「私たちは1年後には核戦争でなくなっている(かもしれない)世界に住んでいます。」オッペンハイマー Mさんの映画レビュー(感想・評価)
私たちは1年後には核戦争でなくなっている(かもしれない)世界に住んでいます。
======ノーランの致命的な失敗======
トリニティの実験を全くCGを使わずに撮影してしまったことが、この映画の最大かつ致命的な失敗。
この映画のように、広島、長崎を撮さないのであれば、トリニティの実験こそが、「人類は取り返しのつかない箱を開けてしまった」ことの(唯一の)表現であったはず。
ところが、何のこだわりか、彼がCGを使わないという(愚かな)選択をしたために、原子爆弾が、単なる「凄い爆弾」に成り下がってしまっている。
小さい頃から、夏には平和教育を受け、甲子園の試合の最中のサイレンに黙祷し、自発性のあるなしに関わらず、映画やドラマを見、原爆や戦争に関する本やマンガを読み、小学校や中学校で教師の話を聞いたり授業を受けてきた私たち日本人は、「原爆はあんなものではない」という気持ちを味わったことだろう。
私は核爆発を実際に見たことはない。したがって、ひょっとすると、トリニティの爆発は映画に近いものだったのかもしれない。
でも、それではダメなんだ。
ということがノーランにはわかっていない。
広島、長崎を描かなかった選択は、監督の考えだから仕方がないことだと思う。
私自身も、原爆の仕組みなどの科学的なことや、どうして日本に原爆が落とされたのかの社会的な意味を抜いてしまって、ただひたすら原爆の被害状況や情緒的なものを描くばかりのドラマ(あるいは平和教育)には異論がある。
ただ、実際の爆発程度がどうであったにせよ、爆弾の親玉程度の描きかたでは、何も伝わらない。
人類はパンドラの箱を開けてしまったのだ。
過剰なほどの「原爆の恐ろしさ」の描写が絶対に必要だったのだ。
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〈追記 2回目の鑑賞の後に〉
ここまで読んでくださった方の中には、「ノーランのことをさんざんに書いているのに、なぜ評価は5?」と思われた方も多いのではないでしょうか。
私がここでレビューを書く時に気をつかっていることは「ネタバレをしない」これだけです。だから、おちゃらけたり、どうでもよいようなことを短めに書くことが多いのですが、今回、最初に見た後に、つい、少々肩に力の入ったレビューを書いてしまいました。
それこそが、評価を5にしてしまった理由です。みなさんの中にも、この映画を見て、自分の思ったことを伝えたくなった人は少なくないと思います。
ここでのレビューをずっと読ませていただきました。みなさまのおかげで、今回は、かなり細かいところまで理解することができました。
否定的な意見。肯定的な意見。いずれに対しても「そうだよなー」という気持ちで読ませていただきました。
私自身の感想は、そのどちらでもあり、どちらでもないような気がします。それでも(可能ならば)他の人にも見て欲しいと思う映画でした。
ロバートダウニーJr.のアカデミー賞の時の様子を見られた方とそうでない方は、この映画そのものに関する感想もずいぶん違ってきたかもしれません。
私はダメでした。よりによって、このテーマで撮った映画の主要な人物が、アジア人を、まるでそこにいないかのように扱った姿を見て、こんなに恐ろしいもの(原爆)を人が住んでいる広島や長崎の上に落とせたのは、きっとこんな感覚だったんだろうな、と思わせるに充分なものでした。
「アイアンマン」や「シャーロックホームズ」以来、好きな俳優の一人だったからこそよけいに残念でなりませんでした。
私はこの映画に(ある意味認めながらも)何か釈然としないものを感じていました。
ある方のレビューを読んで、それがオッペンハイマーが何を後悔していたか、ということだったことに気づきました。
彼は広島や長崎に原爆を落としたことではなく、核爆弾というパンドラの箱を開けてしまったことに後悔しているのではないか、という疑念です。
私たちは何かの予期しない突発的な事故で、大規模な核戦争に入ってもおかしくない世界に住んでいます。
私たち日本人は、好むと好まざるに関わらず、ノーランの持っている原爆に関する知識の何倍もの知識や感情を持っています。(どうしても情緒的なものに片寄る傾向はありますが)。なにせ、かけてきた時間が違います。日本人である私たちが、この映画を見て感じたことをみんなに伝えていくことは、きっと何らかの役に立つはずです。私はそう思ってこのレビューを書いています。みなさんも、この映画を見て、思ったことや感じたことを書いていただければいいなと思っています。
世界的に著名で影響力のあるノーラン監督が、原爆に関する映画を作ったことこそが、この映画の一番の価値であるように思います。ノーラン監督には、ぜひ、広島と長崎を訪れて、原爆について深く学んで欲しいと思います。
(どうでもいいことで)
・「トリニティ」というのは、「リトルボーイ」や「ファットマン」と同じような、その爆弾の名前だと思っていました。しかし、トリニティというのはあくまでもこの実験の名前で、「ガジェット」(道具の意味?)(映画で呼んでいたそのまま)が爆弾の呼び方のようです。
・実験で光ってから音が届くまでの時間は、実際のものに近いものだと思っていましたが、(頭の中で数えてみただけですが)およそ70秒あまりと実際に9km地点で感じる時間(25秒程度)よりずっと長い時間でした。やはり演出として、この無音の時間をとっていたことがわかりました。
・レビュー中の「甲子園のサイレン」は8月15日の正午に鳴らされるもので、原爆の落ちた6日と9日に鳴らされるものではありません。
・映画の中で機密保持許可になぜあんなにこだわるのだろうと考えていました。しかし、研究者として機密に触れることができないということは、実質、核の研究から追放されたことと一緒だということがわかりました。
・オッペンハイマーは絵画にも造詣が深そうでしたが、母親は画家だったそうです。
・「大気への引火」について、私自身は、自分の持っていた(薄っぺらな)核分裂や連鎖反応に関する知識から、荒唐無稽なものと認識していました。しかし実際には、テラーから出されたアイディアは、核分裂ではなく、大気中の8割を占める窒素の核融合についての懸念であったようです。この映画の通り、再計算の結果、その可能性は「ほぼ0」ということだったようですが、「大気への引火」を聞いたオッペンハイマーらのトリニティ実験に対する恐怖は如何ばかりだったろうかと想像しました。そして、それでも、実験を行った彼らに対して、改めて言うべき言葉を失いました。
・日本でも、湯川秀樹博士は原爆の開発に関わっていたということです。朝永振一郎博士も原爆ではないものの、殺人光線(レーザー光のこと?)の開発に関わっていたそうなので、私たち日本人も、アメリカだけを責める資格はないなあと感じました。
・1942年の時点で、オッペンハイマーは水爆の開発にも積極的に関わろうとしていた様子があるようです。その後の水爆反対の行動を考えてみると、(少し穿った見方にはなりますが)、自分が中心となって関わった原爆を上回る武器の開発に対して反対した、ともとれないことはないかもしれません。個人的には核開発の競争を懸念しての行動と信じたいのですが・・・。
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〈追記の追記〉
安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから
平和公園の碑文。
この主語が何だったのかで、論争が起きたことがある。被害を受けた「私たち日本人が」なぜ謝る必要があるのか、という論議である。主語を「日本人」とした解釈である。
それぞれの立場からいろいろな解釈があったそうだ。
結論が出てしまったわけではないのかもしれないが、主語は「私たち人間は」というのが今の一般的な解釈ではないだろうか。
原爆を作ったのは、オッペンハイマーでも、物理学者たちでもなく、私たち人類であるという認識である。
広島市のWebサイトには次のような文章が載せてある。広島市としての解釈も「すべての人びと」が、ということのようだ。
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この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する「ヒロシマの心」が刻まれているものです。
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書いてある通り、繰り返さないのは原爆の投下だけでなく戦争そのものを指している。
先日読んだ本に、父親に抱かれた2歳児のオッペンハイマーの写真があった。彼も普通の人間であり、子どもの時代があったという当たり前のことに軽い衝撃を受けた。
私たちが真に原爆を落としたことを悔いるのであれば、そこには「私たち人間が」という認識が必要ではないだろうか。
私はこの映画に不満たらたらである。アカデミー賞授賞式以来、ロバートダウニーJr.に対しては嫌悪感さえいだくようになった。
ただ、相手を非難しているだけでは何も進展はない。
このサイトでも、肉親が被害にあった人、被曝2世や3世、広島や長崎に住んでいた人たちなどのレビューが載っていた。私は何かコメントを書こうとしたのだが、ずいぶん悩んだ末、言葉を思いつくことができなかったものがある。
私は日本人とそれ以外の人たちの受け取り方の違い(差)を自分のレビューに書いていた。しかし、私自身も、広島や長崎に住んだり、直接的な被害を受けた人に比べると、認識があまりにも浅かったことを感じた。
すべての人びとが、ここでのレビューで悲しみを怒りと涙で表現した人びとの気持ちにならない限り、核の廃絶は無理なのではないだろうか。
今は途方もなく不可能なことに思えるが、私たち人間にはその力がきっとあるに違いないと信じたい。
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と、書いていたのに、みなさんのレビューを読み返しているうちに、また、
「自分の家族を「ごめんね。ごめんね」と言いながら殴り殺しする相手を、誰が許すことができるのか」
という思いに囚われてしまいました。
気持ちがふらふらフラフラふらついています。
コメントありがとうございました。
本当に反対!でしたね笑
でも辿り着く共感😌
深く考えさせてもらえるレビューをありがとうございました。
後の、マリウポリの20日間につながったものを感じる作品でしたね。
追記はさらに共感です。
人類を脅かし続けていくパンドラの箱は人類によって開けられた…人類として心を寄せ考えることをやめてはいけないのだとおもいます。
Mさんへ
ようやくMさんの深い想いのこもったレビューを発見しました。
先日、山田太一原作のTVドラマ化3作目の「終りに見た街」を観ました。
この作品の骨子は、通常兵器による戦争の時代は、苦労を重ねてもなんとか人類は生き延びることが出来るが、核戦争の時代はそんな余裕もなく一瞬にして人類は滅びてしまうとのメッセージだったと思います。
オッペンハイマーが開発しなくても、いずれは核兵器は生まれていたでしょうから、そんな人類のサガの結果としての綱渡りのような世界に我々は生きているのでしょう。
そんな危機を防ぐ最後の英知を発揮出来るように我々は頑張らないといけませんね!
Mさん、コメントと共感をありがとうございました。
人類はパンドラの箱を開けてしまった、突発的な事故で大規模な核戦争に入ってもおかしくない世界に住んでいる、まさにその通りだと思いました。ウクライナへの侵攻が開始された際も、人々は後にあれが第三次世界大戦の始まりだったと気づくだろう、というような意見を見て、非常に恐怖と危機感を感じました。
Mさんの多方面への知識量は素晴らしく、参考になりました🙇♀️
アメリカが、オッペンハイマーに戦争に勝つ為(というより実験)に命令して作らせたとはいえ、
オッペンハイマーの苦悩以上に
えらいことをしでかした、と思う日が来るのか、アメリカだけでなく核保有国全てが。
Mさんの畏れが今わかりました。
Sow_miyaさんのコメントを拝読させていただいて、
話が逸れますが、
『すずめの戸締まり』という作品が外国でも大人気で、インドで鑑賞されたレビューで子供たちが大変喜んで観ていた、と書いておられました。
日本人が観れば東日本大震災のことが表されているのがわかります。それも中途半端に。震災を経験した方は、あまりいいい感情をお持ちでないレビューを書いてられました。
片やインドの子供達どころか大人も
あの作品から東日本大震災のことがわからないし、あったことも知らないでしょう。
多分そんな感覚ではないかな、と勝手に思いました。
作品として観客を絶え間なく惹きつけるものでしたので、そこが受けたのかと。
アカデミー賞7冠に義憤を感じるという方も。大変浅い知識しか無い自分ですが、最近のアカデミー賞は、忖度し過ぎて価値が下がりつつあるように思えます。人類を滅亡させるかもしれないモノを作った自国の男の話を大々的に自国の映画賞で大々的に賞賛とは、おかしなことですね。
原爆がただの強力な爆弾として扱われている点、私も違和感を持ちました。
原爆の脅威は破壊力だけではなく、放射能の影響も大いにあるにも関わらず、その点は触れていない。
また、黄色人種だから我々は原爆を落とされた、その点にも触れていない。
オッペンハイマーを描きたかっただけで、原爆を描くつもりはなかった、そういうことですかね。
おはようございます😃
二度目拝読させていただきました。
日本人として人間として本作を事細かに真剣に捉え考えるMさんのお姿が見えます。かねてからも思っておりましたが、
心清らかに苦悩してられて、皆Mさんのようなら平和なのにな、と感じました。
『肉弾』レビューへの励ましのコメントありがとうございました😊
3回観つつ全編観たのが1回だったのでもう一度、と。真ん中以降海岸だけが舞台になったのはなぜか考えてもわからずにいます。
人間魚雷みたいなのに乗って海を彷徨うところなど意味不明なことが多くあり悩むところです。
また観て考えます。ありがとうございました😊
ただ今一度拝読させていただきました。長文ながら、読みやすく、
心に訴えて来るものがありました。
ただ、お返事となると再度読み返して考えたいと思いました。
核を無くすことはできるのか、
大変難しくアやソや中の思惑は好き勝手なので、なんとも⁉️
なぜ日本だったのだろう。真珠湾攻撃の仕返しだったのでしょうか。しぶとくアに逆らっていたアジアの国だったからでしょうか、
こんにちは♪共感ありがとうございます😊
大変大変大変長い超大作ですので、後ほどじっくり拝読させていただきます。
『肉弾』レビューだいぶ書きましたが、後一回観てから完成させるつもりです。
授賞式への印象に関するコメントありがとうございました。二人の無視がまるでホテルのドアマンか何かに接するように自然だったことにショックを受け、特にエマ・ストーンには幻滅でした。もう印象は覆らないレベルです(笑)
コメントありがとうございました。共存という言い方に違和感があったようで申し訳ないです。核爆弾、そして我々人間も同じ世界に存在するという意味合いで共存と使わせていただきました。決して肯定はしていません。
M様
突然の多くの共感をいただきまして誠にありがとうございます。(嬉しく、また驚きました)
M様のおっしゃる通り、オッペンハイマーが着想・開発した『原爆』はとんでもなく大きく世の中を変えてしまいました。後世の我々からみれば「とんでもないものを造った人」とのみ写ってしまいがちですが、(確かにそうですが…)世界情勢といいますか、いかにナチス・ドイツが怖かったのかを表しているのかと感じました。特にV2ロケット発見のくだりで…
しかしその後更に怖いと思ったのは、ヒトラーが自害していたのを確認しながらも日本に原爆を投下したアメリカの政治的情勢です。日独伊の内2国が敗北下の中での大統領決定は狂気です。(戦後のソ連との対決ありきですが、オバマ大統領の贖罪だけでは済まされません)オッペンハイマーにそこまでの政治力が無かったのが残念です。
最後に、この映画をご覧になられた方々が「日本こそ『原水爆不拡散条約』に調印すればいい」と考えて下さればなぁと思いました(多分に政治的ですが)。
まぁオッペンハイマーの映画なので、そこまで飛躍することはないと思いますが。
M様はいかように思われましたか。
他の方のコメント欄での長文、失礼致しました。
ゴジラ第一作ヘの共感ありがとうございます。
ノーラン監督がこの題材に興味を抱き作品にした、その出来は評価出来るものだったと思いました。しかしそこに込めた想いとは? 慎重に取り扱ったあまりに見えなかったのは否めません。良く言われる観客に判断を委ねたのも事実なんでしょう、その姿勢を批判はしませんが少し温度の低さを感じました。
ゴジラ第一作では一人の科学者が犠牲になって兵器を葬りました。大人数で取りかかっていた原爆とは違うのでしょう。平成になって「ゴジラvsデストロイア」で再び兵器は表に出て来ました。ここを深く描ければもっと違う作品になったでしょうに。いくら娯楽作品とは言え、第一作の志が失われたのは当時残念でした。
トリニティとはキリスト教で言う三位一体のことで、父と子(キリスト)と精霊を指しいているのですが、あの実験がなんでそんな名前なのかを考えてしまいました。
神のご加護=アメリカの正義という傲慢な考え方なのかも知れないですね。
ただ、あの映像を見て、原爆を神のご加護と考えた人間の恐ろしさを感じます。
願わくば、世界の人が同じことを考えてくれれば、これから先、この映画が世界中でヒットした意味があるのではないかと思います。
平和公園の碑文を見て、加害国とか被害国とかではなく、本当に人間として考えるべきなんでしょうね。
共感とコメントを有り難うございます。
僕も「文化財の尊重」によって京都は候補地から外されたと聞いていました。
「黒い雨」はリアルタイムで親から注意されてました。それだから、オッペンハイマーは洗濯物をしまえと言ったのかも知れないですね。僕はただのサインと理解してました。
トリニティ実験についても、おっしゃられて改めて気づきました。そうですよね。凄い爆弾を何発合わせても到底、敵わない、地球を吹き飛ばすような爆弾が生まれてしまったと言う世紀末の真っ暗な感覚を、映画ならば観客に体感させられたはず。
オッペンハイマーの苦悩と後悔の中味とは? と言うのもこの作品を観た者に投げかけられる命題なんでしょう。
漠然とした言い方で済みませんが、Mさんのレビューの熱量&重量に押し倒されました。有り難うございました。
コメントありがとうございました。ロバートダウニーJr.は今回の一件でほんとに格を下げましたよね。米国でもリベラルな人間の多いハリウッドの住人があの態度とは残念ですが、同時にどこよりもヘイトに敏感で行動力のある国でもあるので、ひとつの事象ですべてを判断しないように努めたいと思っています。
しかしMさんのご返答を頂き「映画」への愛を感じます。
私はどうしても「映画」を評価するときに直感的にその映画が好きであるかどうかで単純に評価してしまいます。でもMさんは違いました。
私も映画に対して、客観的でありもっと真摯に評価して行きたいと考えされられました。
返信メッセージ、誠にありがとうございました。
Mさん 真摯なご返答、誠にありがとうございます。
正直に申し上げます。実は昨夜は広島出身の友人と飲んでおりましてかなり酔っておりました。その勢いの中、大変失礼でしたが…Mさんへ不躾なメッセージを送ってしまいました。本当にほんとうに申し訳ございません。浅はかな自分が許せません。
こころさんへ
一旦、知ってしまったことを忘れてしまうことはできませんよね。
ロシアの核は6000発を超えるとか。
アメリカも同数に近い数を保有していますから、一旦、事が起こってしまえば、人類は滅亡に近い状況になるかもしれませんね。
ただ、私はこの映画ほど、他の方のレビューを読み込んだことはありません。
私は印象に残った映画については、見終えた後で、ここのレビューをよく読みます。
とはいえ、10から20くらいならまだしも、それ以上になると、なかなか読みこなせないことも多い状態です。システムの仕組みか、私のスマホのせいかわかりませんが、ここでのレビューは40ずつしか読みこめません。だから、読み込めなくなった時点で、以降のレビューを読むことを諦めることが多いのです。
しかし、この映画については、書かれたレビューのほとんどに目を通しています。先に書きましたように40ずつしか読めないので、最新のレビューにたどり着くまでに「ものすごく」時間がかかります。(もっとよい方法があるのかもしれませんが)
それでも、時間があると、新しいレビューを見つけて読むように心がけています。そんなことは今まであまりありませんでした。
この映画を見た後、以前読んだ本を取り出してきたり、気になることをインターネットを利用して調べてみたりということもしばしばです。
なぜなのか。自分ではわかりませんが、それこそが、この映画の存在意義だと考えています。
私にこのような行動をとらせているのはこの映画であることに間違いはないと思っています。
えーじさんの書いていた「但し私はこの映画を観てずっと考え続けています」とまったく同じです。評価の数字こそ、えーじさんとはずいぶん違うようですが、同じような方(つまり、この映画の後、私と同じように、いろいろなことを考え続けている人)がいるんだなあ、と(ある意味)不思議な気持ちになりながら、このレビューのえーじさんのコメントを読ませていただきました。
何かまとまりのない文章になってしまいましたが、これが先程のご質問に対する答です。
質問の提示、及び、冗長な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
こう言うと身も蓋もありませんが、私はこの映画をさほど好きではありません。一部の方のレビューのように、映画自体に嫌悪感をいだいているわけではありませんが、見て感動するというようなものでもありませんでした。
映画としてすぐれていると思っているのか、と言われると、それも(私にとっては)甚だ疑問です。今年見た映画の中でランクづけしても、ベスト10から20には入るかなあ、というくらいです。
この映画の封切りをとても期待していたのは事実です。元々、原爆については興味があり、原爆の仕組みやロスアラモスのこと、オッペンハイマーの人となり等は、本などを読んで、ある程度、知っていました。
レッドパージについては、この映画で知ったこともありましたが、それ以外はほぼ知っていたことをなぞる部分も多かったように思います。
何と書こうかと迷っているうちに、時間が過ぎてしまいました。
結論を先に言いますと、今でも5です。
理由に関してはレビューに書いていた通りなのですが、少し付け加えていただきます。
因みに私はここのレビュー上でも、最初は"3.5"→"3.0"→"2.5"とどんどん下がりました
但し私はこの映画を観てずっと考え続けています
これこそがこの映画のもたらした最大の功績であると考えます
ノーランがそこまで考えていたかは別として、ある意味素晴らしい映画であったと言えます!
我々の魂を揺さぶられたのですから…
Mさん
コメントを頂き有難うございます。
『 核戦争で、文明が滅亡してしまわない限り。」… Mさんがコメントに書いていらっしゃる事が、この頃益々現実味を帯びきていますよね。本当に恐ろしい事です。
京都が一番の候補地だったことには驚きましたね。
小倉のことに限らず、私たちが意識していないことでも、原爆に関するいろいろな知識を持っておくことはとても大切なことだと思いました。
この作品をきっかけとして、原爆に関するいろいろな情報を取り入れようと思う方々が増えるといいですね。
Mさん、拙レビューへのコメント、ありがとうございました。
小生の本作レビュー、鑑賞直後の感情の赴くまま記したポエム的な拙文となってしまいましたので、知識不足、リサーチ不足が露呈した次第です。
8.9の最初の標的は小倉で、パイロットが充分目視できなかったため、第二候補の長崎に落とされたという事実、恥ずかしながら初めて知りました。
また、小生、京都在住のため、劇中笑い話のように京都の地名が持ち出されたことに義憤を覚えましたが、京都も広島、小倉、横浜と並ぶ最終候補4都市の一つに入っていたことを確認し、再び戦慄しています。
ノーランのトリニティ実験の描写の手ぬるさ、小生はあれでも戦慄し嗚咽しましたが、Mさんの仰る通りだと思います。
幸いなことは、日本で本作が公開され、これだけ有意義な議論が交わされていること。
本作がきっかけとなって、原爆の本当の恐ろしさについて、ようやく世界で同じ地平で議論できる土台ができつつあるのかも知れません。
一部の演者による無神経な振る舞いも、以前ならいざ知らず、今は批判も当人の耳に入っていることでしょう。
何よりノーラン監督が、真摯に本作に取り組んだのなら、そうした議論の広がりは喜んでいるのではないでしょうか。
本作の公開が、未来への第一歩になれば、と切に願うばかりです。
へー。そうなんですね。
でも、宗教のことも絡みそうなので、そのまま上映したら、大変なことになりそうですよね。
近頃、この映画のみなさんのレビューをいつも気をかけて見ているのですが、いろいろ知らないことを教えていただいたり、いろいろな考え方を知ることによって、自分自身が見終えた時よりも、ずいぶん自分の考えが深くなってきているのを感じます。
今回も、情報ありがとうございました!
みかずきさんへ
ノーランが何を描きたかったか。
英国人としての視点は、やはり米国人としての視点と同じなんですかね。
自分はこう受け取った、ということは言えても、本当のところはわかりませんね。
Mさん、コメントありがとうございました
Mさんのレビューを読んで、立場の違う者同士の相互理解の難しさについて改めて考えさせられました。
私のレビューに、「この映画の宗教的側面について」を追記しました。一読いただけましたら幸いです。
コメント、共感ありがとうございます。
戦争の悲惨を嘆く感情論が戦争を抑止するとは私には思えません。
そのような悲惨を避けるためにこそ核が必要だというのがオッピーたちの考えでした。
実際我々日本人はアメリカの核の傘に守られて平和を享受しています。ノーランはむしろ戦争の悲惨を訴えることが何故戦争の抑止に繋がらないのかということを描いている気がします。
Mさん、私の他のレビューに沢山共感ありがとうございます。このレビューにすごく共感して、あらためて核への恐怖を感じています。監督の以前の作品で、他の方が、「CGを使わないのがノーラン監督のこだわりなんですよ」と教えて下さいましたので、本作もそうなのでしょう。でも観る側がそれを良しとするかは別問題です。
コメントありがとうございました。お返事遅れてすみません。
時間が経つにつれて怒りと悔しさが押し寄せてきています。
オッペンハイマーの後悔についてや、ダウニーJr.のあの態度に対するご指摘、私も同じ意見です。
追記についても何度も読み返して噛み締めました。
まだまだ考える事がやめられないし、咲いているサクラを見ては泣きそうになっています。
後30分程で子が帰宅。昼食準備などあるのに、気分が重いです
( ; ; )
Mさん
コメントありがとうございます
ノーランは、本作で何を描きたかったのでしょうか?
純粋に科学技術的見地から原爆を作り、それが、本人の意志とは違う方向にひとり歩きしてしまった科学者の悲劇でしょうか?
聴聞会のシーンに時間を費やしているので、核の脅威、反核でしょうか?
どちらも描きたかったと推察しますが、日本視点がないので、
どちらも、グローバルかつ普遍的なテーマですが、
アメリカの主観に留まってしまった感がありました。
ー以上ー
実験のシーンに関しては、なぜあんなに迫力のない状態を許容したかが不思議です。単にCGを使わないことにこだわっただけなのかなとも思います。
視点については、ノーランが広島と長崎を訪れたことがないのではないかと思いました。知らないから描けない。これに尽きると思います。
なぜ日本側から見た原爆について学んだ上で、映画を撮らなかったのか。不思議でなりません。
共感コメントありがとうございます。
原爆については、加害国であるアメリカ、被爆国である日本の双方の視点が無ければ、客観的に原爆を捉えることはできません。
本作には日本の視点がありません。
原爆実験シーンにも迫力が全然足りません。
アメリカ視点だけで原爆を捉えても、それはアメリカの主観でしかありません。被爆国民として残念です。
では、また共感作で。
ー以上ー
必ずしもアカデミー賞のために撮った映画ではないかもしれませんが、いろいろな考え方、思惑の中で作られた映画ではあるでしょうね。
日本でも公開されて、このようにいろいろな意見を聞ける状態になったこと、よかったなあと思いました。
Mさん コメントと共感ありがとうございます。そしてこの様な意見の場ありがとうございます
この映画はノーランがアカデミー賞を獲りたいが為だけに作られたとしか思えません
またその意識そのものが我々日本人に対する冒涜であり欧米人特有の横暴さなのであると考えます
しかし一方で日米同盟で守られた(又は守れていると錯覚している)世界に生きているのも事実です
共感とコメントありがとうございます。
素晴らしいレビューですね。
私の伝えたい事の全てです。
オッペンハイマーの後悔が広島と長崎の犠牲者への後悔だと少しは救われるかもと思いましたが、それでもほんのわずかな救いにしかならないように思いました。
同感とのご意見ありがとうございました。
ただ、ノーラン監督は頑張ったけれど、あそこまでが精一杯だったのかなあという気もしました。夏が来る度に、戦争や原爆のことを考え続けてきた私たち日本人とは、原爆について考えてきた時間も得ている知識もずいぶん違うでしょうから。
大きな正義(?)のために22万人を殺すというのはとんでもない考え方だなあと思います。
広島と長崎の被害を描かないのであれば、せめて、「地獄のような」爆発の場面、見ていてゾッとするような場面を見せて欲しかったと思いました。
Mさん、こんばんは
私ももう少しでもいいから、広島や長崎の被害を描いてほしかったと思った1人です。オッペンハイマーのヒーローからの転落をわかりやすくするために敢えて触れなかったのかな?なんて、うがった見方をしてしまいました。大きな正義のための被害は仕方ないっていう考えが日本人の私には難しかったです
はい。否定的だったと思います。
ただ残念なことに、ノーラン監督の原爆に対する知識や感情は、私たち標準的な日本人の何分の一かしかないことを感じるものでもありました。
今からでも、ぜひ広島と長崎を訪問して欲しいものだと思いました。
アメリカ人は全員、原爆投下は肯定的かと思っていました。
この映画では、中立な内容だったような気もしますが、日本人から見るともう少し、、、とも思いますね。
ただ、監督は明らかに否定的でしたので、その点はいくぶん良かったですが。
ニコラスさんへ
やはりCGを使わないことにこだわりがあったのでしょうね。でも、そのために失ったものは大きいように思いました。
原爆の実態を知らない外国の人々の中には、あの爆発が原爆の爆発なんだと思う人もいることでしょう。
映画にとって、音響はとても重要な要素なので、その意味では成功しているのではないでしょうか。
確かにあの爆発は拍子抜けでしたね。昔の東宝特撮映画みたいでした。そういえば前作のテネットのビル爆発もミニチュア丸出しでした。本作はIMAXで見るほどでもなかった気がします、大半が会話劇なので。内容はよかったんですけどね。
ノーランはヴィルヌーブを見習ってCGのいい所は利用してもいいのにと思います。
子供のころ見た「ザ・デイ・アフター」の水槽に絵の具垂らしたきのこ雲の方が全然怖かったかも。
コメントありがとうございます。
確かに音からは不穏な、不安を掻き立てるものが伝わっては来ましたが、映像や中身からは恐ろしさや造ってはならないものだということは伝わりにくかったですね。
かばこさんへ
かばこさんもやはりそう思われましたか。
私も「トゥルーライズ」見た時には、作った人の見識を疑いました。でも日本以外の国では、原爆はあの程度軽い存在なのかもしれませんね。
かぼさんへ
そうなんですよね。どんな凄い表現かと期待していました。
期待が大きすぎたせいもあるのですが、なんかすごい爆発くらいにしか見えなくて。
核の恐怖があってこそのオッペンハイマーの葛藤かと思います。
こんにちは
「トゥルー・ライズ」観たときはぞっとしました。「ゴースト・バスターズ」でも、確か核を使用してましたね。
アメリカ人の核に対する考え方は、概ねこの映画で語られたようなのではないでしょうか。(あまりに軽すぎると私は思います。)一方、日本人は、「ゴジラ-1.0」で表されたような思いを持っている。同じ年にこの2作が並んだことで、身近で見比べることが可能。偶然でしょうが興味深いと思いました。
共感ありがとうございます。レビューを書いた後で、Mさんのレビューを読んで全く同意見な上に、端的に表現されていたので速攻共感させてもらいました。
ノーランなら物凄い表現で核の恐怖を観せてくれると期待した分、落胆が大きかったです。
Mさん、基本バンクーバーは白人より有色人種の方が多いのでは?という感じで、そこまで透明でもないのですが、日本人は英語ができないと思われて時々無視されがちですw
昨日のバイトでも「透明だぁ」と思うことがありました😅。でも、私の場合は英語力不足なのは否めないのでいいんです♪ロバートとエマは、ちょっと露骨でしたが。
りあのさん。ありがとうございます。
日本人は(特に西日本に住む人たちは)、以前ならば、好む好まざるに関わらず、少し探せば原爆に直接間接に影響を受けた人はいたのではないでしょうか。
今はもう、そんな人たちは私たちの周りからはいなくなりました。
若い人たちにとっては、原爆なんて、遠い遠い存在です。
それでも、修学旅行で長崎や広島に行ったり、夏には特集やドラマがあったりして、否応なしに8月6日や8月9日を意識せざろうえません。
でも、外国にはこの日のことを意識的する人って、皆無のような気がします。
ノーランのような有名な監督が、原爆に関する映画を撮ったことは画期的なことだと思います。
でも、残念ながら、多くの日本人のようには原爆に接してきていません。
この映画の限界はそこにあったような気がします。
せっかく、こんな映画を世界に向けて発信しました。もう一歩進んで、その雲の下で起こったことを知れば、さらに意味のある作品が作れるような気がしています。
Mさん
コメントありがとうございます。
同感です。
今年の1月に90歳で亡くなった母も被爆者健康手帳を持っていました。
実際に被爆を体験した人の声を聴ける、時間、はそんなに多く残って無いですよね。
本当にそう思います。
そこまでの意図があったのかはわかりませんが、とにかく長かったです。
そもそも、ノーランが原爆の倫理的な問題に正面から取り組もうと思っていたかどうかは疑問です。
ノーランは広島か長崎を訪れたことはあるのでしょうか。
この映画をきっかけに、一度訪れて、被爆者の方々の話を聞く機会が生まれればと思います。もう「時間」はそんなに多くは残されていません。
コメントありがとうございました。あの公聴会:スパイ疑惑に関わる件の脚本的冗長さは、原爆の倫理的存在意義にフォーカスされないがために意図的に仕組まれたものだったのかもしれません。
おひさまマジックさんへ
意図的じゃないですよね。自然に無視するというか。悪気なく差別するというか。いてもいなくても関係のない存在というか。
私は「シャーロック・ホームズ」以来、とても好きな俳優さんだったので、ほんとうに残念でなりませんでした。
原爆をアジアの一部である日本に落としたのと、同一のものを感じました。
グレシャムの法則さんへ
“それ“というのはトリニティの爆発のことですよね。やはり地獄のような恐ろしさを表していて欲しかったな、というのが本音です。
ノーランはたぶん広島や長崎を訪れたことはないのでしょうね。
政治リーダーの思考回路の件、全くその通りだと思いました。
Mさんに本作共感でございます。透明なアジア人。あの行動って本当に意図的なものだったのですかね?本人のみぞ知ることですが、意図的なら、、なんて言いますか、、非常に時代遅れな軽蔑されるべき行動ですよね。
琥珀糖さんへ
理論物理学者や数学者はそもそも私たちとは別の生き物くらい賢い人たちのはずです。
この映画に出てくる彼らは、その中でもさらに図抜けた人たちです。
当然、倫理的にもきちんと考えることができるのであれば、必然的に人類の破滅につながる行動を取れるはずです。
だけど、そうはならなかった。
それが今の世界の現状なのでしょうね。
トリニティの爆発シーンではCGは使わなかったと聞いています。
sow_miyaさんへ
まったく同感です。ロバートダウニーJr.の感覚は、原爆投下の時代から、全く変わっていないということだと思います。
「透明なアジア人」だからこそ、その上に原爆を落とせたのでしょう。
ゆ~きちさんへ
友だちの娘さんがカナダに留学していたのですが、カナダでは人種差別はあまりないように聞いていました。
「透明なアジア人」
先日のロバートダウニーJr.の行動はほんとうに残念でした。
〝それ〟を描くことで持っていかれる感情はかなり強烈な半面、他の何かを見落としてしまう。
もしかしたら、そういうこともあっての抑制だったのかもしれません。
穏やかに受け止めきれないこと。
それも含めて、今、世界の政治リーダーたちの思考回路が単純化、暴力的に傾いている現状の恐ろしさが身に沁みて伝わってくる映画だと思いました。
コメント・共感ありがとうございます。
そうですね。
科学者は完成した最新型の核兵器を絶対にお披露目したい、
その誘惑を断つ事は出来ませんね。
必ずどこかの国が使ったでしょうね。
ニューメキシコのハーロックでしたか?の最終実験の映像は、
CGを使ってないんのですか?
なんか結構物凄くてびっくりしました。
コメントありがとうございました。
映画を観終わって、改めてロバート・ダウニー・Jrの振る舞いを考えると、役柄も合わさって、なおさら「さもありなん」と思ってしまいました。
落とした彼らにとっては、死亡者は数なのでしょうが、落とされた日本人にとっては、一人一人今を精一杯生きていた固有名詞を持つ「すずさん」たちでした。(ガザの方々も同様ですが)
オッペンハイマーを観たアメリカの観客たちが、そこまで想像を広げてくれることを願うばかりです。
私もカナダで時々透明なアジア人やってるんで、Mさんのコメントに共感しています。
この作品にオスカー7冠にあまりめでたい気持ちになれませんでした。大作なら、もっと前向きなメッセージを受け取りたかったです。
昔、「鉄腕アトム」という映画がありまして、この「アトム」というのはもちろん「atom」(原子、原子力)のことです。
一時期は夢のエネルギーだったのでしょうね。
原子力というと、私にとっては、どうしても東海村の事故を思い出してしまいます。
もう絶版になっていますが、「被曝治療83日間の記録」は(今のところ)私にとっての一番大切な本です。
(単に放射能事故のあらましということではなく、「命とは何か」という根元的なことについて書かれたものと思っています)
Mさん、コメントありがとうございます。原爆を受けたのに原発で夢を撒き散らし歓迎したのは私たち日本人も同様だと思います。そして今も何も変わらないどころか思考停止状態で防衛費を増やしています。ノーランはオッペンハイマーの人生を見せることで、「原爆後」の世界全部を考え直す時期の到来を(もう遅いかもしれないけれど)示唆してるのかなと思いました
以前見たNHKの特集で、意図的にソ連に情報を渡した説を見たことがあります。
今で言う「核抑止論」に基づく考え方をした人が、意図的に漏らしたという説でした。
漏らした人物が誰だったのかは覚えていませんが、それがオッペンハイマーでもおかしくはないかも、と思いつつ見ました。
Mさん
コメントありがとうございます。私にはオッペンハイマーは広島、長崎のみならずその後長く続く核兵器開発競争のフタを開けてしまった罪をある程度意識して後悔しているようにみえました。いわば「原罪」です。そこが上手く伝わらないのはやはり監督の認識不足か力量不足なんでしょうね。
トミーさんへ
言われてみれば、この映画を見て、オッペンハイマーに対する嫌悪感は確かにありませんでした。
そんな風に彼を描いているわけです。
それがノーランの見識と見るしかないのでしょうね。(別に嫌悪感を抱くような表現をしろ、と言っているわけではありません)
ゆ~きちさんへ
日本人は、たぶん、外国の知識人と言われている人たちの何倍もの原爆に関する知識を持っています。
それはこの80年間に日本という国と日本人が積み上げてきたものです。
教育の力でもあります。以前、映画「トゥルーライズ」での核爆発の描写に驚いたことがあります。
監督のノーランは私たちの何分の一かの知識や感情の中で、この作品を作ったのでしょうね。
別の方のレビューにあった「この映画は原爆について描いたものではなく、オッペンハイマー個人の物語だ」というのが、まさに正解なのでしょう。
でも、日本人としては、やはりそれだけでは・・・というのが正直なところです。
コメントありがとうございます。
やっと“プロメテウス”に考えが至りました。最終的には世間に抹殺されてしまう、生きながら際限なく苦痛を与えられたという神話がロバートの身に起こったんですね。そして火の粉は彼だけに終わらず、降りかかったんでしょう。