「「彼らは僕らを必要としてるんだ」「不要になるまではね」」オッペンハイマー 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)
「彼らは僕らを必要としてるんだ」「不要になるまではね」
3つのタイムラインが交錯して無駄に複雑で、
むしろ「オッペンハイマーvsストローズ」っていう作り。
ストローズなどという小者は、
1954年のオッペンハイマーへの査問を画策した端役でしかなく、
1959年の公聴会(モノクロで描かれる)などは、原作でも最終40章にチラッと出ているだけの付け足しで、
最初から一貫して描く必要など全くない。
最後にひっくり返してザマミロ、だけでいいじゃないか。
どうみてもこの映画は、
戦後のオッペンハイマーに対する非難やら誹謗中傷やらに重点を置きすぎている気がする。
(ていうか、そこが一番描きたかったとこ? だとしたら、トンチンカンと言わざるを得ない)
* * *
映画の軸は、1954年の査問。
その尋問に、オッペンハイマーがこたえ、
記憶をたぐって語る、という形で物語が進む。
はっきり言って、
誰が誰なのか、1回観ただけじゃ分からん登場人物続出。
ただでさえ時代がどんどん経過して登場人物が多く、
見た目じゃ区別しにくい人が多々あるうえに、
ファーストネームとファミリーネームを切り替えられたりすると、お手上げ。
原作(四半世紀かけて書いたという長大な伝記)を読みかじり、
誰の台詞か明記された英語字幕で見直して、
ようやくあちらこちらの関係が判明。
もっとダイエットしないといけないんじゃありません?
小者ストローズの出番を削るだけで、だいぶ余裕ができると思うんですけど
>ノーラン監督
* * *
そしてようやく中身の話。
若き科学者たちの向学心によって
量子力学などの理論物理学が爆発的発展を遂げた1920年代
(オッペンハイマーも、その中にいた)
その後の30年代は、
共産主義とファシズムという左右両極対立が顕在化した時代。
この二つの要素が融合して核分裂を起こし、
原子爆弾の開発と使用に至った。
つまり、
純粋な好奇心が、政治との不幸な出会いを通じて世界の破壊につながるという予想だにしなかった事態を、身をもって経験した科学者たちの中心にいたのが、オッペンハイマーなのだろう。
ということを思わせたのは、映画なのか原作なのか、実は定かでない。
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ひとつ意外だったのは、
広島・長崎で22万人、東京大空襲で10万人の、非戦闘員が殺されたということに触れている点。
まあ、台詞だけだから、
どれだけの重みを受け取るかは、受け取る側次第だけど。
すでにヒトラーは自殺し、ドイツが降伏している状況で、青息吐息の日本に、落とす意味はあるのか?という意見もあった。
それでも日本に落としたのは、ソ連に対する示威だということは、読み取ろうと思えば読み取れる
(そこには最早、科学者の出番はない)
が、これもまた、受け取る側次第。
でも、「トリニティ」実験の成功以降、オッペンハイマーに疑心が生じたという描写は、映画も原作に忠実。
とはいえ、
「こうでもしないと日本は降伏しない」
「これによって米兵の命が救われる」
という論理は、決して否定されなかった(あるいは、今もされない)
というのも、米国の現実なのだろう。
* * *
印象的な台詞。
「物理学300年の集大成が、大量破壊兵器なのか」
ーー残念ながらそのとおり。
「彼らは僕らを必要としてるんだ」
「不要になるまではね」
ーー残念ながらそのとおり。