「得体の知れない揺さ振り」オッペンハイマー ジョーさんの映画レビュー(感想・評価)
得体の知れない揺さ振り
もしこの作品を、クリストファー・ノーランではなく、正統派の監督が撮っていたらどんな感じになっていただろうか。オッペンハイマーという人間をどれだけ理解できただろうか。おそらく、原爆の父、ソ連のスパイ、共産党のシンパといった表面上のレッテルに踊らされて、客観的に、人の命を軽く見たA級戦犯だが、戦争を終わらせた救世主でもあり、と品定めしていたかもしれない。
だが、浅はかな品定めは見事に覆された。クリストファー・ノーランは、そんな軽率な決めつけを許してはくれなかった。
「マンハッタン計画」(核開発)、「トリニティ実験(核実験)」、原爆投下、戦後の聴聞会、公聴会。彼のトリッキーな「タイムスリップ」は、オッペンハイマーの心の襞のひとつひとつまでも描き切っており、そこには執念さえも感じられた。そして、目まぐるしいカラーとモノクロの反復、時折原爆の轟のごとき爆音により、観る者は、「タイムスリップ」の漂流船に激しく揺さぶられて、オッペンハイマーの心の中に、いつのまにか包み込まれてしまう。
この体験は、彼の出世作『メメント』で感じた、主人公の背景など関係ない、目の前の映像で自ら体感し、自ら考えよ、というノーランの啓示と酷似していた。この得体の知れない揺さ振りこそ、ノーラン・マジックのなせる業と言えるかもしれない。
最後にエミリー・ブラントについて触れたい。アカデミー賞の賞レースでは、『哀れなるものたち』のエマ・ストーンの陰に完全に隠れた感じだ。だが、ノーラン作品には欠かせない愛の表現者として、『インターステラー』のアン・ハサウェイ、『インセプション』のマリアン・コティヤール、『テネント』のエリザベス・デビッキらと勝るとも劣らない哀愁を感じさせてくれた。この場を借りて賞賛を送りたい。