オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全957件中、361~380件目を表示
テーマがテーマだけに面白いとかって感想にはなりにくい作品。 前半は...
なぜ内外で高評価なのかさっぱりわからない
なぜ内外で高評価で受賞した作品なのか申し訳ないがさっぱりわからないです。★3以下の低評価のレビューはもう二度と書かないと決めていましたが・・・本作品については日本人としてどうしても一言言いたいです。クリストファー・ノーラン監督は確かにインセプションは抜群に面白かったが、本作品は楽しめる作品では到底ありませんでした(娯楽作品ではないのでしょうけれど)。そもそも登場人物がごちゃごちゃで、もちろん敢えてなのでしょうが、ボーア、アインシュタイン、エンリコ・フェルミなど有名人以外は誰が誰だかさっぱりわからなくなりました。異常に長い会話劇にも本当に辟易としました。
そもそも主人公のオッペンハイマーは本当に嫌な奴で、まったく感情移入はできません。恩師を青酸カリで毒殺しかけたり、インモラルな女性関係も含め、物理学では確かに優秀であっても基本的な人間としての倫理観に大きく欠けた人物であったことがよくわかりました。だから原爆製造ともはや降伏寸前の日本への投下という大罪を平気で犯したのでしょう。地獄に落ちるべき人物でしょうね。もちろんロスアラモスにいた他の連中も子々孫々に至るまで、自分たちが犯した呪われた所業に対する罪の意識に苛まれ続けるべきです。
フォン・ノイマンは53歳で死没、エンリコ・フェルミも53歳で死没、オッペンハイマー自身は62歳で死没と、割と短命なのは倫理観に欠けた大罪を犯した天才にはそれ相応の報いがあると信じたいです。
「われは死神なり、世界の破壊者なり」の古代インドの聖典からの引用のオッペンハイマーのセリフは有名で以前から知っていましたが、実際に映画にされると日本人としては、非常にむかつきます。貴様は神にでもなったつもりなのか?おこがましい!トルーマンに「自分の手が血塗られている気がします」と原爆を落としてから言い訳のように言うくらいなら、まずは日本に謝罪するのは筋だろう!と言いたいです。謝罪して許されるものでは当然ありませんが。
予習した方がいい!!
友人にそう言われて、さらっと予習して観たんですが、本当そうして良かった!!
じゃなかったら、ロバートダウニーJr.誰やねん!
が気になって話が入って来なかったかも…
面白かった!日本人として表現難しいところですが、観て良かったです!
集中力を切らせてくれない、鬼の展開の速さと
特徴的なBGM。実験のとことかめちゃドキドキしてしまう。知的好奇心には抗えない。どんな武器も人は使ってしまうようにできている…!!
賢い人達が出る映画ってだけでも面白いですよね。
観てるだけで、ちょっと頭良くなった気になるし。
昔、クローズZEROやってたときに同級生みんなサイド刈り上げてオラついてたけど、
オッペンハイマー観たら、物理勉強してたのかな。
どーでもいいけど、できる物理学者はみんな女好きなんですかね?博士と彼女のセオリー思い出しました。
ま、知的な人ってらセクシーよね。
話が重すぎて、どーでもいいとこしか語れません。
核の連鎖が世界を破壊し尽くさなくて良かったけど、ニアリーイコールなディストピアに僕達は生きているんでしょうか。
広島長崎のことはもう少し映して欲しかったかなと思いました。報告写真、目逸らすなよ、とも思いました。
人間の欲望と限界
研究者から破壊者、世界の憂い
ノーラン監督、ごめんなさい
白状すると公開2日目に一度通常スクリーンで観に行ったのだが、満腹感と寝不足、事前になんとなく耳にしていた複雑な構成に頭がついていけず、あんなに楽しみにしていたのに途中うつらうつらしてしまう始末。ものすごい敗北感と後悔で、2度目の鑑賞へ。今度はさらによい環境でということでDolby cinemaを選択。
結果として2度目であっても、事前情報を入れた上で観ても十二分に楽しめる作品だと認識。
説得力のないコメントだと言われておかしくないのだが、なぜこんなに面白いのに初回ドロップアウトしてしまったのかわからない。
ただ伝記映画であることを考えるとネタバレだのはそこまで意識しなくてもよくて、ある程度予習したほうが楽しめる作品なのではと思った。
日本の描かれ方については賛否両論あるのだろうけど、自分はこの作品でも原爆の恐ろしさを感じられると思う。
最後に必要なのは想像力だから。
なので直接的な表現がないから観るべきでない作品だとか言う意見には全く賛成できず、我々日本人を含め世界の人に観て欲しい。
あの熱狂した学生達のシーンからは、実験シーンと並ぶ怖さを感じる。
一言でまとめられないが複雑な心情を、主観と客観で描いていったのはすごかった。
感情の揺れを自然現象のカットを通すのもよくできてるなあと改めて思う。
IMAXではないが、大画面でよい音響で観るのは本当におすすめだという意見に同意。
映画館で観て欲しい。
最後にもう一度、1度目はついていけなくてごめんなさい。
オッペンハイマーの視点にて描かれた秀作。原爆の父の不完全で純粋な狂気。
映画で描かれた原爆の父は、
・原爆製造に画期的な発見・発明を個人的にしていない
・昔から女癖が悪い
・マンハッタン計画の進捗をひたすら管理した
だけの不完全な人であった。
原爆を完成させたいだけの科学者の純粋な好奇心。
たぶん死の灰がどれほどの後遺症を残すのかも全く検討していなかったのであろう。
その狂気を観客はオッペンハイマー視点で体験することになる稀有な作品なのだ。
登場人物が多いので事前に学習しておくとより楽しめます。
難しくし過ぎ?
久々の洋画
まずロバートダウニーjrとマットデイモンの老け具合にびっくりした。
若い時しか知らないのでww
これは事前に予習したほうがいいです。
ネタバレレビューも大いに参考になりました。
白黒とカラーの意味が分かりました。
何気に見に行ってたら確実に寝てます💤
良かった点は
怖さを音で表す手法は斬新だった。
ウンザリした点
スパイ容疑の件長い...結局スパイでもないし。だからストローズのジェラシーにイライラ😖
「我は死神なり、世界の破壊者なり」
あの時代ではなく違う時代に生まれてたら
一点の曇りもない科学者になってたのかなーと考えたりも...
被爆国に住む私達は冷静に見れない場面も確かにあるのでちょっと辛抱が必要。
面白かった
複雑だと聞いていたのでネットで登場人物の予習をしてから見た。おかげで、人間関係を見失う場面は少なくて済んだ。それでもあまりにも密度が濃すぎて、頭がついていけない箇所がいくつもあり、もう一度見るか解説読むか、、となった。そうした複雑さや情報の過剰さも含めたエンタメとして、高いレベルの演出テンションを保ったまま最後まで突っ走る充実した3時間だった。
モノクロ部は、最初はこの部分いるの?と思ったが、見終えると、主人公を捉えるもう一つの側面として必須だったと分かった。ダウニーJRの小物感溢れる佇まいは見事だった。
人物評伝ものは、つい一歩引いて見てしまうことが多いが、ネタが原爆なだけに読後感は超重量級だった。日本人にとっても特別なテーマで、敢えての間接描写が続く一連のシーンは動悸が止まらなかった。変な横槍を跳ね除けて、公開されたのは本当に良かった。
人類がまだ存続しているのはただの偶然か
予習してから見たほうが◯
■映画を見る側の問題
星3つの評価だが、これは映画を見る側の問題と思う。後半の赤狩りのシーンで証言者が次々現れるが私は白人男性科学者の見分けがつかず、赤狩りの知識も少なく理解できなかったから。
先にウィキペディアでも読んでおくべきだった。昔の仕事仲間が裏切ったかというシーンで「この人…誰?」と思ってしまったのは惜しすぎた。
■果てのない兵器への絶望
主人公とアインシュタインとの会話、水爆への反対意見は静謐な美しい映像も相まって印象深く、鑑賞後も何度も思い出すものだった。
■マンハッタン計画
本などで、「オッペンハイマーは科学者としてだけでなく、プロジェクトのリーダーとしても有能だった」という話を読んでおり、映画内でその仕事のやり方を見れたのは面白かった。
街を作り、そこに関連研究施設を集合させ、家族と暮らせるように住宅を作る。また数学と実験物理と理論物理が連携していく様など、ああこうやるんだと分かり興味深かった。
■なぜ捨て駒になったか
主人公は自分の妻・弟が共産主義寄りのため自分もそう判断されるとマンハッタン計画当初から分かっている。自分がこの計画に選ばれたのは国がいつでも切り捨てられる人物だからと言う。
しかし相手が国家で造っているのが兵器であることを考えると、ずいぶん危険なように思える。何でそんな仕事を受けたのか、私は不思議に思った。
(私が理解できなかったシーンで説明していたのかな…)
オッペンハイマーは現在の黙示録か
先週は出張で見そびれた3時間の大作「オッペンハイマー」を鑑賞しました。
※後「デューン砂の惑星part2(これも3時間)」を立て続けに見てちょっと疲れてしもた(笑)
オッペンハイマーは「インターステラー」「TENET テネット」などの超難解作品を送り出してきたクリスㇳファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発者、オッペンハイマーを題材にした映画です。
※以下ネタバレあり。
クリストファー・ノーラン監督の作品を観る時はそれなりに覚悟して来たのですが今回はいつもよりよっぽどわかり易くて
①オッペンハイマーが物理学者の仲間を集めて原子爆弾を開発するプロジェクトX的な話。
②戦後オッペンハイマーがいわれの無いソ連のスパイ嫌疑をかけられて社会的に葬られる話
③さらに時が経ちオッペンハイマーの嫌疑が晴れていくプロセスと映画の冒頭でオッペンハイマーとアインシュタインが交わした会話が開かされオッペンハイマーが①の成功から②受難③復活の意義が明らかになると言うストーリーです。
とは言え、①②③はランダムに展開されて解りにくくこの辺はクリストファー・ノーラン監督らしいのですが。
オッペンハイマーは①において開発した原子爆弾が広島、長崎で実際に使われるに至り激しく苛責の念に捕らわれ②のプロセスでもむしろ本人は嫌疑に積極的に戦うとせず「殉教者気取りか!」等と責められるのですが、元々オッペンハイマーが大量殺人兵器を開発した罪で裁かれるならまだしもスパイ疑惑なので、赤狩りの事を知っているアメリカ人にはともかく、私にはすごく違和感があり③で種明かしをしてもらっても何だかなぁ~と言うモヤモヤが残りました。
一方でそのモヤモヤ感と同様に何だかこのストーリーとよく似た話を知ってるぞと思ったところ、
気が付きました。
※以下は超個人の見解です。
これは新約聖書のイエス・キリストの生涯を表した黙示録に似ていると思ったのです。
めちゃめちゃ異教徒の解釈で恐縮ですが、すなわち①はイエスが仲間を集めて布教を行った流れと②イエスが捕まり殉教する③イエスが復活し①〜③が人を赦すためのプロセスだったと明らかにする一連の話しが映画のストーリーと似ているのです。
そう思えば冒頭のオッペンハイマーとアインシュタインの会話はイエスと預言者ヨハネの出合いになぞる事が出来るしユダやマグダラのマリアをイメージ出来る人物も登場します。
クリストファー・ノーラン監督が黙示録を意識したかどうかはわかりませんが①から③の流れは割とキリスト教徒である欧米人に体内化されたストーリーなのでは無いでしょうか。
そう思えばこの映画が今年のアカデミー賞を多数受賞した事も頷けます。
最後になりますが今回、「ゴジラ −1.0」がアカデミー賞を取ったのは喜ばしい事ですが、アカデミーはこの映画をオッペンハイマーに対する一つのアンサーとして選んだのでは無いかと言う気もします。外国映画賞がナチスのユダヤ人虐殺をテーマにした「関心領域」であったことを考え合わせると今年のアカデミーにおける一つの見識が働いたと言うのは考えすぎか。
天才科学者と凡人政治屋の確執を描いた物語
原爆の父・オッペンハイマーを題材とした作品。昨年7月の全米公開からどのように描かれているのか、観客はどんな反応だったのか、日本人として非常に興味を持って見ていました。全米公開からずいぶんと日が経ちましたが、アカデミー賞7部門受賞とも相まって期待が膨らみ、公開後すぐに映画館で鑑賞しました。
鑑賞前に改めてロバート・オッペンハイマーとルイス・ストロースについて予習してから劇場に向かったのですが、この映画は3つの時系列を何度も行き来し、登場人物も数十名にものぼり複雑なため、これから鑑賞される方もぜひ予習してからの鑑賞をお勧めします。
この映画の大筋は2本立てで、ひとつはオッペンハイマーが理論物理学を学び、マンハッタン計画に参画して原爆開発に成功するまでの軌跡。もうひとつはオッペンハイマーがストロースの陰謀にはまり、ロシアのスパイ容疑をかけられ、公聴会で処分が下るまでの過程で、物語の中核は後者となっています。
オッペンハイマーはハーバード、ケンブリッジなど世界の名だたる名門校で理論物理学を学び、この分野の研究をリードする存在でした。第2次世界大戦が勃発すると原爆開発を目指すマンハッタン計画が立ち上がり、オッペンハイマーはその才を見出され、原爆開発を主導する研究所の所長に任命され、世界初の原爆開発に成功します。
そんな彼を突き動かす原動力は、純粋な理論物理学に対する探求心と、原爆という悪魔的な大量破壊兵器を保持することによる戦争抑止への期待でした。
しかし、彼の想いとは裏腹に、政治家はこの大量破壊兵器をなんの躊躇もなく2度、日本に投下し、民衆はそれを熱狂的に支持します。
原爆は当初ドイツに投下予定でしたが、ナチスの降伏により標的が日本に切り替えられます。日本も実質的にはすでに死に体であり、降伏は時間の問題と考えられていましたが、『原爆を落とさなければ日本は降伏しない』という、政治的思惑も絡んだ原爆投下ありきの主張により反対意見は退けられ、原爆投下は強行されます。
オッペンハイマーが親友ラービをマンハッタン計画に誘った際、ラービが『爆弾に正義も不正義もなく、無差別に落とされる。300年の物理学の成果を大量破壊兵器に利用されたくない』と言って誘いを断る場面があるのですが、ラービは初めからこうした事態になることを理解していたのでしょう。
原爆投下後、オッペンハイマーはその現実に恐れを抱き、罪悪感に苛まれます。『我は死神なり、世界の破壊者なり』『私は自分の手が血塗られているように感じます』といった台詞に彼の苦悩を垣間見ることができます。
そして、アメリカはその後も水爆開発というさらなる軍拡の道へと突き進んでいきます。残念ながら原爆投下により失われた22万人の命に対する罪悪感を感じた政治家は皆無で、米国民も原爆投下を熱狂的に支持するという、日本人として悲しいというか、憤りというか、なんとも言いようのない感覚を覚えました(一部の科学者のみ罪悪感を感じていたようですが)。
そして、オッペンハイマーはこうした現実を目の当たりにし、更なる軍拡競争や水爆開発に対して反対の立場をとるようになります。核兵器についても国連で共同管理すべきだと進言しましたが、政治家はこれらの主張に強く反発し、以降、彼を邪険に扱うようになります。
そのなかで特に激しい確執に発展したのがもうひとりの主人公ストロースでした。
ストロースは靴の行商人としてその人生をスタートさせ、投資銀行家として財を成し、大成功を収めます。彼は上昇志向と野心の塊で根回しがうまく、あらゆる陰謀を画策するのが得意な根っからの政治屋でした。
当初ストロースはオッペンハイマーを利用して原爆開発を自らの手柄とし、政治家としてさらなる評価を得ようと思い描いていましたが、水爆開発など両者の価値観に多くの隔たりが生まれ、確執が決定的となるとオッペンハイマーを失脚させようと画策します。
ストロースは戦後のアカ狩り(共産党支持者を探し出し追放する活動)に目を付け、オッペンハイマーがソ連と関係を持ち、核兵器に関する機密情報をソ連に漏らしたという話をでっちあげて陥れようとします。
実際、オッペンハイマーの身近には弟や元恋人なども含め、共産党員が数多くいて、彼自身も学生時代に共産党系の集会に参加したことがありました。しかし、彼自身は共産党員でもなければ、思想に傾倒していたわけでもありません。もちろん、機密情報など漏らしていません。しかし、結果的にこうした交友関係が仇となり、政治的に対立するストロールに付け入る隙を与えることになります。
公聴会ではほぼストロースの思い描いたシナリオ通りに話が進んでいたものの、一部ストロースに丸め込まれず、真実を証言した人間のおかげでオッペンハイマーは土壇場で無実が証明され、最悪の処分を免れます。一方、ストロースは公聴会における偽証が明るみとなり、世間に恥を晒して出世の道が目前で閉ざされることになります。
凡人ストロースが天才オッペンハイマーに対して強烈な嫉妬心と敵愾心を抱き、得意の権謀術数を駆使してなんとか引きずり降ろそうと必死になる一方、オッペンハイマーはストロースのことを(心中では見下し)あまり意に介してもいない様子で、それがまたストロースの癪に障るという、世の中でもまあまあ良く見る構図が描かれています。また、こうしたふたりの対比を描くことでオッペンハイマーの人物像をより際立たせようとしたのかもしれません。
しかし、それなりに成功した人生を歩んでいたストロースがなぜこれほどオッペンハイマーに嫉妬心を抱くのか、執拗に敵意をむき出しにするのか、個人的にはそれがちょっと解せない部分でもあります。『卑しい靴のセールスマン』と言われてプライドが傷ついたのでしょうか。笑
全日本人が観るべき
この映画の内容を知らずに観たのですが
たまたま偶然、数日前に広島の平和資料館を観に行ったばかりというタイムリーなタイミングでした
こっちの世界で何が起きていて
あっちの世界では何が起きているのか
それはお互い実際には見ても聞いてもいないわけで
ちょっとした日常の口げんかと同じことだと思うのです
日本の描写が無かったことはどうでもいいことで
あちらで何が起きていたのかを中心に描写するのであればあえて必要なかったことなんだろうと思います
何でもそうですが
新しいものを発明や発見した科学者は尊敬に値すると思いますし、作った人は賞賛されるべき
それをどう使うかは、全くもって別の問題です
どう感じるかは観た人それぞれで結構だと思いますが
とりあえず
日本人全員観た方がいいんじゃないかと思います
今一度、風立ちぬを見直したい
日本人としては辛い描写も…
背景や登場人物など
全く未予習で鑑賞したため、
勉強不足で前半は頭が付いていけず。
トリニティ実験のシーンあたりで
やっと内容が掴めてきたが、
実験のカウントダウンは恐怖すら覚えた。
また被爆国に住む者としては
実験が成功し歓喜する人々には
科学者目線といえど
嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
映画の中でたんたんと交わされる
『Hiroshima』『Nagasaki』の
ワードを聞くのが辛かったが、
核戦争の危機が迫っている今こそ
観るべき作品だとは感じた。
作中の音が印象的で
沈黙の時間とその後の爆音に圧倒。
IMAXで観て正解だった。
出てくる登場人物が
なかなか癖のあるキャラクターが多く
あまり共感できる人物はいないかったが、
ラストシーンのアインシュタインのセリフが良かったことと、
フローレンスピュー演じる
ジーンの声がセクシーで美しかった。
プロメテウスの火
日本人としては複雑だ。
後半になりHIROSHIMAだNAGASAKIだと英語で発音されるソレらがまるで記号のように聞こえてくる。
アメリカ近代史に明るければ、より深くこの物語を理解できるのかと思われる。そうではない俺には前半の助走がしんどかった。
見終わった今思うと、アレは必要なのだと思える。物理学に心酔し、宇宙の理までも追求できる探究心があるのは賞賛されるべき事だ。
科学の発展に尽力し続けた若者達。国の威信がかかってるわけではないけれど、他国が一歩進めばその先をと対抗心に火がつくのも当然だ。
長い長い時間をかけて「原爆」に辿り着く。
「300年の物理学の辿り着く先が大量殺戮兵器でいいのか?」
…今までの成功を根絶やしにしてもお釣りがくるくらいの台詞である。
当時のオッペンハイマーは、どんな気持ちでこの言葉に向き合うのだろうか?
なんでもそうだけど、ある物は使うよ。
そして、アメリカが開発しなくてもどこかは開発するだろう。
2発の原爆を運び出す車が破滅に向かっていくようで恐ろしかった。
後戻りなんて、とうに出来ないのだ。
現在、世界各国は地球を破壊できる程の核を保有していると聞く。そんなの当時は誰も想像しないだろう。戦争のやり方が明確に変わった分岐点だと思う。
そこから更に発展し、今や大量殺戮兵器は無限に増殖し変異する細菌兵器へと向かってる。
誰かを刺した刃は常に自分にも向けられているのだと、いつになったら気づくのだろう?
気づいた所でやめんわな。
だから人間は愚かなのだから。
ロスアラモスが作られる辺りから妙な焦燥感に襲われる。胸の奥がザラザラする。やめてほしい、引き止めたい。でも、何もできない。
頭脳明晰な若者達が集い、嬉々として世界を破滅に導く兵器の開発に勤しむのだ。
不穏なBGMがずっと鳴ってる。いい仕事しやがる。
軍部からの開発依頼なのは明確で、兵器を作ってる自覚はある。スローガンのように語られるのが「戦争を終わらす為に兵器を作る」だ。
他国を完膚なきまでに叩きのめす。反抗する気が起こらないように徹底的に。
それがアメリカが目指す勝利の形らしい。
白人至上主義にでも裏付けされてんのか?敵は単純に敵であり、それ以外の何者でもないのだろう。
初の原爆実験の描写は戦慄だった。
閃光と共にホワイトアウト、上空何百mにも及ぶ火柱。プロメテウスの火を人類が手にした瞬間だった。
このシーンに至るまでに、オッペンハイマーの葛藤も描かれはするのだけれど、捏造かもしれないので触れないでおく。ただソレを表現するキリアン・マーフィーは素晴らしかった。
8月6日を境に物語は戦後に様変わりする。
オッペンハイマーが糾弾され、策略にハマって同情を誘うような描き方が続く。
ストローズが黒幕でありなんて話にもなるんだけれど、オッペンハイマー第二章かと思う程テーマが違う。
ああ、やっぱ英雄視はしたいんだろうなぁって思う。アメリカを戦勝国にした最大の功労者だもんな。例え世界を道連れに地獄へ引き摺り込んだとしても。
奥様の一言が強烈だった。
「許された気にでもなってるの?どうせ世界は許しちゃくれないわよ。」
上手い台詞だなぁと思う。
そこまでズバッと刺されちゃえば、それ以上言えんもんなぁ。
資本主義の犠牲者的な側面はあるものの、殺戮兵器の生みの親である事は変わらない。
彼らが未来に及ぼした影響は計り知れない。
科学の発展は人類の滅亡へ直結する。
ネットもそうだし、AIもそうなっていくのだろう。戦争は無くならないし、地球の自浄作業だなんて言う輩もいる。
命が死というものに向かう運命があるように、人類にも死という運命があるのだろうなぁ。
いつかはわかんないけど。
1つ思ったのはアインシュタインってあんな身近な時代の人だったんだな。
もっと昔の人だと思ってた。
あの時代、科学の発展って加速的に進んだんだなと思う。自分の学の無さに呆れてしまう…w
コレって作品のレビューになってんのかな?
全編通して不穏なBGMが印象的だった。
◾️追記
ああ、そうだ。
皆様のレビューを読みつつ去来した感情があった。
やるせなさ、だ。
時間は戻らないし、核は誕生してしまった。
人類が人類を破滅に追いやる道具を手にしてしまったのだ。
核の無効化や無害化に科学者達が到達するなら、オッペンハイマーが許されたと思える日も来るのかもしれない。
タイトルなし(ネタバレ)
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハイマー博士(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの渦の中、コミュニストの嫌疑をかけられ、委員から除名されようとしていた。
彼は、原爆開発後、広島・長崎の惨状から戦後は原水爆禁止・不使用の立場に翻っていた。
一方、原子力委員会に君臨していたストロース(ロバート・ダウニーJr)も公聴会に挑んでおり、それは政府閣僚・商務長官指名を狙ってのものだった。
ふたりの確執は原子力委員会設置時から始まっており、推進派のストロースにとって、反対派のオッペンハイマーは宿敵ともいえる存在だった・・・
というところからはじまる物語で、あれれ、原爆開発の「マンハッタン計画」が主軸ではないのね?というのが観始めてすぐの思い。
で、ストロースの公聴会、オッペンハイマーの諮問会とふたつのことなる裁判にも似た会議が現在時間軸で、それぞれの回想(というかなんというか)の形式で過去の出来事が綴られていきます。
うーむ、なんやねん。
別に時間軸に沿って順に描けばいいじゃないか、と思うわけですが、それをやると倍ぐらい時間がかかるので、「さわり(見どころ)」だけで綴ったのではないか思うようなつくり。
前半30分ぐらいまでに、オッペンハイマーがアカとみなされる要素を出してくる脚色は相当上手い。
けれども、それは、(わたしが期待した)映画の語りとは異なっていた。
前半に提示される要素が、最終的にオッペンハイマーのアカ/非アカを決定づける要素となっておらず、そういう意味では伏線になっていない。
なので、時間軸どおりでいいんじゃないかと思うわけで、そう思うのにはもう一つ理由があって、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」主導時と戦後における変転は、やはり時間軸に沿って描き、「おお、そりゃ心変わりするよね」と納得させる演出が欲しかった。
あえて原爆投下後の広島・長崎の画を撮らず、露出過多で悪夢を描く演出は評価できるが、その演出も今回の語り口では、鬼面人を驚かすの域を出ていないように感じました。
さらに戦後政治に飲み込まれていくオッペンハイマーの対立軸のストロースがあまりに生臭く(つまり演技的には素晴らしい)、彼の政治的野心との対立みないな感じがするのもマイナス要素。
ということで、個人的には「ところで、オッペンハイマーってどんな人物よ?」と思ってしまい、意欲空回り的な映画かなぁとも思った次第。
のべつ流れる劇伴、うっとおしいなぁと思ったら、最終実験の際の無音演出、その後のオッペンハイマーのトラウマ演出への伏線だったのね。
この点は、おおおお、と思いました。
全957件中、361~380件目を表示