「エマ・ストーンが全部魅せます!」哀れなるものたち おじゃるさんの映画レビュー(感想・評価)
エマ・ストーンが全部魅せます!
予告は目にしなかったのですが、エマ・ストーン主演ということで注目していた本作。公開1週間前の先行上映で鑑賞してきました。
ストーリーは、出産を控えながらも自殺し、その体に自身の胎児の脳を移植されたことで蘇生したベラが、手術を手がけた異様な風貌の天才外科医ゴッドウィンと共に暮らしていたが、屋敷の外の世界への好奇心が強くなり、偶然出会った弁護士ダンカンに誘われるまま駆け落ちのような形で冒険の旅に出ることになり、道中でさまざまな体験をすることで人として成長していくというもの。言葉で書くと一人の女性のたくましい成長物語のように見えますが、実際の映像はエロくグロく刺激的なものです。
とにかくなんかすごいもの見たというのが率直な感想です。当初は、大人の体に胎児の脳をもつベラが、他者からの刺激を受けて成長する姿を通して、人として大切なものは何かを描く物語かと思っていました。しかし、ベラの奔放な振る舞いに、途中から物語がどこに着地するのか全く読めなくなりました。それでも、ラストではベラの確かな成長と力強さが伝わってきました。囲われて飼われるような生活から抜け出し、外の世界に触れてさまざまな経験を重ね、自我を確立したベラが、かつての自分を自殺に追い込んだ鳥籠とその主人を乗り越え、改めてそこから飛び立つ姿が鮮やかです。
本作は、人としての成長と女性の解放の物語であったと感じます。体の成長に食べ物が必要なように、心の成長には他者との触れ合いや社会経験が不可欠だと思います。そこで、動物としての根源的な欲求を抑える理性、他者に対する配慮、社会の仕組みなどを学びます。そして、それを成長と呼んでいます。しかし、それは本当に成長なのでしょうか、用意された枠組みに都合よく収まるように洗脳されているだけなのではないでしょうか。男性が自らに都合よく構築した社会に無理やり押し込まれる女性にとっては、それはなおさらでしょう。ときにシュールで無礼で奇異に映るものの、一方で既成概念に疑問を投げかけ、本質を突くような鋭さをもつベラの言動から、そんなことを感じます。
映像としては、近代ヨーロッパにシュールなエッセンスを加えた独特の世界が、この狂気の設定によくマッチしていると思います。序盤のモノクロ映像もそれに拍車をかけます。この現実によく似た虚構の世界は、女性に閉塞感を与える現実世界を表すとともに、それは本来あるべき姿ではないのだと訴えるメタファーなのかもしれません。
ただ、全編にわたって性的な描写がふんだんに盛り込まれており、ある程度の必要性は感じますが、そこまでしつこく露骨に描く必要があったのかは疑問です。とはいえ、快楽を知ったベラが好奇心に身を委ね、まるで新しいおもちゃで遊ぶように自らの体を使って実験しているようにも見え、こちらが性的興奮を感じることはほとんどなかったです。あと、時折、覗き窓を見るような画角で、周囲を削ぎ落とすような演出がありましたが、あれはどういう意図だったのか、よくわかりませんでした。
果たして、「哀れなるものたち」とは、男性社会で虐げられる女性でしょうか、そんな社会を作ることでしか自尊心を満たせない男性でしょうか、親の意に沿うように育てられる子どもでしょうか、社会の歪みの中で苦しい生活を強いられる貧困層でしょうか、科学の名の下に命を弄ばれる動物たちでしょうか、愛し合い傷つけ合いながらも結局一人では生きていけない人間という生き物でしょうか。なんだか、この世の中には「哀れなるのもの」が溢れかえっているように感じてきます。
主演はエマ・ストーンで、文字通り体を張った渾身の演技が観客を魅了します。脇を固めるのは、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフら。中でも、ベラに振り回されるダンカンをマーク・ラファロが好演しています。
見方によって評価の分かれる作品だと思いました。芸術性が高い。俳優は熱演。女性の成長と自立。話題性もある。でも、コメディーとして観ると、国民性の違いか笑えませんでした。
そうですね、でも裸状態、セックス状態は必要だと私は思いました。どれだけ、誰と、どんなときに女性は幸せになるのか。一方で、相手によってどんだけ気持ち悪くて「自分が相手を選べませんか?」と言ってしまうベラが素晴らしいと思いました