映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)のレビュー・感想・評価
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音楽は悪魔を倒す一番有力な武器である
私は現在日本在住中国人会社員で、『ドラえもん』の大ファンです。
この映画レビューはもともと中国語で書かれたものですが、日本の『ドラえもん』ファンと交流し、共感を得るために、このレビューを日本のウェブサイトに翻訳して投稿することにしました。私の日本語能力が高くないため、翻訳に不自然な表現が含まれていたり、元の意図を完全に伝えられない部分があるかもしれません。その点についてはお詫び申し上げますとともに、読者の皆様のご理解と寛容をお願い申し上げます。
*ネタバレ注意
一。「みんなで音楽を楽しむのは楽しいね?」
最終決戦の前、ドラえもんは「ノイズ」の感染がひどく、機能がほとんど停止し、空き地のコンクリートパイプ前に倒れ込みました。ベートーベンの偽物であるベンート大師によると、「ノイズ」は音楽で消滅させることができるため、みんなで演奏を行うことにしました。
緊急な間に、指揮者が欠席でみんな混乱した、のび太のリコーダーが常にミスで、ジャイアンとスネ夫から文句を言われ。バンドは解散寸前、その時しずかが気を落ち着かせ、打楽器部の「副指揮者」としての役割を発揮し、リコーダーのペースに合わせてシンプルなカスタネットで新しいリズムを刻み始めました。
完璧な演奏で、「ノイズ」をドラえもんの体外に追い出して消滅させると同時に、相互協力の重要性をようやく理解しました。危機が解消された後、ミッカはチャーベックに向かって嬉しそうに言いました。「みんなでファーレをして、楽しいね?」これは、これまで一人で音楽をしてきた彼女が心から感じた感慨だと信じています。
孟子曰:「独楽楽不如众楽楽。」これは、「一人で音楽を楽しむ喜びは、多くの人と一緒に音楽を楽しむ喜びには及ばない」という意味です。音楽をしたことのある皆さん、誰でも似たような経験があるでしょう。他の人とアンサンブルをするとき、二つ以上のパートが完璧に合わさり、周波数の欠けを互いに補い合い、完璧なハーモニーを形成すると、鳥肌が立つような体験になります。
心理学の観点から見ると、この満足感は人間の潜在意識の弱点、すなわち安定と予測可能性への本能的な依存に由来します。同じ総譜、同じコード進行を共有する状況では、バンドの一員は他のメンバーが次の小節で何を演奏するか、どのコードを弾くかを完全に予測し、それに合わせて自分の演奏を行うことができます。
音楽以外の場面では、この現象は通常「默契」や「心の通い合い」と呼ばれますが、器楽合奏は複数の独立した個体を一時的に「心の通い合い」の状態に導き、この予測可能性がもたらす安全感と満足感を共有することができます。
耳の良いなら、映画全体を通してのび太のリコーダーが実際には常に安定して音痴で、他の人より少し高いことに気づくかもしれません。のび太の演奏技術の問題だけでなく、私が考えたもう一つの客観的な説明は、バロック時代の歴史的な遺産のため、リコーダーが典型的なソロ楽器として、標準の定音がA=442Hzである一方で、他のバンドメンバーは標準のA=440Hzです。さらに、のび太が吹く倍音が高いため、彼のリコーダーは常に音程から外れています。
空き地での演奏後、もう誰ものび太を足手まといだと笑わなくなり、決戦のアンサンブルでものび太の技術不足がさらなる危機を引き起こすことはありませんでした。映画の時間内で「長期間の練習による進歩」を支えることはできないため、「協力上の突破」による戦闘力の向上を描くのは適切な処理と言えるでしょう。
起承転合の「転」の部分として、空き地でのアンサンブルシーンのドラマチックな緊張感はまだ向上の余地があります。おそらく本作の低年齢化の基調が私たちが今見ている結果をもたらしたのでしょうが、これは残念な点と言えます。
二. 音楽は文明のお守りです
この部分の映画での危機は、のび太が翌日の音楽の授業を逃れるために、ドラえもんの因果律の道具「予言日記」にこんな一文を書いたことに始まります。「今日音楽がなかった。」確かに、その日の音楽の授業は先生が急用でキャンセルになりましたが、のび太が何の条件も限定しなかったため、世界中のすべての音楽も一緒に消え去りました。
予言日記は物理法則を破らない前提で、この命令を忠実に実行しました。多くの低確率の事件が同時に発生し、音楽を再生したり演奏したりするさまざまな装置がちょうど同時に故障し、歌を歌える人も声を出せなくなりました。この目立たない小さな変更は実際に人類社会を前例のない混乱に陥れました。同時に、小惑星探査機から送られてきた小惑星のサンプルには、「ノイズ」と呼ばれる危険な生物が混入していました。のび太の無茶苦茶な行動により、地球は一日で音楽の保護を失い、「ノイズ」が感染を始めました。
映画では、音楽が消えた結果をカートゥーン的な手法で表現しています。もし藤本先生がまだ生きていたら、この部分をもっと想像力豊かに作り上げることができたかもしれません。しかし正直に言って、このような状況が現実に起こったとしても、「音楽が欠如すること」がどれほど深刻な結果をもたらすかを具体的なシーンで説明するのは、少し無理があるように思えます。
音楽の重要性を正確に説明できる人はいないかもしれません。それは他の7つの芸術形式と同様に、人類文明の装飾品であり、明らかに「不必要」なものです。しかし、私は誰もが同意するでしょう:音楽がないことは決して良いことではありません。
一度に「音楽」という秩序と調和の象徴を失った人類社会は、混沌と獣性の反撃を受け、コミュニケーションと協力の能力を徐々に失い、対立と混乱に陥り、最終的に破滅します。そして、抵抗の手段も非常にシンプルです:完璧なアンサンブルを通じて、有機的文明としての人類が欠かせない二つの重要な資質、すなわち規則を作成し、それに従う能力と、協力と協調の能力を示します。
決戦アンサンブルで、最終的に勝負を決めたのは、地球自体が持つ「音楽」も戦いに加わったことです——風鈴、セミの鳴き声、包丁とまな板の音、電車の走行音など。最初に音楽ホールに来たとき、ミカとチャーベックは「これらのものはすべて音楽です」と主張しましたが、のび太たちも観客も、おそらく今になって初めてこの主張の意味を理解したでしょう。
地球全体が戦いに加わった「雑音」のモンタージュの中で、私に深い印象を与えた短いシーンがあります:雨の中の都市の廃墟で、ロシアの兵士が口笛を吹いていました。多くの戦争映画にも同様のショットがあります。戦意が高まっているとき、音楽は人々を鼓舞することができます。迷っているとき、音楽は人々を導くことができます。元気がないとき、音楽は人々を慰めることができます。故郷が戦火で廃墟と化しても、音楽が存在し、心の奥底で音楽を奏でる衝動が存在する限り、文明に戻る信念は消えません。
三.適度な科学普及の強度
前作「天空の理想郷」よりも少し強いのは、本作の科学普及(説教)要素があまり意図的に設定されていない点です。これは原作の趣にかなり近いです。映画では自然に人類の楽器の起源を説明しています。つまり、ドイツ国内で発掘されたシェーベンハウゼンの骨笛を通じて、ドラえもんの「思い出コロン」を使ってこの骨笛の誕生を演じました。
ミュージカ星人の最後の血統であるミッカの妹も約4万年前に地球に避難し、ヨーロッパ中部に降り立ちました。彼女はミュージカ星の文明のシンボルである緑のリコーダーを持っており、地球で成長しました。地元の人々は音楽に感動し、彼女のリコーダーを模倣して、白鳥の骨(実際にはハゲワシ)から骨笛を作りました。
ミッカの妹の緑のリコーダーは音楽ホールを復活させるための重要な道具であり、最後の音楽噴水はそれが吹き出す五音音階で起動する必要がありました。しかし、ミッカがミーナから祖先から受け継いだリコーダーを手に入れたものの、長年の劣化で最高音が欠けていました。
ちなみに、この品質は奇跡的なもので、同じ年代のシェーベンハウゼンの骨笛が発掘されたときは十数片に砕けており、修復には大変な努力が必要でした。
音楽噴水は最後の音階が足りず、起動できませんでしたが、ミカがどうしようもないとき、のび太は自分のリコーダーを取り出し、最初にミカを魅了した「no」の音痴な倍音を吹きました。噴水はパスワードが正しいと判断し、音楽ホールが無事に再起動し、みんなは「ノイズ」の攻撃に対抗する要塞を手に入れました。
なぜ音楽噴水に五つの音が必要なのか?人間には五本の指があるからです。これが最もシンプルで正しい答えです。すべての定音楽器は人間の手で演奏されるため、五本の指に対応するのが人間に適した楽器です。十二平均律が出現する前に、五音音階は人類最原始で基本的な音階であり、人類音楽の基礎です。
もし少し深く掘り下げると、のび太の音痴な音が音楽噴水に認められたのは偶然ではないかもしれません。実際には、どんな非常識な音でも噴水は認めるでしょう。なぜなら、それは音楽の創造性と異端の一面を代表しているからです。
ミカが初めてのび太の音痴な音を聞いて大喜びしたのは、その音が常識を超えていたからですが、ミカはそれが好きでした。すべての音律にはそれぞれの限界があり、すべての旋律の組み合わせは無限に見えますが、実際には有限です。
音楽の発展は、厳密な計算と研究だけでなく、稀有な能力、すなわち突破と革新にも依存しています。「新鮮さ」は音楽作品が際立つための大きな利点です。非常識な音素を聞いたときにすぐに顔をしかめる音楽家はプロフェッショナルですが、その後すぐに理解し、さらには評価や参考にしようとするかどうかが、真の芸術家と凡人を区別する鍵です。
四.各方面の断片化した感想と不足
1.映画にはヴァクナ(ワーグナーの偽物)という別のキャラクターがいますが、このキャラクターについて別に触れたいと思います。ヴァクナは巨大な音楽劇場、いわば「音楽工場」を守っていました。このキャラクターの存在意義は「天空の理想郷」の賞金稼ぎ、マリンバに近いもので、映画から「独裁者ボタン」で削除しても、物語に何の影響も与えない純粋な余分なキャラクターです。
2.最終戦の前半では、メンバー全員が「ノイズ」と正面から戦い、地球の音楽援軍が参戦する前に、ドラチームが最高の出力として黒須克彦「夢をかなえるドラえもん」のメロディー第一フレーズの変奏を演奏しました。これは私が最も好きなOPであり、「ドラえもんの歌」よりも好きです。星野源が書いた音楽ゴミをここで使用しなかったのは本当に良かった。これからもずっと使用しないでください、感謝します。
3.本作にしずかのお風呂シーンがないことです。ドラえもん映画の長年の良い伝統として、しずかは必ずお風呂に入る必要があります。これは一線であり、交渉の余地はありません!今井一暁監督は、人々の道からどんどん遠ざかっています。藤本先生が天国にいますが、あなたがこんなに乱暴に振る舞うことを許しません。国賊を討つ、覚悟しなさい!
結論:
一般的に考えられているように、人が音楽に純粋な愛情を持ち、それが一切の功利性を持たないとき、その愛情は純粋なものです。音楽の存在を維持すること自体が、人類文明の存在を維持する必要条件です。そして、音楽への熱情を持ち続けることは、自分の人間性を持ち続けることです。のび太が演奏会をこなした後、リコーダーの練習を続けることを決めました。なぜなら、この楽器は彼にとって特別な意味を持っているからです。成長の過程で、彼は実際に一歩を踏み出しました。これからの人生でも、音楽は常に彼のそばにあり続けるでしょう。この世界のどの人間にとってもそうです。
「音楽を愛するからこそ、それを抑圧する保守的な伝統から解放しようとします。音楽は情熱に満ちた自由な芸術であり、屋外の芸術であり、自然のように無限であり、風、空、海のようです。」
——クロード・ドビュッシー
2024.3.2
日本横浜
ドラえもんって感じの展開
「音楽」がテーマということで、何十年振りかというくらい久しぶりに、映画ドラえもんを観ました。テレビも含めドラえもん自体久しぶり。
いつものメンツのいつもの絡み、展開は昔と変わらず刺激が足りない。最後は平和になるのは当たり前なんだけど、もっと引き込まれる何かが欲しかった。寝ないようにするのに必死だった。可もなく不可もなくといった感じ。
ラスト、日記に書かれていた文章は良かったけど、途中一番印象に残っているのが、ドラえもんがお風呂でシャンプーハットつけて頭を洗っていた場面だ。これが一番衝撃的だった!!これを上回る衝撃がラストまでなかった。欲を言えばこの作品を観て泣きたかったのに。
ただ皆で演奏するのはやっぱり楽しいよね!
数々の矛盾
歴代ワースト1!!久々のがっかり作
ドラえもんたちはミッカの言葉がわからずほんやくコンニャクをたべていたが、ミーナはなぜ少女の言葉がわかった?
海外公演にミーナはなぜ笛を持っているのか?
国を滅ぼされて4万年、お前たちロボットは何をしていたのか?なぜ4万年後の今目を覚ました?
4万年前に他にも星から逃げた船があることくらいわかってただろ?なぜ探さない?
日頃バイオリンを弾いているはずのしずかがパーカッションに選ばれたのに何も無し。適性がない事がわかったのにエンディングでバイオリンを弾いているしずか。
あ〜他にもあるけどムカつくからやめた!!
一応ネタバレアリにしていますが、見に行くか悩んでる方へ
4歳の子供にせがまれていきました。
ドラえもん映画を観に行くのは、
新ドラになってからは今作が初めてなので
本作以前の新ドラ映画作品との比較は出来ません。
事前にこちらのレビュー一覧を見ていたので
え、否定的なレビュー多いけど大丈夫か?
子供が退屈しないか?
と思いつつ観に行きましたが、杞憂でした。
私と子供も最後まで楽しめました。
私個人としては普通に楽しめたので
否定的なレビューが多くて観に行くのを悩んでいる方の参考になれば。
⚠️注意⚠️
以下
作品の感想となります。
作中の展開等についての
ネタバレを含むので、
ご注意願います。
良かった点
・圧倒的な映像美
様々な視覚的な演出があり、子供の好奇心を刺激していました。
・わかりやすい展開
ほぼ予告編の延長で物語が進みます。
難解な要素がないので
「君だれやっけ?」
「これなんやっけ?」
「どっちが正しいの?」
とかならないです。
・協調することの大切さ
映画のタイトルにも交響曲とあるように
協調することの大切さが作中テーマになっています。
他の子より上達が遅いのび太を
ジャイアン、スネ夫は馬鹿にしており、
道具の手助けもありのび太以外の面々は
メキメキ実力を付けていきます。
しかし、ある出来事をきっかけに、
のび太を含めた全員でセッションしなければならない状況になります。
当然
のび太おめえちゃんとやれよ!!
となる訳ですが、
作中での様々な経験や
のび太の
「下手でもみんなといっしょにやりたい!」
という想いが伝わり
のび太の今、演奏出来るラインまで
自分たちのレベルを合わせて演奏するシーンは普通にうるっとしました。
・ミッカちゃんかわいい。
総じて子供が見る分には
音楽+ドラえもん というガチガチな編成なので
なにしたところで普通に良い映画。
という感想なのですが
やはり親目線でみると
皆さんの言うように気になる点もあります。
以下気になった点
・そうはならんやろ→なっとるやろがい!!が多過ぎる。
子供向け映画にそういうこと言うのはヤボだとおもうのですが、
不自然なご都合展開があまりにも多いです。
そもそも
「ドラえもんの道具」
という自然にご都合展開に説得力を持たせる要素があるのに、
作中の展開が常に雑です。
例として
「えー…?夜に学校に忍び込む…?示し合わせもせずに現地でみんな偶然集合する?てかこのご時世に小学生が夜に徘徊て…。みんなの親御さんめっちゃ緩ない…?」
的な展開が終始続きます。
適切な道具を使えば払拭できる違和感を、
ご都合展開に甘えるのは頂けません。
この辺きっちりやるだけでも評価変わった思います。
・敵に全く魅力がない。
子供向け映画って
どう見ても敵。地球滅亡させたるでー!!みたいな悪いやつをぶっ飛ばしてスカッとするパターンか
敵だと思ってたけど、相手も守りたいもののために戦っててどうにかバランス取れるように対話したり試行錯誤して…みたいな
2パターンが主と考えます。
「敵には敵の考えがあるから、どっちが正解かは一概には言えないし、みんなで考えようね。」
みたいな要素が皆無です。
私は大人が子ども映画を見る理由って
結構こう言う部分で意外と深い問題とかにモヤモヤしたり
あーだこーだ言いあうのが楽しいからだと思っており、
敵の無理な不満に、
道具を使ってどう解決するのか。
というのがドラえもん映画の見所だと思うので。
正直物足りないです。
この作品における重要なファクターの
「敵」
に魅力が無いのは単純に駄目だとおもいます。
総評として個人的には星3くらいなのですが
子供が
「パパ!ドラえもんの映画たのしかったね!!」
て言うてたのでもうなんか色々星4.5です。
作品の出来というより、当事者が見てどうなのか…といったところに評価は大半つきる
今年88本目(合計1,180本目/今月(2024年3月度)6本目)。
(ひとつ前の作品「ARGYLLE アーガイル」、次の作品「おまえの親になったるで
」)
基本的にアニメ作品は見てもレビューはしないのですが、ここでは評価も色々割れていた一方で、音楽がテーマという事情もあって(小さいころに楽器をやっていたので)見に行ってきました。まぁ、去年も見てるんですが…。当然、映画館の中はお子さんのほうが多いかなといった印象の入り方ですが、そりゃ当たり前だし、その限りにおいて「多少うるさい」ということはあるのも承知済みといったところです。
作品はもうここでもタイトルでもわかるように「音楽」がテーマで、あまりこう、従来の作品にあるような冒険性があるような内容では(直接的に)ないのがややこう、作品として難しいのかな…といったところです(いわゆる情操教育といっても、3歳や4歳から音楽教育まで回る家庭は珍しいのではと思える。私は7歳から12歳まで)。
かつ、家族で見に行くことが明確に想定できる作品であるのに、大人でも聞き取りに苦労するような日本語が登場する(後述)のが厳しく、こりゃ難しいんじゃないのかなぁというところが多々あります。
もっとも大人が見る分に関しては音楽という普遍的なものにターゲットをあてた点などは、時代がかわっても変わらない評価になるような普遍的テーマを扱ったのだろうということはわかるし、そのわかりにくい日本語(話し方)が存在するのも「ある程度」推測はできますが、ターゲット層がどうか…なので…。
なお、映画内でのいくつかの描写はほぼ回収されます(ダミー描写はほぼない)。かつ、ターゲット層の想定が明確なので、この拾い方もかなりわかりやすいかなといったところです。
採点に関しては以下の通りです。
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(減点0.3/(想定視聴者に対して)日本語が難解な部分がある)
後半、舞台が映ってからの「この地を統べる…」という部分は、「すべる」で「統べる」、つまり「統治する」の意味ですが、この読みは高校での学習範囲です(よって、高校入試には出せない読み方になる)。かつ、日本において高校の漢字学習は事実上スルー扱いなので(←興味がある人は漢検を受けましょうにしかなっていない)、ここは家族でみる場合でも大人でも詰まりうるんじゃないかな…といったところです(「すべる」で「統べる」を充てられるというのが難しい。熟語であれば類推もできる)。
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(減点なし/参考/小学校で習うリコーダーについて)
小学校の指導要領には「リコーダーを学習せよ」とはなっておらず、「リコーダー等」となっていますが、現在ではプラスチックによる大量生産ができ、かつ個人が個々に持てる手軽な楽器という事情から、事実上それが日本全国のスタンダードになっています。
リコーダーは歴史のある楽器で、バロック式(イタリア式)とジャーマン式(ドイツ式)がありますが、日本の初等教育で扱うリコーダーは通常後者です。これは、指の動きがわかりやすいという事情です。逆に言えば、変化記号(シャープ、フラットが付く音)は例外がでますが、小学で学習する範囲の音楽の授業ではそのような音楽は通常回避される(教科書にのらない)という事情があります。
また、中学以降になると音楽でリコーダーが扱われることはなくなるものの、個人で音楽として続ける場合、バロック式で習うのが普通になるので(出せる音の範囲が広くなるという実際上の制約から解放される)、ここで指の動きを再度学習しなければならず、この点がかなりわかりづらく、リコーダーが「小学音楽としてしか扱われていない楽器になっている」という事情はこうしたものです(分類上はオカリナ等と同じ扱いで、汎用性があり、学習先の「あて」がある楽器に流れることも実際上はあります)。
(減点なし/映画館帰責事由/混みすぎるのに極端にクーポンを渡す趣旨が不明)
ドラえもんのように明確にお客さんが入るような作品では、一般の入場開始時間より早くなりますが(大阪市の映画館では通常10分前が多いが、それに対して早くなる)、そのような作品で、さらにデリバリークーポンなどを全部配るのも、契約上の問題なのだろうとは思いますが、実際問題、家族連れで来るのに子にまで配ってどうするんだろう(民法上、子供は勝手にそういったデリバリーを頼めないし、家族で人数分配っても当然、1枚しかきかない)といったところです(まぁ、この点は趣旨も理解しますが…)。
音楽が良かった
なるほどという解決法
2024年劇場鑑賞50本目。
最新映画を語ろうというLINEグループで新宝島以来の傑作と言われたのでハードルを上げすぎたのが良くなかったのか、そこまででもないな、という感想ではありますが、ただ一点、のび太が演奏において足を引っ張ってみんな(主にジャイアン)にお前演奏すんな、みたいな事を何度か言われます。ネタバレにもならない、みなさんの想像通り最終的にみんなで演奏するのですが、みんなの出した結論が素敵で、子供たちにこの映画を見てここが心に残ればいいな、と思いました。ただ、非常に残念なことにはっきり誰かが「こうこうこういうことなんだね」と言うわけではないので、行間をまだ讀めない子どもたちには届かなそうです。もったいない・・・。
余談ですが今回の敵、マクロス7の熱気バサラなら一人でなんとかしちゃうんだろうなと思って観ていました(笑)
わさドラ映画の新境地
純粋に楽しめた
題名的には面白くなさそうだなーと思いながら子供にせがまれて鑑賞。確かに、ちょっと弱いなと思う所もありながら、いつもの冒険的な感じと一風変わっていて、かなり楽しめた。
できないのび太に合わせて皆がセッションする部分は、親の立場になったからか、普通に泣きそうになってしまった。
音楽は皆をその時だけでも幸せにする力があると思う。単純なテーマで、普通に感動してしまった。
しずかちゃん、あなた縁がないって言われてるのよ?
音楽がテーマということでひたすら音楽に関連したワードや名前が飛び出してくる。
音楽にたいしての興味を引き出すようなつくりではあった。
だけどさ、やけにのび太くん以外聞き分け良すぎない?
とくにしずかちゃん、あなたバイオリン好きじゃなかったかしら?
わたしバイオリンが良かったわ の一言が欲しかった。
子供に対して下手なやつには才能や縁がないと突きつけているかのような
あまりの現実に一瞬ドキっとしてしまった。
そして、バイオリンが大切だということをすっかり忘れたかのように
スネ夫くんにもっていかれ、残念がる様子もない。
人間らしさが無いなーと…
あとストーリーラインはちょーっと無理筋な気も…
去年が良かっただけに残念さがのこった
駄作ではないが、良い点を探すのも難しい
近年の映画ドラえもんは八鍬監督作品のような旧作をベースにキャラクターの掘り下げを行った作品や、今井監督+川村元気や山崎貴のSBMなどストーリー性に振り切るなどなど
結構攻めた作品が多い印象でしたが、
今作は、その、なんというか、コメントが難しい作品でした。
近年、ちょっと受け入れがたいキャラクターの言動があったりして
こんなのありえない!と思う作品がいくつかありましたが、
本作は決してそんなことはなく、
前半の何気ない描写が後半の重要なシーンにつながったり、旧作のオマージュを入れ込むなど
真摯に作られてはいるように思えました。
ただ、ストーリーにテーマ性がなく
いくつかのコンテンツが先にあって、無理やりそれらをストーリー仕立てに仕上げたような印象です。まるでゲームのチュートリアル。
前半は本当に「ここでこの技を使うとギミックが動くよ」的なテロップが出てきそうでしたし、
後半でも何かよくわかんないまま色んなキャラクターのところにお使いに行かされて
なんで行ったのかわかんないままストーリが進んでいくRPGのよう。
敵との戦いや音楽の楽しさ、のび太の成長など主軸の据えれそうな要素はいろいろありましたが、
結局どれも表面をなぞるだけで観客が感情移入したり、厚みのあるストーリーに仕上がるわけでもなく・・・。
PROアカウントの方もおっしゃってますが、深く考えずに見るのがいいのかなと・・・
心と気分はどらえもん。
原っぱでリコーダーを吹くのび太の前に現れた髪の白い謎の少女ミッカとの話。
音楽会向けてに練習するも…上手く吹けないリコーダーが嫌でどらえもんの道具“あらかじめ日記”に「音楽がなくなる」と書いた事で…、その日宇宙から降ってくるノイズ胞子に侵食され始める地球…。
ここ最近のどらえもん映画って、テーマは壮大な感じだけど…声優さんばっかに力を入れて内容に引き込まれない、やはり小さいお子様向けなのかな。
コンプライアンス的な事を意識してこういう感じの作品が多めになったのかしら?
大山のぶ代さんが声優の頃の作品って、もっとストーリーもしっかりしてたし、笑えたし、怖かったんだけだ、何か観てても何とも感想が出てこないのよね、それとも自分が大人になってしまったからかな。
前のどらえもん映画のレビューでも書いたと思うんだけど、どらえもん映画と言ったらやっぱ「どらえもんのび太のパラレル西遊記」が一番好きだね怖さと面白さとで!
前作に引き続きオリジナル素晴らしい内容
今回も見てきましたドラえもん!!
私の大好きな音楽の題材だったのですごく楽しみにしてました〜
すこし、前作のユートピアみたいに泣かされないだろうなんて思ってた過去の私を殴りたい。
やっさり、ドラえもんとのび太の絆はいつもうるっときちゃいます。
今日はメタサウンドで観てきたのでクライマックスの迫力はやばかったです。
伏線回収のひみつ道具、あらかじめ日記はわかったけどもう一つのひみつ道具は見破れなかった。
来年春の魔法学校?もすごく楽しみです!
ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)
世界の音は素晴らしい
戦わない為の力
音楽っていいね
近年でダントツ、、、
ファミリー層向けかな?
のび太の努力に凄く感動した。
伏線回収もさすがドラえもんって感じ。
ひみつ道具で大冒険!って感じのストーリーでは無かった。
映画ドラえもんは悪役が必ず存在し、いつものメンバー達でひみつ道具を駆使しボスを倒して終わり!(語彙力)って感じですが、そっち系の方がハラハラするしドラえもん好きな私としてはそういうほうが良かったかな。
音楽がテーマなので仕方の無いことかもしれないけどね。小さい子供たちはそっちの方が受け入れやすいのかな。
エンディング後1番最後に、2025年春公開決定とお知らせがあった。その中には魔法使いの格好をしたドラえもんとお城が映っていた。
となると魔界大冒険が思い浮かんだが、過去にリメイクされていたので、来年は魔法のテーマの完全オリジナルかな?
今回の映画で1番謎でした。笑
全132件中、101~120件目を表示