「元津久井やまゆり園の職員として。」月 紅山那葉さんの映画レビュー(感想・評価)
元津久井やまゆり園の職員として。
過去に津久井やまゆり園で働いており、7.26もそれ以降も法人に所属していた身として、色々なものを(無論、清濁併せ吞んで)見聞きしてきた人間としては書かなければならないと思い、筆をとっています。プロのレビュアーではありませんので乱筆乱文、ご容赦ください。
✴この作品を観た人、このレビューを見ている人、業界の方、できるならばここを起点に感想と議論を重ねて行って欲しいです。事件を風化させないためにも、自身の障碍者観を世間に照らし合わせるためにも。
公式には明言をしていないけれど、あの事件をモチーフとした映画であったらしく、
関係者さんのご厚意もあって7月に試写会で鑑賞させていただきました。
きつかったです。
冗談でも何事でもなく、上映中止にすべき作品だと思います。
その時もその後も感想は同じなんだけれど、あるライターさんから「思ったのならそれを文章にしないと」とアドバイスを受けたのでここにつらつらと書いてみる。
はっきり言って辛らつだし、思い切りネタバレなのでそういう意見を聞きたくないという方はここで回れ右を推奨します。
・はっきり言って辛い。それは同席された知り合いの映画監督さんとも意見は同じでした。
・大前提として、「これをもってやまゆり園事件というものを理解したと勘違いされるのは甚だ心外」ということです。それが全国上映をされて流布することが恐怖でしかない。
・ネタバレになっていきますが、個々のエピソードに連続性がないし、そのエピソード、いる?というものが多い。
・例えば宮沢りえは震災311を経験して小説にしたということだけど、その経験が映画本編のどの行動にもかかわってこない。
・二階堂ふみも作家志望の施設職員ということだけど、作家である必要性はほとんどないし、この辺りのエピソードも作中で触れられるけれども内容には全くかかわってこない。
・二階堂ふみの家族構成にゆがみがあった事や、キリスト教徒であることも作品の中で紐づけされているわけでもない。途中ワインを飲み干す場面があったけれど、あれはユダの裏切りのオマージュかな?だから??という感じ。
・さとくんの人となりについては当初利用者思いであった青年が壊れていく、という流れはあるけれどもその変化があまりにも唐突で、職場に人間関係との軋轢や誰にも言えない環境によって徐々に壊れていくというわけではなく、あるエピソードをもって唐突に「壊れる」表現になっている。
・しかも壊れる要因が利用者さんの行動によって。という感じでこれではまるで「障害のある人が原因で事件が起きた」という印象に観客をもっていこうとしているようにも見えてしまう。
・職場の環境は確かに劣悪であったように表現されているけれども、それも個々のエピソードとして捉えられているだけで連続性を持たない。
・その後さとくんは文字通り壊れていくわけだけど、それを止められていない周りというのも違和感が残った。ドキュメンタリーでない以上、どこかでアンチテーゼのような場面や意見を見せる事や何かしらの希望を残すような表現を盛り込むことだってできたはずなのに、そういったことはしないでひたすらにさとくんという人物を「巨悪なサイコパス」として暴走させていく事に製作者側が執心しているような感じであった。
・多分、現場では流れを止められるような出来事はなかったのだろうから、ある意味事件を題材とした映画としては正解なのであろうけれど、それでも抗った人たちがいた事は知っているし、優性思想というものにノーを突き付けようと必死に努力した人たちがいた事は知っている。そういった人たちの取り組みを載せないで、もしくは(文字通りの)暴力でねじ伏せてしまう作品の流れは、事件をモチーフにしていながらあえて客観性を捨てて製作者側の都合で事実を歪曲して伝えようという意図すら感じてしまう。
・そして作品中最も問題があると感じたところだが、さとくんの彼女が聴覚障碍者という設定についてだ。
・作品中、さとくんが彼女に事件をほのめかす場面がある。その場面があろうことか、聴覚障碍者でなければ事件を防ぐことができたような表現になっていた。これには唖然とした。まるで彼女が聴覚障碍者だったから事件は起きてしまった。と言わんばかりの最悪の改変だと思う。
・無論さとくんの彼女の描写の中で聴覚障害であることが作品のストーリーラインに関わってくるのはほぼこの場面だけ(他にもいくつかあるけれど、正直同じような表現。「耳さえ聞こえていれば…」と思わせたい意図が見える)。これはもう悪意があるとしか言いようがない。この場面は怒りを通り越してあきれた。
・この表現に関しては聴覚障害者の当事者団体ははっきり言ってクレームを入れるべき内容に思える。それは観終わった後同席した方々とも話題に上がった。
・かくして事件は起きて作品は終わるんだけれど、ここで終わらせて何がしたかったのかがより分からなくなる。事件を乗り越えようとか、何かが問題提起されるわけでもない。
・総じてこの内容で144分はまったくもって理解ができない。時間を無駄にしたと見終わって正直思った。
・無論「はっ」となった瞬間もあった。きーちゃんを殺したさとくんがきーちゃんの亡骸に「かわいそうに」という場面などは心のないと言っている障碍者にさとくんが無意識に「かわいそう」という感情を抱いている。イコール人として無意識ではまだ認識しているという心の動きを表しているようで良い?表現であったと思う。
・総じて薄い、テーマ性の乏しい作品でした。
・やはり不安なのはこれが10月から全国上映されて事件の背景が障碍者にあったんだと世論が信じてしまうことだろうな。と思う。本当にあった事はもっと根が深くて、現在はどうなっている。ということも知らずにやはりこの事件については闇に葬っておくべきだ。障碍者は施設に入れておくのが正解なんだ。という結論に至られてしまうのだけは避けるべきだと思う。
他の方がどう感じるのかは分かりませんが、私はこの作品、非常に危険性をはらんでいると感じました。
・同席した映画監督さんの話、「今世に出ている事や世間が知り得ている事は裁判の証言だけで、それを料理した場合、あれが限界。
『私達や関係者が知っていても世に出ていない』
事を出すわけには行かなかった。ある程度ノンフィクションに沿った映画というものは確定した事実以外は中々とりあげられないから」という言葉が悔しいけれど腑に落ちた。
・だからこそ、この事件がまだまったく掘り下げられていないのだということを知って欲しい。まだまだ世間には広がっていない事があるのだということを知ったうえでこの映画が投げかけている問題を一人一人が考える切欠になってくれる事を祈っています。
追伸
やまゆり園のスタッフルームは扇風機ではなくエアコン完備で机もちゃんと事務机でした。
あと、居室のドアに設けられている窓は丸じゃなくて四角でした。
そこだけは訂正しておきたい。
最後に、あの事件で亡くなられた19名の方々のご冥福を心よりご祈念いたします。
実態をありのまま描いても、多分見るに堪えない映像になってしまうのでギリギリの線で抑えているのだと思います。
監督製作陣の意図を如何理解するかは受け手によらざるを得ないところがあります。生のままであればドキュメンタリー映画で良いのです。
参考までに似た様な表現になっているのが『キリングフィールド』があります。この作品がが考えるきっかけになる事を祈ります
事件が世間で掘り下げられていないことは分かりましたが、それは当事者の方が公表しない限り無理ですよね。真相とやらを世間に知って欲しいなら、それを発信するべきではないですか?それをしないで映画の批判だけしていては、結局何も変わらないですよ。少なくともこの映画が公開されたことで、すでに事件を忘れていた人たちが思い出すきっかけにはなっています。この映画がなければ、静かに風化していくだけです。その方が良かったんですか?
聴覚障害者の彼女が、耳元でささやかれた犯行計画を聞くことができなかったということを、「防ぐことができなかった彼女の落ち度」ととらえてしまうのは何故ですか?映画はそんな見方はしていないと思います。
この良質な映画をここまで否定したいと思うのは何故なんでしょう?
レビューを読みましたが、今ひとつ理由がわかりませんでした。
映画の出来栄えについての良し悪しが書かれてるのみで、それは全然いいのですが、ご自身の当事者としての経験とは結びついていないように感じました。
私もこの映画を見て、さとくんに共感する、という人を量産する危険な映画だと思います。
実在の植松死刑囚と「さとくん」を全く同じ人物造形にしてしまっているのも誤解を生むと思います。動機も心理状態も全く別物なのに、植松死刑囚は、本当はいいやつだったという誤解をいたずらに広めるだけで非常に罪が深い映画です。
障害者があの映画のように閉じ込められてほったらかしにされたら、糞尿まみれになるのも当然で、そこにショックを受けるという設定自体幼稚だなとも思いました。
はじめまして。
賛否が分かれレビューも少なめな作品に、深く難しい問題を抱えていることを改めて認識しながら、実際にこの目と心で観て感じたことを言葉にすることが小さな自分ができる一歩めなのだろうと思っています。
フィクションとはいえ誇張された部分などに大変辛いものがあるなか、ご関係者として経験された貴重な声を聴かせていただけたことをとても感謝しております。
この映画…
観ようか、とても…とても迷いました。私自身の精神がついて行けないのではとの思いからです。今まで、そういう思いに駆られても
結局は《観る》事を選択。
この度、紅山様のレビューを読ませて頂き、観に行かない選択をしました。
私自身
重度障害者施設での仕事の経験はありませんが、保育士の資格を持ち…研修や仕事をする上で少なからず
いくつかの福祉施設の実情を観てきました。
私自身も
自立支援施設でお世話になると言う経験もあります。
そんな中
施設での内情を目の当たりにしました。
施設で働く方の中にも利用者さんの中にも色々な方がいました。
地域では
とても評価の高い施設でした。
けれど…中に入り
見たものは、上に立つ方の
利用者への明らかな差別、虐め
上司にいいなりの職員
更には
職員に好かれる為に、動く利用者。
それを虐め側も十分承知していながら抑えきれないモノがあると…。
ありもしない噂話が蔓延。
私自身は
虐めに合っている利用者さんを見て見ぬふりは、出来ず。
けれど…最後には私自身の、心がズタズタになり
半狂乱の、様に泣き叫び
結局…その後は
その施設に行けなくなりました。
今も
この施設は
地域では
評判の優良施設です。
この、施設の存在は確かに必要な場所だと思っています。
その時
虐めをしていた本人もそれを認めました。
その後…どの様になったなかは知りえません。
エッセンシャルワーカーの、方々は
殆どの、方が
利用者さんの為に懸命に、お仕事をされていると思います。
けれど…
やはり閉鎖された世界であることは否めないと私は思っています。
映画も観ず
コメントをする事も躊躇しました。
纏まりのない話をツラツラとすみません。
簡単には取り上げられないテーマなのだも思います。
映画という、枠の中で全てを表現して伝える事は大変難しいと思います。
また、その業界に携わっていないと知らない現実や、世の中に公表されていない事実も沢山あると思います。
色んな人が意見を出していける環境になればいいと思いますが、その為には何かのキッカケや行動が時には必要になのではと思いました。
映画を、観て。勿論現実は違うのだと思いましたが、色々誤解をさせる表現があったかと。それと3.11の件はありがちな挿入で、映画の中で意味ある話になってなかったというのは観ていて思いました。ただ別に業界人ではありませんが、このような題材に挑んだ製作陣役者には、敬意をはらいたいとおもいます。オダギリジョー演じる夫が妻宮沢りえに払うリスペクトと同様に。
このサイトで一番しっくりするレビューでした。
素晴らしい。
環境や視点の違いがこの事件の見え方を惑わす。
正解は無いのでしょう。
悲惨なニュースはより悲惨なニュースに上書きされて日々忘れ去れていく。
その意味では映画脚本家が色つけてでも、少しでも多くの人に見てもらって人の
何故を知って欲しいなあ
二度と起こっては欲しく無い。
でも登場する障がい者の方達は私の施設と共通する面を多く感じました。 しかし私の感じる一番の問題は職員の人間性・資質だと思います。なりたくて、なった障がいではないのは、誰でも理解出来るはずなのに、障がい者への対応が最低だと思えるシーンが私の職場でもあります。どんな人であろうと心はあります!
私は知的障がい者入所施設で働いて2年になります。重い気持ちで帰宅しました。帰宅途中で見かけた小学低学年のランドセル姿と、幼児を抱っこしてるお母さんを見て、何故かホットして、暖かい気持ちになりました。
映画のセットは、あえて古く汚れた物にしてるのだとは思いました。
2回見ました。
25歳の娘が障害者であることもあり、
半分は当事者として、
でも問題に根本的に向き合えていないので半分第三者として映画を見ました。
思いがうまくまとまらず、
皆さんがどう感じたかの感想を知りたくてここに辿り着きました。
やまゆり園の職員をされていたとのことで、実態と映画とは随分描かれ方が違う点があったのですね。
2時間に収めるため、視聴者に意図を伝えやすくするために、ある程度誇張された部分はあるだろうなと思いながら拝見していました。
その中で、さとくんの彼女が聴覚障害として描かれていたことについて、
私は違うとらえをしていました。
あのシーンまでのエピソードで、耳は聞こえなくても相手の気持ちがわかる人として描かれていました。
これは障害者を表現するときにとても重要なファクターで、原作の主題の一つでもあったと思うのですが、
ある機能が劣っているから他も全部できないのではなく、できないことがあるぶん、他が人より鋭敏である、という側面だと思っています。
それを誰が判断できるのか?
さとくんの彼女は、さとくんの変化に気づいていた。だから出て行く時にあんなLINEを送った。
そんな鋭敏な彼女ですら、今夜決行すると気付けないくらい、さとくんは「普通」だった、ということを描きたかったのだと。
聞こえていたら止められたのに…。
当事者である彼女本人には、そう感じさせてしまう描き方ではあったかもしれませんが、
普段手話で会話するさとくんが、
あそこだけ言葉のみで宣言したのは、
さとくんが「劣っているところがある分勝っているところがある」を理解しているからであり、とても示唆的だと感じました。
今まで映画.comのレビューにコメントした事はありませんでしたが、初めてコメント致します。
私がこの映画を見終わって、最初に頭に浮かんだことが『これを見たこの事件の当事者や関係者、引いては福祉施設で働いて見える職員の方々はどう感じるのだろうか?』でした。
そして、紅山様のレビューを拝見し、やっぱりそうなんだと悲しくなりました。上映中止とまで思われたのですね。
紅山様のご意見に私も全て共感し、この映画に危険性を感じました。
『隠蔽』や『優生思想』が共通するテーマとして震災や出生前診断のエピソードが取り上げられていますが、それぞれが重いテーマを重ねる事で全てが薄まっている印象を受けました。それなら、さとくんの心の動きをもっと掘り下げて欲しかった。(それは無理なのでしょうが…)
2人しか出て来ない同僚の職員達もあからさまに悪者だし、真っ暗な廊下や唐突に登場する蛇や虫にも違和感大でした。
何よりも一番違和感を覚えたのは、紅山様と同じでさとくんの彼女です。
彼女が聴覚障碍者という事に何か意味があるのかと思いながら見ていくと、最後にあのシーン…。
監督はさとくんの狂気を表現したかった(あのセリフを言わせたかった)のだろうけど、結果的に彼女が聴覚障碍者でなければ…と取れることを分かって敢えて設定したのでしょうかね?だとすれば、完全に障碍者を利用していますよね。
長文失礼しました。
最後に、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、事件を風化させない事は大事だけれど、この映画の内容を鵜呑みにせず障碍者を巡る問題について正しく議論が交わされることを切に願います
紅山那葉さま
映画「月」を2度鑑賞し、レビューも読みました。元やまゆり園の職員さんという属性を明かされ、鋭い問題提起になっていて素晴らしいレビュー内容でした。映画の感想は観る方の家庭属性やお仕事によっても感じ方は変わってきそうですね。当たり前ですけど・・
◾️障がいを抱えている方
◾️障がい者施設等、業界で勤務経験のある方
◾️障がいを抱える家族のいる方
◾️仕事でも家庭でも関わりのない方
などなど・・
多くの方は、あの誇張した描き方には、流石に違和感は感じるだろうなと思いました。あと、この映画で事件の真相心理に迫れると期待して観ても全く参考にならないと思います。
でも個人的には印象に残る良い映画だなぁと思いました!
モチーフにはなっているが意識しないで観ました。
僕には重度のてんかんで意思疎通ができない姉がいます。姉と意思疎通ができないことの大変さや辛さも身に染みています。人間社会は意思疎通によって進化してきた側面があり、医療やあらゆるサービスが意思疎通できる事を基準に考えられています。
映画の冒頭に「声をあげられない人がいます」「故に隠蔽されてしまう」といった内容のテロップが出てきますが、あれが全てなのかなと感じました。意思疎通できない事の弊害や現実を知ってもらう為の映画なのかな??という視点で鑑賞しました。
なので誇張した描き方や相関図も正直なところ重要とは感じていなくて、最初のテロップの言葉をもっと伝わるような内容だとさらに良かったのになと思いました。
それと、実の姉だから障がいも愛せますが、全くの他人だと、障がい者に対してどう感じるかなと自分に問うています。