「押し込められた巨大な水たまり」湖の女たち つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
押し込められた巨大な水たまり
介護施設での事件、過去の薬害事件、市島松江が戦時中に見た事件、そして、松本まりか演じる佳代が福士蒼汰演じる刑事に支配されようとする行為は、自分の運命を他人に握られるという点において同じだ。
違うところがあるとするならば、三つの事件とは違い、佳代の行動は自分の意思であるところだろう。死にたいと思うこととは違う、自分で自分の行く末を決めたくないと思う気持ちだ。
現代の感覚で見ると狂った考えのように思えるが、ほんの100年前であれば、生まれたときに自分の行く末は誰かに決められていたようなものなのだ。あなたとあなた結婚しなさい。あなたは子どもを産んで家事をしなさいと。
それは薄くなったとはいえ形を変えながら現代にも続いている。女だからどうとか、看護師ではなく介護士だからどうとか、そういった決めつけは、昔の時代の「女は家事をしろ」と根底に流れる考え方は同じ。
どうせこのように指図されるかのごとく決められるならば、自分からそこに飛び込んだとしても同じなのではないか。その中で自分なりの自由を得られるならばそれでいいのではないか。闘う意思を持てないならば早々に降参してしまう佳代の感覚も「狂った考え」とは思えなくなる。
闘う意思を見せる人として、執拗に取調を受けた松本が、更に過激に闘う人として介護施設事件の真犯人三葉が、闘いに躓く人として新聞記者の池田が、そして闘うことを放棄する人として佳代がいる。
理不尽に対する抵抗にグラデーションがあるのはいい。
湖とは巨大な水たまりのようなものだ。海とは違う。
海には自由を感じることができるが湖の場合はそこに押し込められているような感覚をおぼえる。
海へと続く道は残されているが、その道は細い。そこには、枠にはめようとしてくる目に見えにくい不自由さがある。特に女性には。
「命を教える」は作中の印象的なフレーズだが、生き死にだけではなく生き方も含まれるだろう。現代では自分の行く末は生まれたときに決まっているわけではないのだから。
より良い生き方を幾人かのキャラクターが示したエンディングは少しだけ明るさを感じた。