ドラキュラ デメテル号最期の航海のレビュー・感想・評価
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続編つくってくれないと
怒りがおさまりません。
次作は絶対、戦闘モードで。似た状況のエイリアンも続編はそうだったように。
あんの憎たらしいバンパイヤ、クレメンスが灰にしてくれないと!
船上、さんざんやってくれた後、ちゃっかり上陸して紳士然としてパブに現れるラストシーン、
いつでも殺せるんだよ〜、ふふ〜ん、な感じで対決の意思を固めた主人公に冷水浴びせるように
彼の頚動脈のあたり、ナデてくんですよ、
余裕かましてくれてたいへんムカつきましたー。
しばらく映画館行けてなかったので、とにかくなんか観たかっただけで、前評判もみてなく、
原作は知っていても読んでませんし、監督さんと船長役リーアム・カニンガムさんの名前で選んだ鑑賞でした。
怖いのはあんまり得意でないのです。でも映画館で観てよかった。
怖いけど臨場感味わえるし、感情移入もしっかりできるストーリーテリング。
犠牲者になってしまうクルーについて書かせてください
船長は今回が最後の航海だからなのか、普段だったら絶対、乗船させないんだろう、チビッコの孫
を伴ってはいるが、実直で考え硬いけどその指示は的確で、態度も責任感を感じさせる頼れる指導者。
その副官的なヴォイチェクはデメテル号を愛してる、次期船長格。コックも信心深さが度がすぎるように
見えるだけの人、ルーマニアで人員補充したとしても潮や風を読んでボーナス期待できるぐらい目的地
ロンドンに早く到着できる操艦技術を発揮できるガチの職人チームですよ。荒くれ者かもしれないですが
当時の船員としたら普通の労働者の方々なのでは。
はっきり言って、悪いこと何もしてない人たちなんです。老後を楽しみにしてたり、自分が船長継いだらとか
夢も希望もある人たちなんです。
夏の湖で殺されちゃう、悪さばっかりしてるアホな遊び人とかじゃないんです。
飛び入りの船医&船員となったクレメンスの過去とも絡めてクルーの仕事ぶりや、孫を可愛がる船長を
じっくり見せられたあと、その後、クルーの皆さんが蹂躙され始めるとほんとにバケモノに腹立ちました。
アナを演じた方は、役ピッタリなきれいな女優さんでした
また映画館で逢いたいです
クレメンスが感染症として懸命に治療に奮闘しますが、アナは呪いには勝てず朝日に消えていきます
誇りだったり、自己犠牲だったり、なんだか涙が出てしまいました。
それからのラストのナデナデなんですよ、、、
あいつも朝焼けで燃やしたくなりませんでしたか?
物足りないけど、良かった
ホラージャンルの古典的キャラクター「ドラキュラ」がおんぼろ帆船に持ち込まれ、乗組員を次々と襲い掛かるちょっぴり怖い映画。ドラキュラのデザインは伯爵風の姿でなく、『ロード・オブ・ザ・リング』の「ゴラム」みたいなグレーの肌で素肌をむき出しにしたモンスター。吸血鬼というより、悪魔のような造形。
冒頭に難破したデメテル号が警察に捜査されているシーンから始まり、そこから一か月前のルーマニアの港から医師のクレメンスがロンドンに向かう船を探しているシーンにさかのぼる。港で少年トビーを事故から間一髪救うことができ、トビーの祖父でデメテル号の船長であるエリオットはお礼としてロンドンに積み荷を届ける船に同乗させることを許可した。その積み荷にはドラゴンが刻印されたマークが多数乗せられた不気味な荷物だった。約一か月、船の中で悪夢を目撃することになる。
ホラー好きの私は物足りないですが、十字架をドラキュラに見せつけても効果がなかったり、ドラキュラに噛まれた人たちが吸血鬼化してしまい、太陽を浴びると全身が炎に包まれる演出がド直球に描かれていて、リアリティや残虐描写はストレートに表現されていて、製作者側の意思がしっかり描いていたのが良かった。
意外にも正統的なドラキュラ映画
航海中の船という逃げ場のない空間で、怪物と対峙するシチュエーションは「エイリアン」を参考にしたらしいが、薄暗い船倉の雰囲気などよく出ていて、緊迫感がある。
時代感はよく再現されているし、ドラキュラ映画のお約束にも、かなり忠実。ホラーとして面白い。
個人的な好みとしては、ドラキュラの外見は、正統派に近い方がよかった。
やや微妙な点もあるものの、映画の成り立ち的に多くは引けない
今年305本目(合計955本目/今月(2023年9月度)15本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))。
本作はカテゴリー的には「ホラー映画」という扱いを受けると思いますが、その(終了後)1時間15分差で見に行った「禁じられた遊び」が極端にアレなのはここでは知る由もなく…。
多くの方が書かれているように、原作小説の映画化という事情、および、「ちょっと前」の時代背景であるため、どうしてもそれに準じる必要があること(換言すれば、パソコンだのスマホだのは出てこない)、またここから派生する問題として、航海する船舶である以上、犯人やからくりがある程度絞られてしまう(いきなり宇宙人が現れたとかという展開は突飛すぎる)という事情があり、メタ読みの是非はさておき、「ある程度展開が読めてしまう」という映画そのものの難はあります。
また、こちらのほうが致命的であろうと思うのですが、結局これも原作小説通りといえばそりゃ仕方がないのですが、タイトルにいうドラキュラの出現が極端に遅く、ほぼ8割程度は船舶上で飢えがどうだの水分補給がどうだのといった話題(ただ、この段階でも「何か怪しい」ということは描写される)に尽きてしまい、「見所が少ない」という点はどうしても言えます。
同じく今週の「禁じられた遊び」が極端にアレなので、相対的に評価があがってしまうのもある程度理解はでき、「原作小説を忠実に映画化しました」という限りにおいて、そこそこ減点の幅は少ないです。
採点に関しては以下を考慮しています。
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(減点0.2/映画の「醍醐味」といえる「見所」がかなり後半に偏る)
多くの方が書かれている点で多言を要しませんが、どうしても「娯楽」として見る場合、ここはマイナスになるのではなかろうか…と思えます。
ただ、原作小説に従う必要はあるし、ドラキュラの登場時期を早めすぎると(小説に従う限り)あとの時間は何をするのか(あるいは、時間を削るのか)という「映画の作成とは関係のない問題点」も同時にあるので、ここは減点幅は限定的です。
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まぁ、多少難はあるとはしても、「禁じられた遊び」がどうなのか…と思って1時間15分差で映画館に行くと、そこで地獄(というか、意味不明ワールド)を見ることになるのですが、それはそちらで。
ドラキュラの一節らしいけれど…
ゴシック感もそんなに感じられず、せっかく船上という逃げ場のない設定ながらモンスターとのバトルも迫力不足気味。その反面ラストは冒険活劇的な締めくくり。なんともモヤモヤ感の残る仕上がりでした。
ユニバーサル伝家の宝刀モンスター映画
ブラムストーカー原作のドラキュラなので近年メジャーな呼び名となっているバンパイヤとは言わない。
ドラキュラはドラキュラ伯爵の事なので人間の姿をイメージしていたが予想外のいわゆるバンパイヤ的ビジュアルだったので自分の中では少し受け入れ難いものがあった。
長時間木箱の中におり弱ってたので人型を保つ力がなくなってたとかだろうか。(原作を読んでないので勝手なイメージで話をしておりすみません)
逃げ場のない密室状態で何もしなければただ死を待つのみという絶望感をどう見せるかが一つのキモだと思うが、何故だろうかそう言った怖さが全く感じられなかった。
おそらく日没後と日の出後で立場が逆転するはずと思いながら見ていたためだと思う。
つまり人間にとって逃げ場や勝機がまだ残されており、戦いようによっては生き残れる「希望」があると。
ところが何故か日没後、しかも英国本土が見えるところまで来てからの作戦決行。
ドラキュラ本体も日光に弱いという認識がまだなかったのだろうか、クライマックスに来てかなり不可解な展開となり消化不良を起こしてしまった。
ゴシックホラーを現代風に映像化するにあたりチャレンジングなアプローチは評価したいが、様式美や面白味、また恐怖感などの演出に少しもの足りなさを感じてしまった。
洋の東西で、子どもの見る悪夢も違うのかな?
1897年と言えば、先日公開された『エリザベート1878』のエリザベートの亡くなる前年。
何世紀かにわたり、ドイツ語圏諸国を神聖ローマ帝国として束ねていたハプスプルク家がオーストリア=ハンガリー帝国として終焉に向かっていた頃(だったと思います)。
第一次世界大戦が1914年からだから、宗教と自然科学は違うものとして認識する人も相当に増えてきた頃なのだとも言えそうです。
写真や映画もぼちぼち普及し始めてた頃でもあるし。
それでもまだ、人間の手に負えないものは、悪魔の所業として捉える人もたくさんいた時代だったのですね。
小さい頃から神父さんや牧師さんから、人間の罪と罰、天国と地獄などの話を聞かされていたら、そりゃもうネガティブな想像力が働いて、あんな怖い怪物も生まれてしまう。
ところで、1900年頃の日本の子どもたちにとって怖い夢ってなんだろう。鬼とか妖怪よりも、地震雷火事親父の方が怖いものとして夢を見ていたのかしらん。
神様の怒りを買ったり、地獄や悪魔の夢を見て眠れなくなるよりも、なんだか健全な気もするけど、どうなんでしょう?
航海に出て後悔。
帆船デメテル号に現れたドラキュラの話。
ルーマニアのカルパチア地方からロンドンまで木箱を運ぶ為にチャーターされたデメテル号…ある日の夜、船に一緒に乗船した犬のハック何者かに首を噛み殺される事件が…後に乗組員まで毎夜消えてくことに…その原因を
突き止めようとする…船に乗った医師クレメンス、船乗り達、密航者アナのストーリー。
普通に楽しめたんだけど何か終始眠かった(笑)
ドラキュラに噛まれるシーンは痛々しくてイヤだったけどラストにアナがドラキュラに噛まれて感染しちゃったんだけど、あんな可愛いアナに噛まれるなら私は首を差し出すね!
うん!甘噛みなら!(笑)
アナ役の子は可愛いしキレイだし可愛いかった!(笑)
オーソドックスな仕上がりの復古調海洋ゴチック・ホラー。ノスフェラトウと夜に闘う愚!
あのさあ、あんたら「昼間」のうちに戦えよ!! バカなの??
と劇場中から猛烈なツッコミが入りまくっていたのではないかと推察するが……(笑)
そこはさておき、
それでも総じての内容としては、しごくまっとうなゴチック・ホラー。
19世紀末の帆船の内部構造を、きっちり時代考証を行ったうえでフルサイズで建設して再現していることといい、あえてベラ・ルゴシやクリストファー・リー風の「ドラキュラ伯爵」ではなく、ムルナウ作品を彷彿させる「不死者ノスフェラトウ」を敵役に登場させていることといい、まじめに原作の内容及び、書かれた時代背景と向き合って、地味ながらきっちり仕上げてきている印象で、好感がもてる。
「A24」が日の出の勢いで台頭してから、アメリカの大手製作会社の作品でも、エッジの立った陰影の濃いカメラワークと文芸的なテイストを打ち出したホラーが散見されるようになってきたのは、実に嬉しい現象だ。今回は怪奇映画の老舗ユニバーサルの製作だが、明らかにA24 っぽい玄人好みの作風に「寄せて」きているのが感じられる。
本作では、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のなかから、「デメテル号の航海日誌」を原作として選択。通例のドラキュラ映画は、伯爵がトランシルヴァニアにいる間の話と、イギリスにわたって以降の物語を扱っているが、敢えてその「つなぎ」にあたる、余り人口に膾炙していない(長さとしても創元推理文庫版の本文548頁中、16頁しかない)英国までの航海の部分を持ってきたということだ。
そもそも、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』は、実際に読んでみるとびっくりするのだが、一続きのモンスター小説として書かれているわけではない。様々な吸血鬼ドラキュラに関する日記や回顧録の集合体として、ノンフィクションのような体裁をとっているのだ(のちにスティーヴン・キングは『キャリー』において、このフォーマットをリファインした形で踏襲している)。ちょうど、知っているような気で『白鯨』や『ああ無情』を読んだら、思っていた内容とのあまりの相違にびっくりするのと同じようなものだ。
原作における描写は、まず映画冒頭にも出てくる機帆船の座礁シーンから始まり、舵輪に縛り付けられていた船長の遺体から航海日誌が発見され、簡潔にその内容が呈示される程度に過ぎない。「ひとりずつ船員が姿を消す」という以外の怪異が殊更起きるわけでもなく、映画内で描かれるノスフェラトウの暗躍ぶりは、概ね別の映画からのインスパイアか、製作者による完全な創作である。
キャラクターも、原作で出てくるのは船長と船員&コックだけ(名前が出てくるのはオルガレンとペトロフスキー)で、黒人医師クレメンスも、密航者アナも、トビー少年も、犬のハックも、映画版のオリジナル・キャラだ。
なので、設定自体はおおむね原作準拠だが、物語とキャラ構成はほぼ映画オリジナルといって差し支えない。
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製作者が、この短いエピソードを映画化するに際して土台にしたのは、SFホラーの古典的名作『エイリアン』(79)だった。
閉鎖空間で、人知の及ばない強大な存在に次々と屠られてゆくクルー。
話の骨格は、マジでほぼ『エイリアン』と同じである。
基礎がしっかりしているぶん、話も総じて面白く観られるし、全体の完成度はそれなりに高いと思う。意外と早い目に、通常なら助かりそうなキャラクターが犠牲になったり、終盤で思いがけないノスフェラトウの「特技」が開花したりするのも、なかなか観客の意表を突いていて良い。
主人公がインテリの黒人医師(&ヒロインはロマ)というのは、いかにもポリコレ臭くてうざったい印象もあるけど、インテリ黒人青年が頭の弱い白人に邪魔されながら不死者と戦うのは、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』以来のアメリカ・ホラー映画の伝統を踏襲しているとも言える。『エイリアン』でも黒人機関士が出て来たし、『アイ・アム・レジェンド』のリメイク版で頑張ってたのも黒人のウィル・スミスだったし(本人がもはや遠いレジェンドとなってしまったがw)。
中盤で、クレメンス医師が「自分が信じるのは、科学と自然の摂理だけだ」とか何とか信条を述べたあと、コックが「じゃあ、船で鼠が一匹もいなくなるってのは、それこそ“自然に反する”んじゃないか」と切り返すのも、気の利いたうまいせりふ回しだと思う。
あと、救命ボートで逃げ出した船員をノスフェラトウがわざわざ追ってくる描写があるんだけど、「船がロンドンに着くまで、日割りで犠牲者の数を調整して血を吸ってるから、これを逃すと“食料”のストックが足りなくなるから」ってロジックが呈示されるのは面白かった。貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』に出てくる「人間弁当」みたい(笑)。
きちんと、ドラキュラ映画の伝統に則した形で、単なるサバイバル・ホラーの要素に加えて、「ゾンビ映画」の復活&感染要素や、「スポンティニアス・コンヴァッション」(人体自然発火)の要素を組み込んできているのも、うれしいところだ。
いろいろ、旧作のドラキュラ映画への目配せもきいているし、子供がドア越しに屈強な船員に追い詰められるのって『シャイニング』だよね。
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ただねえ。細かい部分ではいろいろとひっかかる部分も多いんだよな。
●出だしからして、捜索隊が大雨のなかで船長の航海日誌思い切り開けて読んでる時点で、おいおいとツッコミを入れたくなる。にじんでインク溶け出してるじゃん。
ちなみに原作だと、船長は首からガラス瓶に封じた航海日誌の断片を提げており、防水処置は万全である。
●とにかく、まずは船内で不審な人物が暗躍しているっていうのに、ちゃんと船荷を確かめようという空気が醸成されるのが、出航してから何週間も経ってからってのはおかしすぎる。
早いうちに、土の中からアナが見つかって、密航者として処理されてるのに……。
なんでしらみつぶしに、積み荷を開けてみないのか。
●だいたい、積み荷が「土」とかいう異常な内容物なのに、なんできちんと出航前に検査していないのかも謎だ(原作では「銀砂と泥」という一応価値のありそうな設定になっている)。
あと、ドラキュラ自身の入ってる土以外にも、大量の土を積み荷にしているのって、単なるめくらまし? イギリスでも霊的な理由で邸宅付近に撒いたりとか使用する予定があるのか? それから、外側の角に箱根細工みたいな仕掛けのある棺が出てくるのだが、あの構造で「中から」どうやって開けるのかも気になる(そちらのほうがドラキュラにとっては重要だと思うのだが)。
●しょっぱなから、ドラキュラに連れられてきたことが明白なアナという女性が居て、彼女のほうは情報を提供する気まんまんなのに、ドラキュラの正体や特性、どうやって船に乗ってきたかなど、誰一人としてアナに事情聴取しようとしないのも、大いに納得いかない。
あと、あんなずさんなやり方で輸血とかやって、噛まれた相手の血でこっちが汚染されたりしないのかも観ていて不安。あれだけ船員たちみんな最初はアナを警戒していたのに、目が覚めてからのアナがほぼ放置されたまま船内を自由にうろちょろしているのも、ちょっと解せなかった。
●ドラキュラにとっては、とにかく食料としての「血」を確保するのが最大の目的なのに、相手の首を掻き切って甲板に押し倒したままにして、あたりじゅうが血の海になっていたり、明らかに失血するまで血をすすらない状態のまま、船上の見えるところに犠牲者を放置してたり、あんまり「血」を大切にしながら過ごしてる感じが観ててしないのもなんだかなあ、と。
●とにもかくにも最大の問題は、ドラキュラが「夜」だけ活動して、「昼」はねぐらに隠れているって生態を「乗組員もみんなわかっている」のに、なぜわざわざ「夜」に罠をはって、怪物と戦おうとかいう「必敗の作戦」を思いついてしまったのか。
ケンブリッジ大学出身の黒人ふくめて、ほんとバカばっかりすぎる……(笑)。
これまでのドラキュラ映画でも、つねにヘルシング教授は「夜のドラキュラ」に対してはとにかく防戦一方でやり過ごしたうえで、「昼のドラキュラ」を見出して狩ることを目指していたわけで、わざわざ夜に戦おうとするヴァンパイア・ハントを見たのは個人的に今回が初めてである。だからいわんこっちゃないっていう……。いや、俺もまさかあんなにびゅんびゅん●●●●●とは思ってませんでしたが。
物語構造上も、いまひとつ話が盛り上がらない理由が明確にあって、
●冒頭で「最終的に船がどういう末路を辿るのか」という「結末」が明らかにされているぶん、そのあと辿る可能性のある物語展開が限られる。なので、「誰が犠牲者になるか」というスリルがほとんどない。
●『エイリアン』では船内に何が潜んでいるのかは途中まで「謎」だったし、多くのスラッシャーホラーでも真犯人の正体にどんでん返しを仕掛けてくるパターンが多いが、本作の場合は最初から敵はドラキュラだということが明白で、「誰が犯人か」というスリルもほとんどない。実は●●もドラキュラの仲間でしたとか、ドラキュラに見せかけて全ては●●の謀略でしたといった叙述トリックめいたことも、一切成されていない。
●さらにいえば、ドラキュラがその後イギリスに渡ることも、今までの映画体験から観客はだいたい知っているので、ラスト付近でドラキュラがどうなっていようが衝撃はほとんどない。
とまあ、生来的にかなり「先の読める」物語であることを逃れられず、そのぶん緊迫感が薄い点はどうしても否めない。
とはいえ、間違いなく「丁寧に」「相応の金額をかけて」つくられた重厚なゴチック・ホラーであることは確かだし、同時に19世紀の機帆船を用いたドストレートの海洋冒険スリラーとしても、見ごたえはかなりのものだ。
時代背景としては1897年と、ずいぶん昔の話にも思えるが、タイタニック号が沈むのは1912年のことだから、デメテル号の航海からたった15年後の出来事である。
逆に言えば、タイタニック号に先んじること15年前に、巨大な厄災に遭遇した船舶の「最期の航海」を描く、王道の海洋冒険ものだと思って観れば、ホラーとしての説得力の弱さやイベント数の薄さなんかをあまり気にせずに観られるかもしれない。
もともとこの企画、ギレルモ・デル・トロにオファーが出されていたのだが、どうしても予定がつかず、デル・トロの推薦で結局アンドレ・ウーヴレダルが登板することになったらしい。
もし、ギレルモ・デル・トロ本人が監督していたら、いったいどんな映画に仕上がっていたんだろうね? もう少し穴の少ない映画にはなってたかも……。って、まあ言ってもしょうがないけど。あと、なんとなく続編のありそうな感じだけど……さて実現するんだろうか。
この程度の出来どまりだと、ちょっと厳しいかもなあ。
そうなんだ!これが本物のドラキュラなんだ!
ドラキュラってもっと人間感あるやつだと勝手に思ってました。
けどドラキュラの知識に乏しいのでああいうのが本物なんでしょうかね。
人のふりをすると途中聞いたような気がしたので「やっぱそういうのであってたか…」と思ったんですが、航海中は一切してくれないスタイルだったのでやっぱりどっちなんでしょうか???
けどドラキュラの知識に乏しいのでああいうのが本物なんでしょうね。
あと飛べるんですね!
「なんかもうこいつ飛べそう!」と思ってたら小舟で逃げ出したんで「え!?もしかして本当に…」で!飛んで!きたんで!一人でテンションブチ上げしてました!!!
ドラキュラとか吸血鬼ってさすがに飛ばないと思ってたんですけど知識に乏しいのでああいうのが本物なんです。
ドラキュラの生態について詳しくなったので週明け職場でみんなに教えてあげたいと思います!
引越し中のお食事は控えめに
何度も映画化されているブラム・ストーカー原作のドラキュラだけど、ドラキュラがルーマニアからロンドンにお引越しする航海のエピソードだけピックアップしたアイデアが面白く、積荷の紋章を見て港の人夫が逃げ出してしまう,不穏な出だしからいい感じです。出航すると腹を空かしたドラキュラが家畜も人間もお構い無しに襲い始めるけど、ドラキュラはモロ化物スタイルで、乗組員が犠牲を出しながら戦うのは、リドリー・スコットの『エイリアン』みたいな構成です。とは言え、ドラキュラにあまり知性がなく、乗組員の戦い方も一本調子で、イマイチ盛り上がりに欠けるのが残念。なんか続編を作る気満々みたいで、次回から主人公の医師がヴァン・ヘルシング教授の弟子になったりして。役者は、みなさんあまり印象に残りませんでした。
ハラハラは、ちょっとだけ。
予告編通りだったけど、ちょっと物足りない。
映画の雰囲気は結構スリルある感じなんだけど、物語がイマイチ盛り上がりに欠ける。ドラキャラネタは良かったんだけどな。ホラーにしては見せ場不足。
この手の映画ならスタートで一気に引き込んで欲しい。スロースタートでした。
ホラーやサスペンスを見慣れている人にはイマイチかな。
でも辛口に書いてますが、観ればそれなりには楽しめます。
妖怪人間ドラ
沈没した帆船デメテル号の、そこに至る最期の航海をみせる話…原作知らなくても邦題からしてネタバレだけど。
ルーマニアからロンドンへ向けて出向して数日後、船内から物音がして調べてみたら密航者!?と始まって行くけれど、意識を取り戻してパニックおこしていた割に、随分詳しいしそんな対応なのね…。
ドラキュラ映画にありがちな気がするシリアスでちょっとスカした空気感で展開していき回りくどくてテンポもイマイチ。
このテイストちょっと苦手なんてすよね。
シリアスな割にリアクションに行動にと、ツッコミどころが数えたらキリがない雑な作りだし。
しかもビジュアルもなんだかねぇ…。
これと言って見せ場らしいものもなく、何をみせたいのか良くわからない感じで自分にはハマらなかった。
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