劇場公開日 2023年12月1日

「リドリー・スコット監督がどうしても撮りたかったものとは? 本作の本当のテーマとは?」ナポレオン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0リドリー・スコット監督がどうしても撮りたかったものとは? 本作の本当のテーマとは?

2023年12月10日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ご存知、英雄と言えばこの人
織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の三人を一人に合体させたような超英雄
欧米人なら日本人が先の三人を知るのと同じくらい良く知っていて当然
なにせ学校で試験に出るのですから

だからチラッと映るシーン一つ一つが歴史の名場面で、彼らからすればすぐあのエピソードとわかるものばかり
前後関係なく突然登場する人物も、年齢、顔付き体型や風貌、衣裳格好でこれは誰であれは誰と、一目で皆理解できるのだと思います

でも日本人がそうかというと、なかなかそんな人は少ないと思います
歴史が相当好きで、ナポレオンについても大抵のことは頭に入っていると思っていても、えっとこれ誰だっけとかになりがちだったと思います

それでも日本人も観るべき映画です

本作は単なる歴史物語なのでしょうか?
それで何を語りたいのでしょうか?
リドリー・スコット監督は何の映画を撮ったのでょうか?

単なる歴史物語としてナポレオンの人生を描くなら、それこそNHK の大河ドラマみたいな長編シリーズでなければ描き切れないのは誰だってわかります
豊臣秀吉の生涯を1本の映画にしようとするのと同じことです

普通はそれは無理だから何かのナポレオンの有名エピソードに焦点を当てて、そのとき彼はどう悩み決断し行動したのかというアプローチを選択することになります
しかし本作はそのような映画ではありません

まるで総集編のように大量のエピソードのさわりだけをどんどん見せて駆け足で進行させていきます
だって、どんどん紹介されるエピソードのあらましは欧米人なら誰もが良く知っているのものばかりだから、ハイライトシーンだけをチラッチラッと再現してモンタージュして行っても観客はお話についてこれると分かっているのです

本作は大河ドラマの総集編のような基本構成に、ジョセフィーヌとの愛を軸に通して展開して映画にするという方法を採用しています

それで?
ナポレオンも人の子だと言うのが本作のテーマだったのでしょうか?
それで万人の胸を打つ映画になったのでしょうか?
アウステルリッツの戦いのようなスペクタクルはあるものの、映画的なカタルシスはないのです
そんな愛の軸なんてものは、結局のところ監督が映画にするための方便に過ぎなかったのではないでしょうか?
自分にはそうとしか思えないのです

ではリドリー・スコット監督が本作でやりたかったことは何だったのでしょうか?

グラディエーターでローマ軍団とゲルマニアの蛮族との戦いを精緻に再現して世界中から賞賛されたように、ナポレオンの戦争を克明に再現してみせたい?
それもあったと思います
恐るべきレベルで映像化しています
軍事マニアですが心から満足できました
おかしなところは皆無です
しかも迫力満点です
さすがの腕前です

またグラディエーターではローマ帝国の軍装や衣裳なども見事な考証とクォリティーの高い再現をしてくれました
同様に本作でも素晴らしいクォリティーの軍装や衣裳の数々を見せてくれました

ナポレオンの皇帝戴冠のシーンは正に
ルーヴル美術館の「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」の絵画がそのまま再現されています
ご丁寧に首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが必死にスケッチを採るところまでシーンに入れてあります
しかもその絵画では中央奥に画家がいるのに、本作では手前側にいることにしてあります
この絵画のシーンを撮るカメラはこの画家なのだという作りになっています
色彩、色相、光線、クリアさ
それをその絵画にできる限り合わせています
多分監督がどうしてもこれをやりたかったのだと思います
強いこだわりを感じます

このシーンが全編を実は支配していて、すべてのシーンの映像の基準になっています
当時の再現で蝋燭の炎の光を光源として室内シーンを撮ろうとして散々苦労したキューブリック監督の「バリー・リンドン」を思わせるような映像です

しかしグラディエーターの時のような、クリアな現代的な映像表現ではないのです
暗く見づらい映像で、映像自体が映画的快感をもたらすようなものではないのです

そんな自己満足のために巨額の予算を獲得して超大作をリドリー・スコット監督は撮ったのでしょうか?
確かにそれらをやりたかったのは間違いないと思います
でも実はスコット監督がどうしても撮りたかったものがあるのです
それが本作の本当のテーマです

それはウクライナ戦争とプーチンです
これを映画にする
それが本作ナポレオンの本当のテーマです

大量に大砲を並べて猛烈な砲火を浴せる
歩兵はなすすべもなく吹き飛ぶのみ
人命は限り無く軽い
正にウクライナで行われていることです
本作では過去に例がないほど大砲の威力がこれでもかと表現されます
戦場を支配するのは昔も今も大砲の数であることを観客に伝えています

冒頭の革命シーンで、何故マリー・アントワネットの断頭台シーンが長く克明に描かれるのか?
それも人命が如何に軽く扱われるのかを表現するためのシーンだからです
ここは北野武監督の「首」と同じです

たった一人の男の頭の中の考えだけで、何万、何十万もの人間が死ぬのです
自分の考えを実現するためには、何百万人死のうが彼にはそれが正義であり、国家と国民の為にやっていることなのです

果たして私達は、プーチンをナポレオンのように退位させ絶海の孤島に幽閉することが出来るのでしょうか?

だからロシア遠征の敗北、続くワルテルローの戦いの敗北を特に長く描いているのです
なにがなんでもそうしなけばならない
それこそが本作で監督が伝えようとしているメッセージなのです

フランスでは本作は受けが悪いそうです
そりゃ自国の英雄をプーチンになぞらえられたら不快でしょう

蛇足
アウステルリッツの戦いは、1956年の映画「戦争と平和」のシーンを遥かに上回っています

氷結した池を砲撃して氷を割り敵軍を壊滅させたのは史実です
ですがそれは全体の戦いの中の一つのエピソードにすぎず、それだけて勝ったわけではありません

もうひとつ蛇足
ナポレオンの絵画といえば?
上記の戴冠式のものより、「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」の方が有名です
ほら、いななく白い軍馬にまたがって、右手で進軍の方向を高く指し示す、赤いマントをアルプスの疾風にはためかすナポレオンの勇姿!のあれです
これぞ英雄をイメージする絵画です
でも本作ではこれは全くでてきません
そもそもナポレオンのイタリア遠征自体本作では取り上げてもいません
監督は格好いいナポレオンを撮りたくなかったのだと思います
ホアキンを配役した理由もそれなのだと思います

蛇足の蛇足
ナポレオンは分進合撃してくる敵軍を各個撃破する戦法で大勝利を得てきたことで有名です
つまりA、B、C三つの敵軍がそれぞれ進軍してきて、合流して自軍より優勢な一つの敵軍となり決戦を挑もうとしているとき、その合流の前に各個に戦い撃破してしまえば良いというものです
A→B→C と順に戦闘していくならば、自軍が劣勢になることはなく戦える、むしろAに勝てば勢いにのってBにも勝ち、Bも撃破すれば、最早Cは怯みさらに有利に戦えるという考え方です
終盤のワルテルローの戦いでも、ナポレオンはこれをやろうと作戦構想していました
しかし部下の攻撃の進言を天候が良くないことを理由にまだ早いと却下してしまい、Aと戦っているうちにB、C が戦場に到着しまう最悪の状況を自ら招いてしまったのです
替え馬を用意した偵察兵が遠距離を駆け戻り次々に別の敵軍の接近が思ったより早いと報告したとき、ナポレオンはもはや勝敗は決した、戦う前に負けたのだと悟るのです
このときのホアキンの表情の演技は見事でした

あき240
たまさんのコメント
2023年12月14日

レビュー読ませていただいて、なるほどと思いました。
映画のラスト、ナポレオン時代の戦死者の数が出ます。
これだけの犠牲者を出したんだ、と。
名もなき人々の犠牲者の数に驚きを禁じえませんでした。
ロシア遠征時の数は群を抜いてましたね。
深いレビューだなぁ、感服しました

たま
AKIRAさんのコメント
2023年12月13日

凄い西欧史の知識ですね。特に戴冠式の画家、感服しました。

AKIRA