「魚眼レンズのような映像の意味(自己考察)」哀れなるものたち みそのぐさんの映画レビュー(感想・評価)
魚眼レンズのような映像の意味(自己考察)
始まりはモノクロ映像から始まり、なぜか周りの背景がハッキリせずぼやけてて、魚眼レンズで撮ったかのような映像が続く。
これが意味するのは、主人公ベラの成長の象徴ではないかと主張したい。
人間の始まりは赤子であり、視野はとてもせまく自分の見たいものを見る。
成長するたびに
知恵を蓄え
その次は興味関心が訪れる
そして見たくないものも見るようになって
自ずとも視野が広がり、視界がクリアになる。
劇中でも、魚眼レンズの歪みがだんだんと収まり、
最後にはその歪も無くなっていた。
ベラが“世界を自分の目で見たい”という大冒険の様子を映画を見ている私たちにも、直で届けているような映像の工夫にドキッとさせられた。
あくまでも自己解釈だが、このような観点で見るとより面白い。
ベラの大冒険は展開が読めない事が多くて、時間がとっても長く感じた。
終わり所が見えなくて、でも飽きさせない簡潔なテンポにカラフルで見たこともない世界観に魅了された。
自分の疑問にいつも貪欲に対話し、答えを見つけては
また疑問が現れ、納得のいく言語化を当てはめ、
また次へと。
この過程でベラ自身が得た経験と知識が増える事に
言葉数が増え、相手の図星をついたり
上下関係が真逆になったり、
ベラが発する嘘偽りない言葉だからできたことである。
いつも映画は考察したい派だが、本作では全て自己完結済みなので少し物足りなさもあった。
見る時はものすごく心身ともに疲労し、1人の大冒険にしては、おかず山盛りどんぶりご飯だったので、1度でもう満足である。
自分を形作るのは“自分自身しかない”と教えてくれた作品だった。
ごちそうさまでした。
トミーさん
映画は神の視点、この言い換え初めて聞きました!確かに、カメラを通じた監督さん(造り手)の目線とも言えますね。そこから更に映像に手を加えるのは、監督の頭の中にある映像に近づけされるためのひと工夫みたいな感じかな?と思ったりもします。
talismanさん
そうだったのですね!ヨルゴス・ランティモス監督のこだわりでしょうか?監督の意図も気になるけど、受け手に違和感を与えて考えを促されてるようで、面白いです。