「二人の確執の本当の意味」ふたりのマエストロ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
二人の確執の本当の意味
<映画のことば>
話すのは、いいものだ。
洗いざらい話すのは。
すっきりする。
父子の確執は、お互いがお互いを認め合っていることの反面だったように、思えてなりません。評論子には。
お互い、お互いに認め合っているが故に、お互いに「素直になれない」ということは、あり得るのではないでしょうか。
これも、ハリネズミのジレンマ」の一種なのかも知れませんけれども。
(ハリネズミは、離れているとお互いに寒いのだけれども、さりとて身を寄せ過ぎると、針のように鋭い体毛で、今度はお互いに痛いーというジレンマ)
そして、父親は子(息子、娘)に対しては、いつまでも子供を導く「親」でありたいと願う反面、いつかは自分を乗り越えて欲しいとも思っています。
(子の男親でしかない評論子には、母子関係にも同じような気持ちがあるのかどうかは、分かりませんけれども。)
本作でも、自分に音楽監督の話が来た(と思い込んだ)フランソワは、息子ドニに対して、自分がまだまだ「親」であることに安堵したでしょうけれども、反面、その話がドニに来たものでなかった(と誤解したこと)には、一抹の寂しさも覚えたはずです。
しかし、結果が分かって落胆した部分よりも、ドニが自分を乗り越えてくれたことに、むしろ大きな喜び・満足を感じていたはずです。フランソワは。
ラストシーンで、ドニの指揮に、わざわざフランソワが割り込んだのも、親子の「引き継ぎ」という心情があってのことでしょうし、その時のフランソワの満足そうな表情も、上記の意味で、評論子には、理解・納得ができました。
そういう点も含めると、秀作といえる一本だったと思います。
評論子は。
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