オオカミの家のレビュー・感想・評価
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あの台詞は観客に向けて…?
初見は事前情報なし、2度目はパンフと考察サイトを見て鑑賞しました。
美しく不気味にうつろうアニメーションと随所に散りばめられた不穏な音が異様な雰囲気を盛り上げていて、それだけでこの作品が好きになりました。
ストーリーは初見はカオスで、特に一体誰がオオカミなんだー???状態でした。情報を仕入れると登場人物の関係性が入れ子構造になっていたとは。(共同体の指導者→少女↔子ども達)
内面化された価値観から逃げられなかった少女が痛ましく、また国や家族など、所属している集団の価値観を多かれ少なかれ内面化している自分も他人事ではないと思うとホラーです。ラストの台詞はそういうことなのかなと感じました。
コロニアル・ディグニダ・・?
制作十か条にどんな映画か集約される
悪夢のような世界を追体験
家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。
二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の「マッドゴッド」以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。
ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。
物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。
鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。
製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。
また、映画上映の際には同監督作の「骨」という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。
斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった
まず、1901年に制作された作品『骨』が上映されたが、家の中でいすに腰掛けていた女性の人形が失われ、地面から骨が発見されたりの繰り返しで、言いたいことがよくわからなかった。
『オオカミの家』の解説を読んだうえで、ナチスの残党がチリにやってきて、極秘の少年監禁施設をつくったことと関係のあるものだという情報は受けていて、同じ題材での2015年制作の『コロニア』を観ていて、エマ・ワトソン氏演じる航空機客室乗務員が、監禁された恋人を救出する活躍作品の展開を思い浮かべていたが、本作では、やはり女性が主人公で、監禁から逃げてきて、小屋に籠もり、ぶたを人間にみたてて飼い始め、追っ手のはずのオオカミの脅迫を拒絶して、「尊厳」を以てぶたを人間らしく育てようとするのだけれど、上手くいかず、便器に座り込むばかりで、次に色づいていき、言葉を話すようになるのだけれど、食糧探しに出かけることに反対され、自分がベッドに縛りつけられ、食べられる恐怖を感じたところで、自分にとって脅威であったオオカミの力を借りて、世話をしてきたぶたを滅ぼし、元いたコロニアに戻り、冒頭で素晴らしい施設だと宣伝されていたのと同じく、素晴らしい施設がまた存続していく結末になっていて、批判するような解説は全くなく、この恐ろしい監禁施設を肯定する話で終始していたので、アニメーションの制作方法としては斬新なのかもしれないけれど、退屈で有害な作品だとしか思えなかった。
一体お金を払って何を見せられているのか…
事前情報なしだとさすがにわからない
とあるコミュニティの宣伝映像という形で作られた、ということですがこれを見て、そのコミュニティに参加したいと思える人間いるのでしょうか?隠喩暗喩だらけなんだろうと感じることはできても、どう見ても不気味なおかしなコミュニティに洗脳もしくは縋り付くしかない極限状態というのが伝わってくる。これがある程度コミュニティに染まった状態なら、より理解と共感できるのかもしれない。
そもそもが不気味な映像としか言いようがなく、心理的抵抗というか染まってたまるかという反抗心が始めから芽生えるのでこれはプロパガンダ映像としてはダメダメのダメなんだけど、こんな映像ですら素晴らしいと感じるイカれた感性に染まったコミュニティというのは伝わって来た。何回か見ると印象変わるかも。変わりたくないが。
マリア。
異様なビジュアルに奇異的な着想。よくこんなのを作ったもんだの前に…どうかしてるぜ!w
ミニシアター系で話題となり、「ミッドサマー」の監督、アリ・アスターが絶賛した作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ストーリーは最後まで観るとあぁなるほどね。となるけど、…あんまりよく分からんと言う感じwだけど、どちらかと言うとこの映像美と言うか、ビジュアルセンスを楽しむ感じの作品かなと。
チリの2人組監督クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャが1970年代にチリに実在したチクアウグスト・ピノチェト軍事政権下のカルト・コミューン「コロニア・ディグニダ」に着想を得て制作したとされるストップモーションアニメで独特な映像センスに何処か奇異に映るビジュアルと雰囲気に加え、カルト・コミューンからの着想を得ているだけに何処かそら恐ろしさを感じる。
ストップモーションアニメとして様々な手法で表現が取り入れられていて、そこに二次元・三次元が組み合わさっていて、クレイアニメもあれば、グラフィティや切り絵、ガラス絵手法と様々な手法での表現演出の要素が取り入れられていて、そこにオドロオドロしい異様なビジュアルで構成されている。
ハマる人はドハマりするだろうけど、観る人を確実に選ぶだろう。
寓話的エピソードにいろんな宗教的エピソードとメッセージ性を漂わせていて、おとぎ話的な感があるけど、まあ、このビジュアルにアカンと拒否する人もいるかと。
何処か可愛らしさも感じながらとリアル感もあるし、ラクガキや本能的直感映像を感じさせるからか、まあ異様ですよねw
特にトイレのシーンと劇中のゴキがリアルでキモい。
生理的に受け付けない人もいるかと。
あと、劇中で「マ~リ~ア~」と響き渡る声が怖いんですよね~。
元となったコロニア・ディグニダは長きに渡って拷問や性的虐待、殺害をもって運営を続けたカルト団体らしく、治外法権と存在し、「国家の中の異国」「法律が及ぶのはコロニアの玄関まで」と様々な曰くがあり、そんなカルト団体から着想を得て、こんな作品を作り上げるとはなかなかなクレイジーっぷりw
アリ・アスターが絶賛と言うのも“ああ、アリ・アスターなら喜びそう♪”と納得w
終始気味の悪い雰囲気が漂い、結末はコミューンでの様々な切り口での結末と教訓が組み込まれていて「普通に生きるのだって、なんらかのコミューンの中」と考えると道徳的とも言える。
まあメッセージ性は後付けにしても、ビジュアルで好き嫌いは分かれるけど、観ないことには始まらない訳で観た上で嫌いと言う判断もある意味正解w
個人的には同時上映された短編作品の「骨」の方が気になる。100年以上前の作品として発見され修復されての上映とは言え、よくこんな作品を作ったもんだと感心。
勿論、それはこのオオカミの家にも言える事ではありますが、“まぁ、よくこんな作品を作り上げたもんだ”と感心しきりw。
興味があれば是非観てみては如何でしょうか。
不気味かつクリエイティブ
あえて映画の元ネタになった事件の予備知識を入れずに鑑賞したが、なんとなくどんな事件なのかがわかるような気がする。
古びた部屋の壁に描かれるアニメーション、少しずつ浮かび上がる登場人物、不規則な動き、歪な大きさ、閉塞感とざわざわした不安を感じさせる。
「黒い目は獣の目。知性がなくてかわいそう」などという強烈な差別意識と独善的思考。マリアの目を通して見えている豚。豚は本当に豚なのか。自分たちの言語が理解できない、自分たちの生活様式と同じではない者を人間としてみていない。
ただあくまでもマリアは心優しいマリアとして描かれているところ、終盤のペトロとアナの目が黒目に変わっていることを考えると、これはプロパガンダのパロディ映画なのでは?スターシップトゥルーパーズ的な。「黒い目はやはり獣」であると製作者は肯定していることになる。あまりにもインパクトが大きすぎるアニメーションなので冒頭をつい忘れてしまったが、まず始めにコロニーのイメージビデオが映し出され、その後にマリアが主人公のアニメーションが始まる。コロニーで作られた物語と、実際の事件を混ぜ合わせたような映画だとわたしは思う。
とにかく悪夢のようなアニメーションだと、いろんな方々が表現しているが、わたしもその言葉が一番この映画を表す言葉だと思う。
斬新な表現方法だしテーマも興味深い映画でしたが、少し酔いました。
ストップモーションアニメの可能性
チリにあるナチスの残党が創り上げたカルト団体、コロニアディグニタを皮肉った作品。作品冒頭ではいかにも現地のチリで友好的に受け入れられているとアピールするが、実際は拷問、性的虐待、人体実験とまさにナチスの専売特許をこれでもかと行ってきたような恐ろしいコミュニティ。
同じドイツ系のアーミッシュとはえらい違いである。ちなみにエマ・ワトソン主演の「コロニア」でもこのカルト団体が描かれている。
本作はこのような恐ろしいカルト団体から脱走した少女が見た悪夢を映像化した作品。オオカミとはまさしくこのコロニアディグニタのことを指すのだろう。
逃げ出して自由になったと思われた少女も結局このカルト団体で受けた精神的束縛から逃れられず、空き家での生活も悪夢にさいなまれ続ける。そして最後には引き戻されるという絶望的な結末で終わる。
下手上手漫画というのがあるけど、本作はまさに下手上手アニメーション。あえて雑に作ることでそれが逆に味わいのある作風になっていて、また不気味な雰囲気も醸し出している。
ただ、正直言って予告編で受けたインパクトがピークだったかな。本編はちょっと退屈と感じてしまった。
それでも、作り手のイマジネーション次第でストップモーションアニメの可能性はまだまだ広がるということを知らしめた作品ではある。
貰った分しか与えられない
開始数分で鳥肌が立ちました。
私はストップモーションアニメを片手で足りる程しか観たことがなかったので、このような観せ方があるのかと。
公式HPも一切観ず、YouTubeの予告動画から予想していたテーマは三匹の子豚のみだったので観終わった後コロニア・ディグニダについて調べると、映画そのまま。事前知識があればより一層楽しめたのではないのか…否、後に視聴者がテーマの存在に気付き調べる事で知らなかった歴史や世界に触れる事は大事な良い機会だと思うのでNetflixのドラマなどを今後観る予定です。
まずコロニア・ディグニダ(WWII後にナチス残党がチリに作ったドイツ移民農場)について、これは先程述べたように観賞後に存在を知りました。
"尊厳のコロニー"まず名前がとても良い。
そのコロニーで崇めてる神の次に偉いのが少年に性的暴行を行うペドファイルであり、この作品内でマリアを探すオオカミ。
登場人物達の名前は監督お二人がカトリックのミッションスクール卒というのを考慮すると、
マリアはそのままイエスキリストの母。
ペドロは新約聖書の使徒ペトロ、岩の意、彼は天の国の鍵を持つ。
アナは悩んだけど内容を考えるとアナパブティスト(再洗礼)が由来なのかと。
マリア(イエスキリストの母)が新しく手に入れた家族/コミュニティが"天の国の鍵"と成人洗礼="自分の意思で決めた信仰"で成り立つとすると話は分かりやすい。
マリアはずっと閉鎖的コミュニティ/自分の意思を持てないコロニーで生活してきたので、外に出て新しい家を見つけ家族やコミュニティとなる豚達と出逢おうが"対等のコミニュケーション"は取れない。
生まれながらにしてコロニーで受けた経験が彼女に刷り込まれているから結局、支配されるかするかの二択。所謂、白雪姫症候群。
作中でもマリアは林檎食べてたし、少なからず意図してしているとは思う。
人間は経験した事しか出来ないし、他者からされた/貰った事(愛情や憎悪などの感情を伴う行為や言動)しかその他の誰かに与える/施す事は出来ない。
だからマリアは外(オオカミ)への恐怖心を煽りペドロとアナを支配し、家に閉じ込め、時に蜜(薬物)を使用し自分に従わせた。
コロニーでマリアがオオカミにされたこと、そっくりそのまま。
"愛"とは"親"とはなんなのか分からない。彼女は支配しかされた事がないから支配しか出来ない。
豚達の親になりたいけれども"無償の愛"というモノを知らないので言葉や所作を教えても一切身にならない事に、見た目に、行動一つ一つに、マリアは次第に苛立ちを募らせる。
全て真似事でしかないけれど、マリアはそうされた事しかないから仕方ない。
"天の国の鍵=マリアが作る新しいコロニー/居場所"であり"自分で選んだ信仰=マリア自身が教祖/親"となるはずだった1人と2匹の生活はそう上手いようには行かない。
だってペドロとアナはヘンゼルとグレーテルだったんだもん。
だからこそ後半で豚達の明らかな反発反抗に対しマリアのなんとも言えない反応は観ていて面白かった。経験した事ないことに遭遇すると唖然とするしかないよね、分かる。
声を振り絞りオオカミさんにドイツ語で助けを求めるマリア…なんて滑稽!まあでもこれが貴女の"再洗礼"ですね。自分で選んでるし。
オオカミさんはその点、沢山経験されているでしょうからマリアを最後の最後まで助けてくれるし超優しい〜!
一回脱走してても再び迎入れる懐の深さ、宗教やカルトの長の有るべき姿をしていて理想of理想。愛とは赦すことですからね。
あと作中に散りばめられた不安を煽る要素、最初から飛ばし過ぎでは?
・ナチスを表す十字
・マリア自身の姿→精神的な不安が本人の身体の形に現れる=ずっと定まらない、
・壁に映されるオオカミの目、声のトーン、話す内容など
・家の形の鳥籠、黄色の鳥
・読み聞かせの本の内容
・蜜→コロニー在籍時の洗脳のために使用されていた薬物
・蜜を塗ったり飲ませた後の豚達の容姿の変化→自分の思い描いた通りになる=洗脳成功の具現化?
・トイレに座るマリアに手が触れてくる→コロニー在籍時の性的虐待?
他にも沢山あったはずだけど思い出せないのがもどかしい。
最後に
「お前」って急に言ってくるオオカミさん。
そうでした、貴方がコロニーのお偉いさんでしたね。一応、プロパガンダのていで作ってる映像のラストでお前とか言っちゃうあたり最高です。
マリアを絶対に見捨てない、最後まで誠心誠意探し見つけ彼女に見合う労働も与えた旨、またペドロもアナも木になった=信者に迎え入れた意味だと思うので、そちらも重ねてとても素敵です。信者は多ければ多い程、良いですからね。
監督であるレオン&コシーニャのお二人は今作で初めて知りましたが、とても好きなテーマや世界観だったので過去作も、これからの作品も追えるよう常にアンテナを張りたいと思います。
円盤の発売が楽しみです。
インスタレーション・アート
現代芸術には社会問題や政治問題を積極的に表現する手法も大事な特徴である
それさえも内包する美の恐ろしさを体現できる作品であった
チリと言えばコンビニ等で販売してるチリワイン『アルパカ』、そしてサッカー強豪国 世界でも特異な国境の形を成している処として、文化や思想も実は深い闇が見え隠れしていることだろう それは歴史的にみても、世界中に存在し続ける『独裁者』の一人が君臨していた場所であることから容易に想像出来る
そして、同じ狢の一味が逃げ込んだ場所も又同国 それは搾取の上に成り立つ地獄という名の"コロニア・ディグニア" 少年少女に多大なる傷を負わせたこの団体も又現存していることの不思議さ そんな団体のフェイクPRの形式を取った皮肉さにも又アイデアの素晴らしさを感じる
クレイアニメ(紙粘土)、壁画等をストップモーションアニメでぐいぐい推進していくストーリーテリングが、強力な劇判と異様な効果音とも影響し合い、異形な映像へと変貌する様は、畏怖の念すら感じざるを得ない 気の遠くなるような画像数の編集、延々と繰広げられるストーリーには関係無い、アニメ制作上生まれる作業音、時折みせる性的な姿態の印象の植え付け そんな数多くのエフェクトや印象シーンをワンカット映像の体で、休み無くスクリーンを暴れまくる様は、脳の酷使が甚だしく、途中何回か意識が遠のいた程である それは寝る前に歌われる呪われた子守歌の仕業かもしれない 観客にさえも洗脳を施しかねない危険な芸術作品、十二分に堪能させて貰った
難解さがより不気味さを際立たせる
予習必須の映画
予備知識なしにみたらワケがわからないが、「コロニア・ディグニダ」事件をアタマに入れてみると、そのものズバリ。
ナチスの残党がチリに逃げて作られたコミュニティー、独裁者パウル・シェーファーの支配のもと、洗脳、強制労働、密輸、拷問、殺人、性的虐待、児童虐待などが行われていたカルト教団、「コロニア・ディグニダ」。
ここから逃亡した子どもたちの証言で、この集団の内情が明るみに出たらしい。
「世間から誤解されやすいドイツ人コミュニティー」の美しい教えに反発して逃亡した怠け者でわがままな少女マリア。
3匹の子豚(子供)に逃げられた(手を貸した?)ことで「お仕置き」されて自らも逃亡を図り、潜伏する隠れ家を探してそこに隠れていた子供二人と合流、ちょっとの間幸せ気分で暮らしていたが、浅はかな彼らは食糧不足で内輪もめして、食われそうになったマリアは結局、偉大で心が広い「オオカミ」パウルに助けを求めてコミュニティーに戻り、戻った彼女はその後、反省して従順で積極的なコミュニティー協力者になるという、コミュニティーの寓話風「プロバガンダ映画」の体。
不穏でおどろおどろしい画は、プロバガンダ側が作ったマリアの心象風景、(当然彼らの精神的異常性ダダ漏れ)と解釈していたら寝落ちしないで済んだかもしれません。
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