「この宇宙は小さい」火の鳥 エデンの花 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
この宇宙は小さい
※注 本レビューは「原作」のネタバレも含みます。
手塚治虫漫画の大ファンだが、今まで手塚治虫原作の映画で「良かった」と思えたことはほとんど無い。それでも懲りずに観に行ってしまうのは、「今度こそ」と期待してしまうからだ。
結論から言えば、今回も残念だった。原作を知らない人がこれを観て、原作までつまらないと思われてしまうことを怖れる。
僕にとって「火の鳥」は特別な作品。中学生の頃だったと思うが、図書館にあった「復活編」を読んだときの鮮烈な感動を今でもありありと思い起こすことができる。漫画やSFの面白さ・すばらしさを開眼させてくれた。
原体験である「復活編」が最も好きだが、「鳳凰編」、そして今回の映画の原作である「望郷編」も漫画史に残る名作だと思う。
しかし本作はその魅力がことごとくつぶされているように思った。
映画としてそれなりに観れるものにはなっている。作画のクオリティは高いと思う。有名人が声をあてていることについてはどうでもいいので、そこに予算をかけるべきではないだろう、などと思うが…。そもそも、「望郷編」という壮大な物語を、95分の尺に収めることが土台無理だ。
もし、「95分の制約の中で望郷編を映画化しろ」というミッションだったのであれば、良くやった、といえるのだろうが、つまらないものはつまらない。
「火の鳥」の面白さの本質とは何だろう。その1つは、スケールの大きさだと思う。気の遠くなるような過去から気の遠くなるような未来へ。人間の意識で到底想像できない無限の宇宙が描かれている。「望郷編」でも、1つの文明がはじまり、滅ぶまでの壮大なスケールの物語となっている。
そしてもう1つは、徹底的な悲劇と困難の中であがき、必死に生きる人間を描くこと。手塚治虫は、「悲劇」の天才だと思う。死ぬよりもはるかに恐ろしいこと、耐えがたいことを、なぜこんなにも思いつけるのか、不思議に思うほどだ。
本作は、「尺の短さ」のため、この2つが完全につぶされている。展開を急ぎすぎて、まるでダイジェスト版のようなので、エデンから地球への旅にまるで広大さを感じない。この作品の宇宙は「小さい」。
そして、ロミの人生の悲劇性も大変うすまっている。原作では、近親相関のタブーをくり返してまでも子孫を絶やすことを選択できなかったロミの悲壮な思いや絶望が描かれていた。
もちろん、「全部原作どうりにしなければ認めない」などと言いたいわけではない。かなり昔の漫画なので、絵もストーリーも演出もリアリティも、全部イチから構築すべきなのだとは思う。しかし、それは「火の鳥」の面白さの本質を核にしていなければ意味が無い。
また本作は、原作ファンに対しても、初見の人に対しても、どちらにもささらないような作品になってしまっているのも残念だった。原作ファンを対象にするのであれば、「なぜ原作どおりにしない?」と思えるところが多かった。もちろん尺を短くまとめるために必要なところもあるにはあったが、変える必然性の無いところも多かった。たとえば、主要キャラはコム、牧村、チヒロ以外はキャラデザが変わっていたが、変える必要があったのだろうか?(変えたから良かったと思える要素が見当たらない)
また、原作ファンサービスのつもりなのだろうが、「復活編」「生命編」「未来編」につながるシーンや、それらを思わせるシーンを入れているが、ストーリーの面白さが伴わなければ、むしろ安易に思え、かえって腹立たしいい。
初見の人にとってはよりしんどい。火の鳥の世界観を知らない人にとっては、ムーピーやチヒロがなんなのか理解できないと思う。一番謎なのは「火の鳥」だろう。映画のタイトルになっている「火の鳥」が何なのか、映画の中でほとんど触れられていない。
ストーリーは終盤が特にひどかった。地球に着いてからの展開は説明不足で意味不明に思えただろう。終盤はとくに原作を変えたところが多かったが、中途半端に変えたものだから、若返ったあとのロミの寿命に対する牧村の発言が矛盾していたり、コムが死んだのか死んでいないのか曖昧だったり、触覚の変形が何を意味してるのか分からなかったり、チヒロが人間の姿をしていることについての説明が不足していたり、もうぐちゃぐちゃだと思った。
また、原作の「望郷編」はエデンの崩壊がクライマックスで、映画としても見せ場になるべきシーンだと思うが、本作ではまるごと省略されているから、初見の人には特に意味が分からないだろう。
原作厨みたいにボロカスに言いまくってしまったが、本作で1つだけ評価したいところは、「テーマ」だ。本作では、「地球が宇宙でかけがえのない美しい星であり、それを守っていかなければ悪夢のような未来になる」というところにテーマをしぼっていると思う。そこは良いと思った。