「お伽噺」ウルフハンター赤ずきん R41さんの映画レビュー(感想・評価)
お伽噺
ロシア人の描いた世界
赤ずきんをウルフハンターと考える思考は面白い。
世界三大怪人の一人であるウルフマン
あのフランシスコッポラ監督が描こうとした作品の前にまったく別サイドから出されてしまったことでお蔵入りになったアイデア ウルフマン
ヴァンパイアの宿敵という一般的な設定があるようだが、その謎は未だ描かれてはいないようだ。
バンパイアというのは「私」とは関係ない外敵的存在 他者であり突然襲ってくる強盗のようなもの。
そしてフランケンシュタインというもう一人もモンスター
これは自分がしたことの結果 因果 自分がそんなものを作ってしまったことに対する責任という側面がある。
コッポラ監督がつけたキャッチコピー「愛ないのになぜ作った」
このモンスターもまた、愛を求めている。
これは非常に特質した概念だ。
死体で作られたモンスターが愛を求めるのだ。
この作品が問いかけていたのは「愛」とは何かというもの。
虫であれ何であれ、この世界に生まれたからには「愛」があるという至極基本的概念を、明確に提言したのがこのフランケンシュタインだったように思う。
そしてこのウルフマン
このウルフマンだけがコッポラ監督がしなかった映像化。
今さらながら思うのが、この「愛」をテーマとしてコッポラ監督がウルフマンを描くのならば、いったいどんな作品になっただろう?
トワイライトサーガシリーズのウルフマンが唯一、ウルフマンというモンスターの人間性を感じた。
アンダーワールド ヴァンヘルシング 狼男アメリカン… 数々ある作品に登場したウルフマンだが、未だ私たち視聴者も、彼ら自身がも満足するようなストーリー、特に「愛」に関しては描かれていないように思う。
本当に、コッポラ監督はどのようにウルフマンを表現したのか知りたくてたまらない。
さて、
この作品のウルフマンにはある一定の考え方がある。
獣としての群れを形成するウルフマン
獣であり人間でもある。
ちょっと面白かったのが、彼らの目的が「人間を支配する」こと。
これは従来虐げられてきた森の獣による人間社会への復讐。
ただ、面白さと諸刃の剣となっている残虐さ。
ここに古さがあった。
まるでガッチャマンの「地球を征服するのだー」的感覚。
お伽噺だからある程度そんなデフォルメは許されるだろう。
この物語の赤ずきん
13歳という年齢にはロシアの成人の仲間入りというような風習があるのだろうか?
そして、人間とウルフマンとの対峙
というより、ウルフハンターとウルフマンとの対峙がこの物語の主軸
はっきりしていて良い反面、若干子供向け作品が見え隠れしてしまう。
また、
なぜこの子供向け作品である五お伽噺の新設定が、現代ロシアとの二重性を必要としたのだろう?
大アルファというラスボス
彼に対し秘宝の斧を振りかぶった赤ずきん
そうはさせまいと加勢したヴェスタル
それが元で発生した時空の渦 ファンタジーの中にファンタジーを追加した。
さて、、
このことは今にいる私たちに、この物語が生きていることを提示しているのだろう。
どこかよその世界ではなく、監督は現代に赤ずきんの勇気と言うのか成長を示したかったのだろう。
現代社会で赤ずきんがウルフマンと対峙する。
そこに居合わせ加勢したタクシードライバーのアレックス
この名前、クリスチャンであるのが非常によくわかってしまう。
つまりこの物語はロシア正教と赤ずきんを足したような物語なのだろう。
その真意はロシア正教徒であればわかるのかもしれないが、我々外国人には受け取れきれない。
おそらく赤ずきんという物語は、ロシア正教によって別の意味合いを再定義したかったのだろう。
彼女は敵対するウルフマン一族の王と指名されたモリスと恋仲だ。
彼女こそ、この世界全体を通して調和を司る救世主なのだろう。
ヨハネの黙示録
そこには妊婦が悪魔から逃げるシーンが登場する。
それこそが赤ずきんの母
悪魔をウルフマンに見立てているが、実際の彼らもまた一つの種族だ。
彼らとの調和こそ、次世代への架け橋ということをお伽噺チックにしたのがこの作品だと思った。
しかし、ファンタジーとは言えプロットの是非は残ってしまった。
特に最後のシーンには、まるで大人が子供を言いくるめてしまうようになってしまっている。
子供向けのお伽噺ではあってはならないかなとも思った。
全体的な映像や骨格は良かったが、最後は、是非が伴ってしまったのが残念だった。