく本作の制作、公開に反対することではないだろう。
よく見てみると、この映画は、過去の出来事から様々な事を教えてくれる。
これは無責任な考え方だろうか。
しかしそれを胸に、理想の社会を目指すしかないという事ではないだろうか。
最後まで原子爆弾の開発責任について“We”という主語を用いたオッペンハイマー。
ちっぽけな人だなと率直に感じた。
しかし、ちっぽけな原子を分裂させて生み出される膨大なエネルギーは世界を滅ぼす事ができる。
科学の軍事利用は今や珍しいことではない。
人間個人の倫理観というのはおそらく1940年代からあまり変わっていないだろう。
その中で、社会が変わっていくためには、「科学者が人間であること。」を意識的に実行することが必要なのではないだろうか。
人としての共感性とモラルを持って、サイエンスをする事が大事なのではないか。
そう簡単なことではないかもしれないが。
それを目指して行きたい。
No. 1396 IMAX Laser
オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)vs ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)
クリストファー・ノーラン 監督による2023年製作(180分/R15+)アメリカ映画。
原題:Oppenheimer、配給:ビターズ・エンド、劇場公開日:2024年3月29日。
原作は未読でもあり、見終わった直後は何を見たのかが判然とせず、鑑賞後しばらく経ってからこの文章を書いている。見た人間に随分と色々なことを考えさせる映画であった。
大きな違和感を覚えたのが、主人公オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)の職権と名誉を奪った原子力委員会委員長ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)が商務長官就任のための公聴会で因果応酬の様に陰謀が暴かれて失脚してしまう描写の不自然にも思える丁寧さ。
しばらくずっと謎に思えていたのだが、ルイス・ストローズも主人公というか、彼こそが 「ダークナイト」のジョーカーの様な影の主役と考えると、この映画が良く理解出来る気がした。
天才 vs 非天才、未来が見えてる人間 vs 今しか見ていない人間、ヒトの気持ちに無頓着な天才 vs 陰謀で天才を葬る人間の構図。普通の人間が天才を深く理解・共感することはなかなかに難しいが、アイソトープの輸出に関する公聴会で笑いものにされ更にアインシュタインに自分の悪口を伝えたと誤解し、オッペンハイマーをソ連スパイと陥れて復讐をする人間は何とも分かりやすい。
そして多分、天才監督クリストファー・ノーランも、こうした人間に大きなストレスを抱いているのだろう。天才を葬ろうとする人間の存在は本映画の隠れたテーマと感じた。ロバート・ダウニー・Jr.の抑え気味の演技も、とても素晴らしかった。
お酒に溺れ子育て放棄の妻キティを演じたエミリー・ブラントも、とても良かった。彼女大事な時にはとてもしっかりとしており、ストローズの陰謀を糾弾し夫に闘うべきと激励し、不倫相手の共産党員ジーン(フローレンス・ピュー)が自殺した時に精神的にボロボロとなったオッペンハイマーを救ったのも彼女。ノーランの奥様兼プロデューサーのエマ・トーマスのキャラクターを反映している様にも思えた。
その他、軍隊側責任者マット・デイモン、ストローズを糾弾したラミ・マレックや親しい研究者役ジョシュ・ハートネット等俳優陣も素晴らしかったが、物語も画期的に思えた。米国社会での大きな汚点史でもある赤狩りの欺瞞性を見事に暴き、戦争終結に有意義であったとされてきた2度の原爆投下に関して、開発責任者自身の贖罪意識を真正面から鮮やかに見せていて感心させられた。原爆投下成功に大きく歓喜する多くの研究者の姿が映る中、オッッペンハイマーには焼けただれた肌の女の子(監督の長女フローラ・ノーランらしい)の姿が見えている。自分も含めて日本人的にはここでは脳裏に被災者の姿が浮かんでいる訳だが、落差が大きく、それを超える様な見事な演出と思わされた。
水爆推進者エドワード・テラー(ベニー・サフディ)は、核反応の連鎖反応により大気に引火する可能性を指摘。その可能性は「near zero」というドイツからの亡命物理学者のハンス・ベーテ(グスタフ・スカルスガルド)の計算結果を頼りに、トリニティ実験は実施される。かなり驚愕の展開だが、どうやら事実であったらしく、リスクの存在を承知の上で未知の領域にひたすら前進してしまう科学者のサガが見事に浮き彫りにされていた。
映画のなかでオッペンハイマーは、アインシュタインにそのテラーの数式を見せ、意見を求めていた(実際は違う人間らしいが)。それを受けて、最後のシーンでオッペンハイマーはアインシュタインに、核爆発の連鎖反応を自分たちは起こしてしまったと伝える(I believe we did.と言っていたらしい)。原爆を完成させたことにより、世界中に核が広がってしまったことの責任を自覚した言葉だ。
ショックを受けたアインシュタインは、ストローズに目もくれずに去っていく。核戦争リスクが現実に存在する今、この世界の扉を開けた天才の成功と懺悔を描ききり、この恐怖を我々に突きつけてくる凄い映画であった。
監督クリストファー・ノーラン、製作エマ・トーマス 、チャールズ・ローベン 、クリストファー・ノーラン、製作総指揮J・デビッド・ワーゴ 。ジェームズ・ウッズ 、トーマス・ヘイスリップ、原作カイ・バード 、マーティン・J・シャーウィン、脚本クリストファー・ノーラン、撮影ホイテ・バン・ホイテマ、美術ルース・デ・ヨンク、衣装エレン・マイロニック、編集ジェニファー・レイム、音楽ルドウィグ・ゴランソン、視覚効果監修アンドリュー・ジャクソン。
出演
キリアン・マーフィJ・ロバート・オッペンハイマー、エミリー・ブラントキャサリン(キティ)・オッペンハイマー、マット・デイモンレスリー・グローヴス、ロバート・ダウニー・Jr.ルイス・ストローズ、フローレンス・ピュージーン・タトロック、ジョシュ・ハートネットアーネスト・ローレンス、ケイシー・アフレックボリス・パッシュ、ラミ・マレックデヴィッド・L・ヒル、ケネス・ブラナーニールス・ボーア、ディラン・アーノルドフランク・オッペンハイマー、デビッド・クラムホルツイジドール・ラビ、マシュー・モディーンヴァネヴァー・ブッシュ、ジェファーソン・ホールハーコン・シュヴァリエ、ベニー・サフディエドワード・テラーデ、デビッド・ダストマルチャンウィリアム・ボーデン、トム・コンティアルベルト・アインシュタイン、グスタフ・スカルスガルドハンス・ベーテ、マイケル・アンガラノ、デイン・デハーン、オールデン・エアエンライク。
ノーランはちょっと反省しろ
作品自体は面白かった。
しかし、
長い!
わかりにくい!
予備知識必要すぎる!
2回目見ようという気は全く起きなかった。
さて、今作は日本人にとっては特別な映画です。広島や長崎が関係してくるからです。
もちろん、とても配慮されていた。
主人公もその他の科学者も大統領さえも、原爆投下ということに深く責任を感じていて、苦悩や後悔や葛藤が描かれていた。
しかし、ノーラン。てめぇはちがうなぁ。
お前、これ、題材としか考えてないな。
その上で長くてわかりにくい映画を作り、延々と自分語りした挙げ句に「これがセンス、これが映画」みたいな顔しやがって。
その根性が許せない。
僕はこの映画が心の底から嫌いだ。
そういう意味では、いい映画なんだろうなとは思うよ。
人間にとって死神とは?
180分の大作。本作鑑賞後、NHK映像の世紀の該当回をチェックした。俳優の造形が本当に本人そのままで、さすがだなと思う。
裕福なユダヤ人家系に生まれ、飛び級しながらハーバード大を卒業、ドイツで学び、帰国後20代で大学に職を得る。
原爆開発そのものよりも、彼の特異性、女性関係のだらしなさや、あらゆる物事への関心(特に文化)。私生活においても、公の場でも、理不尽に責められても、勤めて冷静であること。そういった、彼の人間としての有り様が印象に残る。
この作品は、原爆そのものを扱ったというよりも、オッペンハイマーという人物そのものにクローズアップしているのだな、と。
そして、一般論が過ぎるかもしれないが、人間の知的好奇心、科学者のその先を見てみたいという欲求は、止まることを知らないのだな。改めてそう思った。
その先にどんな未来が、我々を待ち受けているのだろうか。
責められるのは作った人ではなく、使った人
映画館で観るべき作品
これは、映画館の大スクリーンと良い音響で観るべき作品。効果音や音響の使い方がスゴい
科学者、理論物理学者、さらには人間オッペンハイマーの光と影を描いてると感じた。
マンハッタン計画や後日談の主要登場人物を知らないと時系列がコマ切れで話が進むので混乱するという前評判は、たしかにそうだなと思った。まぁ、クリストファーノーラン監督作品だから、簡単だとは思ってない事前の心構えも影響してるかもw
人間だから完璧はないが、ほんと自己中で、自己顕示欲やプライドが肥大化してる人物に胸くそ悪い気がした。ドキュメンタリーではないので、ある程度の脚色もあるかもと思うようにする。
いろいろな人の背景を知ること、対ナチスドイツ用に開発を進めた兵器を日本に使ったという事実を忘れないこと、が鑑賞後の感想
2回見て内容が理解できました
映画としての出来は素晴らしいと思いますが、感情的に引っかかる部分はありました。
細かい話かもしれませんが、妻がどういうスタンスなのか、少々掴みづらかったです。
アルコール依存で一貫性がないのかもしれませんね…。
頼むわ!!!
原爆の話とあっては観ないといけないと思い見に行った。
特に色々詳しいわけではないけど。
映画としては凄く面白かったが、日本人としてはあまり面白くなかった。
自分でも意外だったが、作中でアメリカ人が、ノリノリで日本に原爆を落とそうと話しているのを観るのは、あまりいい気分ではなかった。
真珠湾攻撃されてアメリカ国民怒ってるとか、兵士を早く帰国させてあげたいとか、スターリンも日本に落とせって言ってたとか、これから落とす爆弾の威力はあらかじめ日本に教えたりとかしないけど、2発くらい落とさないときっと降伏しないだろうとかいってたけど、あまり納得できなかった。
開発プロジェクトの進行フェーズは凄い見入ったし、実験成功シーンはimaxで大迫力だったけど、皆が爆音に驚くとことかで(実際はそんなんじゃすまないだろ)って思った。
実験成功して皆がすげぇ喜んでたけど、(いやそれ大量に人殺す装置だからね?)って思ったし。
大統領がオッペンハイマーに、俺の方が日本国民に恨まれてるマウントをとってたのが一番分からん。いや反省して?
折角オッペンハイマーが反省してたのにアメリカがソ連とわちゃわちゃやりだしてから置いてけぼりになってきて、すげぇつまんなく感じたけど、奥さんがやり返すあたりから面白くなってきて、アインシュタインが見せ場作って、なんやかんや最後はオッペンハイマーがアメリカに誉められましたとさ。
なんかずっと言い訳してたな君たち。
ナチスに作らせたらアカンから先に作ります、ナチスに勝ったけど日本が降伏しないから原爆使います、原爆危ないけどソ連に負けちゃうから水爆作りますってさ、オッペンハイマーが行動しても他のアメリカ人たちがそれを邪魔したので今の惨状ですってさ。オッペンハイマーが最後賞状貰って名誉回復したから万事オールオッケーハイマーってか?
せっかくオッペンハイマーが軍縮のための行動しても、政治家が私怨でワタワタさせてたし、あれで凄く作品のテーマがぶれてなかった?
安全保障の人とパイロットの人はなんであの政治家にアンナに協力的だったの?シン・ゴジラくらいセリフだらけで全然流れわかんなかった。
初見だったから、オッペンハイマー ソ連のスパイ説のくだりとか、見てて感情が二転三転させられて面白かったけど、次見るときは実験成功までで十分だな。あそこまでホント夢中で観られた。目的はともかく、色んなインテリがカマしまくってて、理科の便覧とか読みながらみたらもっと面白かったかもな。
あと、ミーハーで目の肥えてない自分から見ても演出が凄いかっこいい芸術っぽくて、かっこいい芸術っぽくされるとガッツリ作品にのめりこんじゃうから凄かったよね。映像作品として凄く心をひっつかまれた。バカっぽい表現だけど、映画に映画レベルってパラメータがあったとしたら凄い高そうな映画。そんな感じだった。
擦られまくった話をアホが改まっていう必要もないんだけど、やっぱり見る人の立場で感想が変わるんだろう。僕が第三国の国民だったら「原爆スゲェェェ」ってなってたかもしれないし、アメリカ国民だったら、「悪い人が核持ってるから対抗するために核を持つしかないんだ…!」ってなってたかもしれない。日本国民だから、「いやどっちも核兵器捨ててくださらない?」ってなってるだけで、別の星の生き物だったら、「あの星はもう長くないな」って思うのかもしれない。
足踏みの演出とか爆音とか諸々で凄く引き込まれたけど、自分の中のナショナリズムが芽吹いて色々ツッコんだ見方をしてしまったのは少し反省している。戦時中の日本だって褒められたもんじゃないんだから、色々映画に文句つけるだけじゃなくて、反省もしないといけないと思う。
だけど原爆なんて重いテーマ扱った甲斐がこの作品に本当にあったのかは正直疑問に思う。僕が重いテーマだって勝手に思ってるだけ?
邪推も邪推で監督さんとそのファンにすら失礼なこと思っちゃうんだけど、
一応確認なんだけど、「原爆なんて危ない題材扱える俺カッケー」とか思って作ったわけじゃないよね?かっちょ良くて美味しいテーマだからってだけでオッペンハイマー選んだわけじゃないよね?「こんな作品作っちゃったら世界どうなるんだろなぁ...」ってオッペンハイマインドを発動させたわけでは無いんだよね?
まぁ発動させてもいいんですけど、恨むなら大統領を恨むので。
もう原爆ほんま使わんといてくださいよ!!!頼みます!!!
捨てろ!!!
日本人として彼を許せるか。
映画『オッペンハイマー』、「原爆の父」と呼ばれた彼の半生を描いた作品。原爆投下後の彼の贖罪など聞きたくもない。広島長崎で、投下の年だけで20万人以上がなくなっている、たった一度の爆弾投下で。その事実だけでいい、そのことの結論と判断は自分でする。
科学者としての探究心が勝った。
そう、彼が原爆製造の「マンハッタン計画」に参加したこと。
さらに、その計画の中心人物であったこと。
映画を見てる限りでは、その実験の引き起こす悲劇より、科学者としての探究心が勝ったということ。
第二次世界大戦は、ほぼ連合国の勝利が見えた頃。
「マンハッタン計画」が、進行する。
各国の原爆製造が、最終段階をむかえ。
この一発で、戦況を変えられる。
戦後の世界地図の中で、有利な立場になれる。
その実験台になったのが、広島、長崎。
はたして、敗戦濃厚となった日本に、この攻撃は、本当に必要だったのか。
さらに、犠牲になるのは、非戦闘員。
この計画の推進者が、アメリカ大統領ルーズベルトであり、開発にあたったのが、オッペンハイマー。
オッペンハイマーの苦悩がにじみ出る。
そう、ハイマーの開発製造した原爆が、投下当日だけで、広島で7万人、長崎で4万人。
これだけの人が、一瞬のうちに命を奪われている。
さらに投下された1945年の年末までに、二十数万人が、この爆弾のためになくなっている。
自分が、作った爆弾のために。
贖罪の念にさいなまれるのは、当然の話。
だったら、最初から加わらなければ、先頭に立たなければ、いいではないか。
一瞬にこれだけの命、非戦闘員を奪っておいて、なにをいまさら。
彼が、爆弾投下後ルーズベルトと会談する場面が、秀逸だ。
贖罪の念と後悔を口にする、オッペンハイマーに対して。
彼が、大統領執務室を出たあと、執事に大統領が、吐き捨てるように言うセリフがいい「あんな泣き虫もう二度とここに呼ぶな」
まさに、男らしいセリフだ。
自らは、悪人と呼ばれようが、地獄に落ちようが構わない。
今の世界情勢の中で、ドイツの核開発、共産主義の台頭。
そう、スターリンなんていう名うての殺人者と渡り合わなければならない。
そんな男の覚悟が、読み取れた。
戦争早期集結に原爆は必要だったか?
確かに、1945年8月の二度の原爆投下。
その直後の御前会議で、日本はポツダム宣言を受け入れて全面降伏するのだから。
戦争の終結を早めたとも言える。
ただ、日本の降伏をはやくしないとという連合国、特にアメリカの思惑が大きかったはずだ。
戦後の世界地図の中で、リードを保つことを優先した結果だとも。
では、広島、長崎の犠牲者はどうなる。
納得しろと。
そんなわけがない。
むしろそんな攻撃をしたアメリカが、憎いはずだ。
となると、この映画をみて、とうていオッペンハイマーの贖罪などどうでもいい。
ただ、あなたの行動の結果を見て、私が判断するという気持ちになる。
戦争に正義などない、ただその検証は必要だ。
その点は、対共産主義、日本統治の観点から、占領軍による戦争責任の追求もあいまい。
日本自体も「一億総懺悔」で、なんとなく加害者から被害者にすり替わる国民。
大国の思惑から、戦犯の早期復権。
すべてが、曖昧のままだ。
では、戦後生まれの私達はどう考える。
結論などでない、ただ、事の起こった結果はわかっている。
その結果から、自分で判断するしかない。
戦争に正義などないのだ。
最も恐ろしいカウントダウン
原爆を開発したオッペンハイマーをFUSION(核分裂)、オッペンハイマーに恨みを持つ政府閣僚のストローズをFISSION(核融合)、この2つの視点で作品は描かれています。
時折、オッピーの頭の中の映像が映し出されますが、もしIMAXで観ていたら完全に彼の脳内に引き摺り込まれていたに違いない…。(通常のスクリーンでも十分持っていかれましたが)
トリニティのカウントダウンはあまりにも恐ろしくて満席と思われる場内が心底静まり返っていました。
この作品を担当された翻訳者さんは苦労されたと思います。情報量が多く専門的な内容だけでなく、原爆を生んだ人物を描くという事も含めて。
冒頭のスクリーンに映し出される言葉がある意味全てを物語っています。そして、最後に明かされるアインシュタインとの会話。
もう一度観に行こうか、考えています。
原爆映画ではない。1人の物理学者のおはなし。
アメリカという国が原爆をどう描くのか、半ばジャッジするくらいの気持ちでいたかもしれない。
しかし本編が始まってみれば、博士の葛藤こそあるものの、映画そのものは戦争や原爆の是非を問うものではなかった。
この映画は、天才的な頭脳と傲慢なプライドを持ち、誰よりも繊細な神経を持ったただ1人の物理学者のおはなしだった。
日本に落とされた原爆の是非よりも、それを作らざるを得なかった、落とさざるを得なかった、そして博士を追い詰めた、当時のアメリカという国がとてもリアルに描かれているように思う。
余談だが、この映画そのものはさすがの完成度であった。だからこそ尚更、アメリカ公開時に巻き起こったバカみたいなミームが最低最悪の下品なものだったと再認識してしまった。とても残念。
観た後にみんなに考えさせる作品、それだけで成功
映画館を出たとたんに忘れ去られる作品が多い中、
あれやこれやと考えを巡らせることになる、それだけで見た価値がある
複雑な時系列や多くの登場人物、時代背景をある程度知っていることが
前提など、たくさんの人が考えを巡らせるにはハードルが高いが...
予習要の傑作
予習無しではさっぱり分からなかった。町山さんの解説を入れて再度観たらほぼクリアになった。ノーランらしい複数時間軸の話でもあり、初見で予備知識無しでは無理だよ…
最低でも以下の点は理解しておくべき。そうじゃないと理解できない。
1) カラーはオッペンハイマーの観点、モノクロはストロースの観点であること
2) オッペンハイマーの観点は54年のセキュリティクリアランス(公職に就けるかの審査つまり赤狩り)の聴聞会を軸に回想形式で綴られること
3) ストロースの観点は59年の商務長官指名を受けた際の公聴会 (承認されるかどうか) を中心に描かれること
それを理解して観たらまぁすべての演出がピタリピタリと填まっていて、傑作であることがよく分かった。
研究者と言うよりは超優秀なPMのような力を発揮する天才が原爆を開発するまでと、その使用をコントロール出来ないことから罪悪感に苛まれる様子が描かれる。
広島長崎の被爆の様子を描かないことから批判されたりもしていたが、それでもこれは紛う事なき反戦映画です。
科学がどのようにして政治にせき立てられて暴走するかを、力を持ってしまった政治はどうしてもそれを使わなくてはいられないのだという様子を、残酷なくらい赤裸々に描いている。
科学者たちがそれぞれの想いに基づいて推進したり反対したり、反対に鞍替えしたり。それに比べてストロースたちのやることなすことの小さいこと…
科学者たちは、それが開発できるものならば開発せずにはいられないのだ、ってのもあらためて問い直さないとねというのがノーランの思いなのかな…
役者陣は最高。キリアン・マーフィは今まで観た中で一番の芝居だったし、ロバート・ダウニー・ジュニアもエミリー・ブラントも凄かった…
予習は必要だけど、観ておくべき作品と思います。
タイトルなし(ネタバレ)
時間の都合で標準で観ましたが、IMAXにすれば良かったと思っています
3つ(多分)の時間軸が入れ替わっていて少し難しかったですが、アカデミー賞作品賞を取ったこともありとても良い映画でした
完成度がありました
テネットより良かったです
やはり人間なのだなと思いました
(我は死神なり、と名乗っていても)
プロメテウスのくだりはハッとなりました
あの爆弾の使用について悩まない人はいないのではないでしょうか
ナチスとか赤狩りとか時代背景が、丹念に描かれています
トルーマンよりヒトラーの方が悪いと私は思っています
(誰かの救済になることを望みます)
個人的にはトルーマンがオッペンハイマーに泣き虫、と言った場面が一番良かった
あの場面だけでも観に行った価値がありました
ゲイリー・オールドマン(トルーマン役)の登場シーンは、あまり多くなかったですが存在感が抜群でした
狡猾な政治ショーに巻き込まれる場面もあり興味深かった
しかし、政治ショーも文書にして最後はオッペンハイマーも救済されます
こういうところがアメリカの強いところだと思います
ドイツから亡命したアインシュタインの言葉はどれも金科玉条のようでした
音楽も良かったです
足踏みも印象に残りました
公開が遅かったことだけが残念でした
背景はわかります
途中に日本を挑発するような場面があり躊躇したのだろう、と今なら思います
(個人的感想です)
日本には正しい国であってほしい
原爆の惨禍を乗り越え
平和な国であり続けてほしい
博士の探求と苦悩 彼は何故それが恐ろしいものと知りつつ作り出してしまったのか
何はともあれ安堵。やっと日本公開。
一時は日本では公開されないんじゃとまで…。クリストファー・ノーラン映画なのに!?
まあ、無理もない。題材が題材だから。
原爆を開発した実在の科学者、ロバート・オッペンハイマーの伝記。
唯一の被爆国である日本。まさしくこの人が開発したものがヒロシマ/ナガサキに落とされた。
日本人なら複雑な感情を持って当然。恐るべき兵器の開発者の伝記って…。
でも噂に聞くと、その栄光や功績を称える作品ではないらしい。
描かれるのは、原爆という恐ろしいものを開発してしまった苦悩。それが恐ろしいものであると分かりつつ、科学者としてその強大なエネルギーを探求せずにはいられない。
あくまでオッペンハイマー個のドラマに絞り、それ故ヒロシマ/ナガサキへの描写が無いなどですでに賛否両論。
日本人だからこそ言わずにはいられない事、思う事あっていいと思う。他のどの国よりかも。
ようやくそれを確かめる事が出来る時が来た。
でなくとも今年の超期待作の一本。
昨夏、アメリカや世界中で大ヒット。重厚な3時間の人間ドラマ(しかもR指定)なのにエンタメの『ミッション:インポッシブル』や『インディ・ジョーンズ』以上の! さらにアカデミー賞7部門という折り紙付き。祝!ノーラン、遂にオスカー監督に!
でも何より、そう、クリストファー・ノーラン映画だから!
ノーランの次回作として本作の企画を聞いた時から本当に楽しみにしていた。
待望の鑑賞。その感想は…
賛否は作品を巡ってだけではなく、その展開にも。
複雑。難しい。
確かに万人受けする作品ではない。
正直、序盤の愛人との関係や飛び交う小難しい専門用語の議論シーンには瞼が重くなり、頭パンクしそうになった。
が、オッペンハイマーの人物像を深く描くには包み隠す訳にはいかない。性格は尊大な点あり。天才は変人か高慢か。
天才や科学者たちが未知のエネルギーを開発しようとしているのだから、小難しい言葉が飛び交って当然。寧ろリアリティーを感じる。
話の主軸は戦後の原子力委員会によるオッペンハイマーへの厳しい聴聞会と戦時中のマンハッタン計画。
現在と過去が時間軸もバラバラに交錯。
映像もカラーとモノクロ。てっきり過去がカラーで現在がモノクロかと思ったら、オッペンハイマーの視点がカラー、敵対する事になるストロースの視点がモノクロ。
時間軸の交錯はノーランの常套手段。『TENET/テネット』に比べれば全然見れる。
マンハッタン計画が始動してからは引き込まれる。
人類史上初の核実験“トリニティ実験”のカウントダウンの緊迫感と言ったら…!
終盤はほぼ聴聞会シーンになるが、もう目が離せなくなった。
複雑ながらも重層的なノーランの演出、巧みな脚本。彼もまた現代映画人随一の天才。天才が天才を描いた時…。この見応え、インパクト、もうただただ脱帽。
ノーラン作品常連ながら主演は初。主演映画も勿論あったが、これほどの大作は初。ノーラン大作で堂々主演を任されたキリアン・マーフィ。ほぼ全編出ずっぱり、特殊メイクを施して若い頃から老年期まで、でも何より複雑な役所を見事に演じ切った。
オスカー受賞はこのコンビへの妥当で必然な評価と結果だ。
ヒーローオーラを一切消したロバート・ダウニーJr.の凝った演技も圧倒的。そう、彼は本来演技派なのだ。
エミリー・ブラントは終盤、夫を擁護する見せ場が。今回はオスカーを逃したが、いつか絶対獲るだろう。
マット・デイモン、フローレンス・ピュー、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー、お久し振りのジョシュ・ハートネット、“アインシュタイン”まで豪華アンサンブル。
何から何まで毎度毎度のハイクオリティー。本当に今、最も信頼出来る監督だ。
極力CGを使わない事で知られるノーラン。
今回も。あのトリニティ実験シーン。サポート的にCGは使用したらしいが、あの爆発もほとんど実写。撮影中のニュースや聞く所によると、映画史上最大量の火薬を用いて。
このシーンの迫力や衝撃が見たかった。
爆発には美すら感じた。静寂なのもそれを際立たせ、秀逸。
後から来る大爆音。
名手ホイテ・ヴァン・ホイテマによる映像、鳴り響くルドウィグ・ゴランソンの音楽、臨場感たっぷりの音響、リアリティーに拘った美術…。
絶対に劇場大スクリーンで! IMAXシアターがあるなら体感を!
人間とは不可解なものだ。
あのトリニティ実験の爆発を美しいと感じてしまう。
作り出してはならないエネルギーなのに、実験の成功をハラハラして願う自分がいた。
オッペンハイマーもそうだ。どうやらオッペンハイマーは、このエネルギーが戦争に利用される事を知っていた。開発リーダーながら危惧し、しかし開発の手を止める事はしなかった。
先述もしたが、それが恐ろしいものと分かりつつも、探求せずにはいられない。見届けたい。
軍や政府も。オッペンハイマーに原爆開発を依頼。成功し、戦争に勝利した時は英雄と称えるも、戦後その危険性が浸透してからは手のひら返し。厳しく追及し、スパイ容疑まで。聴聞会は名ばかりの裁判と罪人扱い。
強大な力を望み、歓喜したのはお前らではないのか…?
この単純に善とも悪とも言えない人間や行為の二面性。それこそが本作の肝と感じた。
さて、賛否の的になっている日本への描写。
確かに直接的な描写はない。が、幾度も言及されてはいる。
これをどう見るかで人それぞれ評価が分かれるだろう。
私個人の意見としては、先にも述べたが本作はあくまでオッペンハイマー個のドラマ。ヒロシマ/ナガサキへの原爆投下を直接見てはおらず、ラジオで知った。だから、これはこれで彼視線の妥当な描写だと思う。
その後、一切スルーという訳ではない。
激しく動揺。時には幻覚を見る。
実験や開発は成功した。それは誇りにさえ思っている。が…
私は世界を壊してしまったのか…?
その葛藤苦悩を重く、深く。
大統領との会談。苦悩する彼に大統領が言う。開発者の事など落とされた側は誰も知るものか。恨まれるのは落としたものだ。
オッペンハイマーのみならず、見てるこちらにもグサリと刺さった。
決して慰めの言葉ではない。ナヨナヨした態度への嫌み。
それがオッペンハイマーを苦しめる。
でも、本当にそうか…? 聴聞会に追及されるだけなのか…?
この罪は…? 後悔は…? のし掛かるものは…?
誰が裁いてくれるのか…?
それがまたオッペンハイマーを苦しめる。
それは何から感じているのか。
聴聞会やあらぬ嫌疑もあるだろうが、原爆を作り出してしまった後悔、日本への罪悪も特に負っていただろう。
感じない訳ない。でなければ悪魔だ。本作も作る意味ない。
人によっては納得いかないかもしれない。賛否も分かる。
が、彼も苦しみ、苦しみ、苦しみ続けた。
それが知れただけでも意義があった。
プロメテウスの引用。神から火を盗み、人に授けるも、その罰として苦しみを与えられた。
オッペンハイマーが現代のプロメテウスと言われる由縁。
彼も人類に全てを焼き尽くす炎を与えた代わりに、後悔と苦悩の業火に焼かれ続けた。
原爆を手にし、世界はどう変わったか…?
人はそれをどう扱うか…?
終わらぬ争い。続く兵器開発、核競争。
『ウルトラセブン』の名台詞。血を吐きながら走り続ける悲しいマラソン。
オスカー受賞後、山崎貴が日本はこの作品のアンサーを作らなければならない。
是非、作って欲しい。日本で作らなければならない。いや、日本が作らなければならないのだ。
世界を壊した。
人は愚かなままか…?
壊す力を持っているなら、それを正す事、壊れた世界を作り直す力も持っている筈だ。
今一度、人間を信じて。
人類滅亡に導く発明…被爆国の日本人はどう捉えたらよいのか?
アカデミー賞を総なめにした話題作、遅ればせながら鑑賞。
アメリカ人にとっては、核爆弾を発明し『原爆の父』と呼ばれる物理学者オッペンハイマーが、国家戦略へと巻き込まれていく数奇な運命を描いた史実物語として観るのだろう。しかし、世界唯一の被爆国の日本人にとっては、広島、長崎のあの惨状が殆ど触れられていない本作を、どう受け止めたらよいのか…。単純にエンターテイメント作品として楽しめる人は少ないのかもしれない。
しかも本来は、ドイツのナチスを倒すために発明された核爆弾が、ヒットラーの失脚、自殺によって、ドイツが衰退した結果、その矛先が日本へと変わったというのも初めて知り、改めて、日本にとっての悲運な史実であったことを理解した。
個人的に、鑑賞後に3つの見方があると感じた。
1つ目は、世界に先駆けて核爆弾を発明したアメリカが、星条旗の下で終戦の名の元に核爆弾を投下したことで、世界のリーダーとしての強い国のイメージを印象付けるもの。
2つ目には、核の恐ろしさを知らしめると共に、きな臭くなってきた現代の世界とこれからの世界に向けて、改めて、非核と反戦を訴えるもの。
3つ目には、太平洋戦争を終結に導いた核爆弾の発明者・物理学博士オッペンハイマーの栄光の陰にある、ヒューマンドラマとしての苦悩と葛藤、そして、サスペンス要素を組み込んだ国家的陰謀を描いたもの。
である。
物語は、核爆弾の投下を1945年8月を前後して、オッペンハイマーが、核爆弾の開発に至るまでの過程と、戦後には今後の水爆開発への警鐘を鳴らしたことで、ソ連のスパイ容疑者に仕立てられて、諮問機関に尋問される、2つのシーンから構成されている。前半部では、その2つのシーンが混在して描かれ、核物理学の専門用語も飛び交うために、凡人には、なかなか理解に追いつくのが難しかった。
しかし、いよいよ核実験が本格的に始まるシーンからは、それまでの布石もわかりやすく一つずつ回収し、見入ることができた。特に、トリニティー・サイトで7月16日に初の核実験が行われるまでの緊迫感や実験の衝撃的な威力の爆発シーンでは、怖さや不気味さに包まれる効果音、そして、放射能を感知するガイガーカウンターの様なノイズによって、気持ちが煽られる演出は見事だった。相変わらず3時間という長帳場のノーラン作品だが、最後まで入り込んで鑑賞できた。
出演者もなかなか豪華。主役のオッペンハイマーには、ノーラン作品では欠かせないキリアン・マーフィーが演じ、その妻にはエミリー・ブラント。他にもマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、ラミ・マレック、ケネス・ブライナー、ジョシュ・ハートネット等、主役級の俳優陣が脇を固めているの、見どころである。
最近ではウクライナとロシア、イスラエルにガザ地区、北朝鮮、中国…と世界中できな臭い状況が毎日のように報道されている。核保有国が、決して最後のボタンに手をかけない事を祈るばかりだ。
作者の考えが欲しかった
スクリーンを見ている最中、モノクロとカラーのシーンがあるのはなぜだろうとずっと思っていて、映画館を出た後にググって初めてその意図を理解した、浅い見方しかできない僕の意見なので、そのつもりで読んでいただきたいのですが……
第一印象を述べると、ちょっと客観的すぎるというか、「あ、核の是非みたいなことに踏み込まないんだ」と思いました。
で、この作品を高く評価している人たちが、その踏み込まなさを評価しているのが、僕にとっては衝撃的でした。
この題材で観客の感情を揺さぶらない描き方が正しいのかどうか甚だ疑問です。
少なくとも、日本人の僕には原爆のことを淡々と描くことなんてできません。感情的にならざるを得ません。
「オッペンハイマーという物理学者の人生を描くのが目的で、原爆の是非を問うているわけではない」
そう言われたら、そりゃまぁそうかもしれません。しかしあの爆弾によってたくさんの市民、子供たちを含めた罪のない人々が殺戮されたのです。それに命を奪われなかった人々も、多くの人たちが恐怖を植えつけられ、原爆病に苦しめられ、人生を狂わされた。その元凶を開発した罪は重いと思うのです。
確かに、ナチスに先に開発されるよりは良かったのかもしれません。原爆を使わなかったら日本は戦争をやめなかったのかもしれない。
でも、アメリカに戦後の覇権を取りたいという思惑があって、自分たちが原爆の開発に成功したことを世界に誇示したかった。だから少なくともウラン型とプルトニウム型を1つずつ、最低でも2発の原爆を使用しなければならない。そういう思惑があったのは、この映画の中でも描かれている通りです。
あ、僕は何も反核の作品を作らねばならないと言っているのではありません。別に核に賛成でも、「反核だけどあの時原爆を使ったのは正当なことだ」でも構いません。「この作品の制作者はどう考えているのか」という意見なり思いなりが必要だと思うのです。この題材を選んだからには。
原爆に深く関わる題材を選んでおいて、「かつてこういうことがありました」で済ませるのは無責任な気がしてならないのです。
非常に登場人物の多い中、3時間にわたる長編が、こんなにも観ていられる映画に仕上がっているのは、凄いことだと思います。いつかもうちょっとちゃんと分析してみたいと思いました。
人間の敵は欲望なのか?
「広島・長崎の惨状が描かれてない」と賛否両論あったそうだが、この映画は戦争や原爆の悲惨を描いた内容ではなく、国のプロパガンダや人間の欲の虚しさをオッペンハイマーと言う人物から描いた映画に思えました。確かに人間は向上心を持って生活を豊かにしてきた訳だが向上心が欲望に変わった時、それは全く異質なものとなる。最後に「前の様に研究者に戻るには国を捨てる事だ」「私はこの国が好きだから捨てられません」というやり取りがあったが、愛国心の強い人ほどプロパガンダに騙されやすい様に最近の国際情勢からも伺えます。また、大きい事を成し遂げる達成欲の為、倫理や哲学を見失う事もあるでしょう。その様な事をこの映画は伝えたかったのではないでしょうか。いずれにせよその様な事で何十万の命が亡くなってしまったという虚しさだけが残りました。
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