「単純に面白い映画だったでは片付けられない」オッペンハイマー ポン酢さんの映画レビュー(感想・評価)
単純に面白い映画だったでは片付けられない
タイトルのとおり
原爆が実際に現実で使われるまで、科学者以外の世界中の人類は、その恐ろしさを理解することができず、従って抑止力になり得ない。
劇中でこんなシーンがあった。
原爆資料館や裸足のゲンといった原爆の恐ろしさを伝える媒体に触れたことのある私にとって、原爆は恐ろしいものだ、こんなものは抑止力なのであって、実際に使われることはあってはならない。という考えだった。
が、本作を観て、その認識が少しだけアップデートされた。
原爆が使われてしまったことを到底肯定するつもりはないが、使われてしまったことで人類が原爆の恐ろしさ、原子力の恐ろしさを、空想上の存在としてではなく、現実に起こり得る事実、史実として認識できたことは、人類にとっては有益であったと感じた。
(原爆使用を肯定する意味ではない)
オッペンハイマーが開発した「原爆」は、従来の爆弾とは異なり、地球そのものを破壊し得るポテンシャルを秘めている。その力を人類に与えてしまった、プロメテウスが人類に火(破壊の象徴)を与えてしまったことに準えて、オッペンハイマーを描いたこと。
そして、人類が原爆の開発以降、いつ滅んでもおかしくないステージにあり、その蓋を一人の人間が開いてしまって、その蓋が未だに閉じられていないこと。
この二点が深く刺った。
水爆が完成し、いくつかの国が保有している現在の地球において、SFに描かれる地球滅亡は、SFではなく、現実に起こり得る、もっとも恐ろしいリアルであり、その扉をオッペンハイマーが開いてしまった。そう考えると、人類にとって、オッペンハイマーはとんでもない存在であり、そんな人物を題材に映画を作ると考えたノーラン監督の気持ちが少し理解できた。
※最初はSF題材にした映画にしてくれよ!って思ってました。監督、すみません。でも次回作はインセプションとかインターステラーみたいなSFがいいな。