「独特な切り口のナチス物」6月0日 アイヒマンが処刑された日 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
独特な切り口のナチス物
年に何度かお目に掛かるナチス物でしたが、かなり独特な切り口の作品でした。ナチス親衛隊の中佐であり、ユダヤ人の強制収容所への移送に関わり、結果的に大虐殺に加担したということで1961年にイスラエルにより死刑にされたアドルフ・アイヒマンを巡るお話でした。アイヒマンも登場し、いくつかのセリフはあるものの、映像的には真正面から顔を捉えたショットはなく、アイヒマンを中心とした物語でありつつも、彼自身は本作の主役という訳ではありませんでした。
主役はアイヒマンの火葬をするための焼却炉製作に関わったダヴィッド少年であり、その製作を請け負った鉄工所の社長であるゼブコであり、アイヒマンを収監する刑務所(拘置所?)の責任者であるハイムであり、アウシュビッツの生存者でアイヒマンの取り調べに参加した警察官のミハと言った人たちでした。
イスラエルとアメリカの合作ということで、イスラエルが行ったアイヒマンに対する処刑に対しては100%無批判なのかと思っていましたが、意外にも皮肉っぽく描いた部分もあり、その辺が中々面白かったです。例えばアイヒマンは、ドイツを脱出してアルゼンチンに潜伏していましたが、1960年にイスラエルの諜報機関であるモサドに捉えられてイスラエルに連行されます。てっきりアルゼンチンの法律的にも問題ないことなのかと思っていましたが、モサドによるアイヒマンの連行は、アルゼンチン法的には誘拐であり、違法行為なんだと言うセリフがありました。だからこそ裁判は遵法的に行いたいという話であり、アイヒマンにも弁護士を付けた上で、きちんとした手続きに則って死刑にしたとか。ただそもそもイスラエルでは死刑制度がないので、他国での誘拐から制度のない死刑執行まで、およそ遵法的な手続きとは対極的な手法だったのは確かなようです。
また、ダヴィッドが通う学校で、アイヒマンに対する裁判が話題になり、先生がアイヒマンを死刑にすることを「目には目を」だとダヴィッドに言うと、彼は「目には命を」ではないと、半ば屁理屈だけれども先生の教条的な意見に反論します。これをきっかけにダヴィッドは学校から追放されてしまいますが、こうしたやり取りがイスラエルで映画化されるのは非常に興味深いものでした。
この辺りの批判的なスタンスは、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」から来ているのかなと想像したりもしたところです。