劇場公開日 2024年3月29日

「被爆者から目を逸らした無邪気な男の伝記」オッペンハイマー アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0被爆者から目を逸らした無邪気な男の伝記

2024年3月29日
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鑑賞方法:映画館

字幕版を鑑賞。「インセプション」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」と傑作を次々と発表して来たクリストファー・ノーラン監督が、遂にアカデミー作品賞や監督賞などを手にした話題作であるが、ここ何年もずっと続いたアカデミー作品賞の出来の悪さに嫌気が差していたので、受賞は私には何のプラスにもならなかった。

オッペンハイマーを人間的な生臭さも含めて描こうとする姿勢は、最近の伝記ものには珍しくない趣向である。濃厚なベッドシーンがあるのでR指定になっている。3時間もの尺の長さは彼を成功者として描こうとしておらず、マンハッタン計画やトリニティ実験も通過点に過ぎず、多くは第二次大戦後のアメリカで吹き荒れた赤狩りに伴う原子力委員会の聴聞のシーンに費やされている。

最初はハーバード大を飛び級の3年で首席で卒業し、その後英国のケンブリッジ大やドイツのゲッティンゲン大に留学した理論物理学者で、6ヶ国語を自由に操り、資本論なども完読するなど、頭脳の働きは只者ではないことが示されるが、彼とその妻の本質は実に未熟である。恋愛や結婚も成り行き任せで主体性がなく、ブラックホールや核分裂の話は誰よりも詳しいのに、泣きじゃくる我が子や育児ノイローゼで酒浸りになる妻に対して何ら画期的な解決法が見出せない。

マルクスなどという俗物が頭だけで考えた共産主義に好奇心だけで易々と仲間入りし、党員にはならなかったにしても周囲に共産党員の出入りを拒まず、原爆開発にまでタッチさせていたというのだから、現代の感覚で言えば信じられないほどの無邪気さである。日本で言えば、東大卒にもかかわらず頭だけで行動して周囲の迷惑など歯牙にもかけない鳩山由紀夫や福島瑞穂のような出来の悪い人間の典型で、その考えの足りなさは許し難いほどである。

当初の核爆弾にはその材料によってウラン型とプルトニウム型があった。ウラン型はバレーボールサイズのウラン 235 を集めるだけで勝手に核分裂の連鎖反応が始まるので実験の必要はない。広島に落とされたのがウラン型だが、ウラン型原爆は材料集めと濃縮が大変過ぎて、米軍が作り出せたのは広島に落とした1発だけだった。核燃料は2分割してシリンダーの両端に置いて、片方を通常炸薬の爆発の勢いで相手に向けて放り投げて合体させるだけなので、爆弾の形はシリンダー型となる。

長崎に落とされたのはプルトニウム型で、ソフトボールサイズの材料で作れるが、ウランと違って集めるだけではダメで、周囲から力を加えて圧縮する必要がある。核燃料は 32 分割してそれぞれに通常炸薬を背負わせて、火薬のそれぞれを同時に爆発させて中心で一体化して圧縮する必要があり、爆発的に圧縮するので爆縮といい、難易度が高いので実験が必要である。爆弾の形は球形に近いものになる。

水爆はプルトニウム型原爆をリチウムと重水素の化合物でくるみ、原爆のエネルギーを利用して重水素の核融合を起こすもので、爆発のエネルギーはプルトニウム原爆の 1000 倍ほどになる。重水素の核融合だけなら放射線被曝の心配はないのだが、起爆剤にプルトニウム原爆を使うので放射線は避けられない。日本に落とされた原爆をきっかけに世界中で始まった核爆弾の開発競争は水爆が中心である。

といった核爆弾の基礎知識は一切説明がないので、一般人が核開発の内容を追いかけるには予習が必要である。トリニティ実験で扱われたのはプルトニウム型で、日本の降伏が遅ければ長崎に続いて新潟や小倉にも落とされるはずだった。オッペンハイマーが水爆開発に反対だったというのもダブルスタンダードで、プルトニウム原爆なら良いが水爆はダメという合理的な理由はあり得ない。このせいでオッペンハイマーは水爆開発からは外されてしまう。

トリニティ実験が成功するまではオッペンハイマーは最重要人物だったが、成功してしまった後は用済みとなったも同然である。実戦でいつ使用されるのかの連絡も貰えず、完全に蚊帳の外に置かれた。原子力委員会の聴聞会は悪意を持って仕組まれたもので、オッペンハイマーの弁護人以外は全て悪意の持ち主の息のかかった者たちだったというのは目から鱗だった。

高卒の大統領トルーマンは、先代のルーズベルトが副大統領に指名した状態で病死したため、副大統領から昇格したというだけの男で、マンハッタン計画について何も知らされていなかった。例えて言えば、何かの間違いで中卒の山本丁太郎が大統領になったようなものである。ナチスに先を越されないようにという強迫観念で開発を進めて来た計画がヒトラーの自殺とドイツの降伏でモチベーションを失ったはずで、中止にするという選択肢もあったはずだが、政治的な業績がほぼ皆無だったトルーマンは、ほぼ独断で日本への使用を決めた。満身創痍の日本は矢弾が尽きて降伏寸前だったが、世界へ向けた示威行動の犠牲にされたのである。

広島と長崎の原爆投下から 24 時間以内に死亡したものは約 22 万人、被曝の後遺症で亡くなる人は現在でも続いていて、正確な人数は未だに判明していない状態である。被爆者の実像が徐々に世界に周知されるにつれてどの国も使用を躊躇うようになり、実用に供されたのは日本に落とされた2発だけで、その後の各国が保有している核爆弾は「抑止力」という機能として存在しているだけである。3発目を落とされないようにするには日本こそ核保有すべきという考えは、何故か日本では袋叩きにされる。

オッペンハイマーは 1960 年に来日しているが、東京と大阪を回っただけで、広島にも長崎にも出向いていない。腹の立つほど無邪気な行動は、死ぬまで改まらなかったようである。

この映画もまた広島や長崎の悲惨さには真正面から向き合うのを避けており、所詮はチャーチルの国である英国出身の監督らしい。チャーチルは日本に警告なしで原爆を使えとアメリカに催促したクソ野郎なのであるし、英国が行った核実験は全て本国以外の植民地で行われている。

もっといくらでも面白くできただろうに、やはりアカデミー作品賞を取るような映画は見たって仕方がないという思いを強くした。
(映像5+脚本2+役者4+音楽2+演出3)×4= 64 点。

アラ古希
アラ古希さんのコメント
2024年3月31日

お楽しみ頂ければ何よりです。

アラ古希
みなもとさんのコメント
2024年3月31日

参考になるレビューでした。実際の政治家を揶揄するところは少し笑ってしまいました。

みなもと
アラ古希さんのコメント
2024年3月30日

お役に立てれば幸いです。

アラ古希
Mさんのコメント
2024年3月30日

ありがとうございました。自分でもwikiで調べてみて納得できました。
プルトニウムにももちろん臨界はあり、ただ、239に混じっている240が臨界を起こしやすいので、ガンバレル型ではダメだということがわかりました。
お世話になりました。

M
アラ古希さんのコメント
2024年3月30日

いずれも大体仰せの通りです。

アラ古希
Mさんのコメント
2024年3月30日

なるほど。
プルトニウムはガンバレル型では爆発しないのですね。プルトニウムには臨界という概念はないのですか?
ウランでも、臨界に達しない量を入れておけば、爆縮型でもできるんですよね。
水爆は核融合の状態が原爆を利用しないとできないというわけか。もし常温核融合ができるようになれば、放射線を発しない水爆が完成するのですか?
すみません、質問ばかりで。
自分でもウェブサイト等で調べてみます。

M
アラ古希さんのコメント
2024年3月29日

ガンバレル型では爆縮が不完全になってしまいます。

アラ古希
アラ古希さんのコメント
2024年3月29日

「哀れなるものたち」とは違うので、R指定は必ずしもなくても良かったと思います。

アラ古希
Mさんのコメント
2024年3月29日

どうでもよい質問なのですが、ガンバレル型ではプラトニウムは使えないのですか?

M
Mさんのコメント
2024年3月29日

このレビューを読みながらふと思ったことなのですが、かの映画はR指定を避けるべきではなかったのか、と。
若い人にこそ見てもらって、いろんな感想をもってもらうべきではなかったのか、と感じました。

M