ほかげのレビュー・感想・評価
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居酒屋から覗く闇の戦後社会
『ヴィタール』でまさに作風の「跳躍」を見せた塚本監督は、『野火』で更なる変貌を見せた。その『野火』と本作『ほかげ』をあわせて「戦争」をより立体的に描く。「日本映画が描く戦争とは『銃後』だ」との伝統に則るなら、本作こそ正統派戦争映画なのかもしれない。
「穴蔵から覗くかのごとき都市」から「居酒屋から覗く戦後社会」へ。焼け残った居酒屋で売春をしている女の元へやって来る者たちに、刻印された戦争の傷痕を見る。また、社会学者の宮台真司が、初期塚本作品に見出した「自己確証が(意外にも)自己破壊を帰結することで(意外にも)癒される」というモチーフは変奏され、本作で、ふたりの男に分かち持たれた。復員兵は戦争の悪夢に侵食されて廃人となる。テキ屋の男は『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三のように、かつての上官に復讐する。自己破壊と他者破壊。その根源に戦争があることを、間接的に描き出す。
『KOTOKO』で自己パロディを通過し、日本の近現代史の中の「戦争」を注視することで、塚本作品は一層深みを増した。居酒屋の女が、性感染症(おそらく梅毒)に罹り、戦争孤児だった「坊や」と別れる際に、盗んだ拳銃を置いて行かせる。塚本作品も「個人的暴力」から「国家的暴力」注視へとシフトしたのだ。
壊された世界で生きる
朝ドラなんかだと終戦や戦後の生活は「希望」をもって描かれることが多いし、苦難を描く場合でも明るい明日を夢見てひたぶるに生きる人たちとして描かれます。
とはいえ街も生活も、親しい人たちもみんなぶっ壊され、虚無感や深刻なトラウマに苦しめられ、絶望の日々を生きた人たちも少なくないでしょう。
戦後80年を迎え、若い人たちは戦争経験者とまったく交流したことがない人たちもいると思います。
戦争や戦後の苦難、壊されてしまった様々なこと。
伝えていくことの大切さをかみしめる作品です。
戦火の影
戦後を描いた作品はそんなに見たことがないけど、敗戦国の日本は一からやり直して、世界を代表する大国になった!みたいな話に転嫁しやすい。
実際には精神的な病に苛まれ、上手に生きていけなかった人が大半なのだろうと思わされた。
前向きであることは必要なことだけど、悪い部分も伝えないと後世は誤認してしまう。
映画としては序盤が退屈してしまった。
銃を捨てて、働いた金で、飯を食う
戦災の残したものはあまりにも大きいて話
壊れた兵士
病に伏せる娼婦
屍を越えてゆく少年はどうなっていくのだろう
基本的に小さな納屋のようなシーンで
被災した町並みはあまり出てこないが
見るまでもないのだろう
ラストは出店が並ぶ町並みが出てくるが
商売人はそんな環境でも活気があって
たくましく感じた。
見てよかった。
感謝と慟哭
闇市・・・・
あの壮絶な戦後の混沌期を、必死で生き抜いた人達に感謝とリスペクトを贈ります
この人達がいなければ、今の自分も、自分達も存在しない
日本という国さえ存在しなかっただろう
この凄まじい行動力と負けじ魂が、日本をここまで復興・発展させたのだと
改めて痛感した作品だ
戦場で上官に命令され、仕方なく「戦友」を56すなどの
自分の罪と後悔に苛まれる男
大きな音が聞こえる度に、大砲や銃声と勘違いし、恐怖に怯える痩せた帰還兵
生き抜くために体を売り、挙句の果てに病気をうつされる若い女性
孤児でありながら、たった1人で適応し賢く強く生き抜く男の子
みんながみんな適役で、いい演技をしていた
男の子の輝く瞳はとても印象的で、吸い込まれそうにもなった
これは塚本監督の采配か? 見事としか言いようがない
当時の彼等が、今この国をみると一体どう思うのだろうか
アメ○カの植民地になり続け、中▼の属国になり、DSにもてあそばれる
それどころか洗脳された国民は、疑うこともせずに何の声も上げない
あの負けじ魂はどこへ行ったのか
凄まじいまでのは行動力や生きる力は捨て去ったのか
彼等が命がけで作った日本という国を
ここまで貶めてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる
そんな映画です
「外国での戦争が終わった」じゃなくて「外国との戦争に負けた」でしょ。
ただの法螺ー映画。
せっかく、旧国営放送からお借りしているのに、スタジオでしか使う事が出来ない。
せめて、セットに出して撮るとかしないと、引きこもりの春を売る少女なんて、どこの時代も、どこの場所にもいないだろ。風呂や「うん⭕️」はいつすんだ。くせーだろ。
敗戦後「お先、真っ暗って」、そんな事思っていたのか?
梅毒になった女性が「近づかないで」は無いだろ。スピロヘータなんだから、少年と交わらない限りうつらない。ハンセン氏病の偏見をまた蒸し返すのか!
以上、演出が稚拙過ぎる。
僕の時代。上野の山には白い服を着た兵隊見たいな人達が沢山いた。そう言う人達が色々な芸を披露して、小銭を集めていたのを思い出す。
上野へ、亡父と映画を観に行った帰りに、上野動物園に行くと必ずそういった人達にあったものだ。
亡父は言っていた。「信用して金なんかやるな。働かないで楽をしようとするからやってんだ。」って言っていた。平和しか知らない僕には異様に思えたが、亡父は「信用すらな」と言う。
そんな人達がベンチに座ってタバコをふかしていた。まだ、本当のク⭕️ガキだったのでタバコの銘柄などわからなかったが、亡父が吸っていたタバコと違う銘柄だと直ぐに分かった。フィルターというものが付いていたのだ。なぜか直感で亡父の言葉をしんようしてしまった。
亡父は片耳が聞こえず「予科練の甲種に落とされた」と言って「だから、戦争には行けなかった」と言っていた。真意は分からぬが、そんな予科練に受かる様な賢明な男ではなかった。だって、計算が合わないもの。昭和5年生まれで予科練行ったか人なんていねぇだろ。
てなことで、亡父は軍人には物凄くコンプレックスがあったようである。
その兵隊見たいな物乞いも1970年までにはすっかり消える。その後、暫くして登場するのが、ブルーシートである。いつの時代も生活の下手なキャラクターはいるとは思う。
そう言う者を働かせるシステムが必要なんだと思う。勿論、女性が体を売るなんて持っても他。畑のトウモロコシを盗む比ではない。言うまでもなく。
かくして、日本は復活せし。平和ボケは続く。ずっと続いてくれ!
アメリカ米も底をついたので、B地区米を買って来た。まずくないよ。どこの米か分からんけど。B地区ってどこなんだべ。
タイトル無し
戦後の舞台として作る映畫は様々だと思うが、なぜ戦爭を負けたのかという反省問題より、戦爭反対や戦爭の意味を考えから、戦爭は人の全てを奪うまたは人はどんな辛くても生きて行く強さは今まで見た戦爭映畫で一番深刻に感じた映畫だった。
子供、女、復員兵、テキ屋の男という名前が無い4人から戦爭の色んな一面を描寫する。例えば、人物の生き方と慾望とか...
まず、一番重要なのは子供だと思って、年齢から見ると、これからの日本だというメタファーと思う。武器を使う加害者になろうかそれとも辛い生活を送ろうか、作者は後者の選択を選んだ。「聖なる戦爭は無し」という今村昌平監督の作品の名言が思い出した。
女もあの時代で言えば、力が無くて戦爭へ參加することではなく、戦爭から変わってしまった人たちである。家族のような生活を望んで生き続ける。最後に體が売り過ぎて病気になってしまうことも悲劇な一部だった。自分のことが変えなくて無関心に進むしかないと感じられた。最後にその望むことは他人への希望として殘る。戦爭の女性にとって一番殘酷な一面を描寫した。
復員兵とテキ屋の男は同じく戦爭から騙されて、悪いやつに変えてしまったことだ。前者は良い顔で悪い慾望を持つ一方、後者は悪い顔で良い心を持つ。そういう対立性も非常に良かったと思った。
もし、戦爭が無ければそれらの人たちはどうなるかということは、殘酷の現実にimageになるしかない。更に思い出したのは黒い雨の「正義の戦爭よりも不正義の平和の方がいい」という言葉だった。
本當に勉強になりました。
ピストルを拾ったら、警察に届けましょう‼️
戦争がいかに人々の心に深ーい影を残しているか⁉️そんな深ーい影が人々にどんな災いをもたらすか⁉️人々をどんな行動に走らせるか⁉️そんな戦争後遺症を一人の幼い戦災孤児の視点で描いた作品‼️映画は2つの物語を軸に展開‼️戦後の焼け跡で居酒屋を営み、夜は売春を余儀なくされる女性が、食べ物を盗みに来た戦災孤児との交流に心の安らぎを見出す話‼️そして復員したテキ屋の男が、戦地での上官に復讐する話‼️前者の趣里さんも頑張っているのですが、白眉なのは後者‼️森山未來がテキ屋の男を、静かなる決意を携えた素晴らしい演技で体現‼️戦友の恨みの銃弾を、上官へ一発ずつブチ込んでいくシーンは、この作品の凄絶な見せ場ですね‼️そしてそれを見つめる戦災孤児役、塚尾桜雅くんの純粋な瞳、そして何かを悟ったような表情がホントに素晴らしい‼️撮影当時8歳‼️ウーン、恐ろしい‼️塚本晋也監督もねっとりとした重い作風なんですけど、力強い演出で戦争のもう一つの悲劇の描出に成功してると思います‼️
出演する俳優の演技力
ミニシアターにて「野火」との2本立てにて鑑賞。
物語りは戦後直ぐの闇市近くの半焼けの小さな居酒屋が舞台。当初はその居酒屋だけのワンシチュエーションムービーかと思ったが違った。
やはりこの映画は趣里の演技が圧倒的で素晴らしかった。あの薄暗い部屋で膝を抱えてこちらを睨んでいるあの姿が脳裏から離れない。
しかし対象的にあの元将校らしき人物の演技が酷かった。まるで素人丸出しだった事が大きなマイナスとなった。映画を観ていて夢から覚めたような感覚となってしまった。残念でならない。
戦後市井の地獄
『野火』で戦争最前線の地獄を描いた塚本晋也が、今度は戦争直後の地獄を描く。
あの時代…。兵士も、市井の人々も、戦地も、焼け野原も、生きるも、地獄。それでも人は…。
戦後の闇市。
荒れ果て、混沌と喧騒の中に、半分焼け残った居酒屋。
そこで女は、身体を売って生きていた。
ある夜店に忍び込んで来たのは、孤児の少年。
奇妙な共同生活が始まる…。
女は戦争で夫と子供を亡くしていた。少年に亡き我が子を見る…。
少年は戦争孤児。親の記憶が…? でなければ女に懐かない。
こんな地獄の中でも、幸せや穏やかさはあった。が、それもほんの束の間…。
『ゴジラ -1.0』で浜辺美波と女の子は神木演じる青年と出会ってささやかな人並みの暮らしを手に入れたが、出会えてなければこの“地獄”に堕ちていたかもしれない。
世の不条理、苦しみ、悲しみも“暴力”と言うなら、幾度も幾度もそれに晒される。
少年の目を通して。
身体を売る女。男たちの欲望にもみくちゃに。
だからやはりと言うか、最後は予想付く。
その為、嘘を付く。本心ではない嘘を…。
が、最後にもう一度会った時、少年に真っ当な仕事をする事、しっかり生きる事、生きていかなければならない事を伝える。
趣里の熱演。朝ドラでの活躍。両親の肩書きが要らないくらい、これからが頼もしい女優。
客として店に来た若い復員兵。元教師。
穏やかな性格で、一時3人で家族のように暮らすが…、発砲音で豹変。二人に暴力を…。
河野宏紀の危うさ。
ある仕事で少年が出会った別の復員兵。片腕が動かない。
少年が銃を持っている事を知るや、それを使って…。
死んだ戦友、自分の苦しみ…。それを下した元上官に復讐。
「戦争が終わった」の台詞が、何とも哀しい。それでしか終わらせる事が出来なかったのか…?
森山未來のインパクト。
元上官は「戦争だったんだ」。
お前が言うな。お前の命令で今も苦しんでいる人がいるんだ。
個人レベルの事ではない。この国やお偉方。お前らが始めた事で、地獄に叩き落とされた人たちがどれほどいると思う?
元教師の復員兵も片腕の復員兵も、加害者であり被害者。
上官やお偉方や国もそうかもしれない。
皆が犯した罪と後悔の中で、もがき苦しんでいる。
地獄だ。
少年はそれらを目の当たりにして…。
女との別れ。
伝え教えてくれた通り、仕事をする。
うどん売りのオヤジに何度も放り投げられるも、皿洗いを続ける。根負けしたオヤジは仕事を与え、まかないと金を…。
この地獄の中に、一筋の希望(ひかり)を見た。
その金で少年は食べ物と衣服を買おうとする。
自分に…? トンネルで見掛けた浮浪者たちに…? それとも…?
闇市に響く銃声。おそらくそういう事だろう。一体誰が命を絶った…?
一筋の希望(ひかり)も、静寂も、再び混沌と喧騒の中へ。
少年も消えていく…。
まるでそれは、これから長い人生の荒浪に呑まれる少年を思わせる。
女の願い通り、しっかり逞しく生きていく事を祈って。
平和への願いでもある。
日本映画への期待でもある。塚尾桜雅クンの目力、末恐ろしい演技力…!
登場人物たちに名前は無い。
あの時代の女たち、子供たち、男たちなのだ。
それぞれ歩んだ戦後。
早くに亡くなった者もいれば、国と共に復興し、長きを家族と過ごし、豊かな人生を歩んだ人たちも。
時が流れるにつれ、あの地獄を知る人が少なくなっていく。あの地獄が遠退いていく。
来年終戦80年を前に、塚本晋也が今一度訴える。
戦争は地獄だ。
戦争が終わっても
戦争が続いている途中はもちろん、終わった、
と言われても、戦前の穏やかな生活なんて来やしない。
大空襲で焼け野原にやっと残った店に来る客もいない。女一人で生きて行くには‥。
若い帰還兵、実家に帰らずこの辺でウロウロするのは、家も家族も無い者。
生きて帰っても誰も喜んで迎えてもくれない、
住むところからどうしようか、この焼け野原で。
親をなくした子供が生きる道は、
靴磨きする人などいるだろうか?
洗い物してたけど、どうなんだろう?
道に逸れた生き方しかできなかったのでは?
女、体を売っていたら、怖い怖いことが。
見知らぬ男について行き子供が見聞きしたのは
‥‥‥。
本作の森山未來演ずる謎の男が言ったことしたこと、非難できるだろうか。
こんなに苦しんでいた人、どれくらい居られたのだろう。
亡くなった人も辛い。
生きて帰っても地獄の日々を過ごしていた人がいる。死ぬまで苦しむのだろう。
だけど、坊やはたくましくひたすら生きていく。
アイドル?
と思う位のオープニングからのキュート趣里でした。森山未來パートも凄いカリスマでした。
テーマは、戦争が生み出す非人間性とPTSDですかね。
1ヶ所、決定的に台詞が聴き取れずかっとしましたが、病気の下りで腑に落ちました。性病? ハンセン病の暗示にも思えました。個人の終戦は当事者にしか決められないんですね。
語られることのない戦後を描いた渾身の一作
NHKの連続テレビ小説(連ドラ)でくりかえし語られるテーマに先の大戦を生き抜いた
人たちの復興に向かう姿というものがある。
2023年後期『ブギウギ』も2024年度前期『虎に翼』もこの時代だ。
この映画では連ドラでは取り上げられることのないであろう、売春婦であったり、
傷痍軍人であったり、戦争によって精神を病んでしまった人や、戦犯や、戦争孤児が
登場する。
連ドラが大変な中前向きにがんばる人々を明るい調子で描くのに対し
この映画では登場人物たちが戦争があったがゆえに命を奪われたり、
人生を狂わされたりする様子が描かれていると同時に、
戦争孤児となった少年のみが犯罪に手を染める事なく
一人で生きていこうとする姿が描かれ唯一の希望となっている。
21世紀になっても、令和になっても
戦争はなくなってはいない。
先の大戦で不戦を誓った日本でさえも
アメリカの世界戦略ににどっぷり組み込まれ
アメリカ製の武器をたっぷりと買わされ
多国籍軍による軍事演習を頻繁に行い
周辺国を刺激することで緊張を高めることになっている。
戦争そのものではなく
戦争によってひきおこされる悲惨さを
今まで光を当てられて来なかった人たちを通して描くことで
時代への警鐘を鳴らす塚本晋也監督渾身の一作となっている。
役者さんたちそれぞれいい仕事をされていますね。
混乱期の中でも
戦後の混乱期の中でもがき苦しむ女性、少年そして男性を通して生きることを描く。
外見だけでは判断しづらい人間の脆さと恐ろしさ。
同時に自身に降り掛かるものに耐えきれず壊れていく大人たち、そんな荒波に晒されながらも信じた者の言葉を胸に生きようとする少年がとても逞しく「生きる」ことを感じさせてくれる。
最後まで観たら、すごい傑作だった。
映画で戦争を伝えたい、
そう話す塚本晋也監督。
鮮烈だった「野火」に続き大きな仕事を成し遂げた。
現在64歳の塚本晋也。
戦争体験は私たちと同じに、書籍、映画作品、ニュース画像などからの
疑似体験だと思われる。
なのに、なのに、このリアルな戦後直後の人間のリアル!!
なんなんだ!!凄過ぎる。
そこに復員兵の《森山未來》の飄々とした存在。
戦争孤児の《塚尾桜雅》(今9歳になったばかり、撮影時は8歳か!!)
《趣里》の役名は女。
趣里の作品に身を捧げる熱演も見事だった。
この3人を軸にストーリーは紡がれる。
やはり衝撃的なのは後半の片腕の復員兵のパートからの終盤。
眠気も吹っ飛んだ。
この映画の出演者は、女(趣里)
戦災孤児(塚尾桜雅)、テキ屋の男=森山未來(復員兵)
中年(利重剛)
優しそうな男(大森立嗣監督)
など固有名詞のない人間たちなのだ。
ところが片腕の復員兵は突然名を名乗る。
アキモトシュウジの名を出して、ある男を呼び出すのだ。
呼び出し役は戦災孤児の少年。
その前に伏線がある。
拳銃・・・戦争孤児が死体の側に転がっていたのを拾って
宝物にしていた。
復員兵はそれを目当てに孤児に近づき
ある目的を果たすのだ。
呼び出された男はアキモトの戦地での上官。
“おうアキモト、久しぶりだな“と上官。
“その節の、礼と詫びと償いに来ました“と復員兵。
そして4発の銃弾が上官の男に撃ち込まれる。
1発目は、
タナカ・ヒデキの分です。
2発目、
ニイジマ・タダノブの分です。
3発目、
ナカタ・シゲキノの分です。
ナカタは貴方の命令で俺が殺しました。
どうしても捕虜を銃剣で刺せなかったナカタ・シゲキを俺が
殺しました。1番の親友でした。
タナカもニイジマも貴方の命令で捕虜を刺殺し、女を犯し、
俺は何十人も、人を殺しました。
“うなされのたうち回りつつものうのうと生きています。“
4発の銃弾はわざと急所を外して撃たれる。
地獄の痛みを長く耐え、自分の罪と向き合えと言うことだ。
上官は“戦地のことではないか?“
そう言う。
(実際にそうかも知れない。忘れる者は忘れる、
(自分の中で折り合いを付けて
(涼しい顔で妻とちゃぶ台を囲み和やかに暮らしていた)
森山未來の変幻自在な演技は、片腕の復員兵に血を通わせ
時に軽妙、
時にユーモラス、
時に狂気を帯び、
この作品の音楽の石川忠もすごい仕事をした。
この音楽無くしてこの映画の魅力は半減したと思える。
時に不穏に、時に歪み、時に脅す。
塚本晋也監督は、
監督・脚本・撮影・編集の4役をこなしている。
いい作品には気合の入った役者の本気の演技が見れる。
肩に力の入った趣里に較べると、森山未來のチカラの抜き方が
絶妙で対照的。
やはりキャリアの違いを見せつけたが、
それにしても子役の塚尾桜雅。
9歳足らずでこの演技。末恐ろしい天才子役の出現か!!
テーマの「戦争と人間」そのものだ。
前半にもう少し引力が有れば、と悔やまれる。
森山未來からの後半の力強さ怒涛の展開。
前半は説明台詞が多く室内ばかりなので、
動きが少なく、暗く重い。
惜しいと言えば惜しい気がするが、文句なしの傑作。
「もはや戦後ではない」から70年近く経とうとしている
2024年映画館鑑賞9作品目
2月24日(土)チネラビィータ
会員料金1500円
監督と脚本は『鉄男』『ヒルコ/妖怪ハンター』『双生児 -GEMINI-』『野火』『斬、』の塚本晋也
粗筋
売春婦の家に転がり込んだ復員兵と戦災孤児
それぞれが大東亜戦争のトラウマを抱えていた
3人の同居生活はしばらく続いたが発砲音で戦地の恐怖が蘇った復員兵は発狂し暴れ追い出されることに
こうして女と孤児の二人暮らしになった
女は自分の子供のように孤児を可愛がった
帰りが遅い孤児を叱り危険な仕事を断って来いと指示した女は戻って来た孤児に嫌いになったと言って追い出した
テキ屋の男と汽車に乗り田舎にやって来た孤児は元上官への復讐を見届けることになる
帰りの汽車賃を渡された孤児は女の家に戻って来た
女は重い病に罹っていた
女と別れる日がやって来た
孤児は幼くして再び自立しなければいけなかった
映画の出来として悪くない
むしろ傑作の部類
若干不満点はあるがほぼ星5の評価をつけたい
出だしも良い
ラストも好き
反戦のメッセージについて特に改めてレビューに書くつもりはない
野火などで既に書いたつもりだ
ガザ地区もウクライナもそろそろ停戦してもらいたいと願ってはいるが決定的な価値観の違いに虚しいばかりだ
俳優陣の熱演がとても素晴らしかった
朝ドラの方も悪くはないがやっぱりこっちの方がいいな趣里は
私娼の役だがヌードにはならない
ヌードになる必然性はなかった
着衣でも充分だから
それを思うとあの映画でヌードになった意味が今でも不明だ
子役の塚尾くんの表情や眼差しが天才的
主演は趣里のようだが実質的に主役なのは彼だろう
かわいい
名前はあまり存じ上げないが復員兵を演じた河野もなかなか良い
森山未來の芝居にケチをつけるつもりはないが汗出すぎ
あれじゃまるで漫画だ
下手くそだけどどっかで観たことがあるなと思ったら大森監督だった
弟の足元にも及ばない大根ぶりだった
妻?役の唯野未歩子は随分と歳を取ったなと感じた
彼女は自分と最も共通点が多い芸能人なので親しみは感じている
思わせぶりな不安を煽る効果音の多用は塚本晋也の世界
だが焼夷弾の焼け野原の映像直前の地鳴りがするような音とテキ屋と孤児が乗った汽車の音は大きすぎる
びっくりしたというか迷惑だ
それにしても『首』は戦争の悲惨さとか反戦映画と言われずましてやあろうことか最も尊敬する武将は誰かとランキング形式で称えられる始末
かたや大東亜戦争がらみなら例外を除けば反戦映画とモテ囃される
これが日本の教育の成果なんだろう
朝日新聞の社員はみんな優等生
自分は劣等生
ほかげさまです
いやおかげさまです
配役
大東亜戦争で夫と息子を亡くし自宅兼居酒屋で売春をしている女に趣里
戦争孤児を連れて復讐を果たす片腕が不自由なテキ屋に森山未來
手提げカバンの中に拳銃を忍ばせている戦争孤児に塚尾桜雅
かつては教師だった復員兵に河野宏紀
女の店に日本酒を仕入れる男に利重剛
大東亜戦争でテキ屋の上官だった男に大森立嗣
上官だった男の妻?に唯野未歩子
目を背けてはいけない
映画『ほかげ』地味な作品なんだけど、その作品創りには敬意を評したい。先の大戦からまもなく百年近くが経とうとしている。喉元すぎれば暑さを忘れ、そんな言葉が頭をよぎる。大戦の経験者の証言もめっきり減ってしまった。また過ちを繰り返すのだろうか。
先の大戦から百年近く
ややもすると美化するような風潮と作品群。
ここ十年ぐらいの傾向のように思えてならない。
あんなむごたらしい戦いの中にあっても、こんな素敵なことがあったとか。
日本のために戦い、命を失った英霊のおかげで今日があるとか。
そうだろうか。
英霊、つまり戦死者。
これは、たんに戦争の犠牲者でしかない。
戦争は、不条理の極みであり。
そこに、真実や正義などない。
ただの国家間の殺し合いでしかない。
そんな暗い時代にもこんな素敵な出会いと恋があったとか。
それが事実でも、それはそれでいい。
ただ注意しないと、いつのまにか大戦自体も肯定的にとらえようとすり替えられること。
『ほかげ』出だしは、まるで一幕劇でも見てるかのよう。
一件のボロ居酒屋。
そこに夫と子供を失った一人の女性。
居酒屋は、表の看板。
体を売ってその日その日を生きてゆく。
息が詰まりそうな空間と芝居。
ああ、戦争の傷跡とはこういうものかと。
誰も目をそむけたくなる。
そう、戦争の本質とはそうなんだろうと。
あえてそのことから目をそらさず映像化したことに、拍手を贈りたい。
丁寧な作品創りと、俳優陣の演技がいい。
後半は、打って変わって動的に
このあたりは、上手だなと。
闇市の喧騒。
傷痍軍人の物乞い。
そして、なによりも戦争によって心を病んでしまった者の傷跡。
薄暗い路地裏にたむろする帰還兵。
あてどもない彷徨と絶望。
森山未来の帰還兵がいい。
拭いきれない罪の重圧。
なんとか過去を清算しようとする姿。
清算などできないのだが。
作者は、繰り返し戦争の不条理を訴えてくる。
そんな時代に翻弄される人間。
正義はどこに行ったんだろう。
そう戦争に正義などない。
嫌というほど伝わってくる。
だから見ていて、決して心地良いものではない。
心地よくなる戦争映画があるとしたら、そっちのほうがおかしいのだと。
戦争という出来事に、真正面から向かい合った製作陣に頭が下がる。
それぞれに強くのしかかる戦争
ほんの数十年前のことなのに、戦争当事国であっだ、戦争当時社会であったことのリアリティがなくなって久しい。気がつけば失われた30年というけれどお金、経済や政治的な立場、グローバル化と言いながらグローバルとは反対の方向にいく失われた30年は戦争のリアリティ当事者性も失われ無惨な歴史修正や反知性が跋扈している。
そんなことを強く感じざるを得ない作品。
役者さんたちは渾身で素晴らしい。渾身すぎて力強すぎてかえってそのことかわからなくなるくらいだ。
大人たちは皆モノローグだ。人との関わりを最低限避けたり自らの体験した戦争の地獄にうなされたりそれでも目的があったりなかったりで人に近づき近づかれ、でもこの作品に出てくる女も帰還兵も皆モノローグ。子どもに話しかけ関わりを持っても彼らの世界はもうモノローグから出ていけない。子どもと戦災孤児となり子どもも自らの戦争体験身内の死や恐怖孤独にうなされるが、彼は対話する。1人で言葉少なく、目を見開いて世界と向き合わざる得ないから、良い人が悪い人か嗅覚で判断し経験値を高めていく、彼は対話し他人と呼吸する。
モノローグに人を押し込める戦争は、被害者も加害者も一重だと思う。
【今作は、戦争終結後も、心に痛みや闇を抱える人たちの姿をシビアなタッチで描いた、ワンシーンも戦闘シーンが無いが故に強烈な印象を残す、見事な反戦映画である。】
1.女(趣里)は半焼の小さな何もない居酒屋で独り暮らし。襖の向こうは誰にも見せない。ある日、そこに泥棒をした男の子と、元教師と言う男が転がり込む。
男の子は拳銃を持っているが、女は”そんなものを持っていては駄目”と言って茶筒にいれてしまう。
男は初日こそ金を持ってきたが、居座る。だが、ある日男の子により、彼が働いておらず町の片隅でボンヤリ座って一日を過ごしている事が告げられ、女は男を追い出す。
そして、男の子も真っ当な仕事をしていない事が判り、女は男の子も追い出す。
- 襖の向こうには、線香とご飯が添えられた位牌が二つある。-
2.男(森山未來)は、男の子と一緒に歩いている。川で魚を取ったり、トウモロコシを食べたり。
そして、ある日。男は頭がオカシクなった男が閉じ込められた建物に行って、窓から手を入れ、その男の頭を撫でてやる。男の子が”何をしたの?”と聞くと男は”皆、面白い奴だったんだよ。”と答えるのである。
更に別の日に、男は立派な邸宅にコッソリと忍び込み、裕福そうな老夫婦の姿を見た後に、男の子に”夜に成ったら、あの男を呼び出してくれ。俺の名前を出せば来るから。”と言う。
そして、夜。初老の男が着物姿でやって来る。”久しぶりだな。腕は残念だったな。”と語りかけ、男も敬礼をしながら男に対峙する。軍での元上官である事が判る。
男は、男の子から拳銃を貰い、且つての戦友たち(上官の男の命令で、捕虜の処刑をした後に、精神がオカシクなってしまった者。処刑を拒否し、殺された者。)の名を叫びながら初老の男の身体のあちらこちらに銃弾を撃ち込む。
そして、”お前はその痛みを抱えたまま、生きていけ。”と冷たく言い放ち、”これで戦争が終わった!”と夜空に腕を差し上げ叫ぶのである。
3.男の子は久しぶりに女の家に戻って来る。女は”病気になってしまったよ。近づいちゃ駄目だよ。この間は酷い事を言ってごめんね。”と襖越しに謝り、男の子に”真面目に働くんだよ!”と叫ぶように言葉を掛ける。
男の子は、その言葉を聞いて且つて、盗み食いをした路上の雑炊屋で働き始める。そして、暗い防空壕に入って行く。そこには、教師だったという男が、虚無的な顔をして座っている。男の子は、その姿を見て男が大事に持っていた教科書を置いて去るのである。
ー 戦争孤児の男の子の表情が、序盤から徐々に大人びてしっかりとしていく過程を、その瞳と共に見事に描いている点が、素晴らしい。-
<今作は、戦争が終わっても心に傷や痛みを抱えながら生きる人々の姿を、シビアなトーンで描いた見事な反戦映画なのである。>
<2024年2月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
敗戦後の女性の生き延びていく道
主演の趣里氏の目つきは、岸井ゆきの氏とも見紛うほど鋭いものでした。敗戦後の混乱期に男手を頼りながら生き延びていこうとすれば、『ゴジラ-1.0』の浜辺美波氏の演じた女性よりも、こちらの役柄の方が実態に即しているであろう。ただ、塚尾桜雅氏、河野宏紀氏、利重剛氏の演じるそれぞれの出入りする男性への態度が、そのときの気分によって違うのには戸惑いを感じた。
森山未來氏が演じた男性が、上官に復讐したいという気持ちはわかったけれど、それで戦争が終わったと言って良いのかという疑問は残った。
塚尾桜雅氏はもちろんのこと、報復を受けた上官を含むすべての登場人物の行く末に、少しでも喜べる生活が訪れてほしいものである。
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