劇場公開日 2023年10月20日

「激しく考え込んでしまう」ザ・クリエイター 創造者 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5激しく考え込んでしまう

2025年1月12日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

この作品にはっきりと見えるのが、価値観の転換点
これもまたLGBT法から波及したものだろう。
この作品の絶妙な部分がLGBT法のように逆差別をしない点だが、逆にこの価値転換をするには戦争のように「決着をつける」必要があるということも、この作品は暗に示している。
人類の歴史とは戦争の歴史であり、争いでは何も「解決」しないというあたかも正論のような概念がまかり通っているが、戦争や内戦が勃発するまでの過程で話し合いや取り決めなどによる「折り合い」は大岡越前の三方一両損のようにはいかず、結局誰も納得できるものではなく、その先にあるのは「決着をつける」以外の方法がなくなるというのが「人類が得てきた教訓」なのではないだろうか?
LGBT法をバックに逆差別し始めた人々
ヴィーガンによる肉を食べる人に対する口撃
シーシェパード…
人類はこれまで「解決」してきたことなど何もなく、すべてが「決着」していただけだということ。
彼らのような逆差別による口撃が戦争のきっかけになっている。
しかし、この脚本の練りこみ方は凄い。
核爆発事故の責任をAIの所為にして、でっちあげたAIの是非の論争が戦争になったという背景はいかにもアメリカ的だが、AIからシミュラントなるアンドロイドを徹底破壊するに至ったのは、その設計においてニューアジアにとてもかなわなかったという背景がある。
西側は近代的に発展しており、都会的 かつ軍の勢力が強いことが伺える。
それに比べニューアジアでは20世紀的な暮らし方だが、農産物の生産にシミュラントが活用されていて、問題発生時に駆け付けるのが警察だ。
ここで監督が仕掛けているのが「正邪論」
誘導的なのは、ニューアジアの風景がアメリカ人にとってはベトナムに見えること。
天才設計士のニルマートと未知なる武器「アルファウォー」を捉えるのがこの戦争の表面上の目標
そのために潜入捜査し、ニルマートの娘マヤと結婚までしたジョシュア
このジョシュアがマヤとの暮らしの中で感じたのが「幸せ」という概念なのだろう。
それが都会生活と田舎生活 ファスト生活とスロー生活の違い。
西側が起こした戦争は、9.11とまったく同じ構造
つまり、自作自演でアメリカが以前からずっとしてきたこと。
ジョシュアのセリフに「人類よりもオレの家族」というセリフがあるが、彼にとって救うべきものが何か、失って初めて明確化したことが伺える。
彼にとっての戦争とは、任務ではなく味方によって襲撃されて家族を失ったことにほかならない。
さて、
タイトルの「創造者」だが、ニルマートだったマヤが胎児をスキャンして創ったアルフィー
彼の名前をジョシュアが付けるという点にも大きな含みを感じる。
それは「祝福」という概念
聖書の神の言葉「私はアルファでありオメガである」
いくつもの含みがある
救世主 神 キリストの再臨 そして新人類の誕生
口の悪い女大佐は、ネアンデルタール人とホモサピエンスを引き合いに出す。
本編には描かれていないが、つまり、新人類は人類を滅ぼす可能性を示唆している。
この物語が「人類」にとってハッピーエンドではなかったのかもしれないという含みがある。
AIの人権と彼らの感情、愛などはプログラムなのか発生したのか?
人の死は基本的に呼吸と心臓が止まることだが、細胞はまだ生きている。
そこから取り出す記憶と意識
この記憶と意識に加え感情があれば、それはもう人間として認めざるを得ないのだろうか?
ジョシュアは何年かの間シミュラントや彼らを人間扱いする人々と暮したことで、アンドロイドと人間という区別をしなくなったのだろう。
加えて彼自身が片腕と片足がブレインマシンインターフェイスになっている。
このことが半身人間、半身機械両方の感覚がわかることを表現している。
彼にとってマヤとお腹の中の子の喪失は堪え難いものだというのもわかる。
両方人間だ。
マヤが創ったアルフィー その作り出す過程から、自分の息子のコピーだというのを理解し始める。
マシンである彼と一緒に戦火を逃れながら情が移っていく。
しかし、それがクローンであればまだしも、機械とAIだ。
ここに視聴者の中に芽生える葛藤がある。受け入れざるを得ないのか、それとも分類すべきなのか?
マヤは生前自分の分身を提供していたことで、ノマドの中にもその一体があった。
これをアルフィーが見つけ、マヤの記憶を移植した。
アルフィーは途中から言葉遣いが女性的になる。
つまりそのメモリにあるのがマヤだ。
アルフィーの中にはマヤの記憶も収められている。
そして天国という概念
ジョシュアの死生観は、この作品において非常に興味深いところ。
このあたりからアルフィーの中のマヤが覚醒し始めている。
肉体よりも記憶と意識と感情
これを持ったAIこそ新人類なのかもしれない。
この物語の示すコピーとは、肉体だけにとどまらず、記憶や意識や感情までも示しているのではないだろうか?
そのマヤの想いは、マヤの肉体をしたシミュラントに自分の記憶をインプットすること。
それはもう一度肉体を持ってジョシュアに再会したいから。
そしてジョシュアとマヤとの感動の再会となった訳だが、そもそもノマドの中になぜたくさんのシミュラントがいたのだろう?
徹底的に破壊するのが西側の目的だったはずだ。
監督はここに自作自演で戦争を仕掛け、そこにある土地や資源を奪ってきた「西側諸国」のやり方を忍ばせた。
大佐がアルフィーを確保させた理由
アルフィーを処分すれば西側が有利になる。
または西側とは人類史における「過去」を表現したのかもしれない。
この部分を同時に表現するという脚本の練りこみ方は凄すぎる。
ただ、
少々納得できない点がアルファウォーで、ジョシュアがアルフィーが「武器」だと見抜いた点、それがアルファウォーだという点を西側と共有するまでの過程を急ぎ過ぎていたこと。
そもそも練りこまれた物語とSFなので、この部分は丁寧に表現してほしかった。
さて、、
昔から教科書に載っている人類の進化の絵
サルから大きなサルへ、そしてたったサル 毛の生えた猿人 武器を持った猿人 ホモサピエンス クロマニヨン人
実際それはは間違いで、アウストラロピテクスからホモエレクトス、ネアンデルタール人、ホモサピエンスは若干の差はあれ同時発生していた。
それが発生であって創造ではないのかもしれない。
この作品の創造主というタイトルは、どうしても神という概念に直結する。
私は、ここがキリスト教世界で切っても切り離せない箇所であり、絶対譲れない箇所だと思うが、もうそこは卒業してもいいんじゃないかなとも思う。
さて、、、
ノマドは地上で崩壊したが爆破炎上していない。
おそらく、
肉体のジョシュアはこの墜落で死んでも、その記憶は復活されるのではないだろうか?
つまりこの物語には先があり、自分のコピーが生き続ける未来
自分を増殖できる未来
従来虐げられてきたことが終焉し、ひと時の平和が訪れるが、この人というものに染みついた争いの種がなくなることなどあるのだろうか?
気の合わない誰かを殺害し滅ぼし、そうして何種類かの人格だけになっていく未来
人類がAIになっても、何だか恐ろしい。

R41