「"殺人"の定義」イノセンツ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
"殺人"の定義
勿論、大人ならばそれは法律により厳しく律しられる事 しかし、未成年者に於いての殺人は一体どう定義づければいいのか? そんな究極且つ決して結論に到達できない問題を露出した作品である
まるでオモチャのように人の生死を扱うこと 同時に内面的な沸き立つ普遍性としての"被害者への共感性"を子供の時から備わっている事が前提に立つと、その扱いを盲目的に糾弾してしまうだろう 自分を苛める親、知り合い、そして否定的スタンス、それ以上に自分を攻撃する輩・・・ どうか消えて欲しい、そう願うのは通常の思考である そしてそんな鬱屈の中で、輝かしい可能性を発見する それが"超能力" 今風で言えば"チート"と置き換えられるだろう よく言われるのは親の教育、家庭環境、躾けといった、本来現在社会に於いて最低限学ぶべき教えや、それを補完する親子の愛情、安定した経済環境に於いて、そういった鬱屈は軽減されることであるとは一般的に流布されている そしてここで"果してそうだろうか?"なんて言葉に続けて例外的な概要を話し出すのが教育論としての出だしであるが、自分は教育者ではないので語る術はない そして多分、須く人間がその不完全さを甘受して、初めてその疑問は、矛盾を突破できるのであろうと、出来もしないことを神視点で語ることの愚かさをここに明示しておく 哲学者でも宗教家でもない自分がレビューできること それは、人間は進歩を続けることを弛まず、その恐怖に震え続けるのも又、人間であるという馬鹿馬鹿しさということ 秩序?枠組?安心?安全? それを超えるのは、今作のような"超能力"なんて解りやすい事象ではなく、もっと原始的な事かも知れない
トンでもない角度で打球が飛んでくるのは野球だけじゃないからねw