「生まれ変わるものたち」哀れなるものたち 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
生まれ変わるものたち
ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。他、多数。
先日発表されたアカデミー賞ノミネートでも11部門。
奇才ヨルゴス・ランティモスが『女王陛下のお気に入り』で組んだエマ・ストーンを今度は主演に迎えて。
そう、ランティモス作品。一筋縄ではいかないのは見る前から想像付く。
今回もまた。概要はズバリ、女版“フランケンシュタインの怪物”。
作風もビジュアルも期待通りの。つまりそれは、好きな人には好きでダメな人には全く。今回もはっきり分かるだろう。
確かにまたまた異色作だが、描かれている事自体は意外やシンプル。これまでのような難解さナシ。
元々『フランケンシュタイン』が好きな事もあり興味も惹かれ、ランティモス監督作の中ではお気に入りになった。
ダーク・ファンタジーでもあり寓話でもある。
入水自殺した若い女性、ベラ。
マッド・サイエンティスト、ゴドウィンによって蘇生。命を絶った時身籠っていた胎児の脳を移植されて…。
ゴドウィンの屋敷には頭と身体は元々別の繋ぎ合わされた珍妙な動物たちが…。衝撃とキワモノ感しかしないが、不思議と我々はベラと一緒になって、ベラが知っていく感情や世界や冒険や成長を体験していく。
蘇生したばかりのベラ。胎児の脳を移植されたので、日本で超人気の名探偵の逆バージョン。
言葉も喋れない。おぼつかない足取り。排泄も一人では出来ない。感情を伝えるには赤子のように声を上げるだけ。
食欲はある。好き嫌いはあるようだが、“食べる”という欲は人間が生まれながらに持つ本能。
次第に人間らしく。人間らしくというのもアレだが、言葉も喋れるようになり、喜怒哀楽もはっきりと。でもこの喜怒哀楽もその意味への理解はまだで、ただその時の感情を表す手段として。例えば、馬車から降りて外に出たいのにダメと言われ、子供のように泣き喚く。
少々、残酷さもあり。小動物を殺す。他への興味も人間の本能。
食べる。寝る。そしてベラはまた一つ新たに見つけた。
感じる。
感受性…ではなく、性欲。一度死んだ身体にも伝わる気持ち良さ。
その先に種の存続もあるが、性欲だって恥じらう事ない人間本来の本能。そうやって私たち人間は遥か昔から存続してきた。
ゴドウィンを“父/ゴッド”とし、助手マックスと婚約し、ベラは屋敷という鳥籠の中で、ツギハギだらけの小鳥として生きていく筈だったが、思わぬ急変。
放蕩の弁護士ダンカンと出会い、彼に誘われるまま、駆け落ち。
世界を見、自分探しの旅へ。
ここから白黒からカラーへ。映像の切り替わりもただ単に過去/現在ではなく、外の世界や自由や広がりもあるようだ。
どうやらダンカンの狙いはただの性欲満たしなだけのようで。
ヤリまくり、ヤリまくり、ヤリまくり…。
エマ・ストーンが初とも言えるフルヌード&激しい濡れ場。喘ぎ声に悶絶。18禁も頷ける。
が、ただのエロ映画ではない。旅の最初の地、リスボン。
ここでベラが知ったのは…
外の世界の美しさ。この後他にも世界の街に赴くが、ベラが初めて見た外の世界という事でその美しさは出色。リアルというより、不思議の国に迷い込んだアリスのようなファンタスティックさ。
映像、美術、エマが着こなす衣装…ビジュアルは秀逸。
街中で聞いた歌声。それに魅了される。
物事の認識、話の受け答えなど徐々にはっきりと。ディナーの席でまだまだマナーはなっていないが、何だか痛快でもあった。
ダンスも踊る。身体を駆け巡るこの躍動。
豪華客船にて。
老婦人と哲学者と出会う。
二人との会話の中で…。
見る/知るだけじゃなく、学ぶ/考える。
二人とのやり取りもなかなかのもの。皮肉屋の哲学者とも。
別れ際の言葉は皮肉屋のこの哲学者を感心させるほど。
赤子のようだった頃とは大変な違い。学び、成長していくも人間の欲する本能だ。
パリ。
この頃、ダンカンとの仲は険悪。
ダンカンは金を無くし、言動も荒れ、ベラに当たる。
ここでベラは驚きの行動。ダンカンに見切りを付け、一人で旅を続けるという。
今までは誰かがいて、従ってきた。もう必要ない。一人で出来る。その機会、挑戦。
決断するという事を知る。
自立するという事を知る。
まあその方法が、若い女性ならばのアレだが、自由や解放、お金を稼ぐ、一人で生きるという事を知る。
その“館”で、他の女たちとも交流を育む。
帰ってきたベラ。
ゴドウィンは病が…。マックスと結婚を。
『フランケンシュタイン』な話で、ハッピーエンド…?
その時、“意義を唱える者”。
元夫だという。ベラ…元の名前はヴィクトリア。死ぬ前結婚していた正真正銘の元夫だった。
ちなみにこれは執念深いダンカンの差し金。
ベラは一旦結婚を中止し、元夫の元へ。
人は時に、過去と向き合わなければならない。
自分に何があったのか。
それを乗り越えずして、新たな幸せは手に入れられない。
すぐ分かる元夫の本性。軍人で、暴力的で支配的。
逃げたって捕まる。逃れるには、もう命を絶つしかない。
それが私の終わりであり、始まり。
以前の私はか弱く、無理だったのだろう。
しかし、今は違う。見て、知って、感じて、学んで、考え、広めて、決断して、自立して、臆する事なく向き合って。
私はもうか弱いヴィクトリアじゃない。
ベラだ!
140分強、エマ・ストーン劇場。
大胆シーンも含め、キワモノ的難しい役所を見事に。
赤子のような序盤から自我と自立した女性を、もうただただ圧巻…!
さあ、2度目のオスカーなるか…!? 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』リリー・グラッドストーンと一騎討ち状態だが、果たして…?
助演陣もインパクト。見る前はウィレム・デフォーがサイコで、マーク・ラファロがサポート役と思ったが、その逆。デフォーは常人離れも含みつつ、生みの親/父としての眼差し。ラファロの愚かさぶりもさすがの巧さ。
一番我々寄りのラミー・ユセフも好助演。
憎々しい元夫。コイツの最後の姿は本作一番の笑い所だった。
下手すりゃヤベー作品になりそうなものを、唯一無二の世界観と演出で陶酔すらさせられる作品へと昇華させたランティモスの手腕。
賛否両論は必至。もうこれもこの奇才の醍醐味だ。
“哀れなるものたち”とは死から蘇生したベラの事と思っていたが、ただそれだけじゃない。
“ものたち”。ベラ以上に、愚かで哀れな周り。
またはその世界。ベラは旅先で、ある惨たらしく悲しい様を見る。
人生を謳歌する者もいれば、その下の下で、這いずり回る者、苦しむ者、夢も希望も自由もない者…。
歪んだ世界、不条理な世界。
これが求めた自由な世界の本当の姿なのか…?
いや、違う。だったらそこから何かをする。動く。変える。
フェミニズム、差別偏見、格差、多様性…。
私自身も世界も、新たな命を持って生まれ変わる事が出来る。
ラストシーンも人によってはハッピーエンドでもあり、衝撃でもあるが、私個人まさかランティモス作品でこんなにもポジティブにさせられるとは…!
近大さん共感ありがとうございます。
刺激が強くて
すごい映画でしたね。
ヤリまくりの辺りから退屈でした。
近大さんは最後にポティディブになれてよかったです。
観る人によってラストも変わって見えますね。
ずっと頭の中に残る作品です。