オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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集団レイプ犯の見張りを哀れんでも
原爆の父という呼び名はは誇るべきことなのか。
黒澤明の羅生門を見習って欲しい。
どの視点から見るかによって多面的に物事を捉えようとしている。
戦争映画こそ多面的に捉えなねばならない最たるものだ。
だからこそ日本は集団レイプされた被爆国なのだから、集団レイプの見張りをしてた舎弟のオッペンハイマーがどれだけ悔いたとて、その残虐さや辛さを描いてくれないとフェアではないのだ。
短いセリフの縞模様の着物を着ていた人が縞模様に火傷したとか、後から死亡者が出たとか欧米人が聞き逃すレベルのささやかな表現ではダメだ。
昭和生まれの日本人は戦争を知らない子供たちであっても親や祖父母から多少は戦争の話を聞いてるし、修学旅行で原爆ドームに行ってその目を覆いたくなる辛い状況を体感しているのだ。
その辺りを世界に見せて欲しかった。
そこを描かないでオッペンハイマーの泣き虫姿を描いても何も同情する気にならない。
そして、音楽が全て陰鬱で暗い。
戦場のメリークリスマスのような美しい音楽と 北野武のメリークリスマスミスターローレンス的なユーモアのある和らぎもない。
火垂るの墓やこの世界の片隅にやゴジラ-1.0を思い浮かべながら2箇所、情けなくなって涙ぐんで観るしかなかった。
戦争に突き進む男たちという生き物は本当に愚かだ。
人間は今もたいして進歩していない所がつくづく情けない。
原爆をどこに落とすか、候補地の中で京都を外す理由が、新婚旅行で行って文化遺産があるから外すといったシーンは失笑ものだ。
この映画をIMAXで観たいという人の気が知れない。
そんな映画じゃないはずだ。本質を見てほしい。
もちろん賞賛された挙句、最後にハシゴを外されたオッペンハイマーはやるせないとは思うけど、悲哀はそこじゃない。被爆した国のこともビジュアルで見せなければ本当の悲哀では無い。
劇場内は若い人が大半で昭和世代少し、戦前戦後生まれの80~75くらいの高齢者はいなかった。
時代劇映画を観に行くとその世代が沢山いるのに。
でもその世代には観せられない映画とも思いながら、じゃあドイツ人はこの映画をどう観るよ?とも思いながら映画館を出ました。
原爆投下シーンの有無は、本作のテーマとは別の話だ。
映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。
「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。
ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。
他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか、と言われるかもしれないが、他者の視点は、あくまでもオッペンハイマーの身近な人間やエリアの描写だけだ。だから、日本のことやナチスのことは話題には出てくるが、画面には登場しない。
原爆投下シーンの有無よりも問題なのは、これだけ話題になった割には、退屈しがちな作品だったことだ。
原爆が投下されて戦争が終わるあたりまでは、基本的に科学者同士の会話が延々と続くのだが、自分は物理学や核融合やらの理論を知らないので、どんな問題が発生しているのか理解できず、眠くなった。
物理学などのわかりにくい部分を説明しないのは、「インターステラー」の時もそうだったが、あの映画はハードSFながら、エモーショナルな家族愛や、SFらしい画面があった。今回はそういうものがない。いつものかっこいい映像や派手な音響があり、地味になりがちな伝記映画を洗練された映像で仕上げてあるのは見事だが、限界はある。
なぜ本作は大ヒットしたのだろう。
アメリカでは「バービー」とセットで売れた感じになっていて、ノーラン最大のヒットかと思っていたが、興行収入としては「ダークナイトライジング」「ダークナイト」に次ぐヒット。
製作費150億円。興行収入は1,480億円。すごい金額ではあるのだが、他の娯楽に比べてどのくらい儲かっているのだろう。たとえば世界中のディズニーランドの一か月分の入場チケットの販売金額と比べて、映画の売り上げは高いのだろうか。また、アメリカで大ヒットということだが、そもそもアメリカの映画人口ってどのくらいいて、本作は人口の何割が見たのだろう。
なぜこんなことを考えるかというと、本作が結構わかりにくくて、誰もが楽しめる映画ではないからだ。アメリカでは「オッペンハイマー」はみんなが大好きな英雄なのだろうか。それにしては今まで伝記映画がたくさん作られた形跡もない。
そんなことから、映画産業というのは、実は自分が思っているほどファン層も多くないのではないか、という疑問を抱いた次第なのだ。
いろいろ書いたが、今の時代に本作が発表されたのは明確な意図があった。それは映画を観ればわかることではある。アートも映画も、なぜこの時代に、この作品が作られねばならないのかという理由がなくては、製作費は出ないし、観客も評価しない。
本作を観た人はそれぞれの意見を持ち、議論するだろう。それこそが本作の存在意義なのかもしれない。
最新の理論を形にしたら悪魔の兵器になった
難しいことはよくわからない。
その時代の超天才たちが最新の理論を実践して実験を成功させた。そのプロジェクトは実は国の威信をかけた、大金と大人数を投資して作られた兵器で、たった一個の爆弾で数万の人を一度に消せる、とんでもない代物だった。
研究者として最新の理論を全力で試せる方向が結果的に兵器を作ることになったこと。
最初から作りたかったものは兵器だったわけではない。と信じたい。良心と自分の理論とその実践の成功を見たいという気持ちの中で揺れ続けていた心は、人間らしさがあった、と信じたいのだ。
アカになりたかったわけではなく、その思想の中の一部に共感していたことからも、彼は常に自分がその時その考えが正しいとか共感できる、つまり自分が興味を持った思想やらなんやらを突き詰めて考えたい人だったんだろうなと思う。
この映画自体は、原爆を作った人たちの倫理観を問うというより、オッペンハイマーがどういう経緯で原爆を作って、成功までどれだけの紆余曲折があったか、という、天才物理学者が原爆という悪魔の作品を制作する過程を描いた物語、に見えた。
作り上げたものがうまく機能し、希望した結果を出せたのをみた時、研究者たちの喜びは実験の成功だけであったことを信じたい。
同時にこれは大量殺人兵器であることも彼らはもちろんわかっていたので、実際に使うことに対しての葛藤は見え隠れしていた。
そして次なる水爆に繋がる、学者としての次の大作への、止められない新しい理論への挑戦と好奇心も。
もし違う種類の天才であったなら、こういう葛藤も賞賛もない人生だったろうなぁ。
天才は羨ましい。
がしかし、天才であるが故にある意味その頭脳を利用され続けるのは、そしてそれが世のため人のためという大義名分のもとに兵器を作らされるのだとしたら、それは本当に苦しい生き方だろうと思う。
オッペンハイマー、すごかった。
寝ないで観れたよ!
そこは、自分を褒めてあげたい。
フローレンスビューとの濡れ場は意外と濃厚だね。
あんなに、喜んでたのに、戦後は責任のなすりあい。
偉いさんは、戦争は金になるからね。
科学者の新しいのを作りたいのと政府の金もうけは、
今も続く。犠牲になる人は置いてきぼりだな。
日本人としては複雑な題材……でも、まずは観た上で論評してほしい
まぁ、被爆国日本としては、色々と複雑な感情を抱くのは仕方のない題材の映画であるのは事実
とは言え、実際観てもいないのにあーだこーだ言うのは一番ダメなことだと思ったので、180分という上映時間にビビりつつもしっかり腰を据えて観て来ることにしました
実際観て分かったのは、この映画が「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーだけではなく、
ルイス・ストローズという人物についてを描いた映画でもあるということ
その人を見事に演じ挙げたダウニーJr.がアカデミー助演男優賞取ったのも納得
ただ、この人がどういう立場の人で、たびたび出てくる公聴会のシーンが、一体何を議題にしているのか、という点についての予備知識くらいはないと、ちょっとわかりづらい展開になってしまってますね。あまりその辺については説明してくれてないですし
私は観た後でネットでこの人調べたことで、「ああ、そういう事だったんだ……」と腑に落ちましたが、観てる最中は結構わかりづらかったかな
映画の本筋はあくまでオッペンハイマーの人生についてを描いている
原爆開発と、その後についての経緯をあくまで彼目線で描くことに集中した結果、
当初原爆の標的となるはずだったドイツや、そのあと実際に落とされた日本からの視点は完全に排除された形となっていますね
そのことで、「実際に被爆した広島・長崎がどうなったのかを作品の中に出さないのはヒドイ!」という意見もよく見かけましたが……
この映画をオッペンハイマーとストローズの二人の人間からの一人称、として描いた以上はそうなるよね、というのは、手法としては理解できました
あくまで彼らの視点から描いたのなら、実際に自分で見聞きしたわけではない現地の悲劇についてはああなってしまうのも已む無しではある、と
ただ、よくあるあらすじ紹介なんかだと、「実際に原爆が使用された後の惨状を知って、オッペンハイマーは水爆反対に変わった」と書いていますが……
本作内の描写ではそれは明らかに違いますよね
作中でオッペンハイマー自身が言っていますが、「科学者は理論から結果が予想できるから、どんなことが起こるか想像できる。だけど普通の人はそれが出来ないから、実際に事が起きてからでないと物事を理解できない」(大体の要約)
その言葉の通り、作中のオッペンハイマー自身は、原爆投下後の現地写真を見るより前の時点、原爆投下の知らせを受けたそのすぐ後の時点で、実際に人々がどのようにして死んでいったのかを概ね理解し、その光景を幻視しています
彼は原爆を使えばどうなるか理解していたうえで、
一度これを使い、その結果どうなるかを知れば、人々はもう二度とこれを使おうとは思わなくなるはずだ……という事に期待していた、というのがこの映画での描かれ方
しかし現実にはそうはならず、核開発はその後も続き、
かつて「核爆弾が爆発すれば、連鎖反応が止まらず大気にまで火がついて世界が滅ぶ」という結果としては間違えていたはずの計算と同じように、
最初の核爆弾の火を人類にもたらしたことで、連鎖的に核開発が加速し、世界を滅ぼしうるきっかけを作ってしまった……という事に苦悩するプロメテウスになってしまった……というのがこの映画内におけるオッペンハイマーに対する解釈
広島・長崎への原爆投下が成功して浮かれ騒ぐ人々の描写も、日本人からしたら「何笑ってんだよ……人が大勢死んだんだぞ」って思ってしまうけど、
少なくとも当時の一般的な米国民にとってはああ受け止められていた。立場の違いというのはそういうものなんだ、と受け止めないとキツイものはありますが、
オッペンハイマー自身や、陰で泣いたり嘔吐したりしている科学者たちの反応で、そこは緩和されているように思います
ちゃんと物事を理解できる人々にとっては、自分たちが何をしてしまったのか、その罪深さは自覚できていたのだ……という形で
全体としては、最初の原爆が開発されるまでの経緯と、その中心だった科学者のその後を描いた映画ではあるが、
決して核兵器肯定でも、それを産み出したオッペンハイマー礼賛でもなく、むしろ反核寄り
ただ単に「オッペンハイマーが主役ってだけでけしからん! ふざけんな!」って拒絶するだけの人には、ちゃんと観た上で物申してほしいと思う映画
そして政治的・感情的なお話とは別の、映画としての評価
まる3時間という長丁場にも関わらず、引き込まれる演出と映像・緩急の妙で、その長さを長いと感じさせないノーランの手腕は流石の一言
決して共感は出来ないが点は上げざるをえない。
正月に見直しましました、今回は吹き替えプラス字幕ありで。
やはりこの作品をちゃんと理解しようと思ったら、主要人物を多少学習しないと無理ですね。日本語で観るとここまでスピーディーなのかと驚きました、映画館では音と映像を感じただけでした。今回も全部理解したとは思いません。5回位見ればもう少し理解出来るかもしれない、でも観るのにもエネルギーが必要な映画です。エンタメ要素があまりないと最初書きましたが、原爆実験にエンタメ的ピークがあるのがこの映画の分かれ道です、そこでどう感じるかでこの映画の評価は大きく分かれてしまうのは致し方ないでしょう。
色んな感情が渦巻くのですが、オッペンハイマーという人は天才ゆえ周りを気にせず実行してしまったのは間違いない、最後のシーンでアインシュタインに告白してる時もう彼には見えていたにも関わらず作ってしまった。どこまで史実に沿っているのか分かりませんが上手く出来てると今回は思ってしまった。奥さんには関心したな、芯がある。吹き替えの方が感情が分かり易かった。
**************************最初の感想****************************
流石のノーランも今回はエンタメとして仕上げるのは無理だったかな。町山智浩が一回観ただけじゃ理解出来ないと言っていたが確かにその通り。色んな登場人物の説明は全くないし、ナレーションもない。カラーとモノクロの意味も全く説明ないので時代で変えてるのかと思ったら違うし。解説聞いたらやっと半分くらい理解出来た、しかしながら全く共感は出来ない。自分は被爆2世だし。
もう一度観ればより理解出来るとは思うが前半とかたるいし映画館でもう一度はないです。配信されたら又観るかも。
オッペンハイマーの幾多の苦悩を描写
原爆産みの親オッペンハイマーの人となりや開発過程や赤狩りにおける苦悩が描かれていました。オッペンハイマーの笑顔が殆ど観られなかったようにやや重いストーリーでした。戦後の時代背景である赤狩りでは権力志向が強い老策士に嵌められたり人生は決して幸福な道のりではなかったようです。ただ素朴な性格なのか女性関係には驚きもありました。広島長崎への原爆投下についてはロスアラモスでの核実験成功後のスピーチの場面で幻想としてケロイド状の女性の顔や誰もいない座席を映すことで被害者への心の葛藤を描いているように思いました。なお赤狩り追及場面などで登場する数多くの人物とポジションは追いきれず。3時間の長さは感じませんでした。
予習は必要
学者先生という職業は思想や感情もなく象牙の塔にこもりただただ研究に没頭して、と思いがちなところ。
作品中ではそうではなく共産党員にもなりかけたり組合活動したり女にだらしなかったりという学者像とは違う面が見える。
英雄だったりレッド・パージされたり毀誉褒貶半ばする人で研究と実践と国家への貢献でハイになったり投下したことによりダウナーになったり人となりが描かれるわけだけどなんかこの人に感情移入がなかなかできないのは話がわかりにくいからだと思う。
時間軸が行ったり来たりするしアインシュタイン以外は誰が誰だかよくわからなくなるし。
原爆ができたところでほぼほぼ使う必要がなかったのに詭弁でもって落とした、というのが日本公開が遅れたように思えた。
しかし、それが当時の対日感情でありイエローモンキーになら落として万人単位で死んだって構わないという差別感情だろうから当時を反映してるなら変なポリコレする必要ない。
つまり何が言いたいかというとクリストファー・ノーランらしく難解にして冗長
連鎖反応
かなり難しい映画で、何の事前準備もしなかったことを後悔した。
時系列が入り乱れるので、どの時代の状況か分からないとストーリーを理解するのが難しい。
オッペンハイマーの生涯を軽く頭に入れているとだいぶ違うと思う。
ただ、ストーリーが完全に理解できなくても、オッペンハイマーの苦悩、不安、不快感、怖れ、後悔は理解できる。とくに音の表現はすごいと思った。3時間という時間を長いとは感じなかった。
オッペンハイマーのキャラクターが面白い。
理論物理の天才であるのはもちろん、サンスクリット語までも習得する語学の天才。半面、実験は下手。研究者のひとたらしって感じで、才能のある人なら自分と考え方が違っていてもかまわず熱心に説得する。研究者として理想的というか、人を巻き込むのがうまい。
あと、正直オッペンハイマーはうぬぼれ型の中二病っぽいところがあると思った。インドの聖典から引用して、「世界はそれまでと変わってしまった。我は死神なり、世界の破壊者なり」を自分のことと言うのはなんか…。
マンハッタン計画は物理学のスーパーヒーローたち大集結、物理学のアベンジャーズ結成!って感じでテンションぶちあがり。それで開発するものが史上最悪の兵器でなければ…。
どこで見た記事かは忘れたけど、実はマンハッタン計画で科学者が育成された、という側面がかなりあるらしい。超一流研究者たちと若手研究者があつまって、自由な雰囲気で定期的に討論することができる、非常に有意義な場だったらしい。
この時代、量子力学の研究がすすみ、物理学がついに世界の真実に迫ることができる、という機運に満ちていた。量子力学にとって不幸だったのは、その理論が大量殺戮兵器を生み出すことが可能であったこと。それがなければ、純粋に「宇宙の真実」という理学的関心だけを追うことができたはずだ。
日本への原爆投下について議論があった、というくだりは興味深かった。研究者たちの間で反対の署名運動があった、というのは救われる話だ。
オッペンハイマーは後年に核軍縮や水爆反対をしたことで有名だけど、そういう心変わりがどうしておこったのか、というのもこの映画の見どころである。
おそらくオッペンハイマーは、原爆が常識を超えてすさまじい威力をもつことが世界に示せれば、二度と使用してはいけない兵器である、という共通認識を世界が持つようになり、むしろ世界が平和になるだろう、と考えていたのだろう。
しかし、実際には原爆の開発競争が始まり、よりすさまじい威力をもつ水爆まで開発されてしまった。だから彼は自分の考えが間違っていたと考えざるを得なかった。
キーワードは「連鎖反応」。原爆がすさまじい破壊力をもつのは、連鎖反応が起こるからだ。そして、一時期はその連鎖反応が空気にまで広がり、一発の原子爆弾が世界全体を破壊してしまうかもしれない、という可能性まで示された。
その空気に引火するという連鎖反応は計算間違いであることが分かったけれど、実は「核開発競争」という連鎖反応には引火してしまった、ということにオッペンハイマーは気づき、その事実をアインシュタインに漏らした。
連鎖反応はあらゆるレベルに起こっている。後年のオッペンハイマーに対する赤狩りやスパイ容疑の追及については正直あまり関心がもてなかったが、国家に関する大きな事件が、個人の名誉欲、嫉妬、恥辱心のようなあまりに卑小なことがきっかけでおこされることもある、ということには大きな意味があると思った。原爆や水爆などというあまりに大きな力は、精神的に未熟な人間にはとても扱えない。
この映画は日本への原爆投下の正当性や、核抑止論の議論に一石投じるという意味で非常に大きな意味をもつと思う。重要なのは、この映画はアメリカ人がつくったアメリカの映画だということだ。アメリカがこのような自己反省ともいえる映画をつくったということが重要だと思う。
広島、長崎の惨状に深く触れていない、という批判もあるけど、この映画をきっかけにべつの映画を観るということもあると思う、また、日本こそがそのような映画を新たにつくるべきだと思う。
この映画に不満がないわけではない。原爆開発ついて触れていないこともあるので、以下のようなことがあればもっと良かったと思う。
まず、原爆の原理や水爆の原理について、少しだけでも解説があった方が良かったと思う。よく知られていることなので削ったのかもしれないが…。
あと、実際のところ、アメリカが原爆を開発できなかったとしたら、他国が開発していた、という可能性はどのくらいあったのか(日本でも開発していたらしいし)。
最後に、広島に落とされたウラン型と、長崎に落とされたプルトニウム型、二回の原爆投下について、オッペンハイマーはどう考えていたのか?
原爆開発の最も近くにいて真実を知り得た者
作中のオッペンハイマーは一貫して、凡人のように流され、目をそらし、悩みながら生きているように見えた。軍人よりも政治家よりも、それを使うと何が起こるか最も知り得た者の、説明責任の重圧と名声欲、逃避の弱い心が映像と音響によってぐるぐると迫ってくる。大統領に「原爆を落とされた相手が恨むのは科学者ではなく落とした私だ。」退出時には「あんな泣き虫はもう呼ぶな」と聞こえよがしに言われたあとのオッペンハイマーは、どこか、”権力者に翻弄された被害者側”になれる自分に安堵した表情に見えた。
原爆被害の表現に関しては、乾いてさらさらとした印象を受けた。
あえての表現かも知れないが、日本人的にはもっとウェットな、いつまでも治らない膿んだ傷のようなイメージがあったので、少し軽い表現に感じてしまった。
テーマがテーマだけに面白いとかって感想にはなりにくい作品。 前半は...
なぜ内外で高評価なのかさっぱりわからない
なぜ内外で高評価で受賞した作品なのか申し訳ないがさっぱりわからないです。★3以下の低評価のレビューはもう二度と書かないと決めていましたが・・・本作品については日本人としてどうしても一言言いたいです。クリストファー・ノーラン監督は確かにインセプションは抜群に面白かったが、本作品は楽しめる作品では到底ありませんでした(娯楽作品ではないのでしょうけれど)。そもそも登場人物がごちゃごちゃで、もちろん敢えてなのでしょうが、ボーア、アインシュタイン、エンリコ・フェルミなど有名人以外は誰が誰だかさっぱりわからなくなりました。異常に長い会話劇にも本当に辟易としました。
そもそも主人公のオッペンハイマーは本当に嫌な奴で、まったく感情移入はできません。恩師を青酸カリで毒殺しかけたり、インモラルな女性関係も含め、物理学では確かに優秀であっても基本的な人間としての倫理観に大きく欠けた人物であったことがよくわかりました。だから原爆製造ともはや降伏寸前の日本への投下という大罪を平気で犯したのでしょう。地獄に落ちるべき人物でしょうね。もちろんロスアラモスにいた他の連中も子々孫々に至るまで、自分たちが犯した呪われた所業に対する罪の意識に苛まれ続けるべきです。
フォン・ノイマンは53歳で死没、エンリコ・フェルミも53歳で死没、オッペンハイマー自身は62歳で死没と、割と短命なのは倫理観に欠けた大罪を犯した天才にはそれ相応の報いがあると信じたいです。
「われは死神なり、世界の破壊者なり」の古代インドの聖典からの引用のオッペンハイマーのセリフは有名で以前から知っていましたが、実際に映画にされると日本人としては、非常にむかつきます。貴様は神にでもなったつもりなのか?おこがましい!トルーマンに「自分の手が血塗られている気がします」と原爆を落としてから言い訳のように言うくらいなら、まずは日本に謝罪するのは筋だろう!と言いたいです。謝罪して許されるものでは当然ありませんが。
予習した方がいい!!
友人にそう言われて、さらっと予習して観たんですが、本当そうして良かった!!
じゃなかったら、ロバートダウニーJr.誰やねん!
が気になって話が入って来なかったかも…
面白かった!日本人として表現難しいところですが、観て良かったです!
集中力を切らせてくれない、鬼の展開の速さと
特徴的なBGM。実験のとことかめちゃドキドキしてしまう。知的好奇心には抗えない。どんな武器も人は使ってしまうようにできている…!!
賢い人達が出る映画ってだけでも面白いですよね。
観てるだけで、ちょっと頭良くなった気になるし。
昔、クローズZEROやってたときに同級生みんなサイド刈り上げてオラついてたけど、
オッペンハイマー観たら、物理勉強してたのかな。
どーでもいいけど、できる物理学者はみんな女好きなんですかね?博士と彼女のセオリー思い出しました。
ま、知的な人ってらセクシーよね。
話が重すぎて、どーでもいいとこしか語れません。
核の連鎖が世界を破壊し尽くさなくて良かったけど、ニアリーイコールなディストピアに僕達は生きているんでしょうか。
広島長崎のことはもう少し映して欲しかったかなと思いました。報告写真、目逸らすなよ、とも思いました。
人間の欲望と限界
研究者から破壊者、世界の憂い
ノーラン監督、ごめんなさい
白状すると公開2日目に一度通常スクリーンで観に行ったのだが、満腹感と寝不足、事前になんとなく耳にしていた複雑な構成に頭がついていけず、あんなに楽しみにしていたのに途中うつらうつらしてしまう始末。ものすごい敗北感と後悔で、2度目の鑑賞へ。今度はさらによい環境でということでDolby cinemaを選択。
結果として2度目であっても、事前情報を入れた上で観ても十二分に楽しめる作品だと認識。
説得力のないコメントだと言われておかしくないのだが、なぜこんなに面白いのに初回ドロップアウトしてしまったのかわからない。
ただ伝記映画であることを考えるとネタバレだのはそこまで意識しなくてもよくて、ある程度予習したほうが楽しめる作品なのではと思った。
日本の描かれ方については賛否両論あるのだろうけど、自分はこの作品でも原爆の恐ろしさを感じられると思う。
最後に必要なのは想像力だから。
なので直接的な表現がないから観るべきでない作品だとか言う意見には全く賛成できず、我々日本人を含め世界の人に観て欲しい。
あの熱狂した学生達のシーンからは、実験シーンと並ぶ怖さを感じる。
一言でまとめられないが複雑な心情を、主観と客観で描いていったのはすごかった。
感情の揺れを自然現象のカットを通すのもよくできてるなあと改めて思う。
IMAXではないが、大画面でよい音響で観るのは本当におすすめだという意見に同意。
映画館で観て欲しい。
最後にもう一度、1度目はついていけなくてごめんなさい。
オッペンハイマーの視点にて描かれた秀作。原爆の父の不完全で純粋な狂気。
映画で描かれた原爆の父は、
・原爆製造に画期的な発見・発明を個人的にしていない
・昔から女癖が悪い
・マンハッタン計画の進捗をひたすら管理した
だけの不完全な人であった。
原爆を完成させたいだけの科学者の純粋な好奇心。
たぶん死の灰がどれほどの後遺症を残すのかも全く検討していなかったのであろう。
その狂気を観客はオッペンハイマー視点で体験することになる稀有な作品なのだ。
登場人物が多いので事前に学習しておくとより楽しめます。
難しくし過ぎ?
久々の洋画
まずロバートダウニーjrとマットデイモンの老け具合にびっくりした。
若い時しか知らないのでww
これは事前に予習したほうがいいです。
ネタバレレビューも大いに参考になりました。
白黒とカラーの意味が分かりました。
何気に見に行ってたら確実に寝てます💤
良かった点は
怖さを音で表す手法は斬新だった。
ウンザリした点
スパイ容疑の件長い...結局スパイでもないし。だからストローズのジェラシーにイライラ😖
「我は死神なり、世界の破壊者なり」
あの時代ではなく違う時代に生まれてたら
一点の曇りもない科学者になってたのかなーと考えたりも...
被爆国に住む私達は冷静に見れない場面も確かにあるのでちょっと辛抱が必要。
全928件中、321~340件目を表示