「日本人として彼を許せるか。」オッペンハイマー himabu117さんの映画レビュー(感想・評価)
日本人として彼を許せるか。
映画『オッペンハイマー』、「原爆の父」と呼ばれた彼の半生を描いた作品。原爆投下後の彼の贖罪など聞きたくもない。広島長崎で、投下の年だけで20万人以上がなくなっている、たった一度の爆弾投下で。その事実だけでいい、そのことの結論と判断は自分でする。
科学者としての探究心が勝った。
そう、彼が原爆製造の「マンハッタン計画」に参加したこと。
さらに、その計画の中心人物であったこと。
映画を見てる限りでは、その実験の引き起こす悲劇より、科学者としての探究心が勝ったということ。
第二次世界大戦は、ほぼ連合国の勝利が見えた頃。
「マンハッタン計画」が、進行する。
各国の原爆製造が、最終段階をむかえ。
この一発で、戦況を変えられる。
戦後の世界地図の中で、有利な立場になれる。
その実験台になったのが、広島、長崎。
はたして、敗戦濃厚となった日本に、この攻撃は、本当に必要だったのか。
さらに、犠牲になるのは、非戦闘員。
この計画の推進者が、アメリカ大統領ルーズベルトであり、開発にあたったのが、オッペンハイマー。
オッペンハイマーの苦悩がにじみ出る。
そう、ハイマーの開発製造した原爆が、投下当日だけで、広島で7万人、長崎で4万人。
これだけの人が、一瞬のうちに命を奪われている。
さらに投下された1945年の年末までに、二十数万人が、この爆弾のためになくなっている。
自分が、作った爆弾のために。
贖罪の念にさいなまれるのは、当然の話。
だったら、最初から加わらなければ、先頭に立たなければ、いいではないか。
一瞬にこれだけの命、非戦闘員を奪っておいて、なにをいまさら。
彼が、爆弾投下後ルーズベルトと会談する場面が、秀逸だ。
贖罪の念と後悔を口にする、オッペンハイマーに対して。
彼が、大統領執務室を出たあと、執事に大統領が、吐き捨てるように言うセリフがいい「あんな泣き虫もう二度とここに呼ぶな」
まさに、男らしいセリフだ。
自らは、悪人と呼ばれようが、地獄に落ちようが構わない。
今の世界情勢の中で、ドイツの核開発、共産主義の台頭。
そう、スターリンなんていう名うての殺人者と渡り合わなければならない。
そんな男の覚悟が、読み取れた。
戦争早期集結に原爆は必要だったか?
確かに、1945年8月の二度の原爆投下。
その直後の御前会議で、日本はポツダム宣言を受け入れて全面降伏するのだから。
戦争の終結を早めたとも言える。
ただ、日本の降伏をはやくしないとという連合国、特にアメリカの思惑が大きかったはずだ。
戦後の世界地図の中で、リードを保つことを優先した結果だとも。
では、広島、長崎の犠牲者はどうなる。
納得しろと。
そんなわけがない。
むしろそんな攻撃をしたアメリカが、憎いはずだ。
となると、この映画をみて、とうていオッペンハイマーの贖罪などどうでもいい。
ただ、あなたの行動の結果を見て、私が判断するという気持ちになる。
戦争に正義などない、ただその検証は必要だ。
その点は、対共産主義、日本統治の観点から、占領軍による戦争責任の追求もあいまい。
日本自体も「一億総懺悔」で、なんとなく加害者から被害者にすり替わる国民。
大国の思惑から、戦犯の早期復権。
すべてが、曖昧のままだ。
では、戦後生まれの私達はどう考える。
結論などでない、ただ、事の起こった結果はわかっている。
その結果から、自分で判断するしかない。
戦争に正義などないのだ。
Mさん コメントありがとうございます。
こういった作品が作られる、過去を済んだことではなく、もう一度描く。
アメリカ映画にはこういった懐の深いところがありますね。
ほぼすべてのレビューがトルーマンに対する嫌悪感に満ちている中、違う見方について考えさせられました。
私にとっては、なかなか肯定的にはとらえられないところはありますが、ある意味、書かれている通りでもあります。
この映画は、見た人に思考を促し、何か伝えたくなるものがあるのかな、と思いました。