「断絶したまま繋がる世界」月 N.riverさんの映画レビュー(感想・評価)
断絶したまま繋がる世界
原作未読。
演劇的で詩的な作品だったように思う。
そうした意味でリアリティを求め鑑賞すると、肩透かしを食らうのではないかと感じた。
こうした作品で欧米型であればひとつ、問いかけや主張をまとめて投げるスタイルが多いように感じるが、本作はひとつの関係構造をあらゆる立場で再現し、それらをコラージュのように散りばめ絡め、互いの関係性の中から立ち上がるものをメッセージとして投げかけていると鑑賞した。
そのためあやとりの様に絡まり、引っ張り合い、大変曖昧だ。
どの方向から、誰に肩入れして物語を追うかで見えてくるものは全く違うと感じる。
似た感触の作品としてか、なぜか李相日監督の「怒り」をふと思い出した。
自身にとって不利益、不快をもたらす「もの」とどう共生して行くか。
のみこめず、さばけず、排除するのは合理的だが動物的で、
人はケモノでない以上、非合理をも当然と行えるものであるといいたい。
その時、互いのあいだに介在するものは何か。
ウソ、が多用されていた劇中。
アートや創作家も多く出てくる劇中。
共生できずとも、せめて互いに「穏やかなファンタジー、ウソの世界」に包まれ、断絶しつつも在ることができればいいのに。としか、結論としては出せなかった。
平和な誤解や、詭弁や、都合のいい○○があれば。
大変むずかしい。
主演の宮沢さんもさすがの迫力だったが、オダギリジョーさんの頼れそうで頼れない、人の好さげなダメ気味夫が好演だと印象に残る。
案外、あの夫が主役で、全ての要なのかもしれない。
追記
ウソの世界が隠蔽につながるのか、とも省みる。
だが一方、本当のせめぎ合いにヤラれて狂うのも地獄だ。
それら地獄を負う者が限られた少数だから個々を圧迫するのなら、この映画の意義はそれら重みをできるだけ多くで分担しようよ、そうすれば何とかしのげるくらいに軽くなるかもしれない、ということかもしれず。
だから主人公は1人でなく、夫婦として描かれていたのかもしれず。
わたしたちが主人公夫婦になれるかどうかは、この作品を語り続けることで少しは成されるかもしれず。