「【”人間の心の無い奴はいらないです・・。”誤った優性思想の基に行われてしまった凶事。そして障碍者の鮮血を浴びた下弦の月。今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品である。」月 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”人間の心の無い奴はいらないです・・。”誤った優性思想の基に行われてしまった凶事。そして障碍者の鮮血を浴びた下弦の月。今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品である。
ー ご存じの通り、今作は2016年に相模原市の”津久井やまゆり園”殺傷事件に着想を得た辺見庸の小説の映画化である。
私事で恐縮であるが、この事件は出張帰りに購入した新聞で知り、そこに大見出しで映された犯人の植松聖がパトロールカーに収監される際に振り返った笑顔が悪魔のようであった事を鮮明に思い出す。
だが、今作では犯人の残虐性よりも見る側に対し、命に軽重はあるのかを問い掛ける構成になっている。-
◆感想
・作家のスランプに陥っている堂島洋子(宮沢りえ)と夫昌平(オダギルジョー)の間には三歳になる男の子がいたが、先天性の心臓の病で他界する。
洋子は再び妊娠するが、同じような状況の子が生まれないか担当医(板谷由夏)に相談しつつも、浮かない顔で新しく働き始めた障碍者施設に足を運ぶ日々。
だが、夫はその報告を聞き、”やったー”と喜ぶのである。
ー この夫婦の存在が、作品に”命に軽重はあるか”と言うテーマを鮮明に与えている。特に夫の昌平は唯一、人間の善性を強く保っているように描かれる。ー
・障碍者施設には家庭で厳格だが浮気を繰り返す父に対し、嫌悪感を持つ若い陽子(二階堂ふみ)や笑顔のさとくん(磯村勇人)、ことなかれ主義の院長(モロ諸岡)、障碍者に対し嫌がらせをする若手二人の職員がいる。
ー さとくんは紙芝居を作ったり、園内でも笑顔を絶やさない。
だが、洋子と同じ生年月日の”キーちゃん”の母親(高畑淳子)意外、親族は来ないし、何年も部屋に囚人のように閉じこめられた障碍者もいる。-
・さとくんはそんな状況を見て少しづつ考え方が変わって来る。彼は”ナチスは嫌いだ。”と言いながら誤った優性思想に染まって行く。
ー それは、さとくんが人間扱いされない障碍者を”解放”しようとし、結果的に世間の為になると思い込んでしまったようにも、私には見えた。ー
<さとくんは夜勤だった陽子を無理やり連れ”こいつは心を持っているか!”と問いかけ、障碍者に刃を突き立てる。
そして、且つて”キーちゃん”の為に壁に張った月にも、無情にも鮮血が掛かるシーンは哀しい。
今作は鑑賞側に”命に軽重はあるのか。”と問い掛けてくる重くて哀しき作品なのである。>
■補足
・障碍者施設員の描き方が、一方的過ぎるきらいは気になった。一生懸命、障碍者の面倒を見ている人もいると私は思うので。
こちらこそいつもありがとうございます。私はこの事件の犯人はまさに人間の業を象徴してる存在のように思いました。人間社会にうごめく憎悪が凝縮されて生まれてきた怪物であり、そしてやはり同じ社会に住む我々がけして目をそらしてはいけない存在なのだとも思いました。
本作はさとくんの描き方がちょっとピンときませんでした。実際の犯人とは違い、当初は入所者への処遇について理事長に意見したりして真面目に入所者のことを思っていた彼が大量殺人を起こしてしまう流れに無理があったように感じました。劇中そうなる過程をもっと描いてほしかったように思いました。
こんにちは。
本作は「ロストケア」「福田村事件」同様の衝撃作でした。
NOBUさんのレビューを拝読し、ふと思った事がありました。
洋子もさとくんも陽子も昌平も、何かを作る人でした。しかし皆それを批判されている。他者に評価されない、不完全なモノを生み出している所が、本作のテーマ、仰る通りように「命の軽重はあるのか」とも絡ませているのかなと。
上手く表せませんが、、人間の善性を強く保っていた昌平が受賞したのにも意味があるのかな。。
うわべだけ取り繕って逃げる事が許されない作品でした。
NOBUさん
コメントを頂き有難うございます。
映画館の予告編で、あの事件が映画化された事を初めて知ったのですが、主要キャストの宮沢りえさん、オダギリジョーさんは勿論の事、若手俳優の磯村優斗さん、二階堂ふみさん、お二人の渾身の演技は目を見張る程でした。
日本の俳優の層の厚さを改めて感じました。このような心に深く響く作品をこれからも作り続けて頂きたい、そんな思いでシアターを後にしました。