キリング・オブ・ケネス・チェンバレンのレビュー・感想・評価
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Painful Realtime Drama
The Phone Booth of the post-George Floyd era, this is a play-by-play reenactment of police brutality on a black eldery veteran. It's pretty sad to watch, especially since this kind of thing occurs quite regularly in American cities. The film is well-executed with great acting—including the film's editor and producer starring as a cop—though the music goes overboard in creating tension at times.
凄いしつこさ、警察
酷すぎる。こんな警官いるの?恐怖でしかない。これが実話なんて、、、
しまいには殺されて、警官は有罪になってない始末。
途中から吐き気さえでた。具合が悪くなる。恐怖の監禁90分映画でした。
声が出た、二度
NY。双極性障害がある68歳のケネス・チェンバレンが、医療用通報装置を作動させてしまう。駆け付けた警官三人は、ドアを開けて安否確認をしようとする。しかし、チェンバレンは誤報だと言い、頑なにドアを開けない。警官は、不審に思い。
実話をもとにした作品。治安の悪いところでは、ドアの向こうから銃を向けてるかも、という警官の心情もわからないでもない。そして連絡が不十分で行き違いもあって、こじれていく様子、さらに元海兵隊で精神疾患があることに、アメリカでは偏見があることも怖い。そして、最後には「ひっでぇ」と声が出ました、二度も。
狂う倫理観・道徳観
2011年に起きた、
無実の黒人男性が白人警官に殺害された実在の事件の映画化。
殺害に至るラストまでの90分をほぼリアルタイム進行で描き出す
ワンシチュエーション作品です。
『福田村事件』と類似した
人間の群集心理というか、どんどん倫理観や道徳観などが狂ってきて、
それが集団に伝播する恐ろしさを、まざまざと描きだしています。
こんなことはおかしい!という警官も2名いるのですが、
それでも止められないのですよね。
本当に恐ろしい、もはやホラーですらあると思いました。
劇中で、ケネス・チェンバレンが殺害された直後に、
実際の音声が流れるのですが、それを聴くと映画の中のフィクションではなく
これは現実なんだということを実感させる演出で、
これまたゾッとした次第です。
でも、こういう作品は観た方がいいなと思っていて、
自分がこの警官たちみたいになっていないか、という
自分自身の客観視の大切さの示唆も得られた作品でした。
90分と短い作品でありながら、終始緊迫感があり、
現実の話でありながらも、実によくできた作品となっています。
あんなに対処法なんてあるのか?
ほぼリアルタイムで黒人男性を白人警官が殺害してしまう実際に起きた事件を映画化。
見ている側としては警官の行動が意味がわからない。あんなことが罷り通ってしまうなんて。また思い出して行き場のない感情が溢れてくる。
人種差別
大戦時代の理不尽な日本の憲兵か。現代の白人警察官らの今も消えない黒人差別の日常か。見た目が90%か。白が美しく黒は醜いのか。心は逆かも。実物、旅行者で見る黒人さん、美しくて浮いてますけど。しかし黒人さん、今も生きづらいですね。
不愉快すぎる
ラストの実際の音声の再生で警察の呼びかけの
「ミスタ〜チェンバレ〜ン」が本当に耳障りだった
職質とか入管もおんなじメンタルでやってるんだろうか
どちらかと言えば社会の底辺寄りで生きてるので
聞き分けのない頑固ジジィとか早朝5時の呼び出しとか
リベラル気取りの元中学教師の新人とかくっさいアパートとか
気持ちはかなり分かる
だけど自分は殺したくないし殺されたくない
ケネス氏が精神疾患を患ってなかったなら、貧困層でなかったなら、そして黒人でなかったなら殺されることはなかったであろう。
「フルートベール駅で」では被害者オスカー・グラント氏の最後の一日が描かれたが、本作はケネス氏の人生の最後の90分が描かれる。
今回の事件については全く知らなかった。それもそのはず、アメリカどころか事件があったニューヨークでさえまともにこの事件は報道されなかった。
BLM運動以前の事件。報道されなかった理由のひとつとしてケネス氏がガラケーを使ってることからもわかる通り、スマホによる動画撮影がされておらず、SNSへの投稿もされなかったからだ。つまりインパクトある映像により人々へ訴えかけることがされなかった。当時の事件を記録した音声だけでは足りなかったのだろう。
そもそもBLM運動の発端となったのは白人警官によるジョージ・フロイド氏殺人事件を写したスマホ映像が瞬く間にSNSを通じて広がったことに起因する。いままで極地的に行なわれていた黒人への差別の実態がSNSを通して全米にタイムリーに共有されたのだ。
いままでならアメリカのどこそこで黒人が被害を受けたらしいという程度だったのが離れたアメリカの国内にSNSによってダイレクトに伝わり自分の身の回りで起きたように感じられたのだ。これは過去のロス暴動のきっかけとなったロドニー・キング氏への暴行シーンが全米にテレビ中継されたことと類似する。
そしてフロイド氏の事件では加害者である白人警官は罪を裁かれることとなる。さすがにあれだけの証拠映像があれば言い逃れは不可能だった。今でも不敵な表情でフロイド氏の首を膝で抑え込んでいた彼の表情は忘れない。
本作はそれ以前の事件であり不幸にも加害者たちは裁かれることはなかった。
本作で印象的なのはドアをたたく音だ。これはたたく人間によっては相手を思いやり優しくたたく音から相手を威嚇するような不快な音まで多種多様な音を聞くことができる。
本作では四種類のドアをたたく音がある。まず一つ目は職務で安否確認に来た者がたたく音、二つ目は犯罪を疑い問い詰めるかのような音、三つめは黒人を奴隷と見下し自分が主だと知らしめようと居丈高にドアをたたく音、そして四つ目は憎悪と殺意をもってドアをたたき壊そうとする音。
一つ目は知性にあふれた者、二つ目は自分の職務に忠実ではあるが偏見あるいは職務によるストレスを感じてる者、三つ目は明らかに前近代的な奴隷制度からの思考をそのまま引きずってる者、四つ目は三つ目の思考が憎悪にまで変容している者。これら四種類の人間がまさに今のアメリカ白人を象徴してるのではないだろうか。
二つ目の音までだったならこのような悲劇が起きることはなかったかもしれない。しかしやはり三つ目と四つ目の音がアメリカでは特に深刻なんだろう。いまだに黒人をさげすみ、それどころか同じ人間として扱うことも出来ない。
白人による黒人への差別の根深さはアメリカの歴史に起因する。アメリカは奴隷制度とともに発展してきた。白人は黒人をいまだに家畜と同じように見ている。だから21世紀になってもいまだに黒人に対してここまでひどいことができるんだろう。同じ人間だという意識があるならできるはずがない。実際、いまだにアメリカの南部では奴隷制度の時代から意識が変わってない人間も多いという。
ただ本作は黒人差別だけでなく貧困層への差別、そして精神病者への偏見と多重的な問題もはらんでいる。
この事件は公にはされなかったが遺族は何年も裁判を戦い続け、この作品の公開が寄与したかはわからないが、公開年に市警側と和解が成立した。
そしてなによりもケネス氏の死が無駄ではなかったこととして精神疾患を患っている人間を警官が訪問する際にはセラピストの同行が義務付けられることとなったことだ。
いまだに黒人の人々がいわれなき差別により命を奪われるアメリカ。奴隷解放宣言から160年超、急激な変化は望めないかもしれないがたとえ牛の歩みであっても改善されることを望みたい。
警察=正義?
結果はタイトルに表れてはいれど、衝撃的な結末でした。
任務を全うしようとするがイライラがつのり過剰になる警察官。そんな中で元教師の警官、最初印象悪かったが、段々被害者寄りになっていくが、自分の力ではどうにも出来ない様子がとても切なかった。
実話の重み
「息ができない」ジョージフロイド氏殺害事件を上げるまでもなく、警官の暴力というのは無数にあるのだろう。
で、「フルートベール駅で」とかもあるけど、そうした事件を関係者が生きてる間に映画化する、ってのは日本では絶対にない。
本作の良さはもちろんだが、
日本映画界のダメさも再認識させられた。
本作も「フルート…」も超低予算映画なので、批判覚悟で作る気概さえあれば、日本でも実話モノの社会派映画が作れるハズ。
サスペンスやスリラーを通り越してホラーな実話
怖かった。
実話まんまで脚色なしらしいが、これはもはやサスペンスやスリラーを通り越して、ホラーでした。
黒人の老人の使っていた医療用通報装置が誤動作し、契約の保安会社が、救急隊ではなく警官に安否確認を依頼したことで、差別主義者の白人警官に犯罪を疑われ、無実の身でその老人が撃ち殺された事件を、通話記録をもとにそのまま再現したドラマ。
警官が玄関に着いてから銃を撃つまでの90分が地獄のようで。
この事件で黒人男性を死なせた(いや殺した)警官たちが、誰一人として起訴されていないことに驚愕しました。
今現在も起こっているという悲劇
モーガン・フリーマンが製作に名を連ねているとはいえ、メジャーな会社の作品でもないこういった作品を日本で公開してくれる配給会社と上映してくれたイオンに感謝したい。
緊迫感が半端ない。
ソフトアンドクワイエットに続いてすごいものを観せられた。今作はこれが実際にあった事件というのが衝撃的だが、今も同じような事件が起こっているのが悲しい。
福田村事件もこの映画みたいに「事件」のみを淡々と描いた方が怖さが伝わったのかな、とも思ったけどあれは100年前の出来事だからやっぱり時代背景とかいろいろ描かなければならなかったんだろうな。
警官の姿を見ると、安心する人と恐怖を感じる人とがいる。日本では悪いことをしていなければほとんどが前者。幸せな国の幸せな時代に暮らしている私たちは、こういった作品を観て世界の現実を学ばなければならない。
アメリカ
まず、私が思うアメリカの良い所を書きたい。
世界最先端のカルチャー、エンタメ、音楽、ファッションを発信し続けている国ということ。
医療、教育、様々な分野でも世界トップレベルです。
社交的でフレンドリーな人が多く、自由や平等に対する意識が高い。
たくさんの価値観がある事も素敵です。
私が特にリスペクトするのは養子制度。
養育出来ない場合は「養子に出す」という選択肢がしっかり認められており、アメリカでは80%近くの子供が里親の元に行けるそうです。
不幸な子にも幸せになる権利が確立されている事は素晴らしいです。
問題が起きた時はいつもそれを批判したり、反対する人々が存在する事。デモなど実際に行動を起こすのも日本とは違い当たり前の事ですよね。
全てにおいてスケールがデカい!
桁違い!憧れる所も多いです。
しかし、人種差別は今なお色濃く残り、本作の様な悲劇を繰り返している側面があるのも事実です。
アメリカではないですが、人種差別といえば、先日ショッキングなニュースを知り、ずっと心が痛かったです。
去年アイルランドで行われた女子体操の大会の表彰式での出来事。
笑顔で一列に並んだ少女達。1人1人順番に首にメダルをかけてもらうのを待っていた。
しかし、黒人少女1人だけとばされ、メダルを授与されなかったのです。
姿勢良くニコニコしてメダルを待つ彼女の姿。
自分だけメダルがもらえず戸惑っている表情。胸が張り裂けました。
彼女を抱きしめてあげたかった。
ブランディー、ディスチャ、ローリン・ヒル、マイケル・ジャクソン、ファレル・ウィリアムス、レニー・クラヴィッツ、スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、エディ・マーフィー、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン、ウィル・スミス、サミュエル・L・ジャクソン、ウーピー・ゴールドバーグ、バスキア、ナオミ・キャンベル、、、
他にもスポーツ選手や作家など、活躍する黒人は多い。
そんな素晴らしい彼らに触れ、あの白人警官は心が動かされた事はないのか。
幼い時からもう洗脳されていたのか。
彼が警察官を志したきっかけは何だったのか。正義の心はなかったのか。
白人至上主義を振りかざし、自分は強く、偉くなったつもりにでもなったのか。
ケネスが白人警官の入室を拒まなければ起こらなかった悲劇。。では片付けられない闇があった。
そして警察官に有罪判決が出なかった事にも憤りしかない。
アメリカの銃社会や人種差別問題の根深さは、実際には自分が経験していない事、見た事もないものなので、想像力だけで理解するのは難しい。
しかし、映画や本はその助けになる。
人間は愚かな生き物で、この様な悲劇も差別も戦争もなくなる事はないだろう。
と、理解した上で、どの様に生きるべきか考えるきっかけをくれた作品でした。
警察ってやつは!(ただの偏見)
刑事モノの映画やドラマは大好きだが、実際の警察官は好きではない。悪い人から守ってくれる人ではなく、犯罪者を見つけようとする人たちだから。何もしていなくても疑いの目を向けられる対象にいなくてはならない。警察官も人間だから間違いを起こすし、先入観や偏見を持っていたりするのはわかる。でも、過ちを認めたり謝罪することは少ない。疑われる方が悪いんだとばかりの発言を繰り返す。まぁ、偏見なんだけど。
でも、そんなイメージのまんまの警察官が登場する本作。安否確認のための訪問だったのがどんどん不穏な空気になっていく。地味なのにとてもスリリングな展開。観ているこちらとしては、もっとこうしていればいいんじゃないの?なんてことを何回も思ってしまう。
ケネスが精神障害を持っていて黒人だということ以外に警官たちの行動があそこまでエスカレートした理由が思いつかない。普段から黒人の犯罪が多発している地域だとしてもやりすぎなことは否定できない。でも一番驚いたのが最後の字幕。どこの組織も身内には甘い。多少の演出があったとしてもあの事件でその結末はないだろう。ひどすぎる。
ただ、ケネスがさっと部屋に入れればそれで終わりなのにと思ってしまうのも日本に住んでいる者の正直な感想でもある。でも、そんなことを思わせる作りかもしれない。入室を拒んだとしても、そんなことは関係ない。入室を拒んだとしても、令状もなしに明確な危険や事件の可能性がないのに、部屋に押し入る正当性はない。ケネスが何回も訴えていた通りだ。ケネスがなぜそんなに警官を嫌がっているのか、軍在籍時に何があったのかなんてことはあまり説明しないのも実はうまい演出。観終わった後に冒頭映し出される字幕を思い出す。ケネスは確実に後者だったことだ。
やはり警察官ってやつらは!と私の中の偏見がまた強くなってしまった。
あっという間の約90分
2023年劇場鑑賞223本目。
パンフレットあれば満点。
黒人老人が白人警官に射殺されるまでの約90分をリアルタイムで描いた作品。こういう企画にありがちな、変に緊迫感を出そうとPOV形式にしていないので見やすいです。思い返せば全然大した大きな動きとかなく、老人と警官と、オペレーターと近所の住民、老人の家族が玄関前で話しているシーンがほとんどなのに時間があっという間に過ぎて行きました。
警官が「もう45分も経ってるんだぞ」といった時体感で半分くらいでした。
この流れでどうして射殺までいったのかが知りたかったのですが、こんなに記録残っていてもああいう形の殺人でお咎め無しとはアメリカどうなってるんだ。
パンフレット販売がないのが何とも、といったところ。
今年329本目(合計979本目/今月(2023年9月度)39本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
本作品は実話で、当時の録画フィルム等や録音も残っているのか、エンディングロールでそれらが多少流れます。また、実話としても90分ほどのやり取りで、映画のストーリーとしてもその時間の流れをできるだけ重視したということです。
個々微妙に感想は異なると思うのですが、舞台のアメリカにおいては、精神に病気を持った方、あるいは人種差別が実際に深刻であるようで、映画内でもこれらのことは触れられますが、個人的には「極端に差別思想を持っているのではなく、イライラ「しすぎ」でこういった発言に及んだのではないか…」とは思えます(この辺、映画の描写がやや微妙)。
一方、問題提起型の映画と見る場合、その「精神に病気を持った方、人種差別」ということは明確に出ますが、90分ほどと短い上に事実上「その当時の事件を時間軸もほぼ正確に再現した映画」という趣旨がかなり強く(つまり、これら差別についてどうこう、という思想についてはエンディングで結末が語られるのみで、個々に判断をゆだねている形)、「やや」趣旨がはっきりしにくい(ただ、アメリカのその事情は多くの方に知られているので、やや主義主張が弱めでもわかることは明白)という点は言えようかと思います。
個人的にはパンフレットの販売がなかった(売り切れではなく、もともと発売されていない模様)が厳しかったです。販売がない以上、「何が書かれていたか」は語る方法がありませんが、ここが日本である以上、「日本でこういうことが起きたらどうするのか」という点についての言及は映画内では当然まったくなく、また当然のこととして「日本では」ここまで極端な状況になることはまず考えにくいものの、映画で述べるように、精神に病気を持っている方などの「見守りサービス」は実際に存在するため、その場合に、警察や町内会(民生委員など)、あるいは一般私人がどのような行動をとればよいのか…という「日本で実際に類似の事案が起きた場合に何をすべきか、何をしてはいけないんか」という点についての監修のついたパンフレットなどは明確に欲しかったです。
※ この点は、日本がこれから超高齢化社会を迎えれば、映画で述べるような極端な事例は起きえなくても、「見守りサービス」(配食サービスほか)で異常を検知した場合に公権力や一般私人が何をできるのか、という「映画の趣旨として一部重なる論点」については、当然多くの方が知っておくべき事柄だから、という事情です。
これらまで考慮して以下のように採点しています。
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(減点0.4/パンフレットの販売がないことについて)
・ もっともここは日本なので、映画内で描かれるような無茶苦茶な事案が(公権力によって)引き起こされるということ自体は考えにくいものの、述べたように「見守りサービス」(配食サービス)で類似の事案が起きた場合にどうすればよいのか、という「日本に住んでいて経験しうること」について、ちゃんとした監修のついたパンフレットの販売はあってしかるべきではなかったか、と思います(この点で、一般的な娯楽の映画のパンフレットの販売がない、という点とは明確に減点幅が異なる)。
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(減点なし/参考/日本で起きた場合はどうなるのか)
※ 以下、行政書士の資格持ちレベルでのお話です。
(公権力(警察)が行った場合)
・ 単なる国家賠償法による国賠案件で、警察が勝ち切るのは容易ではなかろうというところです(警察は権力を持っているからこそ、「今起きている状況」に比例した「公権力の行使」が認められるにすぎず、それを極端にオーバーすると一発アウトです)。
※ 国家賠償法は民事訴訟であり、行政事件訴訟法の適用はありません(併合・逆併合の論点除く)。
※ ただし、映画の描写内と似た部分もありますが、公務員個人の責任を問うことは(日本でも)できません(いわゆる「国による代位責任説」の論点)。
(一般私人がおこなった場合)
・ 見守りサービスなどの契約を結んでいる場合は委任、そうでなく「たまたま通りすがりの人」が行った場合には事務管理の扱いです。ただ、委任においても「どこまでやってよい」ということが決められており、それをオーバーすると単なる不法行為です(そして、見守りサービスにせよ配食サービスにせよ、ただ単に1回か2回か相手が出ないだけで勝手に扉を壊してよい、というような契約にはなっていないはず)。
また、事務管理においては「本人の意思がわかるか、推知できる場合」はそれに従う必要があり、本人の意に沿わない事務管理の費用請求権は減縮されます(民法697条以下)。
一方で、事務管理を始めたものは「本人の意思がわかるか、推知できる場合」にはそれに従う必要があるものの、結果として何らかトラブルを起こしてしまうと債務不履行を問われる(事務管理、不当利得、不法行為の3つは、法定債権と呼ばれるもので、突然債務不履行が発生したりと面倒なことこの上ない)など、「一般人がかかわるといろいろ面倒なことに巻き込まれうる」のも確かで(だから、事務管理の中でも、例えば女性に対するAEDの使用がためらわれるなど、事務管理の民法の規定の特殊性故にいろいろトラブルになることが議論されているのは、これが理由)、むしろ「勝手に義務なく協力関係に入る」パターンのほうがいろいろトラブルに巻き込まれたりと怖い部分はあります(よって、「知らない顔をするのが一番マシ」な議論になってしまうが、それは助け合いをある程度想定した事務管理の規定の趣旨を没却するにほかならないため、解釈が難しい)。
23-118
酷い話だ。
終始嫌悪感を感じる酷い話だ。
無実のひとりの男を、
寄ってたかって悪者に仕立てようとする。
暴力的な感情に支配されている者もいれば、
冷静を装いながら正義感を感じない者も。
アメリカって本当ダメな国だなぁ、
改めて感じる😠
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