「4つの時間軸を操るノーランらしさは堪能できるものの、オッペンハイマー同様、核の悲惨さから目を逸らしているようにも感じられる」オッペンハイマー tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
4つの時間軸を操るノーランらしさは堪能できるものの、オッペンハイマー同様、核の悲惨さから目を逸らしているようにも感じられる
何を考えているのかよく分からないようなキリアン・マーフィーのキャラクターが、オッペンハイマーの複雑な人間性にマッチしていて、正面からのアップを多用して、それに迫ろうとするかのような映像には引き込まれる。
ただし、オッペンハイマーの聴聞会と、彼を行政機関から追いやったストローズの公聴会が同時並行で進行し、しかも、それぞれの会での証言が回想形式で描かれるため、4つの時系列を頭の中で再構成しなければならず、話の流れをすんなりとは理解することができなかった。
物語の前半は、オッペンハイマーの女性遍歴や共産主義との関係性、あるいはナチス・ドイツやソ連への情報漏洩の疑いなどが大きく取り上げられて、彼がどうして原爆の開発にのめり込んだのかといったことは、比較的さらりとしか描かれない。
それでも、「自分が原爆を開発しなくても、いずれナチスが開発するはずで、それだったら、先に自分たちが開発した方がいい」という考え方からは、科学技術と戦争との切っても切れない関係性について考えさせられた。
開発した原爆を実験で爆発させるシーンは、この映画の最大の見どころといっていいだろうが、緊迫感と爆発の規模は伝わってくるものの、「恐怖」を感じることができなかったのは物足りないし、実験に成功した後の関係者たちの狂喜乱舞ぶりには、日本人として、やはり違和感を覚えざるを得なかった。
ただ、物語の後半は、原爆を開発したことによるオッペンハイマーの苦悩と葛藤が描かれることになり、広島への原爆投下後のオッペンハイマーの演説で、歓喜に沸く聴衆が、原爆の閃光で焼けただれ、苦悶し、嘆き悲しんでいるように見える描写からは、核の恐怖を描こうという意欲を感じ取ることができる。
その一方で、オッペンハイマーの経験したことが語られる以上、広島や長崎の惨状が描かれないのは致し方ないにしても、被爆者の状況を説明していると思われるシーンで、そのためのスライド画面は映さずに、そこから目を背けるオッペンハイマーの姿だけが描かれるところを見ると、彼と同じく、この映画も、原爆の悲惨さを直視することを避けているように思えてならない。
何よりも、オッペンハイマーの罪悪感や悔恨の念が、「広島」や「長崎」に向けられたものではなく、「人類を滅亡させ得る兵器を開発してしまった」という思いに由来しているという描き方には、どうしても、釈然としないものを感じてしまうのである。
ありがとうございます。
別に、謝罪しろとか、罪を償えとか言うつもりはありませんが、人類の滅亡や地球の破壊を憂う前に、実際に原爆で苦しんだ広島や長崎の人々に思いを寄せてもらいたかったと思います。