「1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハ...」オッペンハイマー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハ...
1950年代、原子力委員会の委員となっていた「原爆の父」オッペンハイマー博士(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの渦の中、コミュニストの嫌疑をかけられ、委員から除名されようとしていた。
彼は、原爆開発後、広島・長崎の惨状から戦後は原水爆禁止・不使用の立場に翻っていた。
一方、原子力委員会に君臨していたストロース(ロバート・ダウニーJr)も公聴会に挑んでおり、それは政府閣僚・商務長官指名を狙ってのものだった。
ふたりの確執は原子力委員会設置時から始まっており、推進派のストロースにとって、反対派のオッペンハイマーは宿敵ともいえる存在だった・・・
というところからはじまる物語で、あれれ、原爆開発の「マンハッタン計画」が主軸ではないのね?というのが観始めてすぐの思い。
で、ストロースの公聴会、オッペンハイマーの諮問会とふたつのことなる裁判にも似た会議が現在時間軸で、それぞれの回想(というかなんというか)の形式で過去の出来事が綴られていきます。
うーむ、なんやねん。
別に時間軸に沿って順に描けばいいじゃないか、と思うわけですが、それをやると倍ぐらい時間がかかるので、「さわり(見どころ)」だけで綴ったのではないか思うようなつくり。
前半30分ぐらいまでに、オッペンハイマーがアカとみなされる要素を出してくる脚色は相当上手い。
けれども、それは、(わたしが期待した)映画の語りとは異なっていた。
前半に提示される要素が、最終的にオッペンハイマーのアカ/非アカを決定づける要素となっておらず、そういう意味では伏線になっていない。
なので、時間軸どおりでいいんじゃないかと思うわけで、そう思うのにはもう一つ理由があって、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」主導時と戦後における変転は、やはり時間軸に沿って描き、「おお、そりゃ心変わりするよね」と納得させる演出が欲しかった。
あえて原爆投下後の広島・長崎の画を撮らず、露出過多で悪夢を描く演出は評価できるが、その演出も今回の語り口では、鬼面人を驚かすの域を出ていないように感じました。
さらに戦後政治に飲み込まれていくオッペンハイマーの対立軸のストロースがあまりに生臭く(つまり演技的には素晴らしい)、彼の政治的野心との対立みないな感じがするのもマイナス要素。
ということで、個人的には「ところで、オッペンハイマーってどんな人物よ?」と思ってしまい、意欲空回り的な映画かなぁとも思った次第。
のべつ流れる劇伴、うっとおしいなぁと思ったら、最終実験の際の無音演出、その後のオッペンハイマーのトラウマ演出への伏線だったのね。
この点は、おおおお、と思いました。