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関東大震災直後の被災映像(フィルム動画)の多くはこれまでノンクレジットで断片的に消費されてきており、誰がどういう状況で撮ったかは必ずしも明確でなかった。本作は過去の手記・証言や丹念な映像解析から、3人のカメラマン(撮影技師)を特定し、未曽有の大災害を眼前にしたそれぞれの行動を明らかにした労作。
まず彼らが残した震災の映像自体が胸をつく。旧被服廠での火災旋風被害(遺体が映るので注意)もさることながら、広域での大火災に至る前、逃げ場がないのか、安堵かはたまた呆然としているのか、ただ燃え盛る建物を見つめる多くの被災者の姿に衝撃を受けた。(終演後、両国の東京都慰霊堂に初めて足を運んだ。併設の復興記念館も勉強になった)
上映後あいさつで演出の方が「多様な要素を盛り込んだ作品。製作者が語り過ぎるといろいろな見方を妨げる」旨を述べていたが、個人的には、たまたま直前に観ていた「続・戦車闘争」と同じく、本作もカメラマンがなぜカメラを回すのか、彼らの「記録し、発表する」本能、業のようなものを描いていると強く感じた。(同作のレビュー参照)
ただ、50年前のベトナム戦争の時代と震災のあった100年前とでは、記録する行為は同じでもどう発表するかの位置づけは異なる。前者では職業カメラマンの仕事は記録し形にするところまでで、それを世界の人々に届ける報道機関やネットワークは別の存在として確立していた。100年前にはまだラジオもなく、新聞写真を除けば、映画は映像を他者に伝える唯一のメディアだった。
そして映画というシステムは、興行として料金を取って映像を見せることで維持される。本作中でも、東京でカメラを回したが火災で撮影所にアクセスできず自らの身も危うくなり、京都まで鉄道で逃れてそこで現像し、即大阪で上映して「興行上の大成功を収めた」とのくだりがある。これには、他人の不幸で金を稼いでいいのか、という違和感や嫌悪を抱く向きもあるだろう。一方で、上映で人々が惨状を知ることにより、義援金が集まり救援が促進されたという側面もある。(作中でも被災者に囲まれた撮影隊がそのように説明したエピソードが紹介される)
しかし、それはある意味方便であって、「『役に立つから』記録してもいい」という理由付けは、(誰かにとって)役に立たない=都合が悪いことは記録してはいけない、ということの裏返しである。
正しいか否かとは別に、カメラマンが自分の発意で撮るべきものを記録し、それが世界に、そして後世に伝えられること、それ自体が価値なのだと、100年後にそれを見た自分は思う。記録する側にある権力性や「記録されない権利」にも意識的でなくてはならないと思いつつ。