オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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日本人ゆえの踏み絵感
時系列は入り組んでますが、ノーラン監督作の中ではかなり分かりやすい部類に入るかと。
3時間、緊張感が持続し続ける構成はさすがの手腕。
同じく3時間あった、マーティン・スコセッシ監督のキラーズ・オブ・ザ・フラワームーン同様、登場人物の多さに対して各人物の説明がやや弱く、メインの3〜4人以外は関係性が把握しづらいのが難か。
主題といえる原爆に関しては、日本人としての知識や倫理観が、理解を深める材料にも、理解を妨げる壁にも感じられました。
世界唯一の被爆国として、原爆の悲惨さを訴えることは本当に大事であるけれども、そんな意識が逆に開かれた議論を妨げてはいないか、とは常々感じておりまして、そんな二律背反な意識を本作は激しく揺さぶってきました。
いやはや…重い作品でした。
作った学者と使った政治家
アカデミー賞を獲った情報以外は入れずに鑑賞
原爆を作った人というのは知っていたが、
核爆弾の使用をアメリカ側から描いただけと予想していました
作った側の苦悩は本人しかわからないが相当なものだったはず
学者としては天才でも、世渡りの才能は皆無
最初は観ないつもりでしたが、観て良かった
冒頭で明らか、ダメ男オッピー物語
開始早々、女性と深い中になるあの安易なくだりでピンときた。
こやつ、仕事しかできないダメ男だな、と。
その後のカラーパートでの聴聞シーンでも映像そのもの、包み隠さず公の面前で不倫を明かし、妻を傷つけながらもお互いの関係を信じて証言に現れる、と言ってのけるあたりなど、
アタマ良すぎるタイプに散見される、人としてアタマ、ワル、な展開に呆れてモノも言えかった。
そこは濁すか、否定するか、証言には来なくていいとむしろおもんばかるのが優しさでは。人の心がなさすぎて寒気すら覚えている。
高度な抽象を綿密と扱い、その中で正確さをつきつめる。
情緒を排した作業の日々に、消え失せたのはそうした優しさのみならず恐れもまたで、
恐れを知らないとは無謀であり、無謀こそ真に賢明な者なら徹底して回避する成り行きだろう。
あくなき探求心、研究の成果なのか、功名のためか、祖国への忠誠か。
いずれにせよ越えてはいけないそれが一線である、と芯から恐れを感じ取れなかった、
仕事に忠実なだけだった、感情薄い主人公の愚かさが徹頭徹尾、愚かしくも悲しみを誘い、そうじゃないでしょ、と言って聞かせたい腹立たしさを誘った。
最後、そりゃあ、後悔しても遅いし、ハメられても文句は言えないな、と。
またちょうど鑑賞前日、「アインシュタインが娘にあてた手紙」というものの存在を知った。どうやら都市伝説のようなものらしいが内容は興味深く、「愛もエネルギーなら科学の範疇」と唱える「インターステラー」の元ネタではと気づき、本作は真逆と「科学が愛を失った成れの果て」を描いているのではと感じている。本編、日本の立ち位置はその一部に含まれている、程度で、原爆の功罪というよりも、主題はもう一回り大きい気がしている。
三時間が短かくてびっくり。
バストアップの多用される単調な画面を、煽り過ぎず、引っ込み過ぎず、音楽がちょうどいい具合に飾っていてこれまたよかった。
被爆の映像を挟むことはむしろ、それだけで見る人の思考を止めるだろうから、いらないと私は思う。
作った人は悪くない、使った人が悪い
原爆の父と呼ばれた、物理学者オッペンハイマー
彼の原爆開発成功に至るまでの姿、
そして原爆の脅威を知った後の彼自身による軍拡反対、水爆開発反対の意見、
それに対する周囲の渦巻く欲望・・・
アメリカの原爆はドイツを攻撃するために開発されたが、
ヒトラーの死後、ドイツは降伏、そして負けを認めない日本に対し、
原爆を投下することに・・・
この映画では時系列がシャッフルされ、カラーになったり白黒になったり、
また、登場人物も各自系列の中で多く出てくるため、観ながら混乱してしまいました。
ただ、さすがに原爆の完成が近づき、さらには日本への投下の話があがり、
8月6日とか、広島、長崎という単語が出てくると
胸に苦しいものが・・・
作った人が悪いのではなく、使った人が悪い
いつの時代も新たなものが生み出されると、こういった論議が行われるが・・・
映画冒頭、アインシュタインとの会話はなんだったのか、
それがエンディングでわかり、心に響いた
3時間、あっという間でした
ノーランが描く映画のキュビズムな手法
私は一応理系で科学史なども大好きな人間なので、おまけにノーラン映画の大ファンなので待望の映画でした。最初は次から次へと出てくる「現代物理学の巨人たち」にニヤニヤと。ただそんな私でさえ、「がっつり専門用語入れてくるなぁ」と、そこはぬかりのないノーラン監督。一緒にこのスクリーンを鑑賞している人の中で、今のセリフ、果たして何人意味わかっただろう、なんて無駄な同情することもしばしば。
で、着目したいのは今回のノーラン節なのですが、いつもの定番は案外軽めかと。時系列シャッフルは3つくらいですし、相変わらず伏線だらけですが、まあ解り易い方かな。ただ今回の監督の目論見は、ズバリ「映画のキュビズムな手法」ではないでしょうか(某有名画家の絵も解り易く入れてたしね)。オッペンハイマー博士だって人の子です。そりゃスケベでもあれば名誉欲もあり、主義主張を論じれば純粋な探求心もあり。こういった多角的な側面を我々に見せることで、ある一面だけでは人物は語ることのできない、複雑な人物像。原爆の是非ひとつとっても博士の心情は超難解、情報多すぎ、単純には評価できない、だからこそよりリアルに感じられる。なるほど、こう来たか。
主人公とと脇役の関係をこの映画らしく「核融合と核分裂」になぞって魅せるのも面白かったです。時代が変われば、当然関係性も変わっていく。昨日の友は今日の敵。これも人間のリアリティですよね。
後半はもう一人の主役ともいうべきストローズの話になるのですが、ダウニーJr.はさすがアカデミー賞の演技ではあるものの、ちょっと長いかなーと思いました。オッペンハイマー博士の名誉回復の意図もあったのかもしれませんが、アメリカ人好きな裁判もので名優の演技という保険かけてる気がして、そこが個人的に満点でない理由ですかね。赤狩りとか、日本人にはやっぱり印象が薄いのは仕方ないですしね。友情や夫婦愛もぬかりなく入れる、さりげなくはしてるけど、気が付くとそこもちょっとあざといかな。
最後に話題になった原爆投下の扱いですが、正直内容が薄くて無視に近いレベル。公開を見送るほどのものじゃなかったかな。あとフェルミの扱い少ないぞ、ノイマン名前さえ出ないぞ、結局あの方が最後持っていくんかーい、が個人的なツッコミポイント。総じて秀作でした。
天才なのかもしれないが…
人間としての魅力はない。科学者というより政治屋として描かれ非難されているが
最終的には評価されるもそれは虚無だった。この映画で描かれる連中はまともじゃないってこと(笑)はっきり言って原爆は添え物だったよ
天才物理学者も女と国家には振り回される
天才物理学者オッペンハイマー博士の伝記映画です。ケンブリッジ大学への留学以降の半生を描いています。
映画の冒頭、留学先で実験の失敗を叱責された彼は指導教官を毒殺しようとします。「当時俺はホームシックでちょっとおかしくなっててさ…」と後にサラリと振り返りますが、なんとも奇妙なエピソードです。「倫理観の破綻した天才」という印象を持ちました。
常人には見えない天才ならではのビジョンを、映画は幻視的なシーンを重ねることで表現します。原子の世界を花火で。原爆の被害を白い光と風と女性の皮膚の剥離で。何度か繰り返されますが、映像表現には新鮮味を感じません。
天才科学者の彼は、何一つ自分でコントロールすることができないように見えます。男女関係しかり、兄弟関係しかり、水爆開発をめぐる権力闘争しかり。そんな彼のセックスは女性上位です。彼は巻き込まれ型の人物であり、「NO CHOICE」と呟きながらどんどん原爆作製計画に巻き込まれて行きます。
彼はアインシュタイン先輩を「もう終わった人」と軽視するような傲慢さを持っていますが、一方彼自身も次世代「水爆の父」テラー博士から考えが古いと突き上げを喰らいます。
やっと自分が活躍できる場を与えられた彼は、ロスアラモス国立研究所の建設と原爆実験を成功に導きます。ストリングスのBGMが緊迫感をあおりますが、「三位一体」実験が成功するのは周知の事実であり、スリルはありません。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。彼らは自分たちの仕事がもたらした大惨事に、その後どのように向き合ったのでしょうか。科学者たちの苦悩を描くNHKテレビ「フランケンシュタインの誘惑」の方が見応えあるかも知れません。
オッペンハイマー、ラビ、テラー、アインシュタイン、ボーアと多くのユダヤ人の天才科学者が本作のメインキャストです。ナチスの迫害に対し彼らは知性と創造力で対抗し、その成果物は日本人に向けて使用されることになります。
陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。「科学者は想像力で理解できるが一般人には見せてやるまで理解できない」「神の力の啓示を与える」と原爆使用に前向きな発言をしています。原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。その反面、水爆開発に後ろ向きな彼はもう「用済み」扱いを受けます。天才科学者といえども、国にとってはただの「駒」でしかない無情な現実が突きつけられます。
いつも自分の意志を明確にしないまま状況に流されているように見えてしまうオッペンハイマー。そんな彼と対象的なのが、一人は妻キティ。窮地に落ちた彼を励まし、「戦え!敵と握手をするな!」と叱りつけます。妻を主役にして妻の視点から描いていたら、もっと見ごたえのあるドラマになっていたのかも知れません。もう一人は原子力委員会委員長のストローズ。世間知らずでウブなオッペンハイマーと、叩き上げの老獪で野心的政治家、キャラクターの対比が鮮やかです。共通点はふたりともユダヤ人であること。ストローズはオッペンハイマーにメンツを潰されたことを根に持ち、彼の影響力を削ぐためにスパイ容疑で罠にはめます。さらにストローズはJFKとの間にも禍根を残します。もしかしたら後のJFKの暗殺に絡んでいたのではないかと勘ぐってしまうような含みをもたせたシーンでした。史実かどうかは分かりませんが。
証拠がないのにスパイだと告発されたオッペンハイマー。密室での聴聞会のシーンが延々と挿入されます。「自分はスパイではない」と証明することは悪魔の証明であり、当然明確な結論は出せません。国に対する忠誠心を証明しろ!というの無理な話です。日本人という外の敵、共産主義者という内なる敵に容赦しないアメリカが描かれます。聴聞会でスーツ姿の男達とオッペンハイマーの妻が見守る中、突然素っ裸で演技をさせられる異様なシーンが挟まれます。プライバシーを暴かれる羞恥心と罪悪感を映画的に表現したシーンですが、そのあざといシーンのせいでR指定になり子供らが観られないのは残念なことです。
彼の政治的な思想信条はどうだったのか。共産主義へのシンパシーはあったのか。ユダヤ教による宗教的背景はどうなのか。ユダヤ人としての苦悩があるのかないのか。どんな両親のもとにどんな環境で育ったのか。幼少時の特異な体験はないのか。兄弟の関係性はどうなのか。内面にどのような葛藤を抱えていたのか。科学者としての虚栄心はどうだったのか。多数の人命を奪うことになった罪悪感はどうだったのか。生命倫理観はどうなっているのか。なぜ東宝は公開を見送ったのか。本作を観てもよくわからないままでした。ただうつろな表情と「われは死神なり。世界の破壊者なり」というクリシュナの引用による抽象的な言葉があるだけ。あるいは幻視的な特殊効果のシーンが挿入されるだけ。オッペンハイマーという人物に焦点をあてながら結局彼がどんな人なのかよくわからない、不思議な映画です。原爆あるいはオッペンハイマーという人物はそもそもたかが3時間の映画で語れるほど小さな事象ではないということかも知れませし、オッペンハイマーは題材であり主役はクリストファー・ノーランなのかも知れません。
映画の中で彼がもっとも苦悩するシーンは元カノの自殺を知った場面です。本来彼には見えないはずの浴槽での自殺シーンが描写され、彼は気が違ったように嘆き悲しみます。本作中でクールな彼が感情を露わにする唯一のシーンでした。遠くの何万人という異教徒たちのむごたらしい死よりも、身近な一人の女の死の方が彼を苦しめたようです。
【彼の生涯】
1904 ニューヨーク生まれ
1925 21歳 ハーバード大学を首席卒業
1936 32歳 カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学教授就任
1943 39歳 ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任
1945 41歳 人類初の核実験であるトリニティ実験に成功
1947 43歳 プリンストン高等研究所所長に就任
1954 50歳 スパイ疑惑により公職追放
1960 56歳 初来日
1963 59歳 エンリコ・フェルミ賞受賞
1967 62歳 喉頭がんで死去
【追記】本作の宗教的側面について
この映画は宗教映画でもあります。
本作の描くロスアラモス国立研究所の描写はまるで一大祝祭空間です。ここは宗教施設でもあり、無神論者(共産党員)や異教徒は立ち入れません。立ち入った者は罰せられます。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。それはなぜか。言葉では語られませんが、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という暗黙の了解があったからではないでしょうか。
悪天候の中、「朝には回復する!砂漠のことは俺がよく分かっている!5時半決行だ!」と宣言するオッペンハイマーはもはや科学者というより司祭様です。「三位一体」実験の成功により祭りは最高潮を迎えます。
スティムソン陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。オッペンハイマーは「神の力の啓示を与える」と神の名を出して、原爆使用に前向きな発言をしています。
原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。大衆に熱狂的に迎えられる彼の心の中では、ひそかに重大な「宗教的変節」が起こっています。原爆被害の実態を知った彼は『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という前提を疑ってしまいます。これは重大な罪に当たります。
『殺してはいけないという戒律はユダヤ教徒の内側にのみ有効で,異教の民には適用されない。神が殺せと命ずれば,それは絶対的な命令である。人間の判断が入り込む余地は微塵もない。もし,人が倫理や感情を持ちだして神の命令にそむけば涜神(とくしん)となってしまう。したがって,命令=契約を素直に,忠実に実行するのが正しい信仰の姿なのである。命令=契約に対して一切の疑義をさしはさむことはできない。』
(諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ 第8講:一神教における愛と平和と皆殺し 東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣 より一部抜粋)
トルーマン大統領との面談で、「自分の手が血塗られた気がする」と正直に吐露したオッペンハイマーを大統領は「科学者ごときが責任を感じるなぞw」「泣き虫!」と罵倒します。トルーマンもオッペンハイマーの宗教的信念の揺らぎを見透かしています。「いまさら日和りやがって!このヘタレが!」と言わんばかり。大統領の全く悪びれず堂々とした態度はどこから来るのか。もちろん、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という宗教的信念からでしょう。
神の忠実な下僕であるストローズもオッペンハイマーの変節を見抜き、彼を宗教裁判(異端審問)である聴聞会にかけます。
オッペンハイマーは原爆を作った罪で断罪されたわけではありません。
彼の犯した罪は…
①無神論者(共産党員)へのシンパシー
②異教(ギリシャ神話やヒンドゥー教)の言葉を口にしたこと
③神の摂理である水爆開発へ疑義を挟んだこと
④核兵器を「国際管理」という名目で異教徒の手に渡そうとしたこと
また、ストローズを原子力委員会の最初のコミッショナーに抜擢したのはトルーマン大統領でした。トルーマンにはエドワード・ジェイコブソンというユダヤ人の親友がいることは有名であり、そしてトルーマン大統領は後にイスラエルの建国を承認します。さらにストローズはイスラエルの核計画の父と言われるベルクマン博士を支援したと言われています。
ストローズの商務長官就任に関する公聴会。上院議員の投票により否決されます(賛成46、反対49)。反対票を投じた中には将来大統領になるJFKとリンドン・ジョンソンがいたそうですが、本作でストローズが口にするのはJFKの名前だけです。JFKがカトリック教徒だったからかも知れません。
原爆がなぜ長崎に落とされたのか。だれがどのように決めたのか、いまだに明らかにされていません。『「長崎の原爆投下は日本とカトリック教会への攻撃だった」(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)』という考察もあります。
本作には悪魔と天使の対決も用意されています。悪魔は無神論者(共産党員)でオッペンハイマーを性的に誘惑するジーン。天使は妻のキティ。聴聞会の場で、ジーンとキティはにらみ合いの直接対決を演じています。
この映画で最も印象的なシーン。ジーンの自殺を知ったオッペンハイマーが森の中の木にすがるように泣き崩れ、それをキティが励ましています。不倫相手の自殺を自分の妻に話したり、それを聞いて励ましたりする夫婦がいるでしょうか。極めて不自然なシーンです。これは夫婦の姿ではなく、悪魔の敗北と天使の導きを示唆した宗教的シーンではなかったでしょうか。原爆の作製と使用を神の命令と信じればオッペンハイマーは良心の呵責に苦しむ必要はありませんが、元カノの自殺には耐え難い苦痛を感じたようです。悪魔と天使の間でオッペンハイマーの心は激しく揺れ動いているようです。遠くの異教徒の大量の死も、彼の心をこれほど揺さぶりはしません。
原爆とこの映画の共通点はどちらもキリスト教徒とユダヤ教徒の手によって作られ、異教徒の理解は必要としていない点にあると思います。アカデミー賞の受賞やロバート・ダウニー・Jrの態度も含めて、「異教徒」である日本人のわれわれには理解が及ばない点が多々あるし、彼らもまた理解を求めてはいないのではないでしょうか。もしドイツの降伏が遅れていたとしたら、トルーマンは同じキリスト教徒の上に原爆を落としていたのでしょうか。
ノーラン新境地
ノーラン作品なのでポリティカルな主張はないだろうと踏んでいた。それはその通りなんだけど、想像だにしなかった遠大なメッセージを突きつける新境地といえる大作だった。日本での公開を躊躇する理由は何一つなく、鑑賞した上で見送ったのであれば絶望的な知性の欠落である。いつもの時系列マジックは健在。
【追記】
ノーラン作品には珍しく謎を残さないどころかすごく親切に回答してた。
【追記によりネタバレ】
ツケで流されるたった10ドルの賭けとして演出された「大気の引火は起こるか否か」ラストカットでオッペンハイマーはその結果がどうあろうと我々人類が世界を焼き尽くす火を手にしてしまうことに恐怖している事が解ります。現実世界においてもそのツケは預けられたままであるという人類史上最大の脅威の存在を鑑賞者に突きつける、それこそがノーランのメッセージだと思ってます。アメリカの罪もイデオロギーや政争の愚かさも描かれておりそれらがストーリーの9割を占めますが、アインシュタインとの会話の内容が「もっと重要なことかも」と前置きされたことで、それらが霞んでしまうほど本作のメッセージが強いインパクトを持ったのも極めて巧みな脚本だと感嘆しました。
最後に広島県民として一つ。オッペンハイマーの吐露した「一度見ればもう使われることはない」というすがるような願い、だから私達は未来永劫その体験を世界へ発信し続ける必要があるのです。
終末の時計
Oppenheimer
名誉を享受するほかない。
後は連鎖反応は勝手に起こる、実験の最後、その眼で直接見たものがある意味で手を離す前の最後だ。そんなことはわかっている。
全ての強権体制の中で、議論に参加する人々は、何らかの当事者になるか逃避するかしかない。
共産主義も民主主義も、最終的に同じ兵器へと行き着く。思想は何を利しているのか。スパイは確かに存在して、国家は同胞たちを守る。
投下シーンの不在が話題に。当時の世界の反応として、皮肉的に描かれていたようにも感じられた。
激動の世界の中で、人はその思想を、人生の途中でも変えることができる。そして経験の中で再び戻すことも。しかし、進む時計の針を、世界が同時に戻すわけにはいかない。
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリ...
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリニティ実験のくだりは素晴らしい。絶対押したらあかんボタンが押され世界が変わる恐怖と、最高にドキドキするエンタメとを両立させている。爆発の映像はちょっとしょっぱいが、音楽・音響で補っていた。
聴聞会シーンは若干退屈ではあるが、うまい役者が揃って味わい深い。ロバート・ダウニーJr.はアカデミーの授賞式でミソをつけたが、ここでの演技は素晴らしかった。
役者はチョイ役も全部ビッグスターで凄い。しかもみなさんだいたい実際よりちょっと老けた役をやっており、これがまた良い。トルーマンになりきったゲイリー・オールドマンがなぜか谷啓にそっくりでビックリした。
撮影は素晴らしかったが、IMAXで上映する意味があるのかどうかイマイチ疑問。
音楽も素晴らしいが、とにかくずっと鳴っているのでセリフにかぶり気味なのが気になった。
ちなみにDune2と同じスクリーンの同じ席で観たが、映像も音響もオッペンハイマーのほうが数段上だと感じた。
音量と画面圧がすごい
本日やっと鑑賞
ノーランハズレなし
オッペンハイマーが前半しか研究してなくて
後半はチームリーダーでまとめ役のみにみえた
また、後半の諮問会のシーンからのラスト
脚本がよいね
劇中モノクロ画面になるのだけどそこもまたよい
アインシュタイン激似です。
しかし、盛り上がる時の音量大きい〜!
最近洋画エッチシーン多いなあー
じんわりと名作の域に
正直半分あたりまで不倫やら裁判やらばかりでうんざりでしたが、実験から日本原爆投下までのながれで一気に背筋が伸びました。確かに実験の描写はゴジラ-1.0や他の視覚効果賞ノミネートに比べたらディティール、スケール感、立体感は地味で大人しいのですが、そこはノーラン監督。
それまで不快であった不倫やら裁判やら泥沼の人間劇で知らぬ間に距離感が縮められるリアリティの魔法が仕掛けられており、残酷な広島長崎描写は無いものの、実験と教会時の黒焦げた遺体と周りの人間が錆びれ吐き気をもようしている描写だけで原爆の恐ろしさがスクリーン向こうから充分伝わってきました。
はだしのゲンや原爆資料館で見てきた体験より、原爆被害の凄まじさが想像され戦争に対する貴重な追体験ができました。
これだけでも反戦争、原爆へのアンチテーゼ効果として賞賛に値するかと思います。
その後はまた裁判ですが、解決に向けての流れなのでサスペンスの結末を観れるスッキリ感、アインシュタインとの対話、ジョンFケネディの暗殺?に繋がる布石などフォレスト・ガンプにジョンレノンが出てきたような贅沢感も少し味わえ、個人的には有意義な体験となりました。
ノーラン監督の巧みな人心把握術の組み込みにより、明らかな名作!感動作!では無いものの総合的にじんわりと名作の域に達しているかと思います。
ゴジラ-1.0ほど2桁リピしたいとは思いませんが間違いなく観て良かったと思える作品でした。
音圧で鳥肌。
IMAXにて鑑賞。人物描写が多めな映画なのでIMAXで無くとも良い気もしますが、音の演出にかなり揺さぶられるので爆音音響のIMAX鑑賞は正解。最初の足踏みドンドンやオッピーの天才ぶっ飛び妄想中の音響表現などは凄まじく圧巻。コレを浴びにいくだけでも観る価値ありますわ。そしてラストのアインシュタインとのやり取り。全身に鳥肌が。恐ろしい。
◇贖罪、相対性、そして時間
ノーラン監督作品の主たるモチーフと言えば、初期の『メメント』 から一貫して「時間」そのものです。置き換えられたり、繰り返されたり、巻き戻されたりする可変的な時間軸。そのトリッキーな技法に巻き込まれて、われわれは「意識=時間」が再構築されて洗い替えされるような感覚に晒されます。
時間の魔術師ノーラン監督が、『インターステラー』『テネット』などの作品でSF考証を務めたキップ・ソーンというノーベル賞物理学者を通じて、辿り着いたのがアメリカ🇺🇸の理論物理学者でした。核兵器を世に送り出したオッペンハイマーという人物です。
一人の人間にとっての「時間」とは、継続する自己意識の有り様です。記憶や思い入れや執着の連続体として、存在する「時間=意識」。原爆を開発したオッペンハイマーの気まぐれな心変わりを描き出すことで、生々しい「時間=意識」ドラマが創造されました。
原爆には積極的であったのに水爆開発には反対する姿、優柔不断な女性関係、共産主義者からの転向。自らの一貫性の無さが引き起こした核兵器の時代への贖罪を自虐的に露悪的に曝け出し続けることで、辛うじて保たれる「時間=意識」の物語。
そこには、力強い「善」の姿はなく、絶対的な「神」もなく、果てしなく続く相対主義的な不連続でブツ切りの価値観の虚しさしかありません。一人の歴史上の人物を通じて、現代の解体された「時間=意識」が描き出されているようにも感じ入るのでした。
予備知識が必要な映画
まず、物語の理解に必要なことが作中で説明されない部分が多くあるので、J・ロバート・オッペンハイマーのwikipediaの記事くらいは読んで鑑賞したほうが良い。脳内であれこれ想像して補完すれば恐らく理解できなくもないが、本来それは不必要な負荷だと思うので、事前知識を入れておくことをおすすめする。
物語のあわゆる部分がその時の時代や世界情勢に紐づいている。
原爆そのものよりも、科学と国家安全保障、技術競争、研究効率と秘密保全のバランス、政治的な主義思想など、そういったことについて考える良い機会になった。
我々はトリニティ実験が無事に成功するのを既に知ってしまっていて、その実験に関わる人達の緊張感や不安がうまく想像できない部分があるが、そのあたりの感覚をしっかり描いてくれたのが興味深かった。
今まで観た映画の中で、もっとも恐ろしかった。
原爆の開発過程、オッペンハイマーの苦悩や科学と道義のジレンマ、スパイ容疑の尋問など、見所の多い本作品でしたが、僕は原爆の開発過程から原爆実験、広島への投下のニュースのシーンに震えが止まりませんでした。
今まで観たどんなホラー映画よりも、この映画は
恐ろしかった。特に原爆投下の成功に喜ぶ人々のシーンは具合が悪くなるほどでした。
核兵器のない世の中になることを願ってやみません。
核爆発に向けて進んでいくシーンの緊張感が凄かった
〔60代男です〕
本作は劇映画の作り方を完全に理解している熟練者だけが作れる作品だ。
同じことを未熟な者がやろうとしても、こんなにうまく仕上がるもんじゃない。
普通どおり、たくさんのシーンのモンタージュで構成されていることに変わりはないのだが、現在時間の表示もせずに時間軸をたびたび前後させ、それでも観ている者に勘違いさせることもなく、バラバラに分断されている印象にもならず、BGМの力も借りて、3時間の上映時間全体を切れ目のない一つながりのものとして有機的な塊に仕上げることに成功していているのだ。
物語としての一本の道ではなく、オッペンハイマーという科学者の人生全体が、ひとつの印象として心に残るようになっている。
だから観終わっても、あのときこうしたらどうだった、とか、あのときこいつの正体を見抜けていたら、みたいなことは感じず、全体で大きな一つの印象だけを与える作品になっているのだ。
3時間にもなる大量の映像を、まったく混乱もなしに、これほどなめらかに一つながりに仕上げられるのは、並大抵の才能ではない。
おはなしは、第二次世界大戦中のアメリカ。
ドイツより先に原子爆弾を完成させることの重大性を意識する将校マット・デイモンは、主人公の優秀な物理学者オッペンハイマー/キリアン・マーフィを、原爆開発計画マンハッタン・プロジェクトのリーダーに抜擢する。
主人公は、優秀な物理学者とその家族を呼び寄せ、砂漠地帯ロスアラモスに原爆開発のためだけの厳重に管理された町を作り出し、原爆開発に没頭する。
そして史上初の核実験に成功し、その場にいた現場スタッフ一同と軍関係者は歓喜に包まれる。
その後、主人公は、自分が送り出した2つの完成品が広島と長崎に投下されたことをラジオのニュースで知る。
称賛を浴びて持ち上げられるが、恐ろしい兵器を生み出して実際に使用されたことが罪悪感として重くのしかかる。
政府も周囲の軍人も、次なる水素爆弾の開発に向けて動き始めたので、良心を持ってそれに反対する主人公は邪魔者あつかいされ始める。
世界的に注目された主人公に嫉妬と悪意を持つ、原子力委員会の議長ロバート・ダウニー・Jr.は、評価を地に堕とすための聴聞会をセッティングし、主人公の下で働いていたテラー博士を始めとする悪意ある科学者たちを証人に、主人公を危険な共産主義者で、最初からソ連のスパイだったというとんでもない容疑までかけて糾弾する。
この悲惨な後半は「ハドソン川の奇跡」「リチャード・ジュエル」のメインで描かれていた話とそっくりで、マイケル・ジャクソンもそうだったが、アメリカでは称賛される英雄がいると、それを悪意を持って破滅させようとする人たちが出てくるようだ。ひどい話。
主人公が非常に穏やかな人柄で、誰に対しても態度が紳士的すぎるため、彼に悪意ある人間の言動に対しては、代わりに妻エミリー・ブラントが腹を立てる言動で、観客が勘違いしないよう配慮されている。
腹立たしい人間が連続して出て来たあとに、良識ある発言をする人を出して溜飲を下げてくれるので、気分は暗くならない。
幸い主人公は破滅させられずに終わるものの、核開発は手の届かないところへ行ってしまうので、ハッピーエンドにはならない。
あとアメリカ映画では核爆発が出てきても、放射能による被害はいつも無視されるものだが、本作でも同様なのだけは残念な点。
ロスアラモスにだって被爆者はいたはずだ。
ここでの原爆は、あくまで超強力な爆弾、というだけにすぎない。
それと自殺してしまう愛人フローレンス・ピューを出すのは必要だったのか。彼女が全裸で出てくるシーンさえなければPG12の年齢制限もなくせただろうに。
主人公が仕事一筋の堅物ではなかったことを、浮気で描いておきたかったのかもしれないが、僕は不要に思えた。しかしこんな美人の物理学の教授なんているのか?
天才科学者ボーア役にケネス・ブラナー、トルーマン大統領役にゲーリー・オールドマン、アインシュタイン役にトム・コンティ、計画に参加した学者仲間でジョシュ・ハートネット、ほかに政府関係者にデイン・デハーン、ラミ・マレック、マシュー・モディーンほか。
聴聞会での原子力委員会側の弁護士ジェイソン・クラークが主人公をネチネチといたぶる腹立たしさは、役者が演技をしているということを忘れて憎しみを感じるほどだった。
ロバート・ダウニー・Jrも、これほどの嫌われ役は初めてだ。
のちに水爆を作りまくるテラー博士は、悪名高いキチ○イ博士として有名だが、それにふさわしい描かれ方をする。まあ、こういう人間だからキチ○イ博士と言われるんだろうが。
濃密な3時間
ノーラン監督らしいIMAX重低音が心と体に響きます。
ロスアラモスでの実験の爆音が衝撃的でした。
実験の結果が招くであろう被爆地の悲惨さが想像されるが、そこには目が行かず成功を喜ぶ人々の対比が象徴的でした。
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