「上映期間を延長して欲しい。」裸足になって 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
上映期間を延長して欲しい。
日曜の朝、一番小さなスクリーン(上映室)の雰囲気は十分でなく、忍耐が必要だったが、それを吹き飛ばす良い映画だった。
母からクラシック・バレエを習っているフーリア(リナ・クードリ)は、階段から突き落とされて骨折し、バレエ・ダンサーとしての夢を絶たれ、失声症(心因性発声障害)になってしまう。しかし、病院のリハビリで聾唖者や自閉症の人たちのグループに入って励まされ、コンテンポラリー・ダンスに取り組んでゆく、再生の物語。
恩赦によって社会復帰したテロリストに警察からの配慮があるようなアルジェリアの社会では、すっきりした結末は期待できない。ただ、今でも時折テレビで見る中村吉右衛門の鬼平犯科帳でも結末はわからないことも多い(水戸黄門との違い)。しかし、エンディングにジプシーキングスの曲が出てくると、その雰囲気は一変する。江戸、特に漆黒の闇に開く花火を背景として、彼らのギター音楽が流れると、気持ちがすっきりする。この映画では、最後のダンスの場面こそがジプシーキングスのエンディング・テーマに相当し、観ている私たちの心を解放した。何というカタルシス!
それにしても、もう少し何とかならなかったかなと思うことも多い。
前半、手持ちカメラでダンスを捉えるシーンは、カメラが人物に近すぎて、画面が揺れ、その結果私たちは視線を外すことになって、かえって退屈してしまう。
テロリストに恩赦があった(どこかの国にもあった)としても、多くの人の目の前で行われた脅しや車を損傷するような犯罪行為まで問われないようでは、法治国家ではない。この映画は、それを告発しようとしているのか。
失声症ならば、回復の過程が、もう少し描かれても良かったのではないか。確かに merciの声は届いたが。
ただ、車のなかで、お母さんがお父さんの思い出に触れる時、不世出のオペラ歌手、マリア・カラスの十八番、ノルマのアリアが流れたのは良かった。
日本語字幕にも一言。セリフの大半には、事実上の公用語であるフランス語が使われていたが、一部は故郷の言葉、アラビア語だった。しかし、日本語字幕には、その区別はなかった。後者のセリフには、アルジェリア人の心情が現れると思うので、アラビア語の時には、フランス語字幕の一部を残すとか、配慮して欲しかった。
それにしても、最後のダンスシーンには、それら全てのモヤモヤ感を吹き飛ばすだけの素晴らしい効果があった!より多くの皆さんに観てほしい映画だ。