劇場公開日 2024年5月17日

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「濱中と豊田のSMなシーンの衝撃が強くて、原作のテーマであった人間の善と悪というテーマが吹っ飛んでしまいました。」湖の女たち 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0濱中と豊田のSMなシーンの衝撃が強くて、原作のテーマであった人間の善と悪というテーマが吹っ飛んでしまいました。

2024年5月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 公開中の「湖の女たち」は、大森立嗣監督が、吉田修一の小説を映画化した作品。大森監督が吉田の原作に挑むのは、2013年の「さよなら渓谷」以来。ある事件をきっかけに、主人公の男女はいびつな関係に陥りますが、「『愛』という言葉に回収されないものを、吉田さんが描いていることに強く引かれた」というのです。

●ストーリー
琵琶湖の湖畔に建つに介護療養施設で、100歳の老人が不審な死を遂げます。刑事の濱中圭介(福士蒼汰)と先輩の伊佐美佑(浅野忠信)は殺人事件とみて、施設の中から容疑者を挙げ、執拗な取り調べを行なっていきます。事件が混迷を極めるなか、その陰で濱中は、取り調べで出会った介護職員の豊田佳代(松本まりか)への歪んだ支配欲を抱いていくのでした。
 一方、事件を追う週刊誌記者・池田由季(福地桃子)は、この殺人事件と署が隠蔽してきたある薬害事件に関係があることを突き止めていきますが、捜査の先に浮かび上がったのは過去から隠蔽されてきた恐るべき真実。署が隠蔽してきた薬害事件が今回の殺人事件に関係していることを突き止めます。
 そして、後戻りできない欲望に目覚めてしまった、刑事の男と容疑者の女の行方とは?さらに、殺人事件の真犯人に辿りつく池田。意外な事件の真相とは?

●解説
 原作の吉田修一の小説は、「言葉にできない感情を描く」という読者の想像力をかき立てる作風の作家なのです。なので、吉田原作の小説を映画化するとき、まんま映像化するとどうしても、俳句でいれば三段切れの脈絡のない映像がぶつ切り状態に羅列されていくという、説明不足な脚本になりやすくなっていきます。だからといって、ト書きやナレーションを増やしたり、前後の情景描写を増やすと、説明過剰になって。回りくどく感じる映像になってしまいます。吉田原作の映画化は、そういう難しさがあります。そういう点で本作は、前者の説明不足の作品でした。
 本作はメインの100歳の老久の不審死と薬害事件と戦前の731部隊の関連性が、原作ほど明確化されていません。そしてもっと問題なのは映画化にあたり強調されている濱中と豊田のSMな関係は、老人の不審死に全く関係しないことです。

 原作『湖の女たち』で使われたモチーフは、731部隊の人体実験と、津久井やまゆり園の殺傷事件。そこにうっすらと薬害エイズ事件と滋賀呼吸器事件が入ってくるものでした。大森監督はなんとか頑張って原作のニュアンスを取り込もうとしますが、時間の制約もあって、例えば731部隊の話はどうしても印象が薄くなりがちとなってしまいました。そしてなりより、濱中と豊田のSMなシーンの衝撃が強くて、原作のテーマであった人間の善と悪というテーマが吹っ飛んでしまいました。たぶん本作をご覧になる多くの方が感じるのは男と女の感情の表と裏をのぞき込んでしまう好奇心をくすぐられることでしょう。松本まりかを全裸にしてまで、男女の間に支配し、支配されるという倒錯的な関係を描くのだったら、いっそポルノ作品としてエロチックに仕上げた方が分かりやすかったかもしれません。しかし濡れ場の描写も希薄なのです。
 徹底した大森監督の反権力志向が、刑事も人間、こんな裏面もあるよといって濱中の裏面を暴き立てて、警察の権威を失墜させたかったのかもしれません。でもねぇ、作品中、時間を割いてまで描く必要なシーンだったのか疑問です。
 しかも刑事が容疑者の知り調べ中に、容疑者を追い詰め、結果容疑者のマゾッけを発動させて、署内で下着を脱がせるなど卑猥な言動を行うなんて、絶対にあり得ない設定でしょう。

●感想
 そして本作をわかりにくくしている決定的な点として、「731部隊」と「薬害事件」と「今回の殺人事件」がつながっていたという原作の大事な筋書きに触れられていないことです。
 その結果、この三つの要素がバラバラで唐突に入れ替わって描かれているように見えるという心証をうんでしまいました。
 戦時中、731部隊で行われていた人体実験の関係者が劇中の薬害事件の所長と介護施設で殺された100歳の老人がすべて同一人物なのであるということです。そこには凄まじい悪意が存在していたはずです。そこが描かれてこそ、事件の意外な犯人が、なぜその老人を殺したかという動機に合点が入ったはずでした。それが本作では矮小化されて、ただ年寄りは単なるお荷物だから殺してしまったことになったのは残念なところです。
 そして本作の意外な犯人は、この人がきっと犯人なのかもと暗喩されるだけの曖昧な結末。豊田記者の追及にも、うっすら微笑むだけでした。これでは映画が終わった後でも、犯人とバレなかった人は、きっと犯行を繰り返し、悪意を拡散し続けていくことでしょう。フラストレーションがたまる終わり方でした。

●最後にひと言
 監督が園子温だったら、もっとエロむき出しの作品となってたでしょうけれど、大森監督の美学では、そうしたくはなかったようです。
 舞台は湖の周辺。大森監督にとって、湖は「ぽかんとあいた穴のようなイメージ」。海が向こうにある世界を想像させ、川が流れていくのとは違って、「湖は停滞している空間」で、そこに落ちていく濱中と佳代の姿も描かれたのでした。
 さらに、戦時中に犯罪的行為が行われた別の湖のイメージが重なり、湖という場所が歴史性も帯びてきます。2人は、湖が象徴する負の歴史のようなものにのみ込まれそうになるけど、ぎりぎりあらがって、何とか、美しいものとしてあろうとします。
 安っぽい恋愛のように見えた瞬間、映画が台無しになってしまうことにこだわった大森監督にしてみれば、単なる情事として描きたくなかったのでしょう。

 その主役の福上、松本は難役をこなしました。これは評価します。特に、福士が演じた演中は複雑な内面を抱え、常に沈鬱な表情をたたえていたのです。これまでのイケメン俳優のイメージを覆すような役なのです。「福士君には、刑事みたいに演じようとしないでほしいと言いました。脚本を読み、撮影現場に立って感じたままに演じてくれれば、濱中になるんだと」と大森監督は語っていました。
 容疑者を支配欲でがんじがらめにしてしまうアンモラルな刑事役ですが、彼もまた相方の先輩刑事からパワハラを日常受けつつ、その強引な取り調べ姿勢に疑問を持ってしまう役柄。見ている方も、濱中を憎めなくなって行くところは、福士の持つ時の人柄の良さが滲み出ていると思いました。

流山の小地蔵