「熱烈ジャンプ!そして哲学する身体」哀れなるものたち talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
熱烈ジャンプ!そして哲学する身体
前半はケン・ラッセルが作ったような映像で痺れた。衣装も室内装飾も家具も小道具も建築もリバティ・スタイル、アール・ヌーボー、ゴシックが混淆して、空の色も海の色も音楽もどぎつい悪夢のようだった。カメラが魚眼レンズみたいで自分の目もぐるぐるした。
哀れなる複数形:Poor THINGS。ゴッドは父親による荒療治で哀れなるものを持っていない。持っている者は仕事に邁進し感情を抑え他者を束縛し他者の快感を禁じ「自分の」子どもを生ませることが第一と思いこんでいる哀れな複数形。マイ・フェア・レディがどこかに居ると夢想している哀れな複数形。
ベラはピグマリオン効果からも自由、完全に解き放たれている。私のすべては私のもので誰かのテリトリーではない。自分で気持ちよくなれることも方法も知っているし、選ばれるのでなくて自分が選ぶ。男性がリードするのが決まりの社交ダンスでもベラは一人で自由に踊る。
エマ・ストーン=ベラの濃い眉毛に漆黒の長い髪はフリーダ・カーロのようで暑く熱い。知性と感性がどんどん磨かれて瞳の力も強くなる。ハンナ・シグラ(何歳になっても素晴らしい。俳優だからこそ顔をいじってはいけない)が演じる"なんでもどんとこい”マーサとベラの出会いと会話はとても笑えた。ベラはマーサから、言語化する自由、読書の楽しみ、豊かな語彙、批判能力を素早い速さで吸収した。そして死なざるを得ない多くの子どもたちに対する想像力と悲しみをもう既に自分のものとしていた。
おまけ
色んな方々のレビューを拝読し不完全でも自分の考えをまとめたくなりました。この映画で最も大事なテーマは女性のセックスです。そのシーンが多いのには理由があります。ベラはいやいやでなく思わせぶりも焦らすことも媚びることも挑発も形だけの恥ずかしポーズもしません。したくなったら「熱烈ジャンプしよ!」と自分から相手に言います。思いっきり気持ちよくなって楽しみます。相手が休憩必要になったら、そうなんだ、と学習して無理強いしません。自分の体のこともよくわかっています。いきなりの人にはもう少し私の方の準備が必要なのでは・・・と言います。社会(異性愛男性メイン)が形成した枠組みに閉じこめられ内面化した人達に向かって、縛られなくていいんじゃない?自分が選ぶことじゃない?とベラは言ってる気がします。自分の体が感じることを禁じる他者は一体どこからそんな権限を得ているのでしょう?以上のことを全部伝えるには山ほど多い裸シーンは必然でした、壮大な旅と人との出会いと共に。
絶望して一度自殺したベラがその絶望の理由を知らなければならないのは、聡明に成長した彼女にとって避けて通れないことでした。だから以前の夫の元に一旦戻ったのです。このお話の最初から最後までが理路整然、私たちに大きな笑いと大きなメッセージをプレゼントして貰った思いです。
talismanさん
本当だ!
アカウント、繋がったのですね ✨
『 おまけ 』、恐らくそういう事だったのでしょうね。
なんとなく感じていた事を文字で読ませて頂き、より理解が深まったように思います。有難うございます (^^)