「「ただ遊んでいただけ」とはイーダのセリフでしたけど…」イノセンツ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
「ただ遊んでいただけ」とはイーダのセリフでしたけど…
サイキック・スリラーというか、ホラー系統の映画は、これまであまり観てこなかった評論子ではありますけれども(一人住まいの評論子は、夜中にトイレに行けなくなると困る)。
そういう意味では評論子の「受け止め」が浅いのかも知れないのですけれども。
以下は、あくまでも「そのレベルでの評論子のレビュー」ということで受け止めていただければと思います。
「子どもたちには、この結果について、あくまでも悪意はなかった」ということが、本作の邦題の謂(い)いなのでしょう。
ときに、アナとイーダの一家の今回の転居は、アナの新しいリハビリ施設(通所施設?)の関係だったようです。
両親からすると、アナの障害に、普段からあれこれと心を痛め、配慮を尽くしていた様子が窺われました。
評論子には。
反面、それは、イーダの様子からみると、彼女らの両親は、障害のあるアナを気にかけすぎて(それは一面ではやむを得なかったのかも知れませんけれども)、そのぶん、イーダに注ぐ愛情が十分には厚くはなかったようにも見受けられてしまいました。評論子には。
本作でのイーダの立ち居振る舞いから推し量って。
それゆえに、新しい土地では、イーダは、不可思議な能力を持つ(かのように見えた?)ベンに惹かれたのだろうとも思いました。
そして、そのことが、ベンの暴走(?)を経て、今回の子供同士のこの「結末」に起因したのであれば、それは、何とも切ないめぐり合わせと言わなければならないかとも思います。
サイキック・サスペンスというのが本作の露出ではありましたけれども。
片親の家庭であったように見受けられたベンも、母親からはあまり手厚い愛情を受けてはいなかったこととも相まって、親が子に注ぐ愛情の厚薄やそのあり方という点では、静かに訴えかけるものもあったのではないかと、評論子は思います。
評論子としてはその点を主として、いちおう良作としての評価としておきたいと思います。
(追記)
本作の監督が共同脚本を担当した前作は『わたしは最悪。』だったとか。
両作に共通するのは、人の心の奥底に潜(ひそ)む歪(ゆが)んだ情念みたいなものでしょうか。
そんな印象もありました。
評論子には。