「産業としてのカジノ」大阪カジノ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
産業としてのカジノ
本作でのパチンコなど、いわゆるギャンブル系の娯楽は、人の射幸心をエッセンスとする産業ですし、その遊技の環境も、あまり健全・健康的とは言えないのですけれども。
しかし、いわゆる「のめり込み」の問題は、こういう娯楽施設を利用する側の問題であって、庶民にひとときの娯楽を与える産業が、一概に否定的な評価が該当するとも言えないのではないかと思います。
(当のパチンコ店の方でも、そういう社会的な「立ち位置」は敏感に感じ取っているのか、交通安全運動の街頭啓発や、海岸清掃などのボランティアには、積極的に人を出してくれているようです―もちろん、店名入りの揃いのジャンパーなどを着用の上のことですけれども)
ちなみに、離婚に際して定められるべき子(未成熟子=未成年の子)の養育費として、法的には「未成熟子が独立の社会人として成長自立するまでに要するすべての費用」が認められるとし、衣食住の費用、教育費、医療費と並んで「適度の娯楽費」も含まれるとする文献もあります(「Q&A高齢者・障害者の法律問題」民事法研究会刊、日本弁護士連合会高齢者・障害者の権利に関する委員会編、2005年)。
本作は、別作品『大阪闇金』など(主として大阪を舞台に)社会の闇部を描いてきたと、映画コムの作品解説では紹介されている石原貴洋監督の手になる作品として鑑賞したものでしたけれども。
その評に違(たが)わない、なかなかの良作だったと、評論子は思います。
(追記)
<映画のことば>
倒産しかかった親父のパチンコ店を引き継いで、すぐの頃はまあまあの地獄でした。
引き継いで一ヶ月後は、本当の地獄でした。
でも、引き継いで三ヶ月後には、ただの忙しさになっていました。
地獄の真っ只中にいるときは、この地獄は永遠に続くやろと思ってました。
何でかと言いますと、希望が見えなかったからです。
何度も、心が折れそうになりました。
悔しゅうて、悔しゅうて、毎日、人陰で泣いていました。
精神的に追い詰められて、幻覚で、天井から首吊りのロープが見えたこともありました。
それでも、諦めないでやってきました。
諦めるなんてことは、どうしてもできませんでした。
あの地獄は、遠い昔のように思えます。
何事も、同じ状態がずっと続くわけじゃないんですね。
諸行無常とはこのことかと、気がつきました。
別に娯楽産業に限ったことではなくても(否、むしろ景気の波に洗われやすいと思われる娯楽産業であってみればなおのこと?)事業に浮き沈みは付き物で、「風が背を押す日もあれば、雨が胸突く、肩たたく」[松原のぶえ歌唱「演歌みち」]という日もあることでしょう。
評論子には映画がありますし、生来「学ぶこと」が好きで、研究的な好奇心は泉のように湧いてきて、汲めども尽きない毎日なので、何とか、心を折らずに持ちこたえられているという一面は、あるかとも思います。
<映画のことば>
毎日しっかりと働いて、
家でしっかりと休息を取る。
人間らしい生活って、最高ですね。
(追記)
前掲の「Q&A高齢者・障害者の法律問題」によれば、「適度の娯楽費」も、養育料(養育費)の対象となるとのことですけれども。
そうすると、養育している子どもが契約したアマプラや、TSUTAYAディスカスの料金も「適度な娯楽費」として、例えば奥さんが別れたダンナに請求する養育料の算定の基礎になるのでしょうか?
それくらいは「適度な娯楽」に含まれるだろうと考えるのは、決して評論子だけではないと思います。
(ちなみに、本作のDVDは、TSUTAYAディスカスの単品レンタルで借りました)