「大人のダンサー版『魔女の宅急便』ともいえそうな青春もの」ダンサー イン Paris ドミトリー・グーロフさんの映画レビュー(感想・評価)
大人のダンサー版『魔女の宅急便』ともいえそうな青春もの
この作品では、クラシック・バレエとコンテンポラリー・ダンスを対峙させた描写が物語の核/推進力となっていますが、そうした「舞踊」に関心のあるひとだけでなく、広く一般の方々、特に若い世代にこそ本作をオススメしたいし、熱い共感を呼び起こす作品だと思いました。
というのも本作には、『魔女の宅急便』のダンサー版、とでもいった“親しみやすさ”が感じられたからです。
主人公の女性は、亡き母の薦めでバレリーナとしての人生を幼少期から迷いなく歩んできた、という設定。しかし、バレエ本番中の致命的な足首負傷によってクラシック・バレエに挫折。彼女は動揺・葛藤しながら、これまで順風満帆にみえていた自身に改めて向き合い、身体の「声」に耳を傾ける。そして、フィールドを変えてコンテンポラリー・ダンスの世界に第二の人生を見出し、再生していく…。
“魔女宅”の「魔法」に代わって、ここでは主人公にとっての「舞踊」の喪失と再生が、彼女を取り巻くあたたかな人間関係と共にしっとり爽やかに描かれており、心地よい後味を残してくれました。
大きな見どころのひとつは、要所要所に「演じられるダンサー」を起用・配置していること。なかでも主役のマリオン・バルボーは、世界の舞踊界の頂点に君臨するトップエリート集団であるパリ・オペラ座バレエ団に在籍。近年はコンテンポラリー作品に比重を置く中堅ダンサーですが、抜擢された当初は演技経験ゼロだったとか。そんな彼女から、プロの俳優たちに交じっても違和感ない「自然体の演技」を引き出したクラピッシュ監督の演出力はさすがです。
ダンス好きの私は、オープニングでいきなり彼女の腕の見事な筋肉やうっすら金色に染まる産毛までもとらえた映像を観て「これは本物!」と確信、一気に本作へと引き込まれました。
余談ですが、本作に登場する数々のダンスシーンについては、往年の花形ダンサーでパリ・オペラ座バレエ団の前芸術監督も務めたオレリー・デュポンの名が、エンドロールに「協力」としてクレジットされていたので、「お墨付き」といって間違いないでしょう。
また劇中、世界的コレオグラファー(振付師)のホフェッシュ・シェクターと、彼の代表作の一部を見られたことも、個人的には嬉しかったです。
私は中学時代、シェクター率いるダンス・カンパニーの初来日公演でこの舞台作品を観た覚えがあるのですが、今回の映画で、シェクターの師オハッド・ナハリンの初期作品やアラン・プラテル、ヴィム・ヴァンデケイビュスといったコンテンポラリーの巨匠たちからの振付の影響をばっちり再確認できました。
映画の内容に話を戻すと、ポリコレに目を配っている点が今どきの作品らしいなとも感じました。そして劇中、男たちのダメダメぶりが繰り返し描かれていたのも面白かったです。彼らも一応、仕事はちゃんとしてるのですが、こと恋愛や父子など人間関係においては…というね。
映画は、そんな彼らの誘いを女性がさりげなく拒む「シグナル」や「コトバ」、あるいは男たちの「引き際」といったものをごく自然に描き出しています。
そのなかでも、コメディ・リリーフを担う療法士の男(フランソワ・シヴィル)のエピソードは面白かったぁ。思わず何度も噴き出しました。
そしてラスト。古典バレエ『ラ・バヤデール』の名場面(舞姫ニキヤの幻影が幾重にも連なっていく「影の王国」の群舞)に、主人公が自身の来し方行く末を重ねる“幻想的な”シーンは、ひとつの青春が閉じたことに対するほろ苦さも滲ませ、通り一遍の「再生ストーリー」に終わらせていないところが胸にじんわり沁みました。