ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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「何を見せられているんだ」感
この映画は悪い映画ではないのですが、いかんせん長いです。3時間あります。
例えば同じ監督の前作「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」は長くても『この映画はホラーなんだな』『このあと主人公に怖いことが起きるんだな』と分かり映画の最後まで待つことができます。
しかし本作「ボーはおそれている」はホラーテイストではありますが、監督はコメディとうたっており、笑っていいのか怖がっていいのか戸惑います。それが本作の最大の魅力でもありますが、3時間という映画の長さでずっと観客の感情を宙吊りにします。
この映画は同じアリ・アスター監督が2011年にとった「ボー(Beau)」という短編映画が元になって作られているのですが、そちらは6分の短い作品です。短いのに本作「ボーはおそれている」より面白いです。監督の言いたいことが6分でしっかり伝わるからです。
本作「ボーはおそれている」も悪い映画ではないのですが、どうせなら母親と子供(主人公)の物語に焦点を絞ったほうが良かったと思います。
ラスト付近で語られる「実は父親がXXX」は完全に蛇足でした。あれのせいで母親と子供の物語の焦点はぼやけ結局何の映画だったのか分からなくなっています。
何を経験したらこんな映画が撮れるのか
アリアスター版トゥルーマンショー
ボーの悪夢を一緒に観ている感じです
アリ地獄みたい
マザコン映画監督の憂鬱
アリ・アスターへのインタビューによると、はじめ本作のタイトルを『絶望大通り』にする予定だったそうだ。プールに浮かんだ死体、実家の豪勢な螺線階段、母親の息子ボーに対する過干渉などは、ビリー・ワイルダー監督の傑作スリラー『サンセット大通り』へのリファレンスと見て間違いないだろう。サイレントからトーキーへ時代の流れに取り残された大御所映画女優の(ツバメをコントロールする)狂気を描いた、いわば業界ネタ作品である。
本作には、メインストーリーにはほとんど関係のない、監督曰く“間奏”のようなパートが登場する。ボヘミアンたちが森の中の劇場で一夜限りの演劇を披露するのだが、(おそらく権力者である母親の差し金と思われる)そのストーリーがボー(ホアキン・フェニックス)のこれまでの生き様とこれからの将来を占っているかのような、自伝的内容なのである。このアリ・アスターという人、自分の暗い過去には口を閉ざしていて一切語ろうとしないのだが、子供時代母親に相当ひどいことをされたらしく処女作『ヘレディタリー』にもそれが反映されているそうなのだ。
「観客と舞台の垣根を取っ払いたいんだ」なんていうブレヒト的な台詞が劇中あったかに記憶しているのだが、監督ー映画ー観客の間に横たわる見えない壁を、観客の心の中にも必ずや潜んでいるであろう“家族に関するトラウマ”をネタに、取っ払おうとした映画のように思えるのだ。ラストシーン、観客が大勢見ている映画館のような空間で、弁護士の男に“母親を愛していること”を証明できなかったボーの乗ったボートが転覆、観客にも見捨てられそのまま放置されてしまう。映画愛を示し損ねた映画監督のように、生まれてこなければよかった子供は母の子宮内に沈められてしまうのだ。
まるで『トゥルーマン・ショー』のジム・キャリーのごとく、一挙手一投足のすべてを大金持ちである母親にこっそり見張られていたボーは、母親の過干渉がいまだトラウマになっているアリ・アスターの分身であり、予算・日程・キャスティングの全てを製作会社にガチガチに管理されている映画監督という職業そのものと≒とはいえないだろうか。『サンセット大通り』に出てきたフリッツ・ラング似の召使のような、ボーのカウンセリングを担当する医師が本作にも登場するのだが、母親=プロデューサーとつるんでいるスパイだったことが判明する。
本作の配給元であるA24はハリウッドからほっぽりだされた映画監督を拾い上げ再生することに定評のあるスタジオらしいが、いつなんどきハリウッドのビッグスタジオのように口やかましく横槍をはさんでくるようにならないとも限らないのである。アリ・アスターの言う“ANXIETY”とは、将来自分の撮りたい映画が自由に撮れなくなる、その一点につきるのではないだろうか。ビッグペ◯ス父さん?が屋根裏部屋に閉じこめられたように、それは映画業界から永久にパージされることへの“不安”に相違ない。
ボーはおそれすぎた結果、、、
被害妄想の部分と現実のシーンがごっちゃになっているが、良く考えてみれば、“狂った設定ではあるが現実”のシーンと“ボーの頭の中の想像”のシーンとわけて観ることができる。
ボーは常に悲劇の主人公であるが、ひきで見ればボーも不特定多数の加害者の一員であったり、歪んだ愛情ではあるが大切にしてくれた母を悲しませてしまっていた。(というのも被害妄想が過ぎるだけなのかもしれない。)
誰かに苦しめられてつくられた弱者も誰かを苦しめている。という。普通取扱わない社会のカオスが描かれているのかなと感じ取った。
しかし、笑えてくるくらいカオスな映像によってそんな重たいテーマも軽く受け止められる。
多くを語らないカオスな映像に振り回されることを楽しめる人だけが楽しめばよい作品かなと
No. 1500
いやもうお見事
ホラーでは無い
悪い夢
想像を絶するハチャメチャさ
それなりに話題になっていた新作ゆえ、何の予備知識もないまま鑑賞。
観始めていきなり、ヤバい…何が何だか全く意味不明。そんな中1時間ほど観たあたりで、残2時間と知った時の絶望感はハンパない。観終えるまでに何度挫折しそうになったことか。
かなりマニアックな観方をするとそれなりに評価できる作品なのかも知れないが、個人的には本作の中に魅力を見いだすのはちょっと無理かも知れない。これは好みが分かれるどころの騒ぎでは収まらんでしょ。
余韻を残すエンドロールは印象的であったし、それなりに人気のある作品のようだが、やっぱりどんなに贔屓目にみても平均点以上はつけられないのが正直なところかな。
映像や音響は凝っていたと思うので、劇場で観たならばもう少し印象が違ったかも。
解釈がいくつもあって難解(修正)
難解すぎて見た人の数だけ解釈があるように思う。
そもそも、
これは何を描いているのだろう?
ボーによる幻想だろうか?
それとも、死の間際の審判だろうか?
いったい何が現実で何が幻想なのかわからない。
さて、
ボーにとって母の存在はトラウマに等しい。
母は子離れができず、思い通りにならないことに非常に我慢できない性格だ。
ボーの現在は、ボーの見た視点の認識によって描かれているが、それによるとアメリカ社会の危険が彼の住む場所で全て起きているかのようだ。
タイトルの通り、彼はすべてに対し恐れている。
アパートの風呂場の上に張り付いていた男
彼は一体何の象徴だろう?
そもそも、路上生活者によって部屋を占拠されたのはおそらく幻想だ。
ボーは天井にいた毒グモを最大限の恐れの幻想として、さっきまでいたであろう路上生活者の残りだと認識し幻想を作った。
彼のこの恐れの原因が、帰省しなければならないということに由来するのか。
カウンセラーは母の依頼 新しい薬が彼の幻想を助長させたと思われる。
逆効果だったのだ。
逆
この物語で描かれていることは、すべてが逆効果となっているということなのかもしれない。
母の愛
彼女が話したように、彼女が考える息子への愛はすべてにおいて見返りはなく、最後に残ったのは悲しみと憎しみだった。
この憎しみという部分を彼女は強調した。
ボーは生まれたときからすでに母を拒絶していたのかもしれない。
ずっと父の真実を話してくれない母に対する不満
この彼にとっての最重要な問いかけに答えない母に対する不信感
だから母が何を言っても何をしてくれても虚無感が付きまとう。
逆に母は父について本当のことを言わないのは、大きな秘密があるからだが、その秘密は屋根裏部屋に監禁していたからなのか、それ自体理解しにくい出来事だが、森で出会った人が「お父さんは生きている」と話したことで、事実の裏があることになるが、そもそも幻想に幻想を重ねている。
その理由はわからないことが逆に幻想を裏付けている。
また、
肥大化した局部と話した外科医と屋根裏部屋のクリーチャー
ボーにとっての最大のトラウマ
それはおそらく「勇気のある自分像」を母によって閉ざされてしまったこと。
彼はもしかしたら、勇気=父 という構図を持っていたのかもしれない。
そして、
子供が持つ父に対する純粋な印象は、見かけとは大きくかけ離れて大きい性器があること。
私も息子に言われたことがあるが、幼い私自身がそう思ったことを思い出した。
性器そのものが父の象徴なのだ。
さて、、
アパートの風呂から飛び出し警官に静止された後の外科医宅でのドタバタ劇は、それそのものが不可解だ。
外科手術の前後に彼に付けられたGPSは警察などによるものではなく、外科医または彼の狂った息子の仕業だ。
ボーの外科手術をし、温かく迎え入れているかのようなあの一家はかなり謎だ。
軍にいたという息子はPTSDを発症したのか、隔離病棟に入れなければならないほどなのに、おそらく体裁上の理由で庭に置いた車で生活させている。
また、娘もかなりの不良と薬中毒の所為か、狂っている。
娘の部屋をボーに使わせ、「他に部屋がない」とはどう考えてもおかしい。
母の部屋が息子の部屋だった。
あの邸宅の規模からあり得ない。
そして家の中の監視カメラ
外科医が「大きな株主総会がある」と言ったのは、おそらくボーの母の会社と関係あるように思う。
おそらくCEOの母の死で、新しいCEOを決めなければならなくなったのだろうか?
彼らがボーに対し世話をするのもそれが理由だと思われるが、逆にボーが何者なのかわかっていない可能性もある。
しかし妻はボーに「何か」を教えようとしていた。
それが監視カメラ
それにはボーの「今後」の映像まである。
何故だろう? いったい何がどうなっているのだ?
ボーが自宅で座る映像 ボーがボートに乗る映像
明らかにボーは監視されている。
それが未来の映像であれば、ボーはループしていることになる。
その映像を見るのを遮るように現れた娘は、ペンキをもってラリッている。
彼女の背中に差し込まれているのはTVのリモコンではないだろうか?
彼女は泣き叫びながらボーに言った。
「あんたはもうテストに落ちたの」
「親のいない子ぶって…」
彼女は「動画を取っていた」
「それをみんなにぶちまける」と言った。
それはおそらくマリファナのことだと思われるが、彼女は正しい情報を知らないと思われる。
そして、
株主総会のテーマ
それにこの一家は関わっているのだろう。
ボーはそれに値するかどうか?
GPSは彼の所在を見失わないため。
ボーはただ普通にしていればよかっただけなのだろうか?
しかし
ボーはいつも「間が悪い」という特長を持っている。
ボーは自分の状況に対し非常にシリアスに捉えている。
それがこの作品の表面上、つまりボーによる認識の視点で描かれている。
ボーが最後にいた場所
それはおそらく「株主総会」の場所
テストに失格したことを改めて追及されているものと解釈した。
さて、
最大の謎は、外科医のモニターに映っていた「今後の映像」だ。
それが現実であるならば、ボーはどこかでループしていることになる。
しかし彼は「先送り」でその映像を見ていた。
つまり未来の映像だ。
映像の後すぐに起きることが、娘の登場だ。
そしてその通りとなる
未来を見ることのできる装置
謎すぎてわからないが、何もかもボーの幻想なのだろうか?
または、、、
『カウンセラーに処方された新しい薬』
これを飲んでから彼の症状が悪化していることから、すべては薬の副作用だったということだろうか?
最後に彼の乗ったボートが転覆する。
彼は今溺れそうになっている。
そのままエンドルール
もしかしたら目が覚めた場所は、自宅の風呂場だったということなのか?
父と母とエレイン
大人になったボーの中にあるこれらのトラウマ
いつも見る夢
新しい処方箋と水
考えさせられる作品ではあるものの、その解釈が幻想だけというのではがっかり感が伴う。
実際はどうなのだろうか?
追記
さて、
もしかしたらボーは、母の会社のCEOになるのを拒否し続けてきたのではないか?
「数か月帰省していない」とカウンセラーに話しているが、そもそも数か月という期限付きで彼は実家から離れたのではないか?
そのプレッシャーが彼の心を破壊するかのように刺激したことによって、この物語が始まったのかもしれない。
何でも思った通りにならないと気が済まない母
彼女は製薬会社のCEOで、新薬をボーに試したのかもしれない。
しかしその結果は、ボーをさらに混乱に陥れただけで逆効果だった。
その新薬を開発したのがあの外科医夫婦だった。
「テストに落ちた」のは、ボーではなく、処方箋。
つまり一家は首を切られる羽目になる。
だから外科医の母はボーに「ヒント」を与えたが、娘が半狂乱を起こし自殺、すべてを失った母が今度は半狂乱になったのかもしれない。
もう一つ考えられるのが、
新薬の臨床試験だ。
開発者が外科医で、その治験結果を監視カメラ映像によって判断される。
その副作用が、「幻想」だったのではないだろうか?
大人になれないままのボーに対する投薬実験
結果は思わしくはなかった。
その最大の問題が、幻覚作用の及ぶ時間。
それによって引き起こされた母と息子の大げんか
でも、
わからないことが多すぎる。
さっぱり分かりません
悪夢を味わえる
不可解な精神を自由に描く
全271件中、21~40件目を表示