違国日記のレビュー・感想・評価
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穏やかな雰囲気のいい映画(原作既読)
葬儀のシーンでの、周囲の言葉を言葉として拾わないように分解し、音の塊になり、おおってくるような描写…それを打ち破るマキオちゃんの声……実写ならではのいい描写で凄くゾワゾワした。あと、同シーンで、キャパオーバーしてるんだろうなぁってわかるアサ役の俳優さんの狼狽える表情もかなりよかった。
しかし、マキオちゃんがなぜ、アサに「あなたの母親のことが嫌いだった」と伝えたのかが描写されてなかった気がするので、そこは少し気になった。マキオちゃんが親が亡くなってしまったアサに追い打ちをかけるような言葉をかける不躾な人に見えてしまいそうだ。
だが、マキオちゃんの周りのナナちゃんやカサマチくんとの会話は、あー彼らは長く関係を続けてくることができた代えがたい人達なんだろうなぁというのが垣間見えるようないい距離感だった。
題材を転々と詰め込みすぎでエミリの恋愛の描写や学年首位の女の子の描写は必要だったのだろうかと思わなくはないけど、全体的に穏やかでいい雰囲気の映画だった気はする。ドラマでの実写化のほうが合ってたのでは?とは思うが。
最後に、アサの歌のままエンディングではなく、そのあと数シーン挟んでからのエンディングだったのが、この作品らしい終わり方な気がしてとても良かったと思う。
原作の良さが生かされておらず、なにを伝えたいのかピントも合っていない
原作が大好きで、楽しみにしていた。
正直キャスティングは新垣結衣さんは大好きだけれど慎生ちゃんにしてはキュート過ぎると思っていたが、それはそれで良いかと思い
それ以外の情報を入れずに見に行った。
ここの評価も高めだったので安心していただけに、非常にがっかり。
新垣さんは原作の慎生に近づけようといろいろ努力してくださっている感じは伝わってきたが、肝心の脚本が浅かった。
あの膨大な情報量の原作から何を切り取り
どこにピントを合わせたいのか全く分からなかった。全てが中途半端。
取捨選択が必要なのは分かるが、必要な台詞をカットし不要にしか思えない大胆な改変が続く。
セリフが一緒でも違う状況で言われたら全く印象は変わるし、
切り貼りされてる感じで余計チグハグだ。
タイトルへの言及も無かった。
そもそも何故構成を変えてしまったのだろう。朝を可哀想な子に見せたいからだろうか。
それなら身寄りの無い子どもを親戚として引き取るなんて違国日記でなくとも
オリジナルでいくらでもその設定で作ればよかったと思う。
途中で席を立とうかと何度も考えてしまった。
『この日このひとは群をはぐれた狼のような目で
わたしの天涯孤独の運命を退けた』
この言葉は繰り返し出てくる重要なものなのに、”その方が豊か”という理由でモノローグが無くなり
朝の内心が全く伝わってこない。
原作の無邪気だからこそ不躾になることがあり
幼いところがあるもののきちんと可愛い朝と違って、
慎生に対して態度が悪くうざいと言ったり心配させたり、そしてけして謝らないので
ただただ生意気で苛々してしまった。
歌が本当にうまい感じも伝わってこなかった。
槙生ちゃんの作家な感じも、上辺だけだった。
ちょっとした会話からふっと創作の世界に沈み込む感じが基本的に無い。
言うことが詩的で含蓄のある感じもなかった。
笠町くんと塔野は正直出した意味がなかったと思う。
特に笠町くんに至っては、元カノに未練がある上日記のことを口を滑らせる
余計なことしかしない男でしかなくてノイズだった。
原作の笠町くんは朝のことをさん付けで呼び、子供に話して良いことかどうか
言葉を選びながら嘘はつかず丁寧に接してくれる重要な人物なのに。
親が完璧で自分も完璧でいなくちゃならなくて
周りもそうなのが普通だと思ってしまうのは遺伝病のようなもので
だからこそ鬱になって苦しんで、大人になっても親との関係で苦しんでいる笠町くんは映画にはいなかった。
そもそも病院で母親に言われて仕方なくその日はうちに連れ帰るという流れが自然だったのだ。
大雑把なようでいて、取り敢えずあったかいものを食べさせようという
絶妙な槙生ちゃんの気遣い方が無かったし、
しかも「わからないのは変じゃない」はその後の
「悲しくなる時が来たらその時悲しめばいい」があってこそではないのか。
姉を嫌いだから悲しくない。朝を気の毒だと思う分それが悲しい。
大人がそうやってぶっちゃけてくれるのが大事なシーンなのに、
あれではただの思わせぶりだった。
日記は、悲しいか分からないという朝に
「たとえ二度と開かなくても悲しくなった時それがあなたの灯火になる」と
書くのをほぼ初対面の段階で勧めるから良かったのだ。
事前にこのやりとりがあっての葬儀の場面だから良いのに。
しかも、「あなたにこんな醜悪な場はふさわしくない」とはっきり言ってしまうところが。
自分の母親が朝に遺体確認をさせたことを怒っている描写は絶対大事だったと思う。
日記はタイトルにも含まれているとおり非常に重要なアイテムで、
「本当のことを書く必要もない。書いていて苦しいことをわざわざ書くことはない」
と慎生が言ったことが朝にとても響いた訳だし、
悲しくない自分が変なのかと思っていたから、
悲しくなったらでいいと言われてありがたかったという朝の台詞は非常に重要だ。
非常に気になったのだが、槙生ちゃんが玄関まで見送りに出ないのは何故なのか。
とても違和感があるし、朝も戸締りしないし普通に不用心。
しかも毎朝そうやっておばあちゃんもお母さんも慎生ちゃんも見送って
帰りになになにを買ってきてという会話があって、という話もあったのだから
見送るのは重要なシーンだと思う。
二人とも平気で外着で布団に寝転ぶのも気になった。
原作だと朝が布団に入ってスマホを充電コードに繋ぐ感じもリアルだったのにな。
朝がわざわざ仕事をしている槙生ちゃんの横に寝る理由もあれではわからないのでは。
姉が嫌いというのもフェアじゃないと思うから言っただけで
人の悪口をわざわざ聞くものじゃない、自分の意見に流されずおかあさんを好きなままでいなさいという理由で何故嫌いかを話さないのだ。
映画しか見ていない人に、その慎生ちゃんの思慮深さは伝わったのだろうか。
マンションを買うのを笠町くんにいわなかったのは、誰かに言ったら目が覚めて夢でしたってなるのが怖かったからであって、
アニメになったからお金があったから、では意味が違ってしまう。
朝と部屋を片付けに行った時、「来週」という姉の予定を見て
来るはずだった来週が来なくなり世界から忽然と存在が消えることに思いを馳せる慎生はいなかったし
ピクルスの前で、現在形で母のことを話す朝にあなたは考えている途中で強引に断ち切る必要はない、とも言ってくれず、あろうことか「ピクルスは好きになったじゃん!」
と朝に喧嘩を売られてしまって驚いた。
慎生がだらしない印象をつけたかったのか知らないが、原作の慎生は
卒業式の日にちゃんと見送るし、その時に記念だと写真を撮った。
朝も、食べたいのはピザとちゃんと答えたのだ。
えみりのLINEを無視している時も、「うるさいな、仕事してれば」と喧嘩腰になるが
「したいよめんどくさいな」「一日分喋って疲れた」という慎生に朝は「ごめん」と言う。
用意してもらった足湯を叔母に引っ掛けてがたがた当たり散らしはしない。
だいごからの手紙の話がカットされているのも解せなかった。
えみりの母親が原作では朝に謝るし、朝が一人で寂しいのに言えないのではと心配して
叔母さんに来てもらったら、と言うのに、映画ではただの嫌な人でしかなかった。
入学式で親が死んだとみんなに言った後、原作では母親ではなく慎生ちゃんが知ったらなんというだろうかと考えているのも大きな違いだと思う。
歌上手いんだから歌えば、と慎生ちゃんが言って、お母さんがバンド嫌がったからと返すのを、なぜマックブックプロの話にして流れを変えたのだろう。
弁護士をとりあえず登場だけさせたかったのだろうか。
原作の弁護士は笠町くんの次に良い人な男性という印象だった。
仕事ではなくちゃんと朝ちゃんを心配して、慎生ちゃんにもちゃんと謝ってくれた感じがあったからひっかからなかった。
映画の台詞の順序だと、塔野さんが慎生ちゃんを疑って、「行動を制限されたことはありますか」と朝に訊いているようにしか見えなかったし、実際「朝に訊いてる」と慎生の言葉を遮りもした。
えみりを家に呼んだ時、原作は慎生が家にいなくてLINEも返事がなくて、でも書斎スペースのドアをちゃんと締めていた。
変わった人だから、と朝とえみりで馬鹿にすることもないし、慎生が何度もドアを開け閉めして挙動不審な態度をとることもない。
ここの朝とえみりの会話も、「髪ピンクに染めれば」より
「ゆこちゃんがカットモデルをやってて朝ももっとおしゃれすればいいのに」が重要なのではないのか。
笠町くんが人を慰める時に肩を抱いて、大型犬だと思ってと言って、これまでのその経験があるから慎生ちゃんは朝にそうしたのに、
映画の感じでは元彼と酔っ払って良い雰囲気になっているように見えてしまって嫌だった。そういうのではないから慎生ちゃんも気にせず、テレビに朝の好きな人出てるよと呼んでくれるのが良いのに。
映画の元サヤに戻るのかと騒ぐようなのでは、
「わたしだけが知らない国にいるのだという心地で眠らない、いうなれば久々の幸せな夜」にはならない。
お母さんに似た人を見て一瞬はっとするのはわかるが、叫んで追いかけるのはやり過ぎ。
中学生という年齢でしかも目の前で事故を目撃した設定で
遺体確認までしてそうはならないだろうと思ってしまう。
おかーさまです、とかぐうっとか、漫画だからこその書き文字表現であって寧ろそういうところこそ実写化にあたって改変するところだったのでは。
えみりと慎生ちゃんのやり取りが恋バナしか残されていなかったが、
えみりに物語を貸すことで回答とするのが良かったのに。
慎生ちゃんが食べ物を口に入れたまま喋るのは、笠町くんや友達とか気を許せる人
とだからやったことだと思う。
朝の母親の日記は二十歳になったらあげようと思っていたと書いてあったのに
設定を変える必要はあっただろうか。
渡さない選択肢も5年もあれば出て来たかも、と慎生が思ったことも朝に伝えるか迷った重要な理由だと思う。
しかもあの書き出しの言葉、実里が泣きながら言っていたのなら話は違ってくるだろう。
実里には実里の怒り、孤独、葛藤があった。
朝のサボりを重要な試験をぶっちしたことにした理由もよくわからないし、
笠町くんが駆けつけて「頼るの簡単だろ」「難しい」の会話があったり
塔野さんが「大事にした方が良い」と言って大人三人で探すのが意味があったのに、
映画では先生に呼び出されるだけになっているのも改悪だ。
「親が亡くなったことをうけいれる準備ができ始めたのかも」と慎生が言うのも重要だったはずだ。
慎生の部屋に勝手に入ったことを笠町くんが怒ってくれるのも、
慎生には友達がいっぱいいるし自分がほしい嘘を慎生は言ってくれないと
朝がいじける流れまで自然だった。
それでやっと初めて両親が死んだ、と朝が泣くのだ。
ここまでで5巻の話だ。
どうせ最終巻までは話に入れられないなら、このあたりまでを丁寧に描いた方が良かったのではないか。
朝のライブが盛り上がりで終わられたらチープで嫌だなと思って見ていたら本当にそういう展開だった。
三森や塔野など、原作と見た目やキャラを変える理由はなんだろう。
なにからなにまで忠実にする必要はないが、不必要に変える必要もないと思う。
朝の作詞に慎生はちゃんと具体的なアドバイスもしていたし、
「死ぬ気で殺す」もこの前の「打ち、鍛え、研いで」が大事なのでは?
えみりが「もう絶対友達辞められないじゃんと思った」というのもカットされているし
不正の話も物語の舞台が2023年だからといってあそこまで変える必要はあっただろうかとてもチープになってしまった。
千世ちゃんとの
ひどいこときいていい?自分の人生終わったと思った?
終わってない、生きてるから という会話をカットするなら、千世ちゃんとのシーンの重みがなくなってしまう。
原作では慎生がする遠吠えをなぜ改変したのかも疑問。
えみりのカミングアウトの話を残すなら、慎生から映画を借りたり
最初に慎生に相談したエピソードは残すべきだし、
ベランダで外が見えるところでお弁当を食べながら話すのを
放課後体育館に呼び出してふたりきりひっそりというシーンに変えてしまったのはなぜなのか。
落ち込む三森の話を聞いて励ますこともなく、どちらかというと三森ちゃんの方が強くて
「大学では軽音はやらないからいまのうちに」と言うのを朝が自分は続ける、と言ったのを聞いて揺れ動く=本当はやりたい三森が
音楽好きだからやめるーと思わせぶりなことをライブが始まってから言うのも謎。
千世が「大丈夫じゃないまま生きていくからいい、田汲が忘れないでくれたら少なくとも田汲の周りでは変わる」という台詞があってこそ、
世界を変える、と願いを込めて朝が歌った意味があったのに。
朝のコミュニケーション能力を慎生が心底羨ましがっていることも
もし過去に戻れたらと言われても多分お互い自分の持っていないものを持っている相手が嫌いだったから無理だ、と話すのも無く
中途半端に掻い摘んだ会話になってしまっていた。
想定していた映画とは全然違っていた「違国」の日々をつづった大切な日記。あぶなっかしいけれど、苦しいけれど、輝いている毎日。監督の繊細な感性と、細やかな演技で見せてくれた少女たちに感謝。
15歳の少女。
とても繊細でナイ―ヴ。
感受性の塊で、毎日のちょっとしたことでも感動できる。
新しい制服のスカートの裾が翻る。
他の子と一緒にギターを手にして鳴らしてみる。
どの部活に入ろうか悩む。
それだけに他人の言葉にもすぐ揺れ動く。
傷つく。
思い悩む。
ほんの些細なことですぐに壊れてしまいそうな。
そんなキラキラした素敵なことが詰まっていた、短い期間を丁寧に切り取って見せてくれた。
大人の日々では忘れていた、小さな素敵なこと、素敵だったことを思い出させてくれた。
これを観なければ本当に忘れていたこと。
監督と俳優、関わっている人たちに感謝。
親戚の子と独身女性の、突然始まった共同生活を映画にしたと聞くと、
これまでに見たドラマのありがちなシチュエーションや、
きまりきった感動的な展開をつい予想していたが、そんな思いは吹き飛んでいた。
とても繊細でふんわりとした、危なっかしいけれど、ドキドキする、素敵な映画だった。
パンチの無い伸びた煮麺みたいな話。女史の為の女史が観る女史が創った映画かな。
とにかく、新垣さんの鋭い目線、表情がとってもリアルで怖い感じ。
こんな彼女は今まで見たこと無いかも。
結婚される前はもっと明るく朗らかな表情役が多かった様に思ったけども
結婚後の役柄はどれも 険しい顔つきが多いと思うね。
このまま行くと、連続毒殺犯か、サイコキラーやれそうな気配。
今日は「違国日記」を早速観ましたよ。
(スペック)上映時間:139分
原作:ヤマシタトモコ氏
監督:脚本:瀬田なつき氏
-------MC
高代槙生(朝の母代わり):新垣結衣さん
田汲朝(父母交通事故で亡くす、孤独):早瀬憩さん
笠町信吾(槙生の元恋人):瀬戸康史さん
醍醐奈々(槙生の友):夏帆さん
-------
(ざっくり感じた事)
・初っぱな、朝の父母交通事故から始まる。
ここの入りの描写は弱く浅い感じ。
重要と思うのだがな。 もうチョイ重めにした方が良いかな。
・父母の葬儀の中で、母と絶縁状態にある叔母の槙生に引き取られることに成る。
絶縁状態になった訳が出てくるが、そんなにずっと根に持つ?疑問は少ししたかな。
・鈍よりした感じの槙生に対比して朝役の早瀬憩さんの役所、頑張りが良いね。観ていて表情作りは良く出来てると感じます。目線も非常によく、年頃そのままを元気に演じてたと思います。
ただ、いくら引き取られたからと言って そんなにスグに叔母に馴染めるかな?
亡くなった両親の事を思い出す場面が少な過ぎて疑問にも思う。
母の残像が時折出てくるのが とっても不気味。そこは良かったけども。
初っぱなのアイス食べてる時の顔を思うと、親を嫌ってた様には捉えられない。
親子間に事情があったとするなら、最初の事故時の場面で もう少し数カット足して心情を描いた方が良かったと思う。
・最初の葬儀で、自分を引き取って面倒見るよって言ってもらえて
朝が涙する場面ね。あのシ-ンの泣き顔はとっても良い感じでしたね。
・奈々と朝と、槙生が3人でギョ-ザ作ってご飯の場面。
非常に雰囲気は良い流れで、奈菜の存在が 朝と槙生の二人がギクシャクする所を
上手く和ませる役に成っていたなと思う。
・この映画は殆ど女性の登場人物で占めており、唯一の男性が笠町さんでしょうか。あと 弁護士の塔野さんぐらい。
男性から注ぐ心広い愛情が欠けており、朝が淋しく見えるんですよね。
父の存在や思い出は何故?無いのでしょうかね。
そこが足りなく感じました。
・母の日記を渡されて読むんだけども、もう一つピンと来ないわ。
内容が浅い、浅すぎる。そんな事で???と思う。
この日記のこの部分の内容だけで 感動させるには、反転した日常(心情)事実を前半に確り描かないと 観客には伝わらないですかね。
喜怒哀楽の中で、喜、哀、楽はあったが、怒が薄い。実は哀も薄いと思う。
だからぬるい感じに捉えられてしまいます。
パンチが感じられないのが残念でしょうか。
・案外、文字表現が多かったかな。小説風に寄りすぎてるのかも。
軽音(歌)は良かったが、結局それも作詩であって。
絵的な物を持ち出した方が 心情は伝わりやすく分かりやすいと思います。
総合的にちょっと期待してた内容と違ってて少し残念でした。
心情の不安定、展開流れのバラバラ感が否めないでしょうか。
ただ 早瀬憩さんは良かったので今後の活躍が楽しみ。
興味ある方は
劇場へ!!
原作読みたくなるやーつ。
槙生 自分らしく生きる不器用な知識人
朝 誰かの一番になりたい母似の娘
奈々 周囲の人と有意義な関係を築ける相性抜群の親友
えみり 苦しみながらも好きな人に寄り添う相性抜群の親友
実里 普通になりたかった愛の人
千世 相性最悪だけど寄り添うことで分かり合えたクラスメイト
三森 槙生に似た部活仲間
名前? 仲良くなれそうだったのに彼氏を選んだ友達
信吾 自分らしさですれ違ってしまったが特別な存在の元恋人
みたいな?違ったらゴメン。
直感力がないから、すれ違ってしまうけど相性はそこそこ良い人達だよね。
大人向けな人間関係だことwww
139分じゃ足りないかもね。(原作未読)
でも好き。
【”朝が来た。”人付き合いの苦手な小説家が大嫌いな姉が急死した事で性格の違う姪と同居する中で人としての優しさをほのぼのと滲ませていく様が気持ち良き作品。登場する人達のキャラ立ちも良き作品でもある。】
■槙生(新垣由衣)は、大嫌いだった姉(中村優子)とその夫が交通事故で急死した葬式の場で、親戚達の”可哀想に。あの子、親戚を盥回しにされるんじゃない。”と言うひそひそ声を聞き、決然と“貴女を愛せるかどうかは分からない。でも私は決して貴女を踏みにじらない!”と言い姉の娘、朝(早瀬憩い)を自宅マンションに引き取る。
◆感想
・冒頭の事故のシーンからの、上記葬儀場での槙生の決然とした世間の表面的な常識に抗うか如くの言葉に、一気に映画に引き込まれる。
・朝は、布団と簡単な身の回り品だけ持って槙生のマンションに来るが、家の中は本だらけで雑然としている。売れっ子小説家である槙生が、整理整頓が苦手な性格であり、一方朝は母に似ているのか、整理整頓を苦もなくやる姿を見て、鑑賞側は二人の気質が可なり違う事が分かるのである。
・槙生は傷ついた朝を抱きしめる訳でもなく、素っ気ないが、大切な存在として見ている。そして、元カレの笠町(瀬戸康史)を頼り、法的な問題などの対処方法を教えて貰うのである。
ー この、槙生と笠町の元カレ、今は友達という不思議な関係性も心地よい趣を作品に与えているのである。ー
・又、槙生の親友である明るい奈々(夏帆)の存在が、槙生と朝の関係のクッション材のようになっている所も、好きである。
- 三人で、一緒に餃子を作ったり、散歩をしたり・・。-
・朝の中学からの親友、えみり(小宮山莉渚)や進学した高校の友人達、)や頭の良い森本(伊礼姫奈)達のキャラも立っている。えみりは女子が好きと告白し、森本は理不尽な留学制度に対し、先生に猛抗議をする姿。
- 一方、自分が確立していない朝はそんな友人達に触発されて行き、自我を徐々に発露していくのである。ー
■槙生が母(銀粉蝶)から預かった、姉が朝に残した日記。
槙生はそれが、朝が高校を卒業した時に読ませたかったモノと分かった瞬間、その日記を閉じ机の引き出しに仕舞うのである。
が、その事が発覚した時に、朝は怒るがその態度に対し、槙生は素直に謝るのである。
更に、その日記に綴られていた亡き母が遺した朝を想う優しい言葉に、朝は癒され少し大人になるのである。
<今作は、年齢も性格も違う槙生と朝が、相手を思いやりつつも喧嘩したりしながら、周囲の心優しき人たちに影響され、少しづつ成長していく様と共に、二人の心が徐々に近づいて行く様を優しい視点で描いた、観ていて心がほんわりとする気持ちの良い作品なのである。>
ギコちなさと前向きさ。
子供の頃から大嫌いだった姉が旦那と共に事故で亡くなり、その姉の一人娘の朝を引き取り一緒に住む事になった高代槙生の話。
葬式の食事の席で「朝ちゃんこれからどうするの?」「可哀想に」「盥回し」と親戚一同が話すなか、その話を切る様に言った槙生の「私と一緒に住もう」で始まる槙生と朝の生活。
冒頭の槙生の突発的に出てしまった「一緒に…」って、言葉から涙が出てしまって。
卒業式だけ残した中学生活、親友えみりが周りへ漏らした事故の件、先生の間違った気づかいには観ててイラっとしたけど。
少し人付き合い苦手でちょっと無愛想にも見えた槙生だけど、朝の言う事を否定せず肯定してあげる優しさだったり、最初だけ少し反抗があった朝も、槙生との距離は意外と近く、槙生の友達の菜々も交えて楽しめて進んでくストーリーと、中学生から高校生になり、両親を失した心情や、これからどういう大人になろうと模索しながら送る高校生活と学生の気持ちだったり。
亡くなった母からノートに書かれた朝へのメッセージには涙、朝の明るさと槙生の少し変わったキャラとかギコちなさ二人の生活の雰囲気の良さはもう少し観てたかった。
終始静かな作品でした
原作未読
ただ鑑賞前に原作読者らからはガッキーじゃない方がよかったという声は目にしてたので心配でした。でもガッキーじゃなかったら自分は鑑賞してなかったと思うので、自分は良かったと思ったし役どころもあってたと思う
作品は終始静かな感じのままで個人的には物足りなさすぎた
あえてなのかもだけど
自分が思ってたような2人の距離感というか共に成長みたいにしていくと思ったが一定以上の距離はそのままな感じだし、もっともっと感情的なシーンが多くして衝突やらを見たかった
意見のぶつかり合いがあっても次のシーンでは普通に戻ってたから、その過程も見たいのに……
2人中心の作品かなと思ったが『朝』中心の話だったのでこれらも物足りなさの1つ
『朝』はなかなか難しい役どころだけど役者さんの込みで良かった
初めて泣いたところではもらい泣きしました。でも個人的にはもっと号泣してほしかった
こういうところもなんとなく静かな感じだったなぁと
『朝』中心だからか他の事柄も詰め込みすぎて1つ1つのエピソードが弱く印象も弱かったかなぁ
『槙生』のエピソードの描写も少ないし、その時々の感情や行動の原因の元みたいなのも伝わらなかった
不満なところが多かったが色々と考えさせれました
個人の好きな事、やりたいことを尊重するって聞こえはいいが放任してるようにも思える。まだ何も分からない人には手を差し伸べるのも大事。ただそれすらも個人の考えなどの押し付けでもあるし……どれが正解は分からないし正解なんてないのかなぁとも考えさせれました
『槙生』の考え方とかは自分も似てるところあるからか共感するが第三者目線で見ると難しい人と思った
まぁ物足りなさはあったし難しい感じでもあったけど見て良かった作品でもありました。あとエンドロール中のピアノの音が何か心地良かったです
槙生に比べて、朝のキャラクターや成長が今一つ伝わってこない
人との関わりを避けてきた小説家の槙生が、姪の朝と生活する中で、人と関わることの素晴らしさに気付いていくという物語は、ありきたりではあるものの、心がホンワカと温かくなるような心地よさを感じることができる。
特に、それまで終始無愛想だった槙生が、ラストで、朝が歌う姿を観ながら浮かべる笑顔は魅力的で、そこには、「母親」の眼差しすら感じ取ることができた。
その一方で、朝のキャラクターが今一つ分かりにくく、彼女の変化や成長があまり感じられなかったのは残念だった。
両親が事故死したことを学校の皆に知られたことが分かり中学校の卒業式を欠席したかと思えば、高校の入学式では、自ら友達にそのことを話したり、両親の死を素直に悲しめないようなのに、死んだ母親の幻影を追い求めたりと、15歳の頃は、確かに面倒くさくて支離滅裂なところがあるものだと思いつつも、どこか釈然としないものを感じてしまう。
解説では、朝が「人懐っこい」と表現されているのだが、映画を観た限りでは、そんな性格とも思えなかった。
朝を取り巻く同級生にしても、LGBTQの中学時代からの友達や、女性という理由で海外ボランティアに選ばれなかった優等生や、作詞と歌の才能を認めてくれた軽音楽部の花形部員とか、面白そうなキャラクターが揃っているのに、彼女達の存在が十分に物語に活かされているかと言えば、そうとも思えない。
槙生が、頑なに話すことを拒んでいた、姉(朝の母親)のことが大嫌いな理由や、朝に、その存在を隠していた、姉が娘の朝のために書いていた日記の内容とか、物語の核となるようなエピソードが、終盤でサラリとしか描かれないのも、物足りないとしか言いようがない。
さりげない日常の一場面として、あえてドラマチックな展開になることを避けたのかもしれないが、それでも、朝が、両親の死後、初めて大声で泣くことができた場面に繋がるエピソードだっただけに、もっと感動的な盛り上がりがあっても良かったのではないかと、残念に思ってしまった。
盥、、書けますか?読めますか?
ヤマシタトモコ先生の同名コミックの映画化。
原作既読、ガッキーファンです。
んーーーーーーーーー。。。
原作で描かれる不条理で残酷な世界観を表現できていなかったと思ってしまった。
朝(早瀬憩ちゃん)と槙生(ガッキー)が抱えている両親・姉との確執の他、世代、ジェンダー、セクシャリティ、ルックスからくる苦しみや差別など、原作では丁寧に丁寧に描かれている問題を全てさらっと上辺だけすくった印象。。
(白斑の子も何気にいたね)
今は亡き実里の存在。
槙生と朝は過去に彼女からどんな事を言われ続け心を縛られてきたのか。
槙生と朝の人生を、ある意味支配していた実里。
彼女の死を2人はどう捉えていくのか。
実里から発せられた呪いに近い言葉の数々。肉親からの呪縛。
原作では共感できた部分も本作では端折り過ぎていて心に刺さらなかった。
又、タイトルにもある「日記」が重要なアイテムになるはずが、こちらの扱いも中途半端で残念だった。
槙生が両親を亡くしたばかりの朝に
「日記」をつける事をすすめる。
朝がどうやって両親の死を受け入れていくのか。
思春期の子供にとって親の死とはどういうものなのか、原作では丁寧に丁寧に描かれていた。
そして実里が朝に遺した「日記」
映画では高校卒業のタイミング
(原作ではハタチになった時)に渡そうと書いていたもの。
原作では「日記」を通して朝と実里の心の中を知る事ができ涙したのに、本作でのあの扱いでは重要度が低く感じ悔やまれる。
実里がどんな人物だったのかも、想像力だけでは補えない情報量の少なさだった。
原作が素晴らしいもので、読むほどに考えさせられる作品だった為、辛口評価になってしまったが、原作未読だったとしても、作品として私にはあまり刺さらなかったと思いまつ(°▽°)
(そして、作品は監督のもの。原作と比べても意味のない事はわかっているんですけどね。。)
醍醐(夏帆ちゃん)笹町(瀬戸君)
塔野弁護士(染谷君)えみりなど、
2人を取り巻く人物達は優しく魅力的に描かれていて原作同様に素敵でした。
(原作では更に魅力的です♪)
小説家の槙生らしい言葉選びも良かったですね。
「あなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は決してあなたを踏みにじらない」
対象的な2人が共同生活を通して距離が近づいていき、関係性に変化が起こる過程が見所です。
ちょっと詰め込みすぎて、深掘り出来ていない全体像でしたが、わかり合えなくても、寄り添えること、かけがえのない存在になれることは上手く示していました。
それぞれの立場に安易に共感しない所に好感が持てる。
そんな槙生と朝を通して優しい気持ちになれたことは事実。
スウェットすっぴん汚部屋住みガッキー、
「正欲」に続き、ぶっきらガッキーは見所♡
朝役の憩ちゃん。可愛いのに時々オカリナに見えて焦った('◉⌓◉’)
映画だけではタイトルの意味はわからないが、女性同士の内輪のノリを楽しみたいならOK
2024.6.7 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(139分、G)
原作はヤマシタトモコの同名漫画
両親を失った中学生と同居することになった小説家を描くヒューマンドラマ
監督&脚本は瀬田なつき
物語の舞台は関東周辺のとある街(ロケ地は主に横浜市)
両親を交通事故で亡くした中学3年生の朝(早瀬憩)は、親戚たちの押し付け合いの中、母・実里(中村優子)の妹・槙生(新垣結衣)の一言で、彼女と同居することになった
それは「あの人の娘だから愛せるかはわからない」という前置きがあるものだったが、行き場のない朝は槙生についていくしかなかった
槙生は小説家として成功しているが、家庭とは無縁の生活をしていて、部屋の片付けもロクにできなかった
恋人がいたこともあったが、結婚へのイメージが持てず、今では友人関係を保っている
彼女には親友の奈々(夏帆)がいたが、彼女はどちらかと言えば、中学生には刺激の強い女性だった
映画は、槙生と朝の不慣れな共同生活を描く中で、法的にきちんと整えるなどの経過が描かれていく
元恋人の笠町(瀬戸康史)は理解のある友人で、唐突に登場する後見人の監督人の弁護士・柊野(染谷将太)なども彼女たちを支えていく
そんな中、母・京子(銀粉蝶)から、姉の遺品である「日記」を預かることになるのだが、「高校を卒業したら渡す予定」とのことで、その時まで待つか、今渡すのかを悩んでいく
笠町に相談すると、「朝に渡して、今読むか、卒業して読むかを任せれば良い」と言われるものの、槙生は渡せないまま、時間を過ごしてしまうのである
映画のタイトルは「違国日記」というもので、おそらくは「母から朝へ書かれたもの」のことを指し、ダブルミーニングとして、「槙生が渡した朝のノート」ということになる
この二つの日記は槙生からすれば違国のもので、母からの日記は「呪縛」であり、朝の日記は「解放」でもあるのだが、映画はそのことにはふれていない
あくまでも、槙生と朝の仲違いを生ませるだけの道具になっていて、それだけでは意味がないのではないか、と思った
両親を失くした娘と、その母親を嫌う槙生との共同生活は、もっとギスギスしたものになりそうだが、朝がかなり理解力のある子どもなので大した軋轢は生まない
行くところがないから演技をしているということもないので、このあたりの物分かりの良さはファンタジーに近い
本作の見どころは、女性同士の日常会話のリアリティだと思うので、その辺りを楽しめる人ならOKなのかもしれません
いずれにせよ、物足りなさがかなり残る内容で、タイトルの意味が映画から伝わらないのは残念に思う
槙生にとっての違国と、朝にとっての違国は全く違うもので、おそらくは相容れないものだし、朝の母からの日記ももう少し意味があるものだったように思う
単に女性同士の友情とか、家族ではない繋がりのリアルを描くだけでは足りない部分も多いと思うので、その辺りを知るためには原作を読むしかないように思える
朝がサイン本を諦める理由とかもわからないままで、察してくださいねという部分が多すぎるのが難点なので、もう少し作り込める部分があったのではないか、と感じた
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