ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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ブニュエル的プロットとデ・パルマ的悪趣味が炸裂する「地獄めぐりでマザコン・セラピー」映画!
まあ、たしかにこんなの見せられても、 ちょっと途方に暮れるよね(笑)。 扱いに困るというか。 何が何だか意味がわからないとはいわないが(むしろ何がやりたいかはわかりやすい映画だと思う)理屈の通った筋らしい筋はまるでないからなあ……。 でも個人的には、あちこちで大笑いさせてもらったし、何が起きるかわからないので、ずっとわくわくしながら退屈もせず、寝落ちもしないで最後まで楽しむことができた(嘘。ちょっとだけ森のコミューンのシーンは長すぎて一瞬気が遠くなったw)。 ここでは、アリ・アスターが「何をやりたかったか」の話をする前に、 まずはこの映画が「何に比較的似ているか」の話をしたい。 なお、公開三日目なのにもう調布ではパンフが売り切れていて(!)、すべて今から書くことは己が脳内での勝手な決めつけであり、いろいろウソを並べ立てているかもしれないのでそこはお許しください。きっとみんな観ても訳わかんないから、せめてパンフで情報を補完したかったんだろうなあ(笑)。僕も欲しかったよ……。 一見して、僕がこの映画が何に似ていると思ったかというと、実はルイス・ブニュエルにとてもよく似ていると思ったのでした。 ルイス・ブニュエルといえばまさに「不条理映画の王様」みたいな巨匠監督だけど、 「●●をやりたいのに、どうしても●●ができない」 これこそは、ルイス・ブニュエルが得意とした黄金プロットだ。 部屋から出たいのにどうしても出られない『皆殺しの天使』。 峠を越したいのにどうしても越すことができない『昇天峠』。 料理を食べたいのにどうしても食べられない『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』。 『ボーはおそれている』は、明らかにこの路線を引き継いでいる。 “実家に帰省したいのに、どうしても帰省できない”不条理映画。 ルイス・ブニュエルとの類似点は他にもある。 女性に対する若干気持ち悪いフェティシズムの発露と、毒のあるセクシャルなシーンの挿入。ブニュエルといえばなんといっても脚フェチだが、本作ではマザコンを拗らせた男の赤毛への執着が描かれ、騎乗位プレイが繰り返される。 街に一歩出たら危険がいっぱいという感覚に関しても、非常にブニュエルに近しいものがあると思う。ブニュエル映画では『アンダルシアの犬』の頃から、道を歩いているだけでいきなり車に撥ね飛ばされるわ、路上にふつうに死体が転がってるわの剣吞な描写が続いていたが、後年の映画になると、何かと街角でテロリストが銃を撃ったり爆弾を爆発させるシーンが唐突に挿入されるようになる。ボーが住んでいるアパートの不条理なクレーマーと、一歩出た街角の悪夢的なデンジャラスさは、まさにブニュエル譲りの世界観だといえる。 じゃあ本作の不条理劇としてのテイストが、誰の作品にいちばん近いかというと、僕は初期~中期のブライアン・デ・パルマにとてもよく似ていると感じたのだった。 もちろん、デイヴィッド・リンチっぽい部分も出てくるし、前述したブニュエルやら、ホドロフスキーやら、オーソン・ウェルズの『審判』やら、さまざまな既存の「不条理劇」からテイストを受け継いでいるのはたしかだろう。 しかし、この全般的に「人を食ったような」「あまり笑えない悪ノリの勝った」「ひたすら品のない露悪的なネタを連発する」テイストってのは、やはり僕にはデ・パルマのクセの強いホラー・サスペンスにいちばん似ている気がしてならない。 とくに『ボディ・ダブル』とか『レイジング・ケイン』とか。 だいたい、頭のおかしい支配的な毒親と心を壊された子供の内的闘争が全体の大テーマってのは、そのまんま『キャリー』だもんね。明らかにパイパー・ローリーとパティ・ルポーンの演技プランにはある種の共通点があるし、どちらもイニシャルが「P.L.」なのだって、もしかしたら意味があるのかもしれない(多分ないけどw)。 多重オチや夢オチがどんどん肥大して収拾のつかないことになっていく悪趣味なつくりや、唐突に下卑たセックスシーンが入って来る下世話感、突然豹変するように狂気を噴出させる女性の怖さの描写、決め所でかかるメロウで通俗的なダサい曲など、端々にデ・パルマっぽい「バッド・テイスト」が漂っている。 これにアリ・アスターが大好きなホラー映画のエッセンス(『エルム街の悪夢』の風呂シーンとか、チャールズ・ブロンソンの『殺人鬼』に出てくる全裸殺人犯とか、『ミザリー』における献身的な介護とか、『ハロウィン』の背後への殺人鬼映り込みとか、ダリオ・アルジェントの三原色とか、初期ピーター・ジャクソンのテイストとか……)を加えたうえで、さらにアートアニメや劇中劇の要素までぶち込んで、ラストではルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』に目配せなんかもしつつ、この雑駁なシネフィル的不条理映画は成立している。 では、こういった諸々の「クセもの不条理映画」の成果を徹底的に注ぎ込んでまで、アリ・アスターがやりたかったことというのは一体何なのか? 言い換えれば、この映画はどんなジャンルの映画なのか? 答えは比較的簡単だ。 これは、いわゆる「地獄めぐり」の映画なのだ。 そんなジャンルあるのかって? ジャンルとしては、たしかにないかもしれない。 でも「地獄めぐり」は、欧米の小説・映画において様々な形で何度も採用されてきた、西欧文化の核心を成す重要な「型」である。それは間違いない。 その源流は、ダンテの『神曲』煉獄篇、および地獄篇だ。 さまざまな「悪」を見て回ることで「魂の浄化」へと至るというこの構図(キリスト教の「贖罪」の思想と深く関連する)は、たとえば『時計じかけのオレンジ』や『キラー・インサイド・ミー』では、前半で悪行の限りを尽くした主人公が、後半で因果応報の拷問を受けることで自らの「悪」と向き合うという形で援用されている。悪夢の連鎖がそのまま「地獄めぐり」として機能している映画としては『ブレインストーム』や『ジェイコブス・ラダー』があるし、もっと古い映画だと『ベン・ハー』などもそうだ。 近年の地獄めぐり映画で出色だったのが、チェコ映画の『異端の鳥』。フィル・ティペットの『マッドゴッド』も、絵に描いたような「地獄めぐり」映画だった。 「地獄めぐり」映画は、ひどいことが起こり続けた挙句に、主人公が追い詰められて死に至るような映画ではない。 本人にとって経験したくないような事象、直視したくないような内容。 そういった「ひどいこと」の連鎖によって、主人公の「業」が「浄化」され、オブセッションから解き放たれるような、「再生」と「復活」の要素が含まれてこその「地獄めぐり」である。 その意味では、『ボーはおそれている』はまさに、「地獄をめぐることで」自己と向き合い、その根幹で自らを縛り上げているマザー・コンプレックスと正対し、そこからの解放・浄化に至るという道筋を持っており、まさに「地獄めぐり」映画と呼ぶにふさわしい。 たしかに、あんなことになって話は唐突に終わってしまうわけだが(笑)、少なくとも彼は悪夢的体験を経て、長年苦しめられてきた毒母による呪縛の正体を解き明かし、実際に反撃を加えるところまで「成長」することには成功しているのだ。 『ボーはおそれている』。 いったい何をおそれているのか? もちろん、母親だ。 彼の神経症も、対人不安も、挙動不審も、元をたどれば母親との関係性に起因している。 もともと「帰りたくても帰れない」のは母親に極度のプレッシャーを感じていて、内心は「帰りたくない」からだ。 そんなボーも、幼少時の自らの記憶と対峙することで、母親への執着と性的な抑圧の淵源にたどり着き、それを言語化し、母親との関係を相対化することができた。 ラストシーンは、洞窟という「女陰」の象徴たる場所の奥へと至って(いわゆる「子宮回帰願望」というやつで、冒頭の「産み落とされる」シーンと実は呼応している)裁判の形で生前の因果が端的に表現されるわけだが(日本でいうところの閻魔様のお裁きの場)、そこで彼は今までの「偽りのセラピストによる偽セラピー」ではなく、「本当のセラピー」を経て「自分を知る」ことになるのだ。 あまりこの映画を理屈で語っても仕方がないと思うけれど、普通に考えれば、最初に部屋に戻ってきたシーンで本当はもう蜘蛛に刺されていて、あとの展開は「すべて」そこから死に至るまでに見た悪夢だと考えた方が辻褄はあうだろう。 だって、あんな危険すぎる街角とか、あるわけないんだし(笑)。 少なくとも、天井にへばりついてるオッサンから涙がぽたぽた落ちてくるシーンで、すでに「夢」の領域に入っていないとどう考えてもおかしいわけで、結局は「ほとんどのシーンは実際には起きていない脳内妄想」だと考えるべきか。正直、あまり理屈やつながりは重視しないで、のんびり刹那的に愉しんで観ればいい映画だと思う。 あとはとにかく「悪夢の鉄則」である、「起きてほしくないこと」が起き続けるという唯一のルールに従って物語は展開していく。 ●●しようと思ったら●●できない。 隣人に脅迫的ないちゃもんを受ける。電話がつながらない。出かけようとしたら鍵をパクられる。薬を飲もうとしたら水が出ない。水を買おうとしたらお金が少したりない。部屋に戻ろうとしたら戻れない。朝になってやっと戻ったら死体が待ち受けている……。 人生、うまくいかない嫌なことばかりだ(笑)。 ボーの身に起き続ける「嫌なこと」の芸術的な連鎖は、まさに「悪夢のロジック」としては完璧である。あと、話が行き詰まって来ると、死ぬような衝撃的なシーンで暗転していったんリセットしたあと、なんとなく適当に「次の別の悪夢が始まる」というのも、いかにも悪夢らしい。 こういった「悪夢」の法則にのっとってとりとめもなく紡がれ続ける物語を、いったいどういう形で閉じるつもりだろうと思って観ていたら、きわめてミステリ的な仕掛け(身●●●殺●とか『トゥルーマン・ショー』的なオチとか)が用意されていたのにはちょっと驚いたが、これとて「夢のなかで観ているときは超クールに思えたミステリ的などんでん返しだけど、目が醒めてから冷静になって考えてみたら、あんまりたいしたことなかった」ネタっぽい感じがあって、個人的には笑えた。 なんにせよ、「地獄めぐり」を経てマザー・コンプレックスをセラピーする物語としては、あらゆる出来事が「自分探し」と「母性の探求」につながっており、意外に「ロジカル」な映画なのでは、とも思う。 これを観て面白いと思わない人がいるのもよーくわかるが、個人的にはこの手のバッド・テイストも不条理展開も基本、大好物なんで、星四つとかつけてみました。 その他、ふと思ったことなど。 ●冒頭、赤ちゃんの視界がぼやけているのは、実際にそうらしい(視覚で得た情報を形として認識するのには経験と訓練が必要)と昔、大学の心理学の授業で教わったのを思い出した。 ●アホっぽい通俗曲を終盤かけまくっていたのが印象的だが、ところどころでクラシックの楽曲をアレンジして使っていたのは面白かった。 冒頭流れる女声スキャットは、バッハのアリオーソとして知られるチェンバロ協奏曲第5番の第二楽章。続く尺八を用いた劇伴は武満の『ノヴェンバー・ステップス』を思わせる。最後の海に乗り出すシーンでかかる曲の冒頭のハープは、マーラーの交響曲5番のアダージェットと同じ音型でどきりとさせられる。 ●ボーの寝ている部屋のガーリーな色調が宣伝写真として用いられ、『バービー』みたいなノリの映画なのかと思って観に行ったら、まるでそんな映画じゃなかった(カラフルなのはあのシーンだけ)。非常に悪意のある引っ掛けである(笑)。 ●全編のなかで一番完成度が高いのは、冒頭の「出られない/戻れないアパート」と、中盤の「謎一家」のシーンだろうが、後者はシットコムのパロディなんだろうね。 ●正直あのチンコ怪人は爆笑したけど、よくわかりませんでした(笑)。「誰」の男根恐怖なんだろう? ●『バッド・ルーテナント』に続いて、なぜか二作連続で中年男優の全裸を観てしまった。俺のガンはでかいぜ!
とりとめもなく続く悪夢をずっと観させられている感じ
とりとめもなく続く悪夢をずっと観させられている感じで、ストーリーに整合性がなかったり、回収されていない箇所がたんまりあるのだけど、夢ってそんなもんだよね、と納得して、深追いしようとはこれっぽっちも思わせない映画。 始まる前は「3時間に耐えられるだろうか…」と思ったけれど、どんどん場面が展開して、まるで冒険譚のようにどんどん進んでいくので、全く飽きない。先読みさせない予測不能っぷりはNo. 1。 けれど何にも心の琴線に触れない、誰かに共感するような映画でもないので、暇つぶしになっただけで終わりました。楽しめましたが、暇つぶしにしては、やや長いかな。
嫌な気分にさせてくれてありがとう
「3時間ずっと嫌な気分」というレビューを読んでいたので、さてどれだけ嫌な気分にさせてくれるかなと期待して見にいきました。 期待通りでした。 細部については書きませんが、私が思い出したのは寺山修司です。 寺山がアメリカに生まれていたらこんな作品になったかも……などと思いました。 ブラックな笑いも大好きですね。漫☆画太郎か!ってシーンまでありました。
酷いとしか言いようがない。 次の流行りはこういった系統が続くのか?...
酷いとしか言いようがない。 次の流行りはこういった系統が続くのか? 邦画も少し形は違うけどこんな感じのが増えてきた気がするし。 選別系。
私はいったい何を観させられてるのか・・・・
3時間も私はいったい何を観させられたのか。 結果として、 頭のネジがぶっとんだ誰かの妄想を3時間観させられたワケだけど 途中からコレは妄想のファンタジーだと諦めて観ていました。 ユダヤの価値観と人生観が分かる人には理解できるのかもしれないが 「パーティで女の子に話しかけるには」を観たときと同じくらい 変なのモノを観させられちゃったなって感じですわ。
途中で寝た
この映画、彼氏・彼女や親御さんと見に行った場合は猛烈に気まずいから要注意だよ。 私はというと、冒頭1時間で飽きてしまい、中盤は少し寝た。(ちなみにレビューで「寝ました」という感想は最高に面白くない映画にしか使わない表現です。) さすがに上映時間が三時間は長すぎるんだよ。実験的な妄想映画なら、それならそれでもっと内容をまとめて観やすくしないと。もしこれが一時間くらいの短編だったらもうちょっと高評価だったかな? 途中ポップコーン食べることしか楽しみがなくなって困った。 あー、でも最後の水上での裁判は少し面白かったかな。あれはラスト、沈んでいったあとにボーが生まれたときの音声っぽいのが流れてたから、また生まれて話がループしてるってこと? いや、もう知らん。考えるのがめんどくさい。あのお父さん一体何なの?本当に意味わからん。あとお父さんと戦ってたやつも誰?怖っ。 監督はペンキでも飲んでいてください。 本当は星0個だけど、裁判シーンと音楽がうるさいっていう隣人からの苦情のお手紙がちょっと笑えたのと、TOHOシネマズのバターしょうゆポップコーンが美味しかったので星1.5個追加しとくね。
悪夢を観た
連日の寝不足と、残業の疲れから、睡魔に襲われて、何度か落ちそうになった。 悪夢を見て動悸を感じて目が覚める、そんな感覚に近かった。 細かいところを一つ一つ見れば面白いのだけれど、とにかく長い。体力のある時に観れば、また違ったのかもしれない。 今回は、強迫観念による不安や恐怖をコミカルに描いていたが、次回はまたホラーテイストな作品に期待したい。(私は、アパートの外がめたらやったら危険で、こわごわ外に出たら、安全だと思っていた部屋へ外から人がなだれ込んで、逆に閉め出されてしまう場面が好き)
【やっぱり癖凄、でもテーマは普遍的かも】
『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』のアリ・アスター監督&Hollywood指折りの性格俳優ホアキン・フェニックスときたら観ないわけにはいかない。ホアキン出演作はとりあえず逃さず鑑賞。 終始現実か妄想か?の境界線が漠然とした支離滅裂な早い展開に面食らう。アニメーションや舞台装置を演出に取り入れたり、ワサワサさせる画角映像に音響音楽と、アスター監督独自の世界観に加えて、冷静と狂気の狭間で混乱するホアキンの演技で長尺を感じなかった。 よくもまぁこんな脚本作ったものだと賛否両論あるだろう癖凄作品だが、アスター監督の過去作品同様に“家族との葛藤”がテーマ。主人公がどんなナンセンスエピソードに遭遇しても只管に受動的なのも家族、とりわけ母親のとの関係がそうさせるのだと妙な納得感アリ。 色々なフリにしっかりオチがあって、現代社会へのアンチテーゼも落とし込んで、呆気に取られるエンディングも含めこれら全てが如何にもアスター監督ぽい。
ポスターに油断していた。
ポスターを見てポップな映画を想像していたら、不安神経症の内なる世界の様な物語で、先々不安になる怖いものでした。 それでも、映像は綺麗でとても丁寧に作られています。 ホアキン・フェニックス見事過ぎて疲れました。 30分単位で分けて見れば消化できる映画ですが、179分通して見るとヘビーです。 「わからない」と拒否した方が安全で、食いついて見てしまうと気持ちが沈みます。 気持ち的には評価ー5.0ですが、作り手の情熱を感じる見応えのある映画なので、評価3.5としました。 日曜日13:25 観客3名、がんばれー。 封切り3日目で123レビュー、感心はあつめてるぞー。 成功体験てんこ盛りの「フォレストガンプ」見て、精神の安定を取り戻そうと思います。
観客は戸惑っている
主人公ボーの妄想?幻覚(悲観的で悪夢な内容が多い)がずっと連鎖的に続くストーリーで、次第にどこまでが現実で、どこまでが幻覚か分からなくなってくる不気味さ。そしてスッキリとしたオチやネタ明かしがあるわけでないのが、後を引く。気持ち悪くて怖い。やはりアリ・アスター。 主人公をホワキン・フェニックスが怪演。クライマックスあたりは迫力だなあ。
非支持の理由。
非支持。 中盤の2時間が丸ごと余計。 序盤はスコセッシのアフターアワーズかと乗ったが、 直ぐ失速し以後延々停滞。 序盤と終盤だけの45分なら、 まあまあの短編だったろう。 テーマは毒親と稚拙凡庸。 どうとでもなる悪夢モノなら整理してから撮れ。 徐々に下がる監督と見よう。
家族とは万人を不快にさせるテーマらしい
普段ホラーは見ないが、ああこういうのもホラーなんだと思った。違う形で人を恐怖、不安そして不快な気持ちにさせる映画だ。もっとも監督はanxiety comedy (不安コメディ?)と呼んでいるらしいけど。なるほどね。 昔大学でabnormal psychology, 異常心理学というのを勉強した時、ああ自分だって異常と正常の境目にいるんだなと感じたことがある。鬱や恐怖症はじめ、誰でもどちらにでも振れることがあるんだと。 この映画はそんな自分の負の部分が出てきそうな、不安になる映画だった。精神衛生上非常に良くない。悪夢を見た後みたいで、早く何かで上書きしたい。。もう2度と見たくないけど強烈な印象残したのも確か。最後だけもう一度見てみたい気もする。。アリアスターよく正気でこんな映画撮れるよね。。皆どん底に落ちるが良いという監督の言葉がまた怖い。 強迫性障害の心象風景を描いた感じ。不安になる人ってこういうこと心配して生きてるのよ、と。 そして悪夢ってこんな感じだよね、という半分妄想も。 ひたすら連鎖的に悪いことが起きて追われ続ける。常に走ってる。 周りはみんな気狂いで隙あらば殺される。 途中病院や互助会的な救いが出てくるけど安心はできない。誤解されて糾弾されて、常に狙ってくるヤツがいる。 家族にも大きな秘密がある。 そして自分のしたことは全て罪として裁かれる。 主人公ボーは後半で発達障害と出てくるので実際不安なだけでなくこういう幻覚に近いものを見ているということなのかもしれない。でも前半はともかくママのくだりはどこまでリアルなのか?これも虚構なのか実際に起きてしまったのか?怖くなる。最後の裁判は自分が責められているような気にもなってくる。 「家族は万人に通じる最も身近な存在であり、それはつまり万人を不快にさせることができるテーマ」とアリアスターがwiredのインタビューで言っていた。 わかるとはいえないけど、自分の家族との関係を思い起こしむずむずさせられたという意味ではまんまと不快になったということだ。やられた。 一晩寝て、これだけ長文吐き出して、ようやく気持ちが落ち着いた気がする。ああ、気持ち悪かった!
誰だよ
3時間の苦行とか言ったヤツ。 クソオモロかったやんけ、前半7回くらい声上げて笑ったぞ、そこでそう思うんかーい!とか。 そのリアクションかーい!とか。 近くで見ると喜劇のチャップリン論にグイグイ笑っちゃったよ、そこにjokerホアキン重ねたりも出来たし まあホアキンの気弱で良いヤツ感の芝居が素晴らしいよな、俺常に悪いことしてるんじゃ無いか?に自己疑心に心当たり弄るわ。 まあ、ボーは基本的に良いヤツなんだろうな、不安に駆られる人生は非暴力者だろうし、まあ最後はアレだったけど、聖書に人生預けるのも怖いね。 映画の魅力としては今敏夫重ねちゃったなー、実写でコレ出来るヤツ居たのかーーー!!って。 もうどっからどこまでが事実で、どっからがボーの脳内か解んないじゃん。 もう3時間凄えの見たわ。 我慢不能でラスト5分トイレ離席したけど。 入場前コンビニビールも不安産むんだな。
後からじわじわくる
心配症を患った為に不安が不安を煽り、そしてさらに様々なあり得ないことが次から次へと起こってしまう。 前半は現実、後半は母親に囚われている心の中の状況、もしくは夢の中。母親との電話で普段は優しい母親の声が低くなる一言からが本題の入り口のような気がする。 最後のシーンは悪夢でうなされているボーに対して、現実の世界からの母親の声が聞こえてくる。 誰もが持っている不安を描写した映画だと思った。 追記 2回目観てきました。感覚も変わりますね。 1回目には気が付かなかったこと。チャンネル74の早送りの画像内容。そしていつもボウを監視している謎のおじさん。誰よwwwマジ。 。新しい発見。スッキリしたい(笑) この映画、字幕を気にしていたら気が付かないことたくさんあるような気がします。 3回目あるな。
ミッドサマーは良心的
個人評価:3.7 私はいったい何を見ているのだろう。 まさにアリ・アスターの掌の上。 タイトル通りに不安に苛まれ、悪夢を見せ続けられる難解な3時間。 ギャスパー・ノエの様な、観る側に対してのサディスティック演出を、アリ・アスターも持ち始めたのか。 分かったのはミッドサマーが良心的であったという事実。 しかしながら、惹きつけられる魅力は充分にあり、またBlu-ray発売されたら買っちゃうんだろうな。
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