キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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息がつまる200分。ディカプリオ×ロバート・デ・ニーロ×マーティン・スコセッシ!
【あらすじ】
叔父のウィリアムを頼ってオクラホマへ移住したアーネスト。彼はそこで暮らす先住民族のモリーと夫婦となる。しかし、このオクラホマで不可解な連続殺人事件が起き始める…。
【感想】
公開後すぐに観に行きましたが、レビューできていませんでした。
私はレオナルド・ディカプリオが大好きで、特にマーティン・スコセッシの作品のディカプリオが大好きなので、この映画は絶対に観に行こうと決めていました!
さらにロバート・デニーロも出演ということで、私にとって夢のような組み合わせです!
さて、上演時間は驚異の200分。
あっという間なんてことはなく、「もうすぐクライマックスかな…?」と時計を見るとあと60分といった感じでした。笑
ただ長いだけではなく、重苦しい…息がつまるような200分でした。
この映画はディカプリオ演じるアーネストと妻役のモーリーに焦点が当てられていました。初めてアーネストがモーリーの家に招かれた時、「この2人にはどのような結末が待っているのだろう。」と2人に見入っていました。
ディカプリオはモーリーを思うが、叔父には逆らえない小物の悪党のアーネストを見事に演じ切ったと思います。
ロバート・デ・ニーロは「ゴッドファーザー」や「ヒート」のようなマフィアとはまた違った悪、邪悪な存在でした。
先住民族達が色んなものを奪われるストーリーだったので、捜査官が登場した時は安心しました。そこからの展開も最後まで目が離せませんでした。
余談ですが、当初はディカプリオが捜査官役で、少しずつ連続殺人の謎を暴いていくストーリーだったみたいです。
そっちのストーリーも見てみたかったです。
【お気に入りのシーン】
アーネストがモリーに初めて家に招かれるシーン。
アーネストとモリーが最後に会うシーン。
男の生き方
ディカプリオは嘘をつき、
デニーロも嘘をつく
周りの男たちもすぐに寝返り、
キングの帝国は崩壊していく。
これを描きたかったのならスコセッシはいつも男の生き様みたいなものをずっと描いてると言える、
モリーが言う
「道を誤らないでね」
男たちは道を誤り続けてる
セーラームーン
月に代わって皆殺しョ!
お仕置きは、お尻叩きだった
お尻置き?
でも皆殺しは嫌
毒殺も嫌
総合疾患症って…何なの?
総合的に皆殺し?
オセージ 大勢 皆 糖尿…
石油開拓映画? にしては石油少なめ
全身原油まみれなのに、平然としてる男達
強烈に臭そうだが…
スコセッシ長尺映画なので、ネットフリックスかな?と思ったら、アップルTV+ に変化
コロナ禍の影響みたいだけど…
以前アレだったからかな?
これ以上書くと、間違いなくレビュー削除されそうなので書かない
アップルTV+ は加入しないので、映画館で観る事にした
レオ様とデ・ニーロって…昔モメてた気が
今は、役を選ばない印象のデ・ニーロさま
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ、アンタッチャブル、ミッドナイト・ラン、ケープ・フィアー、ヒート…などが特に好き
バックドラフトには出てたのか?
エンゼルハートは心臓の記憶しかない…
今作は、可もなく不可もなく…の展開が、ずっと続く印象だった
年数経過が解りにくい…地味に老けない男達
子供の成長シーンで年月を判断するしかない
この手の映画にありがちな、西暦表示や、第1章〜などの表示がない
間接的なメリハリがない
白黒レトロ映像が、露骨にチープ
スコセッシらしくない…?
そして美人不在で目の保養がない
削除しないで
懐かしいデビルフェイスのデ・ニーロと、青く輝く地球儀のようなレオ様の瞳だけで、200分を乗り切ろうとしている…?
ややショッキングな殺人シーンが多々あるが、そこまでの経緯が少し長い気もする
中盤、確信犯的なケツバット シーン
終盤、更に確信犯的なデ・ニーロのヒゲ剃りシーン
明らかにアンタッチャブルのオマージュである
200分を乗り切るには、ややスパイスが足りない…
もう少し音楽が賑やかなら、グイグイ引き込まれたかも
ヒロイン役?モリー (死なない奥さん役 リリー・グラッドストーン) が、香椎由宇に微妙に似てるような…?
どっかで見た事あるような…無いような…? いかにもな面々の白人俳優陣
(FBI) 捜査官役のジェシー・プレモンス
特殊メイクしたマット・デイモンだと思ってた
マットメイクデイモン
削除しないで
家ごと大爆死する夫婦と家政婦
奥さんの死体が綺麗に横たわっていたが、後頭部がめくれ上がっている
不自然すぎる
第一発見者が綺麗に寝かせた…様には思えなかった
スコセッシらしくない
犠牲者に対する追悼の意なのか…?
他作品なら血みどろ奥さんである
終盤の裁判シーンで、確信犯的サプライズの2人
ホエールが吠え〜る (ブレンダン・フレイザー)
しれっと ジョン・リスゴー
棺桶にはリンゴ
超長尺で疲れきった終盤で、びっくりゲストな2人だったが、終わりそうで終わらない展開に、感情まで飲み込まれていく…
この2人で締めるのかと思ったら、まだまだ終わらない…
2人の意味が無かった気が
体調を整えて200分鑑賞に挑んだのだが
中盤から名前迷子
眠気はないが、お尻が痛くなってくる
25年近く使い込まれた、イオnシネマの椅子の座面はヘタっている
映画館のせいにはしたくないが、お尻は素直である
超話題作ばかり上映して、本当に観たい映画は上映しないけど
割と観客が少なくて好きな映画館である
僕の地元はコロナ禍で映画館が潰れて、イoンシネマのみになった
本当に観たい映画は、2時間かけて遠出して観に行く…
ドライブが好きなので苦では無いが
脱線しすぎである
そして動物園の檻のような牢獄シーン
猿の惑星 創世記、羊たちの沈黙を思い出してしまった
まだまだ終わる気配がない…
もの凄い勢いで、元気になっていくモリー奥さん
元気モリモリである
夢がMORI MORI には、ならなかった
このくらいの勢いが、映画全体にあっても良かった気が
薬の中身を問い詰めるシーンは必要不可欠だが、途中経過が少し長い
この「少し長い」の積み重ねが、最近の3時間映画に多い気がする…
ラストにしれっと スコセッシ
少しセコい気が…
セコセッシ
削除しないで
石油開拓映画?は、ゼア・ウィル・ビー・ブラッドが1番好き
200分夢中になれた
終わってみれば単純な話ではあるが、先が気になる展開の連続で、200分近く、飽きることなく観られた。
それもこれも画作り、キャラクター作り、セリフの賜物だろう。
一方で、心に響くものがあったかというとそこまでではなかった。
ディカプリオの演技はさすがではあったが、共感もできず、客観的に物語を追っている感覚は否めなかった。
ジョーペシはいなかったよな
いつもの映画館②でいわゆる2番館的な上映嬉し
金曜日の夕方ながら観客は5人くらいだった
3時間半の大長編なので
下手な時間に見始めると後の予定が立たない
最初の公開時は時間が合わなかったのだ
大好きなデニーロとディカプリオの共演で
監督がスコセッシ 観るしかない
最近は配信のみでDVD化しない作品も多く
アナログオヤジとしてはつらい
二人のがっぷり共演はボーイズライフ以来では
ディカプリオは当時は天才子役的な扱いだったように記憶するが
いまはデニーロを助演に回すトップ俳優
終始眉間に皺を寄せてへの字口の主人公を熱演
なんとなくマットデイモンに似ていた
プロデューサーレオはキャスティングを考えていたのかも
歯の形とか色は当時のリアリティを再現
権力者の叔父に世話になって 言われたことに唯々諾々と従う
日本社会にもありそうな光景のような
ホントに家族を愛していたんだろうことは伝わった
内容はオーソドックスな近代歴史モノでヘビー
アメリカの黒歴史シリーズ
アメリカ人が触れられたくないところかも
先住民族の歴史までさかのぼれば白人の侵略ってどうなのよ
となってしまう
受益権とかなんとかきれいごとを言って
権力者が都合のいいようにルールを作る
権力者におもねっておこぼれにあずかる連中
みんなそれぞれ生きるために行動している
デニーロの髭剃りシーンとか裁判シーンはアンタッチャブル
いきなり殺すとことか遺体をぞんざいに扱うところは
グッドフェローズとかゴッドファーザーを想起
ラストその後の顛末を普通は字幕で説明するところを
公開ラジオショーで表現したのが贅沢
最後のナレーションはスコセッシ本人では
ジョンリスゴーとかザホエールの俳優とかもいたな
ジョーペシはいなかったよな
出演者が多すぎてしかも外人なので人間関係図は結局よくわからない
アップルが金を出すとこれくらいのゴージャスな作品に仕上がる
2時間に収めろとか口も出さないのだろう
やっぱりDVD化されないんだろうな
新年スクリーン1本目 幸先がいい
(ここからは映画と無関係)
終了後はひとり新年会
半田屋で生ビールとおつまみ あぁ楽しい
23時解散
マーティンスコセッシの終わり
なんてことのない映画でしたわ。ディカプリオが女房に打ってた注射は裁判で言及されねーかよ😂マーティンスコセッシも年取ってこーいう社会派の映画作りたくなったんか?寒いことしてんじゃねえよ、え?「俺ちゃんとアメリカの歴史理解してまっせ、インディアンの人たちの惨劇をちゃんとみんなで知ろうな。」ってか?さみーさみー😂😂もういいってそーいうの笑
デヴィットフィンチャーの新作もクソつまらなかったがこの映画もここまでつまらなくなるとは思わなかったぜ。お金返して。
もうタランティーノの新作に期待するしかねえな。ほんでオッペンハイマーは日本で公開されるんけ?
多様性について考えさせられる問題作。
これは素晴らしかった。
「これぞ映画」という感じの映画。
スコセッシは長年にわたって映画を撮り続けている中で常に「今の映像」を提供し続けている。時代の空気やセンスにぴったり寄り添って作品を生み出す能力は驚異的だ。
1920年代のオクラホマ州。
油田を掘り当てて金持ちになった先住民のオセージ族の土地に、金目当ての白人たちが押し寄せる。
戦争帰りのアーネスト(ディカプリオ)は、叔父であるヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってこの土地にやってくる。そこで運転手の仕事をするうちにオセージ族のモリー(リリー・グラッドストーン)と親しくなる。
ヘイルからオセージ族の女と結婚すれば金が流れ込んでくる、と吹き込まれて、モリーと結婚する。
そして、オセージ族が次々と殺されていく。
というもの。
映画における多様性は、現在ではほぼ必須条件になっている。
先住民と白人が共存する町を描くことで、多様性は表現できている。そして、そこで血みどろの争いが展開される。我々は体裁だけを整えて、心の底では多様性など実現できていないのではないか。そんな問いかけがなされているのではないか。
構造としては、英雄がある土地にやってきて、ミッションを達成することで報酬を手に入れる、というよくある英雄譚のパターンを使っている。しかし、英雄譚なら英雄が主人公なのだが、本作の登場人物は英雄ではない。構造だけ使っているのだ。
思い出したのは、同じく登場人物が欲望に流されて歯止めが効かなくなっていく「グッドフェローズ」(1990年)だ。
あの作品の作りはスコセッシの必勝パターンなのではないかと思う。もちろんストーリーは全然違うのだが、構造が同じだ。わかる人は気がつくと思う。
ただ、「グッドフェローズ」と違うのは主要人物の感情が丁寧に描かれているところだ。ディカプリオやデ・ニーロはもちろんだが、リリー・グラッドストーンが素晴らしかった。彼女は言葉を発しなくても、かすかなしぐさや顔つきで多くを表現していた。
製作費2億ドル(300億円)。全世界では6700万ドル(100億円)の興行収入を達成しているとのこと。ただし、ネットで調べると、アメリカでのヒットの目安は、総興行収入1億ドル以上。年間トップ10を狙える大ヒットは2億ドル以上ということなので、どこまで伸びるか、といったところ。
ちなみに自分が観た劇場では542席ということだが、100人も入っていなかったのではないか。1回の上映の観客数だけで判断するわけにはいかないが、日本では苦戦するような気がする。
個人的にはすばらしい映画だと思う。3時間30分という長尺も必要だったと思う。テンポはよくて無駄に長いわけではない。ただ、この長さとIMAXで2700円というチケット代の高さを考えると、それでも観ようと思うのは、本当に映画が好きな人だろうとは思う。
天使の青い瞳
おかしな事だらけで感覚が麻痺する206分!
倫理観はもちろん、当時の制度にも、描かれる人物にも、ツッコミどころが満載すぎてグイグイ引き込まれていきました。
デカプリオ演じるアーネストがバカすぎて恐ろしい。「信念が無い」レベルではなく思考を閉ざしている。
見知らぬ土地で、ロバート・デニーロ演じるウィリアム・“キング”の世話になるところから物語が動き出しますが…
いや、もう自分の事を“キング”と呼ばせる時点でヤバイっしょ。
しかも冗談ではなくマジだから、なお恐ろしい。
素早く察知したアーネストはキングが望むであろう回答を探しながら会話を続け、この“従順で顔が良い”手駒を得たキングは釣り糸を垂らす…
見知らぬ土地で世話になるということ。
移民や難民のコミュニティで、否応なしに主従関係が生まれていく様を目の当たりにした気がしました。
そして、そんなアーネストに邪心は無い。
最初の会話から洗脳されているとも言えますが、私利私欲で動いているわけでは無いところが、ますます厄介。
思考の停止。戦場では命令の遂行に思考はいらない。心を麻痺させてただ絶対的な命令に従う戦士を生み出していく。アーネストは戦争の副産物でもある。
思考を停止した純真無垢な青い瞳。
神からの御言葉を疑うことなく伝える御使い。ピュアピュアな天使の眼差は、危なっかしくて思わず守ってあげたくなる魅力があります。
この青い瞳の天使に心を奪われる、モーリー役のリリー・グラッドストーンさんの演技が素晴らしい!
恋は盲目…相手を信じたい気持ちが目を曇らせる。
権力だけでなく、宗教や愛も時として個々の思考を閉ざす危険を孕んでいる。
しっかり現実を見て、しっかり考えて。
スコセッシ監督からのメッセージを感じました。
今の時代必要な映画
いくつかの点から面白かったので順に述べる。
まず、1920代のアメリカの田舎の生活。水は井戸から汲み、ウィスキーをがぶ飲みし、風呂にも恐らく入らず、毎日浮いた儲け話に興じ、邪魔者がいれば消す。この点だけでも観る価値はある。実写で撮れるところはギリギリまで撮ってるんじゃなかろうか。
コマが大物にいいように扱われる点。これは今の時代も変わらず、ディカプリオの間抜けさが、観客を緊張と共に引っ張るので、3時間を越える映画が、常にディカプリオと共にある。
インディアンの誇り高さと、土地に対する強い愛。同時に白人の愚かさと強欲さ。この映画では確実に白人が全員悪人であること。
更に、アメリカという土地に対する反省。アメリカは白人のものではなかったという事実。これは恐らくアメリカ人が忘れがちな事実であって、数年おきにこういう映画を放映する必要がある。特にスコセッシみたいな大物監督が取り扱うことに意味がある。
映画はエンターテイメントを遥か超えて、批判能力の高い文化装置である。このことがわかっていない人は「面白い」「面白くない」で判断したがるが、極めて底の浅い、無教養な批判である。
日本のごみみたいな人気俳優によるおちゃらけた映画を100本観てもなんの価値もないし勉強にもならないが、こう言う映画は100本みたら人生観が変わる。エンターテイメントを否定はしないが、限界がある、というだけの話である。
アメリカはひどい国だ、と突きつけることは、大事だ。自分達が最高だと思い込まないために。
同様に、日本もこのような映画をもっと作るべきである。同じ意味で。
この土地は、たくさんの人の血が染み込んでいる。その実感と理解が、明日を作る。知らない人には、できない。
面白いとか面白くないとかは、知らない。
だが、必要な映画だということは大声でいえる。
滑稽さもあるが不穏さも
ストーリーの前情報はあまり入れずに観に行ったので、なんとなくディカプリオが事件の犯人を探すようなものを想像していたのですが、良い意味で裏切られました。
ユーモラスさも混じりつつテンポよく進みながら、二人が悪意に翻弄される様子はやるせないです。
ディカプリオのどうしようもないダメダメ感は滑稽さもありましたが、悪意がなくとも自分の意思を持たずに流されるような状況は、今現代でも通じる不穏さを感じます。
夫婦の関係性も、複雑な想いを押し込めたようなリリー・グラッドストーンの演技も良かったです。
夫婦の人間ドラマとしても面白かったですが、やはりラストからは、虐げられた人々への視点、根深い差別意識に対する批判的な視点を持った作品でもあると感じました。
利権に群がる
オーセージ族の居住地に石油が出て未曾有の好景気に湧く。
戦時中糧秣をやっていたアーネスト(ディカプリオ)が職をもとめてヘイル叔父(デニーロ)の牧場へ帰ってくる。
ヘイルは石油の受益権を得るためにアーネストをそそのかして血統を片っ端から暗殺していく。
オーセージ族のモリー(Lily Gladstone)は血統一族だがアーネストと結婚したので暗殺者を愛するという二律背反な立脚点で苦悩する。
imdb7.9、RottenTomatoes93%と84%。
ディカプリオは肥えて丸みをつけ眉根を寄せるので凶悪さも見えたが、流されやすい弱さもかいま見せた。デニーロは安定の悪だった。
総じて白人サイドは全員底意地の悪そうな強面を揃え、インディアンサイドはおっとりした顔立ちを揃えた。
教訓にせず因果応報みたいなところにも落とさず冷徹に叙事を追っていく。ゼアウィルビーブラッドのように重厚で胸が騒ぐ映画だったが、ラジオ収録の体で後日談が語られることで重みがやわらいだ。珍しくスコセッシ自身も出てきた。
すべて実話であり、ヘイルが関わったものを含め1918年から1931年までに60人以上の裕福で純血のオーセージ人が殺害された。その後の調査で死者数は数百人に達した可能性がある、といわれている。
そもそも。
米国議会はオーセージに対し石油から得た富の管理を白人後見人が監督することを義務付ける法律を可決していた。
オーセージは自らの富をどう使うか、白人の後見人にお伺いしなければならず、この制度が搾取のきっかけとなり、その間、多くの白人男性がオーセージの女性と結婚し、死後財産を相続するための暗殺が横行した。
ヘイルはメーソンリーで“教会”の描写もあった。映画でフリーメーソンが描かれるのは珍しいのではないかと思った。
彼は強欲で受益権のためには何でもやるがじぶんは手を汚さずに誰かにやらせ慈善事業家のふりをして生きている。
すさまじい悪なんだけれど、いまにも通じる、と思うところがあった。
近年、公金ちゅーちゅーという言葉が一般化している。オリンピックや万博のようなデカいプロジェクトから有識者会議や一般社団法人に至るまで、殺生こそないが巧妙な“ストロー”を使って税金をちゅーちゅー吸い尽くす。
ウィキによるとインスリンの世界最初の臨床は1922年であり、牛の膵臓から精製した世界で数本しかない注射がモリーの糖尿病治療に使われたのは本当だろう。そのような高額な施術をする一方でモリーを衰弱させる毒を盛っているわけである。その無駄と無意味の印象は、わたしたちが万博のようなとち狂った箱物に感じる無駄や無意味の印象と同じではなかろうか。
表面化した(colabo問題のような)事案は氷山の一角であり、なんのことはないこの国はむしろヘイルみたいな輩だらけであり、それらの不正を取り締まるこの映画でいうとFBIのような上位機関もないわけで、この映画内の世界がとりわけ無秩序な昔話という感じはしなかった。
映画は2023年8月9日に亡くなったロビーロバートソンの思い出に捧げられている。
多数のスコセッシ作品でスコアを書き本作Killers of the Flower moonが遺作になった。ザバンドのころはよく知らないがソロ作はよく聴いた。Somewhere Down The Crazy RiverやSign Of The Rainbowが耳に残っている。
スコセッシとディカプリオの最強タッグによる、「花と月の殺人事件」
2017年に発行されたジャーナリストのデヴィッド・グランのノンフィクション作品
「花と月殺人・インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」
を原作としている。
実話なのです。
マーティン・スコセッシは映画化を模索する2019年には
オセージ族の首長と面談して
協力が得られるかを確かめている。
私の「アメリカン・インディアンの人々」のイメージでは、
西部劇で果敢なまでに白人と戦ったアパッチ族の、上半身裸と顔に
にペインティングして、
羽根飾りの付いた髪飾りを被り、白人の頭の皮を剥ぐイメージとか、
4分1先住民族との混血であるジョニー・デップの監督・主演作品
「ブレイブ」1997年、
ネイティブ・アメリカンの青年の苦悩を描いた映画から、
突然飛んで、
2017年作品「ウインド・リバー」の中では、
近年は先住民保留区と言う特区で、
作物も育たない痩せ地に追いやられ、
麻薬とギャンブルに溺れて働く意欲のない人々・・・
そんな偏ったイメージしか持たなかった・・・。
だから《石油の利権で金持ちになったインディアン像》には
少なからず違和感があり、意外さの方が強かった。
(こう言う先入感から見ると)
帰還兵で腹に銃痕を持ち特技も学問もない
アーネスト(レオナルド・ディカプリオ)が、
美貌と自信に溢れて
金持ちのオセージ族のカイル一家の一員
モーリー・カイル(リリー・グラッドストーン)の
美しさと財力に惹かれて結婚したのは
とても納得出来る。
そして町の名士で人望のあるのアーネストの叔父の
キング・へイルは
モーリーと結婚させてカイル家の財産を横取りする
野望を持つのだった。
この映画は石油がオセージ族の住むオクラホマ州オセージ郡から、
1920年には突然吹き出したことから、先住民族のオセージが
利権を得て財を成した事を題材にして、
カイル家の母親とモーリーの姉と妹2人が毒殺されたり、
銃殺されたりで殺される。
そしてたったひとり生き残ったモーリーもまた
糖尿病で夫のディカプリオからインスリン注射と一緒に
緩やかな毒物を注射されて、どんどん体力を失っていく。
しかし一族が次々と殺される危機を察知したモーリーは
自らワシントンに出向き、時の大統領に直訴する。
それがFBIのフーバー長官の耳に入り、
FBI捜査官トム・ホワイトが派遣されて、
本格的な捜査がはじまるのだ。
この事件によって、
オセージ群のオセージ族は20人〜45人位が殺されたとされるが
原作者のデヴィッドは、200人位が殺されてる筈だと言う。
アーネストは妻の毒殺を進めつつも、
片方で妻モーリーを愛していると言う
複雑でねじれた構図。
そして3人の子供はオセージと白人の混血。
とても微妙な立場にいる男だ。
娘のリトル・アナが死ぬと自分の子の死を、
身も世もない程に嘆き悲しむ、
それまで、キング・ヘイルの言いなりになっていたのに、
娘の死をきっかけにキング・ヘイルに不利な証言をするに至る。
すべてを正直に話し出す。
ズル賢い白人と結婚したことにより女系家族
カイル家の不幸が連鎖して、
やがてオセージ族はジェノサイドのように殺されていく。
そして聡明なモーリーですら、近代医学を信じずに
夫のアーネストを信じてのインスリンと毒入り注射を受け続ける。
この映画で特徴的なのは、オーセージ族の男女が100人程度が
演者として出演している点だ。
混血化が進んでる現在なのに先住民役の出演者は
一目でなぜかインディアンと分かるのだ。
女性は平面的で赤い皮膚と呼ばれる黄色で肉付きがよくて、
体格が良い。
そこにこの映画のリアリティの大半がある。
この原作に惚れ込んで企画を持ち込んだディカプリオは、
監督はもちろん最も信頼するマーティン・スコセッシを望んだ。
ディカプリオは当初、ジェシー・プレモンスが演じた
FBI捜査官・トム・ホワイトを演じる筈だった。
しかしディカプリオは愚かな甥であるアーネストの役を自ら切望した。
FBI捜査官役では、先住民を《救済する白人》の映画になると
危惧したのだ。
ディカプリオには愚かで駄目男アーネストこそがこの映画のテーマ、
搾取し迫害する白人の映画であり、
アーネストが悪事にどうしようもなく巻き込まれてしまって、
オセージ族迫害がエスカレートして行く
急速な流れを誰も止める事が出来なくなるのだ。
(一度燃え盛った炎は簡単には消し止められない)。
ディカプリオの代表作のひとつとなるだろうアーネスト役。
ディカプリオの頭の良さと俳優としての貪欲さを裏付けたと思う。
アーネストの愚かさを私たちは笑う事が出来ない。
欲の皮の突っ張った白人は、もしかしたら自分かも知れないのだ。
人間は一歩間違えば妻や夫の財産や生命保険金を当てにするのが
ごく自然にあり得る事なのだから・・・。
随所に黒白の小さなサイズでニュース映像が挿入される。
ラストのエピローグでは、ラジオ解説者の役で
マーティン・スコセッシ監督も登場して、
軽口のような饒舌さで、事件の顛末を語る。
戯画化されたそれは、無声映画の解説のようにユーモラスに伝えられる。
それにしてもスコセッシとディカプリオの6作目のタッグとなった本作。
2人はお互いの信頼と絆がお互いのチカラを最高に引き出すことを知る
最強のパートナーである。
アメリカ近代史の汚点である先住民族迫害の歴史。
世界を見ると、
スペイン人に滅ぼされたインカ帝国、
日本の北海道に住んでいたアイヌ民族、
オーストラリアのアポリジニ、
北極圏のイヌイットやアリュート、
先住民が人口の60%を占めているの南米ボリビアなど、
もある。
それにしてオセージ同士で話すインディアン語。
その意味の分からない言語がもたらす《響きと神秘性》
それがこの映画に途轍も無い恩恵を与えている・・・
そう、私には思える。
観ごたえがあることは認めるも いかんせん、やはり長い事は否めない
監督も俳優陣もお気に入りだし、当然興味を惹かれるので、気合を入れて鑑賞に臨んだものの....
冒頭で「駄目かな...」と感じつつも、観進めていくと段々と引き込まれていく感じになって、前半は「流石だな」と、良い感じだなと。
特に、丁度マット・デイモン似の(幼少時代役やった事あり)ジェシー・プレモンスが登場して、後半の事件の解明に動き出す辺りまでは面白かった。
普通、この事件の解決に向かう段階から”様々なことが明らかになって”終盤に向けて面白さが増して行くような展開を期待したいところだが、そうでもなかった。
そこから後半で、段々と”眠い目”状態に陥ってしまったのであった。
映画自体のことで言うと、
主演の二人は、特に近年流石な感じのレオナルド・ディカプリオ氏は今回もやはり良かったと思うが、その役柄的に残念ながら観ていて良い気分ではなかった。
ロバート・デ・ニーロ氏については、まあ、もはや「貫禄」って感じで、それ以上の”特別感”はどうかな?、と。
あと、登場人物が多いが、出ずっぱりではなく長時間に渡るため、理解(認識)しきれず。
それに加えて、「最後の最後に登場」状態の”ラジオ番組のプロデューサー =マーティン・スコセッシ”登場は、明らかに出しゃばり過ぎで余計の、興醒めでしか無い。
お陰でさらに、全体として、方向性がなんか変な感じになった印象を覚えた。
それと、Apple TV+が関わっていることで、初めから「配信ありき」の作られ方のような印象も。
例えば、大失敗作となった『天国の門』などのことを考えると、歴史上の出来事(の一部)を題材に描く長尺の大作作品として、あえて大型スクリーンでの鑑賞を切望したくなる”絵巻”とは違い、家庭用の受信媒体で見栄えすることも十分に考慮されて(寧ろそっちを重視?)いるかのように思えてくるからであろう。
(逆に『天国の門』はそれでも観に来てもらえずの結果となりましたが。)
個人的には、同じデ・ニーロ出演作品でも、表面上だけでない、むしろ人間の内側の”非情さ”、”残忍さ”までも突きつけて来たような、セルジオ・レオーネ作品の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のことを、今更ながら思い出してしまいました。
こちらは、長尺の大作作品らしく大型スクリーンでの鑑賞には見応え十分なスケールの作品でもありました。
更に、初期公開時の米国編集された「短縮版」以外に、「オリジナル版」、リバイヴァル公開「ディレクターズ・カット」(イタリアTV放映バージョンは4時間とも)という今作もビックリの長時間版まであったが、観ていてダレを覚えたことは無かった。
音楽のことに触れておくと、この『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』はエンニオ・モリコーネ氏の音楽もまた素晴らしかったが、今作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は、ザ・バンド解散の『ラスト・ワルツ』からマーティン・スコセッシ繋がりの、つい先ごろ亡くなった”元ザ・バンド”のロビー・ロバートソンによるものであり、恐らく今作が遺作となったと思われます。
あの世では、「生前確執のあった」ザ・バンドのメンバーたちと和解して、元のように仲良く、かつ穏やかに過ごされることを願うばかりです。
理解出来てないのに何故かつまらなくない
3時間半近い長尺をかけて、オセージ族の連続殺人事件と、その背景に潜む白人の企みをじっくり描いたサスペンス。
登場人物も多く、事件も複数起こり、心情や思惑も様々なので、半分くらいしかちゃんと理解出来た気がしません。
アーネストはどこまで分かっていたのか。
ヘイルが目指したのはただの金儲けなのか。
モリーは何を思ったのか。
もしかすると私の理解は全く的外れかもしれない。そのくらいまだ咀嚼の余地と、理解を深めることで感想が変わっていくであろう作品。しっかり理解ができていないし、派手さはなく長尺、それでも面白いと思えるのは巧みの技がゆえ。
壮大なオクラホマの自然を目と耳で感じ、なんとも言えない余韻を抱え、劇場を後にしました。
やっぱりこの監督は長い
ウルフオブウォールストリートの時に思ったけど、この監督さんは本当に長い!!
しかし、見終わってからは疲れた感じもなく作品がスムージに進んだからだろう。
映画の中に映る女優さんはなぜこうも魅力的に映るのだろう。艶かしい色気が映画館全体を覆っていた。
まさに目には目を歯には歯をという、人間悪いことしたらその清算をしないといけない至極真っ当な世界を映し出していた。だから長い。
2023 161本目(劇場14作目)
ゴールデンタッグ。つまらないはずがない。
作品はドラマだし、長尺だしどうかと思ったが
ディカプリオの素晴らしい演技を観るだけでも価値十分でした。
デ・ニーロの演技も良かったがやはりディカプリオの前ではかすみました笑
あと何作、スコセッシ×ディカプリオが観れるかわかりませんが次作も楽しみです
重く、長い
スコセッシ作品にディカプリオとデ・ニーロで期待が大きすぎたかも?
もう少しハラハラドキドキするかと思ったけど、途中少しダレた。
力作ではあるが、3時間半乗り切るには重かった。
演技や風景の描き方は素晴らしいし、劇場で観る価値はある。
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