劇場公開日 2023年9月8日

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「人間の見たくない部分がこれでもかと嫌な感じに描かれるため、イラッとし、心がざわつきます。それでいて鑑賞後の気持ちは悪くありませんでした。」ほつれる 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0人間の見たくない部分がこれでもかと嫌な感じに描かれるため、イラッとし、心がざわつきます。それでいて鑑賞後の気持ちは悪くありませんでした。

2023年9月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 劇作家・演出家として評価が高い加藤拓也監督による、オリジナル脚本で描かれるヒューマンドラマ。
 不倫で壊れてゆく夫婦関係を描く映画「ほつれる (公開中)。セリフのひとつひとつがあまりにリアルで、グサグサと突き刺ささりました。

■ストーリー
 夫・文則(田村健太郎)と冷めた夫婦関係を統けていた絹子(門脇麦)は、友人に紹介された木村(染谷将太)と親しくなります。2人で旅行に出かけた翌口、それぞれ分かれて帰る途中で木村が交通事故に遭います。
 少し離れた場所で目撃した綿子は呆然と立ち尽くし、119番通報をしたものの、状況説明でほいよどみます。そして現場がどこかを告げずに切ってしまうのです。彼を助けたい。でも、不倫が発覚してしまうと思った。綿子はだれかが通報してくれることを願いながら立ち去るのでした。
 密会していた相手を交通事故で亡くし、抜け殼のようになった綿子は不可解な行動をとり始めます。文則は、優しい口調ながら、質問責めで綿子を追い詰めます。
 しかし取り乱したり、怒りや悲しみをあらわにしたりしてもいいはずですが、綿子は言葉少なに、物憂げな表情を浮かべるばかりでした。
 それでも事故後なんとか関係を修復しようと、文則は必死で説得しようとしますが、綿子は応える気がありませんでした。
 一方、木村の妻(安藤聖)も綿子を呼び出して関係を問いただします。変化の乏しい綿子の表情は、実は、不倫相手の木村に対しても、そうだったように、木村の妻や父(古舘寛治)と向き合っても、それほど変わらないように見えたのでした。

■解説
 本作の一貫しているのは絹子の「テンションの低さ」と寡黙さです。表情は作り過ぎず、声は抑え気味で。体温が低く感じる演技を、門脇麦はあえてしたそうです。
 なので密会中、男と女に熱に浮かされた感じはありません。会話のトーンは低温気味。だけれども、分かちがたいつながりが、目には見えないけれども、あるように感じられる2人。不思議な感じに囚われてしまう不倫のお話しでした。

 事故の場面。女が男に駆け寄って、すがりついて、周囲に助けを求めるもの。普通ならそんな場面を想像するのことでしょう。ところが、女は後ろ髪を引かれながらも、現場を離れていくのです。一見、不可解に思えますが、どうでしょう?
 救急要請の電話をかけた時も、彼を助けたいという気持よりも、不倫が発覚してしまうことをを恐れて、場所を言いそびれてしまい、あげくの果てに誰かが助けてくれるはずとやり過ごしてしまうのは、その時は仕方なくても、その後に大きな悔恨の思いを持ってしまうかもしれないのにです。そんなふうに、女の心は揺らいだのだろうと思います。
 そう考えれば、女の行為は謎というより、リアル。とり乱す女の姿を思い浮かべる方が、むしろ、ありきたりなドラマの作法にとらわれているのではないでしょうか。

 若くして演劇賞の受賞歴のある気鋭の加藤監督は、映像世界に新たなリアリズムの風を吹かせ、静かに波立たせるのです。
 劇作家らしく、加藤は繊細なセリフによって、彼らの関係性を説明し、心情を伝えようとします。
 つかみあいのケンカになってもおかしくない不倫劇は、それぞれの俳優が淡々とした口調で、セリフが多め。その空虚な空気こそが、微に入り細を穿ちながら、人間の内面をえぐり出すのです。
 絹子が無言を貫く場面では『無言というのもひとつの答えなのか』と詰問調に畳みかける文則のむなしさ、絹子の表情にいたたまれなくなります。
 しかし、話すのはもっぱら夫や木村の家族で、綿子は聞かれたことに答えるばかりです。ならば、綿子は何も語らないのでしょうか。そうではありません。言葉ではなく、物憂げな横顔やとぼとぼ歩く後ろ姿が彼女の内面を語っているのです。
 観客に、見えるものから見えないものを読み取らせる。いかにも映画的な企てですが、映画畑以外の監督が陥りやすい罠でもあります。映像への期待が過度だと、映像が冗舌になり、説明に堕するものです。本作はその危うさを周到に回避しています。観客は綿子の横顔や後ろ姿を見つめ、内面を読み取るというよりは、内面に触れる思いがするのでしょう。
 綿子の夫は妻の気持ちを読み取ろうとしてすれすれまで迫りますが、心に触れられません。最終盤のスリリングな会話劇の結末に、自然とうなずくことができるかどうか。できなければ、夫と同じということでしょう。
 あえて抑揚に乏しい会話に終始し、糸がほつれていく様子を体現した門脇が素晴らしいと思います。
 門脇は、全編にわたり、綿子が出ずっぱりの映画を、「一人の女性の観察記録のようなもの」と受け止めています。「不倫相手の死とも向き合えず、夫とも向き合ってこなかった。それは、自分自身とも向き合えていないということ。いろいろなことから逃げた結果、自分の感情が見えなくなっている綿子の記録だと思う」。だから、観客には「綿子に共感するというよりも、綿子が生きている時間を共有してほしい」と期待しているとインタビューに答えていました。

【最後に】
 見て見ぬふりをしてきたことの代償は大きいですが、どうにもならないのもまた人生。濃密な84分間です。
 白黒つけずにグレーで済ますこと、正論で追い詰めていくことなど、人間の見たくない部分がこれでもかと嫌な感じに描かれるため、イラッとし、心がざわつきます。それでいて鑑賞後の気持ちは悪くありません。会話劇を楽しんでください。

流山の小地蔵