「彼我の18歳の苦悩に違いがあるとは言えないのかも。」あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
彼我の18歳の苦悩に違いがあるとは言えないのかも。
<映画のことば>
「生き恥」って、どういうこと?
生きていくことは、恥ずかしいことなんかじゃない。
戦時下にあった当時(昭和)の18歳と今(令和)の18歳ー。
今(令和)の18歳は何不自由ないと評され勝ちですけれども。
しかし、各地で開催されるようになってきた「子ども食堂」にも象徴されるように、保護者の雇用の不安定さ=収入の少なさから、食べるものもなく、お腹が空いたら水を飲んで空腹を凌(しの)ぐという18歳も、いないではないと聞き及びます。
(本作で、百合の家庭も、父親が不慮の事故で亡くなってからか、経済的には苦労があったようです。)
戦時下にあって戦役に従事しなければならないことで、その命脈の限りが見えている当時の18歳が不幸で、今(令和)の18歳が不幸でないと、どうして言い切れるでしょうか。
彼我の苦悩には等差はないともいえるメタファーが、そこに描かれていたように思えてならないのです。
そんな境遇からだからこそ、今回の出来事を契機として、そういう境遇に負けずに将来を切り開く決心を固めた百合の決心が、いつそう清々(すがすが)しかったとも思います。
充分に秀作であったと思います。
評論子は。
(追記1)
本作についての世評も、このサイトの大方のレビュアーの評も、本作は「(とくに若い人向けの)反戦映画」という意見が大方であることは重々に承知してはいるのですけれども。
しかし、上記の意味では、背景として戦時下を描いていても、いわゆる「反戦映画」としての色彩は(飽くまでも、それは、いわば対比の一面であって)そんなに色濃くはなかったのではないかと、評論子は受け止めました。
評論子のように馬齢を重ねてきてしまった者から見れば、100年時代とも言われる「人生これから」という、まさにスタートラインに立ったばかりのはずの18歳の悲哀というのは、当時も、令和の今も、そうは変わっていないのかも知れないと言ったら、それは果たして言い過ぎでしょうか。
(追記2)
百合のお父さんは、溺れかかった子供を助けようとして、亡くなったようです。
そのことを批判的に受け止めているかのような百合は、助けようとした子供のことは考えているが、後に残された百合や百合の母親の生活のことは何も考えていないなどと言いますけれども。
しかし、その百合自身が、空襲から逃げ遅れた老人?を、簡単には見捨てることができず、倒れてきたものの下敷きになって、自分が動けなくなったりもしてしまいます。
百合自身が同じ竿頭に立たされてみると、少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、父親とまったく同じ行動に出る―。
「蛙の子は、やっぱり蛙だった」ということなのでしょう。
そう思いました。評論子は。
そして、百合の母親にしても、実は百合と同じ気持ちだったのかも知れないとも思いました。評論子は。
しかし、百合の手前そうとも言えず、「人助けのために亡くなったお父さんは立派だった、家族の誇りだった」と、取り繕(つくろ)っていたように思えてなりません。
あるいは、自分にそう言って聞かせて、夫が亡くなったことを、何とか自分自身にも納得させていたのかも知れないとも思われました。
評論子には。
(追記3)
ツルさんは、預かった手紙は、やはり投函していたのではないでしょうか。
百合が間違って落としてしまった文箱から落ちてしまった手紙は、あとで終戦記念館?のショーケースの中に、切手に消印がされた状態で展示されていましたから。
たぶん、ツルさんが直(す)ぐには投函しなかったのは、出撃しても、帰還することが、初期の頃は、ままあったからではないでしょうか。
出撃しても、会敵できなかったり(敵艦と遭遇できなかったり)、悪天候で攻撃ができなかったりして、やむなく基地に引き返して来ることは、特別攻撃が始まった当初は、時としてあったようです。
もちろん、「敵艦がいる」という索敵(偵察)情報に基づいて出撃する訳ですけれども、レーダーも普及していなかった当時の日本軍としては、太平洋で敵艦隊に遭遇するのは「プールの中で、たった一匹の泥鰌(どじょう)を探すようなもの」とも例えられたと聞きます。
それゆえ、いわゆる「死に場所」になかなか遭遇できずに、かえってそのことの苦悩が、戦争映画などでは描かれていたりもしているようです。
(もっとも、終戦間際には、物資不足から戦闘機の燃料も充分には行き渡らなくなり、最初から片道分しか給油されなかったりもしたようではありますけれども。)
英霊の訃報(戦死公報)よりも先に遺族に手紙が届いてしまうと、いろいろと不味(まず)かったのかも知れません。
むしろ、戦死公報を受け取って悲嘆に暮れる遺族(両親)は、次いで、息子からの決意が伝わる肉筆の手紙を受け取って、いくばくかは慰藉される…特攻隊員の最後の慰安施設である「陸軍指定食堂」を預かる女将のツルさんの、せめてもの心配りだったのだと思います。
評論子は。
そして、これらの郵便に切手が貼られていたことの方に、評論子は感慨がありました。
この手の郵便物は、当然「軍事郵便物」として、料金は無料の扱いだったはず。
軍の郵便物として、軍が差し出すのなら。
畏(おそ)れ多くも畏(かし)こくも、天皇の統帥権に基づく軍事行動に、料金を課すなどという発想は、そもそもなかったはずですから。
しかし、そういう扱いにすれば、当時のこととして投函前に軍の検閲を受け、それ故、手紙の中身には本当の心情は書けなかったのでしょう。
それで(軍事郵便物としてではなく)私信として、わざわざ切手を貼ってツルさんに投函を頼んでいた-。
当時の状況からすれば、あり得ないことではなかったものと思います。評論子は。
(追記4)
本作の監督さんは、CM作品のご出身で、長編作品はようやく二作目とお聞きします。
しかし、そう言った鋭い感性をお持ちであることについては、刮目すべき人物なのかと思ったりもしています。
良い作品(秀作)に出会ったことのほか、これからが楽しみな監督さんに出会えたことで、ダブルで嬉しい思いの評論子でした。