「息子がゲイで困る理由は宗教観ではなく母親自身の自己愛から」インスペクション ここで生きる Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
息子がゲイで困る理由は宗教観ではなく母親自身の自己愛から
「参った」がこの映画の一言。母親(Gabrielle Union)の身勝手さと息子,フレンチ(Jeremy Pope)の成長過程についてだけ感想を書く。
母親はゲイである息子を受け入れることができず、息子は16歳から家出をしてホームレス生活をしている。上官であるロサレス(Raúl Castillo自分の性的好みで迷っている)に車の中で「ホームレスでゲイだ」だからマリーンMarine Corps に入ったと。そして、ホームレスでゲイで死んだら、何もないと。でも、マリーンに入って軍人としてサービスをして死んだのなら、「名誉」の戦死で名を残すと。これが、きっと母親に残こされるたったひとつの息子へのプライドなのだと思う。母親はかなりのクリスチャンで(映画から南のバプティスト)かと思ったが、ニュージャージー2005と冒頭にでた。調べてみないとわからないが、母親は正統のクリスチャンであるらしい。一般論だが、熱心でないと仕事から帰ってきて、(行くのかもしれない)テープ(ラジオ)で説教は聞かない。母親の仕事は制服からして守衛のようで、人生に疲れているように見受けられた。こんなふうに判断した状況で、息子を愛しているようだが、南バブディストの信者として、ゲイの息子を受け入れられないんだと思っていた。ところがどっこい。南カロライナのマリーン( Marine Corps Recruit Depot Parris Island )の卒業式の時、息子は母親に、軍人になっても「自分のアイデンティティーは変わらない」と告げる。この時の母親の態度は卒業式の家族が和気藹々とした雰囲気をぶち破った。この母親はなぜこんなに......理解に苦しんでしまって、より息子に同情した。でも最後に答えが出た。息子がゲイで困る理由は宗教観ではなく母親自身の自己愛からなのである。息子は自分を証明したくて、こんなひどいマリーン・トレーニングをうけ、母親のために自己啓発してきたが。母親は16歳で息子を産んで、自分が認められない環境に育ち、自分中心の考えから自己愛が強くなってしまってるのではないか。母親の『What about me? What about I want?』
には愕然とした。これが母親の望むこと。クリスチャンでなく自己中だ。
フレンチの成長過程だが、彼は、16歳からゲイのため、ホームレスになってしまった。シエルターで年配のホームレスに「なりたいと思えば、何にでもなれるよ」と言われる。確かに問題意識が持てれば、この悪夢のような状況から抜け出ることができるr。彼の場合は軍隊へ。マリーンでの過酷な訓練、それに、仲間との一体感、上官の愛の鞭?などこれらによって、彼が磨かれたと言ってもいいかと思う。ここはゲイでもなくホームレスでもなく差別がない場所(現実にはある。イシマイルEman Esfandiのようにモスリムでなくても)で、マリーン総力体制で国のためにサーヴィスするところ。ここで「私にもできる」という達成感が生まれたのだ。私的なら1抜けたでやめるが、フレンチには行くところがない。また、ホームレスに戻ったら悪循環なのだ。最後のシーンで部屋に入ってきた制服の人が「国のためにサービスをしてくれてありがとう」といった時、フレンチはニコッとした。全てが報われた。これからの自分があると感じたに違いない。ゲイでホームレスとして路上で死なない新しい自分を見つけ出したと思う。