「反戦映画ではない。だが原爆肯定映画でもない。」オッペンハイマー きのぴよさんの映画レビュー(感想・評価)
反戦映画ではない。だが原爆肯定映画でもない。
8月某日、ロンドンで鑑賞。
ヨーロッパでも映画の広告をかなり見かけ、こちらでも注目されている映画だと感じていた。ただ、他の方のレビューがあまりにも偏っているように感じたので、このレビューを書く必要を感じた。
映像と音楽の描写などは、さすがノーラン作品だと感じたが、別にこの映画は「反戦・反核」を目的とした映画ではない。しかし、アメリカ映画にあるような原爆礼賛の映画でもない(ちなみにノーラン監督はイギリス人だ)。
この映画はオッペンハイマーという一人の男の数奇な人生を描いたもので、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
だからこの映画に「核の悲惨さ」や「原爆投下の是非」を問うこと自体がナンセンスだと感じる。
映画のハイライトとも言える、ロスアラモスの核実験のシーンはやはり圧巻であった。たしかにあのシーンだけ切り取れば日本人には拒絶反応を感じる人もいるとは思う。ただし人が被爆するようなビジュアル的にキツいシーンは出てこない。それよりも、オッペンハイマーの想像の中で起こる、音と光の妄想のほうがむしろ想像を掻き立てる分怖いようにも感じる。
ノーラン監督が原爆肯定であるかのような評価も見受けられたが、私はそんなことはないと思う。原爆を恐ろしいもの(作ったオッペンハイマーですら悪夢に苛まされるような)として描くメッセージは、欧米が作る原爆映画ではターミネーター2に次ぐぐらい強烈である。それをグロいシーン抜きで実現したノーランはさすがだ。
またオッペンハイマーも、明らかに日本への原爆投下を後悔していた。それは投下後の彼の暗雲たる態度でよく伝わる。
戦争終結後、オッペンハイマーは赤狩りやロシアスパイ疑惑など、とても名誉ある者とは思わぬ扱いを受けることになる。この辺は当時のアメリカの赤狩り事情を知っていないと、ついていけなくなるかもしれない。詳しくない方は予習をオススメする。
まとめとなるが、この映画はオッペンハイマーの人生を描いた映画であり、反戦・反核を目的とした映画ではない。ただし、原爆開発した科学者の数奇な運命に興味がある人ならば、見る価値は充分にある映画だと思う。
リドスコの「ナポレオン」とは全く違って出来るだけ淡々と、共感する部分も抑えた伝記になっていましたね。最初のプロメテウスの引用がぴったりで、人生狂わされた男を描きたかったんですかね。