「哀れなるものたち」哀れなるものたち ヤマナさんの映画レビュー(感想・評価)
哀れなるものたち
ある科学者の実験から生まれたとされる妖怪人間ベラの望みは「早く人間になりたい」。そのために鞭を振るったり、手首を動かしたりして、悪い妖怪や悪人と対峙する。では、こちらの科学者から生み出されたベラの望みは?「世界を自分の目でみたい」ってこと。それって弁護士ダンカンによって、あっさり叶えられるね。ちなみにダンカンのやっていることは、この時のベラの状態から考えると、幼児もしくは未成年者誘拐及び淫行以外の何者でもないから。そして、もっと学びたいと思ったら、都合よくマーサやハリーと知り合い、哲学や読書を教えてくれる。パリで無一文になったら、意図も簡単に娼館で働け、しかも社会主義者になったり大学で医学まで学んだりもできちゃう。船上でダンカンに読んでる本をほかされても次の本をマーサが渡してくれるように、望むことは大概は周りが叶えてくれる。ベラが自分から何かを成し遂げようと孤軍奮闘する姿は全然見られない。その醜い姿のため、疎まれ追われ、それでも人間を助けようと旅をする妖怪人間ベラ。対して、こちらのベラの‘冒険’の何と薄っぺらいこと。ロンドンの家から出たけど、リスボンのホテル、船の中、パリの娼館と常に限られた空間の中だけ。それも限られた人とだけ。エマ・ストーンは、こうした出会いを通じてベラはどうすれば社会に役立てるのか、世界のためになにかを作り出せるのかを考えるようになったと言っているが、そうかなあ。アレクサンドリアで多くの赤ん坊が死んだことを知った時は人のお金を渡しただけだし、娼館では「女性が選ぶシステム」を提案するも、具体的にどんなシステムかを考えることもそれを実現化することもしない。タトッーやり手ババアにあっさりと懐柔させられる。気がつけば、どっかへ行ってしまう。アレクサンドリアでは多くの赤ん坊はこれからも死んでいくし、パリの娼館では、女性たちは自由意思なく男性に選ばれ続ける。何も変わらない。少なくとも妖怪人間のベラの方は、悪い妖怪や悪人を退治していったぞ。結局、ベラのしたことって、元旦那を山羊人間にしただけ。それって、元旦那がベラにしようとしたことと同じじゃないの。パンフレットに書かれた自分の力で真の自由と平等を見つけた結果がこれなの?エキセントリックな人物や壮麗な美術などに飾られてはいるが、中味は退屈な話。哀れなるものたちって、こんなものを高いお金を払って2時間以上も見せられる我々観客のことか? と、長々と拙い文で文句を書いたが、見に行く価値がないのかと言えば、そうではない。傑作だと言う人もいる。それはそれでいい。いろんな見方が出来る映画だから。出来れば、友達や恋人、夫婦など複数で見に行って、見終わった後、意見を交換しあったらいいと思う。それでお互いをもっと理解することが出来るなら、それも映画の魅力のひとつだから。